社会形成者の育成の観点に立った生涯教育学序説(1) 西村美東士 聖徳大学生涯学習研究所紀要『生涯学習研究11』(2013年3月)原稿 はじめに 本研究は、1970年代から2010年代までの筆者の生涯教育学研究の成果を対象とする。「社会形成者育成」に関わるいくつかの視点から、これらの成果をあらためて系統的に検討し直す。そのことによって、本研究を、社会形成者の育成の観点に立った生涯教育学の序説として位置づけたい。 本号では、このような生涯教育学構築の構想と方法論について論ずる。 1 わが国の生涯教育学にかかわる研究課題 1.1 法的位置づけからみた課題 教育基本法 第1条は、教育の目的について、「人格の完成を目指し、平和で民主的な国家及び社会の形成者として必要な資質を備えた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない」(傍線引用者)と規定している。 なお、社会教育法 第2条は、社会教育の定義として「学校の教育課程として行われる教育活動を除き、主として青少年及び成人に対して行われる組織的な教育活動(体育及びレクリエーションの活動を含む。)をいう」としている。しかし、教育目的としては、学校教育の目的とは異なるだろうという類推はできるだろうが、それ以上は定かではない。 さらに、「生涯学習の振興のための施策の推進体制等の整備に関する法律」 においては、生涯学習をなぜ振興するのかについては、触れられていない。 1.2 関連諸研究の動向からみた課題 社会教育という言葉の使い方については、福原匡彦が、教育主体の面からの「社会が行う教育」、教育対象の面からの「社会に対して行う教育」、教育内容の面からの「社会について行う教育」、教育空間の面からの「社会という場で行われる教育」とともに、教育目的の面からは「社会のために行われる教育」という意味での使い方がされていると指摘している 。 のちに、後述の「要求課題に対する必要課題」、「現代的学習課題」などが提起された。これは、社会から要請されている課題を学習するように国民に求めるものであったが、個人の学習だけでは解決できない社会の問題について、どのようにして、国民の学習を通して解決できるか示すことはできなかったと考える。 2010年6月には、「支え合いと活気のある社会」を作るための当事者としての参加、協働を求める「新しい公共」宣言(平成22年6月4日「新しい公共」円卓会議)が提起された。文教政策も、これに対応したものとなっている。 しかし、研究面では、それぞれの研究の視点からのみ論じられており、「新しい公共」を同一のテーマとして追究し、さらには個人の自由な学習とどう関連付けるかを明らかにするまでには至っていないと考える。今後は、「社会形成者の育成」という視点から生涯教育学をとらえ直し、これまでの理念研究や方法論を再統合して体系化することが必要であると考える。 1.3 実践上の問題意識からみた課題 教育関係者にとって、「社会形成者の育成」は、教育の「自明」の機能としては認識されているものと考える。だが、これを「やりがいのある活動」として積極的にとらえ、意図的、計画的に実践に取り組む状態には未だ至っていないのではないか。 とりわけ社会教育や生涯教育の場においては、「社会形成者の育成」という教育意図を明確にすることにはためらいがあるように思われる。これは、個人の自由と自主性を尊重し、ニーズに基づいた支援を行わなければならないという、これもまた「自明」の了解があるからであろう。 実践の場において、この二つの「自明」の内容、過程、構造がどちらも十分には分析的に実証されず、両者の関連も十分検証されていなかった。そのため、二律背反のものとしてとらえられてしまうという不幸な状態に陥ったものと考える 。 筆者は、研究と実践のなかで、次のように感じてきた。「社会の形成者として必要な資質」(教育基本法)を身につけることは、じつは、個人のニーズでもある。職業人として、家庭人として、地域の市民として、学習者、指導者ともに、(後述の「達成目標の明確な設定」さえしていれば)達成感を感じられる楽しい過程にもなりうる。 2 生涯教育学構築の構想 本研究では、人々の自由な生涯学習を、社会形成者としての成長につなげようとする生涯教育学の理念と方法を明らかにするための立論、すなわち序説として論じたい。 そのため、本研究では、「社会形成者育成」について、生涯教育の基礎づくりとしての学校教育、生涯教育の基盤としての社会教育を貫く生涯教育全体の目的としてとらえることとする。 このことによって、生涯教育における社会形成者育成の現実化の筋道を明らかにするための先鞭をつけたい。 筆者は、1990年4月に初めて大学教員になったとき、それまでの社会教育実践の方法論をいかして、学生個人のニーズに応える授業方法を試みた 。その重要な一手法が「出席ペーパー」である。これは、授業内容に対する個人的な意見や感想を書き込むものである。また、授業に出席しても「上の空」にならざるを得ない課題をもつ学生であっても、その課題を書くことによって出席と認めるというものである。自己の自己内対話の経過を外在化(記述)することは、思考の深まりと客観視に有益であると考えた。そして、次の授業では、「ディスクジョッキータイム」と称して、その一部を読み上げ、コメントを加えた。 大人数授業でも自分の意見をまとめ、「公開希望」と書けば、他の学生に発表してもらえるということで好評を得た。それは、社会教育では普通に行われていた「学習者参加型教育」の方法にほかならない。 しかし、それ以上に重要だと気づいたことは、次の2点である。第一に、個人の体験や自己内対話から生み出された「臨床の知」 は、たとえ異質のものであっても、ほとんどの学生に共有させることが可能であるということ、第二に、たとえば、その日の授業テーマには関係のない失恋等の個人的課題の処理に関することであっても、社会教育の授業科目においては、各回のテーマの進行とは多少前後するものの、何らかのつながりがあること。そして、それを読み上げることは、授業内容に「真実味」を感じながら受講させるためには効果的であるということである。 これは、学習が個人的事象である ということとともに、指導者の読み上げ、評価、回答という指導者の行為によって、表現支援機能、受容機能、揺さぶり機能(固定概念の打破) が発揮でき、それが教育目標の達成にとって効果的であるということを示すものと考える。 このようなことから、筆者は出席ペーパーの記述に表された個人の深さを「個の深み」と呼び、これをいわば帰納法的に組織化して授業内容に反映することによって、社会形成者の効果的な育成が可能になると考えた。 現在では、ICT(Information and Communication Technology)やSNS(Social Networking Service)への学生の書き込みと教師としてのレスポンスを通して、職業人として、家庭人として、地域の一員としての資質・能力向上のための支援の効率化を進めている。その個人の記述の意義と指導者の行為のあり方については、基本的には出席ペーパーと同様のとらえ方をしている。 一方、国の政策においては、1985年6月、臨時教育審議会「教育改革に関する第1次答申」が、欧米へのキャッチアップを実現した我が国の教育改革の基本的考え方として、個性重視の原則を挙げ、生涯学習体系への移行を訴えていた。また、1996年7月には、中央教育審議会第一次答申「21世紀を展望した我が国の教育の在り方について」が、教育は「自分さがしの旅」を扶ける営みであり、一人一人の個性をかけがえのないものとして尊重し、その伸長を図ることを、教育改革の基本的な考え方としていくべきであると述べた 。 しかし、筆者の青少年問題文献の準網羅的調査によると、要旨のキーワードのヒット率から、次の推移が観測された 。90年代に入って大きく増加した「個性尊重」の支援理念は、2000年以降大きく後退し、それに代わって「社会性涵養」の重要性が叫ばれるようになった。 このように、個性と社会性の育成については、教育学的には両立することが自明であるにもかかわらず、政策的な揺れ動きが、生涯教育学の研究にも影響を与えてきたものと考える。また、先述の「新しい公共」研究にも見られるように、世の中でクローズアップされないと、研究テーマとして上がってこない。さらに、生涯教育学が、「青少年問題」などの社会的現象にとらわれがちであったことも相まって、個性と社会性が二律背反のものとして議論されてきたものと考える。 本研究では、これまでに得た生涯教育学の知見を、「社会形成者の育成」の観点から再評価する。これにより、社会形成者の育成に資する生涯教育の意義と方法を明らかにするための研究の方向を示したい。 個性の伸長に関しても、社会性の涵養に関しても、これまでの研究を整理し、社会形成者の育成の視点から適正に再評価することによって、生涯教育学の根底をなす理念と方法を明らかにすることができよう。 見方を変えれば、個性と社会性の両立を自明として疑わず、議論を深めようとしない状態こそ、問題であると考える。個性と社会性の背反の現実を直視することは、生涯教育学が世の中や社会とどうつながり、人間の暮らしにどう連結しているかをシャープに描き出すテーマになりうると考える。そのテーマは、今日の人類、社会にとって大事なテーマである。本稿は、そのテーマを明瞭化するための研究の序説として提示したい 3 生涯教育学構築の方法論 先述のとおり、1990年昭和音楽大学勤務となって以降、筆者は「個に対する関心」に注目して実践と研究を進めた。そして、実践のなかで、「こころ志向に対する関心」へとシフトし、さらには「癒しに対する関心」へと発展してきた。 その後、筆者は、1998年に徳島大学大学開放実践センターの教員として勤務した。そこでは、次の二つのことが、研究関心の変遷の契機となった。第一に、公開講座による子育て支援の実践において、母親間の相互受容が自己や社会への気づきを阻害する傾向があることが明らかになった 。第二に、ある学生から、「個の充実も大切だと思うが、社会に出たら、職業人としても充実して生きていきたい」と言われた。 社会形成者の育成という観点については、筆者が東京都青年の家に勤務していたときから、若者のネットワークなどを重視していたことなどから、その根っこはあったと考えるが、問題意識として鮮明になったのは、この二つの契機からであると考える。 2004年、聖徳大学勤務となり、翌年には文部科学省私立大学学術研究高度化推進事業社会連携研究推進事業「連鎖的参画による子育てのまちづくりに関する開発的研究」の原案作成者及び研究統括として研究を進めるなかで、「個人完結型子育て観から社会開放型子育て観への転換」という鍵概念を得た。 他方、長年続けている「青少年研究会」での社会学研究者との共同研究 では、「状況主義的自分らしさ」や「携帯電話によるコミュニケーション」などを一定程度肯定的に評価するという意味で、一般的な教育学の視点とはやや異なった、刺激的な観点を得ている。 とくに、個人化については、自己決定論とともに、社会的視点のないまま、自己完結的に問題が個人に舞い戻ってきてしまう(再帰性と呼ぶ)という社会学からの批判的観点は、個性の涵養と自己決定の支援を是とする生涯教育学の研究にとって、検討すべき課題といえよう。 たとえば、このような観点から、「青少年研究会」のメンバーである土井隆義は、『友だち地獄−「空気を読む」世代のサバイバル』において「自分らしさの檻」から脱出する方法として、次のように述べている。「自分を世界の中心に置くのではなく、自分を相対化する視線を身につける(中略)。いまはやりの自己分析などではなく、むしろ意外性に満ちた体験や、異質な人々と出会う経験の積み重ねこそが重要」 。また、学園祭での高校生の奇妙な盛り上がりなどをシニカルな目で批判する。 筆者は、自己分析、自己決定、個人化、社会化について、必ずしもこのような否定的な見解に立つものではない。しかし、このような関連する学問の知見を取り込みながら研究を進めることは、社会形成者の育成の観点に立った生涯教育学を構築するためには不可欠と考える。 筆者は、現段階では、「個人化の進展に対応した新しい社会形成者の育成」というテーマについて、図1に示した個人内のスパイラル過程の理解が、その解決策となると考えている 。 図1 個人化・社会化のスパイラル ここで「即自」とは、自分自身で感じたまま対処する状態である。個人は、ここから出発し、「対自」において、自分自身を見つめて、問題をどう解決するかを考えるようになり、やがて、「対他」において、他者との関わりを考えるようになり、対社会に発展する。そのことが、社会における自己の適正な位置づけにつながり、社会形成者として必要な能力を獲得することになる。 このスパイラル自体は連続的なプロセスであるが、本図を右の個人化支援の視点のみから見た場合は、ついたての裏は見えず、個人化プロセスに戻ってきたときだけ、その成長を「自己の充実」(人格の完成)の側面から見ることができる。左の社会化支援の視点のみから見た場合は、逆に、個人の自己への関心と自己受容のレベルアップの様子を見ることはできず、共存から共有への社会形成者としてのレベルアップの側面から見ることができる。これらのいわば「断続的観察」が、図に示したようなスパイラルとしての理解により、「連続的観察」ができるようになると考えたい。 さらに、現在では、図1に示したように、個人化→社会化、社会化→個人化のシフトチェンジの契機について、「癒しによる原点回帰」が重要な役割を果たしていると考えており、その検証を進めている。 本研究では、以上の観点の妥当性を確かめるため、筆者のこれまでの研究結果を、ときの中心的話題や他の関連する研究の動向に照らし合わせて、あらためて客観的に再評価する。このことによって、「社会形成者の育成」という観点に立った生涯教育学のアプローチのあり方を明らかにできると考えている。 本研究の分析の枠組みとしては、以下の3分野と変遷した5研究志向の2軸から成るマトリクスを設定する。 分野については、次のとおりである。 @ 教育方法 A 集団形成 B ICT活用 視点については、次のとおりである @ 対面志向 A 個人志向 B 癒し志向 C 社会開放志向 D 社会形成志向 これを、社会状況の変化、社会形成に関わる研究成果、団体等の活動、自治体の生涯学習推進施策、国の教育政策などの動向と対照させながら再検討する。 以上の方法により、社会形成者の育成に関して、思考の連続性や論理の発展性を確かめる。また、社会状況の変化のなかで課題とされたことを明らかにし、生涯教育学として、これに振り回された側面と、時代のニーズに対応できなかった側面を探り出す。以上の検討により、これからの研究の方向を探りたい。 このことによって、学習者個人のニーズと社会からのニーズに対応した研究課題追究の方向を示そうと考えている。 4 概観 4.1 コーホート把握 本稿の巻末に、別表「概観のための年表」を示す。本表の右欄「社会の動向」をもとに、その年代に多感な10代を過ごした世代の特徴を想定し、2010年代におけるその世代の年代を付して、「コーホート」の欄に表記した。 コーホートとは人口観察の単位集団で、通常、同一年に誕生した出生集団を指す(出生コーホート)。すなわち、それは「共通の出来事を同時代に経験した人々」のことである。 われわれが学習者のニーズと必要性にマッチした生涯教育サービスを提供しようとするならば、加齢効果だけでなく、時代効果やコーホート効果を含めて学習者を理解し、各世代に適切な方法と内容を検討する必要がある。 図2は、デジタル・ディバイドに関して、2005年の時点からみた1945年出生モデルのコーホートを表したものである(筆者作成) 。 図2 2005年時点での1945年出生モデルのコーホート 本研究では、発達段階別の特徴に関する心理学的理解とともに、このようなコーホートの理解が、社会育成者としての育成にとって重要であると考えた。 2010年代における50代は、多感な10代のときに、急進的政治運動のリンチ殺人、内ゲバ殺人などの悲惨な末期を目の当たりにしていることから、「脱闘争世代」と想定した。 40代は、自動車やディスコの「高級化」及びバブル経済の影響から、「バブル心理世代」と想定した。 30代は、当時のバブル崩壊後の「鬱の時代」における若者の癒しブームなどに鑑み、「ヒーリング重視世代」と想定した。 20代は、「ゆとりと学力葛藤世代」と想定した。これは、該当する年代の学生から、世間から「ゆとり教育バッシング」を受けることによる葛藤を聞くことが多いからである。 現在の10代は、「三極分解世代」と想定した。「社会形成者」としての観点から、「社会形成者」として自己を社会のなかで位置づけ、意欲的に職業や社会貢献に取り組むことができる「新エリート層」、このような自覚がないままに受験勉強などに励む勤勉な「旧エリート層」、そして、学校教育及び青少年教育では力及ばず、社会のなかでの自己を積極的に位置決めできないまま10代を過ごす一般層の三層に分離することを、筆者は仮説としているからである。 この仮説は、学生に対するキャリア教育の筆者の最近の実践と研究 から導き出したものであるが、今後の研究で、その妥当性を確かめたい。 以上のコーホート理解は、まだ想定の段階であり、今後の分析と検証を必要としている。だが、時代や年齢だけでなく、各コーホートに適切に対応した教育内容・方法の検討が求められることは明らかと考える。 本研究では、2010年代の時点から、各コーホートの特徴を踏まえた生涯教育学の構築を追求したい。 4.2 研究視点の変遷概要 研究視点の変遷については、別表「概観のための年表」及び資料「自著の書誌情報と要旨」をバックデータとして示した。 @ 教育方法 1970年代後半、筆者は、東京都青年の家の広域的役割において、「青年との結びつきは浅くてもろくなる。それは片想いと同様である。想う相手と会うことも、話すこともできないとしたら、その片想いはいつか消えて思い出になってしまう」 として、対面の重要性を指摘した。 このことについては、1997年に「対話の意義」として、次のとおり発展させている 。 「なぜソクラテス以来、話し言葉メディアの対話(授業)が、(筆者注:活字からの独学における)書き言葉とは別に存在してきたのか。それは、すぐれた対話には、自己管理を超えた学びがあるからだろう。書き言葉メディアは拾い読みができるがゆえに、学習者の認知構造や構えの強化、自動化という逆機能をもつのに対して、よい授業は、学習者に絶え間なく『ゆさぶり発問』を与え続けることができるのである」。 また、2000年には、ワークショップ型授業の構成要素とその効果に関する研究において、学生の自己決定能力の到達段階の把握に基づく戦略的な指導内容と授業構成の必要性を明らかにした 。 1977年、イヴァン・イリイチ『脱学校の社会』が翻訳され、学校制度における「教えられ、学ばされる」という関係を批判して、「自ら学ぶ」という内発的な独学を取り戻すという主張がなされた 。また、1986年、松下圭一は、『社会教育の終焉』と題して、社会教育施設に代わって、「市民文化活動」の拠点として、コミュニティ・センターを整備するよう主張した 。松下は、「成熟した市民」というとらえ方に基づき、社会教育を否定したのである。 しかし、社会形成者の育成は、社会にとって不変的に重要な課題であり、これを効果的に行う生涯教育の方法の追求は必要不可欠と考えたい。 1980年代においては、筆者は、情報サービスの観点から、「個人志向」の社会教育のあり方を論じた 。しかし、この研究での「個人志向」とは、近年の個人化の進行の中で、アンソニー・ギデンズ(Gidens, A.)が指摘した「個人化の進行が、個人のあり方を根本的な不安にさらす」 という方向とは異なるものである。 1984年、筆者は、社会教育施設における情報提供機能について、人間的、生活的、全面的、今日的、そして「つながり」の情報提供の必要性を指摘し、その一環として、青年にとって身近に感じられるような地域情報・行政情報を提供するよう主張した 。 個人化のマイナス面の課題については、2005年以降の「参画型子育てまちづくり」に関する研究において、「社会開放型子育て観」という概念を得るに至って、課題解決の方向が明らかになったと考える 。 このような視点を得る以前、1990年代には、「個人志向」の深まりのなか、筆者は若者や学生との対話のなかで彼らの癒しニーズの大きさを実感し、教育の「癒し機能」に注目するようになった。 1997年の『癒しの生涯学習』では、冒頭に、筆者の姿勢を次のように表明した 。 「本書の主題である癒しについては、『人間はなぜ生きるのか』という問いへのもっとも有効な答の一つが『癒されること』であるという気持ちで本書を書き通している。しかし、同時に、本書では、癒されるためには、@自己決定の水平異質交流のサンマ(時間・空間・仲間の3つの間)において、A他者とともに信頼・共感の居心地のよさを味わいながら、B社会貢献も含めてボランタリー(自発的)に共生創造主体として生きる以外に方法はないという主張もしている。ただし、それは、『自分のために』、『面白いから』であり、本書ではそう思えるためのコツを探ろうとした」。 2010年代に入って、「癒しによる原点回帰機能」を個人化と社会化の両者の結節点として位置付けることによって、個人の社会化過程を全体的に俯瞰するプロセスモデルを設定した。また、学生の癒しニーズの分析から、「自己の原点への回帰」と「社会との窓の開閉」の2要素を見出した。 2012年には、先述のとおり、学生に対するキャリア教育の実践と研究から、職業人として、家庭の構成員として、社会・地域の一員としての必要能力の解明と、その育成方法に研究関心が発展している。これを「社会形成志向」ということができよう。 以上のとおり、研究の視点が、大きくは、@対面志向→A個人志向→B癒し志向→C社会開放志向→D社会形成志向と変遷してきたといえる。 A 集団形成 1970年代においては、サークル間のネットワーク、90年代においては、ピアコンセプトの打破による「水平異質交流」、2000年代においては、個人化に対応した集団運営とその社会化機能 、2000年代後半からは、生涯学習の団体活動における「学びあい、支えあい」による自己形成と社会形成の一体化 について研究を進めてきた。 本分野においても、「教育方法」の分野と同様の研究視点の変遷を見出すことができると考えるが、ここでは誌面の都合上、割愛し、次号以降で詳しく論ずることとする。 B ICT活用 情報サービスについては、前述のとおり、1984年に、個人志向とともに対面志向の一環ともいえる「つながりの情報」の必要性を提起した 。 これについては、1989年に、パソコン通信を「文化面における個人の自立を保障するもの」と評価した上で、「スタンド・アローンがネットワークする」ことの意義を主張した。また、「レスポンス至上主義」の評価などにより、フェース・ツー・フェースのコミュニケーションを模擬、増幅、補完する可能性を指摘し、議論を発展させた 。 なお、同書においては、各人固有の「問題」に対して、パソコン通信を通して、他のメンバーから援助の手が差し伸べられていることについて、「オンラインヘルプの個別化」として高く評価した。 パソコン以前のマイコンについては、1985年に、個人の知的活動や遊びとしても使われることから、「新しい文化」として社会教育は注目すべきであること、市民の手によるデータベースの活用は、市民自治の実践的能力の育成を可能にすることを主張した 。 1997年には、個人情報保護及び著作権保護の動向に対して、社会教育の立場から、「自負できるプライバシー」、「二次利用されたい著作権」という人々のニーズを主張した 。現在でも、生涯教育におけるICT活用に関して消極的傾向が見られるが、筆者が指摘した2つのニーズは、社会形成者の育成にとって最大限に尊重し、活用促進を図るべきものと考える。 また、個人化批判の流れと呼応して、「消費文化論」が提起されている 。とくに、今日のメディア等の享受の実態を考えれば、その流れは強烈といえる。 しかし、われわれが社会形成者を育成する生涯教育の視点から、この消費文化論を批判的にみるならば、教育による供給者視点の獲得 や、生涯学習活動における文化創造を対置できるものと考える。 現在、SNS(ソーシャル・ネットワーク・サービス)が、人々のコミュニケーションツールとして急激に盛んになっている。 社会形成者の育成の観点に立った生涯教育学の視点からは、第一に、自己のICTシステムだけでなく、人々のSNSにおける交信内容を分析し、それをより望ましいものに改善するための援助の方法を検討する必要がある。 第二に、これらのツールを使いこなせない世代がしばらくは存在すること、そして、そのツールが市民活動や地域活動にとっても今後、不可欠のものになると予想されることに鑑み、生涯教育や情報ボランティアの活用による「関係性にあふれた支援」の方法論を開発することが必要であると考える。 以上の観点を踏まえ、次号以降で、社会形成者の育成の観点に立った生涯教育学の構築について、より詳しく論じていきたい。 注記 本研究が対象とする筆者の全著作は、ホームページにおいて全文を公開している(http://mito3.jp/ 検索語「西村みとし」)。本研究の進行と並行して、研究経過や参考資料等を、本ホームページにおいて随時掲載する予定である。 【別表】 概観のための年表 西暦 二〇一〇年代コーホート→ 五〇代脱闘争世代 社会の動向 1970 大阪万博→高度経済成長の末期→一時的躁 1971 ニクソン不況(金ドル交換停止) 1972 あさま山荘事件→若者の異議申立の衰退 1973 第一次石油ショック=高度経済成長の終焉→長期的鬱 1974 ウォーターゲート事件(盗聴等選挙不正)でニクソン米大統領辞職→欧米民主主義への懐疑 1975 ベトナム戦争米国敗戦→米ソ大国による平和維持を疑問視 1976 ロッキード事件(賄賂と「記憶にございません」)で田中角栄前首相逮捕 @教育方法 A集団形成 BICT活用 社会の動向 1977 区市町村社会教育行政に対する東京都青年の家の独自の役割とは何か 東京都の社会教育はサークルのために何をすべきか 連合赤軍ダッカ日航機ハイジャック事件、政府の超法規的措置として獄中メンバー引き渡し決断 1978 ダンスフェスティバル 青年の家についてみんなで考えてみよう 新左翼による成田空港管制塔占拠事件→内ゲバ殺人などもあり、急進的政治運動への消耗感の広がり 1979 三多摩の70年からの青年教育の流れをとらえるために 第二次石油ショック 1980 四〇代バブル心理世代 ルービックキューブブーム 1981 青少年施設とそのリーダー 青少年関係施設における指導員としての体験を語る 図書館の役割と情報資料サービス−講座「情報整理の技術」 トヨタ・ソアラ発売、高速走行性能を重点とした高級クーペとして社会現象化→モノへの執着 1982 私たちと社会同和教育映画 むさしのインフォメーションサービス−今までにわかったこと、わからないこと 東北新幹線・上越新幹線開業 1983 乳幼児期における人権尊重意識の涵養について考える 東京ディズニーランド開園 1984 社会教育施設に『関係』のあふれた情報提供機能を 高級ディスコ麻布十番「マハラジャ」→ディスコの変質 1985 人権尊重思想の啓蒙と社会教育 社会教育とマイクロ・コンピュータ 日本航空123便墜落事故発生 1986 人権尊重思想の普及のあり方についての実践的考察 アイドル歌手岡田有希子、飛び降り自殺。ファンの後追い自殺が相次ぎ、10〜14歳自殺者数戦後最多 1987 現代都市青年と情報−ヤングアダルト情報サービスの提唱、学習情報の提供と活用の実際 土地や証券の投機が経済全体に波及、バブル経済開始→空騒ぎ的「躁状態」 1988 個としての主張を援助するコミュニティ志向の新しい民間教育事業 パソコン通信の双方向性と相互教育力 社員参画型人材輩出型企業、リクルート社の贈収賄事件発覚 1989 イチ(市)とクラ(蔵)によるモノの拠点、ロール・プレイングの活用 ヒューマンネットワークと人材活用、団体・グループの仲間づくりの演出 パソコン・パソコン通信と青年−成熟したネットワークとは何か、パソコン通信は生涯学習に何を与えるか オウム真理教による坂本堤弁護士一家殺害事件 1990 三〇代ヒーリング重視世代 学習圏構想によって生み出されるアダチ・アイデンティティ 子どもたちの団体活動 学習情報提供の現状と課題 神戸高塚高校校門圧死事件→管理教育、校則徹底の消極化 1991 個の深みを支援する新しい社会教育の理念と技術(その1)、地方自治体の役割−学習プログラム作成の視点からとらえる 青少年と生涯学習 生涯学習を援助する相談事業 バブル崩壊→長期的鬱の時代の開始 1992 コミュニケーションを求めておののく若者たち トランスペアレンシー(巻頭言) 尾崎豊死去 1993 学習内容・方法の特徴的な事例、私らしさ咲かせます「楽習のまち」栃木県佐野市 狛プーは出入り自由のこころのネットワークだ 科学研究費A報告書「生涯学習時代における文化映像の製作・保管・活用に関する調査研究」 55年体制の終結、日本新党代表の細川護煕内閣成立 1994 地方自治体における生涯学習計画の実際 まちづくり団体・グループの実態調査、狛プーはどうしてネオ・トラなのか ジュリアナ東京閉店 1995 チ・イ・キなんかが若者の居場所になるの? 科学研究費総合研究A『都市と世代文化に関する実証的研究』研究成果報告書 阪神・淡路大震災→ボランティア活動の活性化、PTSD(心的外傷後ストレス障害)ケア重視 1996 生涯学習社会が大学の授業を変える−高等教育内容7つの転換、生涯学習時代における公運審の役割と課題 若者にとってのネットワーク形成の困難と可能性、狛プーという新しい教育 薬害エイズ事件で帝京大学元副学長安部英逮捕→保健行政への不信・不安の広がり 1997 ボランティア指導者を『指導』できるのか、癒しの生涯学習、自己決定や共感はしてもしなくてもよいものか 狛プーにおいでよ−癒しの生涯学習− 社会教育関係者にとっての電子メールの存在価値−自負できるプライバシー、二次利用されたい著作権の誕生 消費税5%に増税、景気後退 1998 心を育てる・・・ええっ、なんということを−成人教育の視点から「心を育てる」をとらえ直す、癒しのサンマと若き旅人たち−地域若者文化のはぐくみ方 江戸川区民カレッジ第2次報告−自分を大切にするボランティア準備者たち− 「自由な女たち」にひっかきまわされることによる新教育メディアの活性化を、人と人との出会いのためのマルチメディア−かながわ産業未来展出展報告 和歌山毒物カレー事件→自治的な食料提供の消極化 1999 癒しの公民館−新しき伝統、ボランタリズムと官民パートナーシップとしての生涯学習活動の現状と未来、癒しの大学開放−徳島大学大学開放実践センター公開講座「私らしさのワークショップ」報告、1990年代の若者やこどもの「個」の支援−その転換と課題 狛プーの『一年に一回来ればメンバーだ』について、ネットワーク−ヒエラルキーからピアへ、ピアからネットワークへ 癒される情報処理教育 バイアグラ医療機関向け販売開始 2000 二〇代ゆとりと学力葛藤世代 1990年代の若者やこどもの「個」の支援−その転換と課題、1990年代青少年教育施策と理論の文献分析−10年間の青少年問題文献ドキュメンテーションから−、ワークショップ型授業の構成要素とその効果−学生の自己決定能力を高める授業方法 公民館の多角化戦略 SCSを活用した遠隔教育のあり方−徳島大学大学開放実践センターでの試みから− 西鉄バスジャック事件等、「キレる17歳」殺傷事件多発 2001 若者の居場所−行政が「つくる」教育的意図は何か、生涯学習−資源枯渇のない消費 親子関係における気づき過程とその支援−公開講座による子育て支援の実践 コンピュータを導入したワークショップ型授業の実践−「自分らしさ」の発展としての他者との関わり指導の経過から 大阪教育大附属池田小事件→学校開放の消極化 2002 大学授業における学生の社会化過程の類型−個人化と社会化の相互関係に着目して、青少年施策の進展に対応する施設経営の動向−90年代の関連文献の分析から、青少年の居場所−社会化と個人化を意図的・統合的に進める公民館の教育機能 個人化を実現するための狛プーの社会化機能 チャット及び電子掲示板システムを導入した学生間交流授業の実践 住民基本台帳ネットワーク開始 2003 最近の若者の労働観と生き方を考える−日本産業教育学会第43回大会ラウンドテーブル報告、居場所づくりと青少年育成の考え方、青少年教育施設の活動・経営をめぐる問題 学習ニーズの動向とプログラム提供のあり方 青少年施設における社会化言説と今後の課題−青少年文献データベースを活用した調査研究 SMAPシングル「世界に一つだけの花」大ヒット→ナンバーワンよりオンリーワン 2004 学生の社会化を支援する大学授業の方法論、社会化支援としての青年教育 若者の友人関係の類型と社会化支援 参議院議員通常選挙で民主党が自民党を上回る50議席獲得 2005 クドバスを活用した子育て学習の内容編成−高校生の子をもつ親のために− 子育て学習の構造的理解と支援−「子育てのまちづくり」検討のための仮説の設定 創年と情報−コーホート分析の視点による創年のIT活用の展望 郵政民営化など小泉純一郎首相による規制緩和 2006 社会の中でより充実する「私らしさ」をめざして−新佐野市生涯学習推進基本構想検討始まる、「五感をとおしてちがいを楽しむワークショップ」のすすめ、構造的理解に基づく子育て学習の支援のために 「出産・子育ての自己決定能力」を育む大学授業の方法と効果−女子学生(未来の母親)の社会化を支援する技法 ライブドア堀江貴文社長を証券取引法違反容疑で逮捕、 村上ファンド代表の村上世彰をインサイダー取引容疑で逮捕→不正の横行と格差の拡大 2007 まちづくり推進における青少年と親の社会化支援方策−佐野市生涯学習推進基本構想作成過程からの検討、現代青少年に関わる諸問題とその支援理念の変遷−社会化をめぐる青少年問題文献分析、「学生による子育て支援研究」の方法と効果 リクルート社、就業支援(ニート・フリーター対策)を行うジョブカフェで高額人件費計上発覚 2008 Supporting Ideas and Methodology of Youth Socialization in Japan、子育て学習の構造的理解序説−親の社会化支援の視点からの整理、癒しと生涯学習 「学びあい、支えあい」による自己形成と社会形成の一体化、市民参画を実質化する生涯学習推進の方法論(序論)−佐野市の生涯学習諸会議でのワークショップスタイルの導入と成果、「参画型子育てまちづくり活動」から見た生涯学習推進の展望 秋葉原通り魔事件→ネットでの犯罪予告の問題化 2009 保育士教育における参画型教育の意義−子育て商品ニーズの把握から商品企画までを通して、「参画型子育てまちづくり」から見た社会開放型子育て支援研究の展望 未来の母親に対する社会化支援の方法と効果−子ども・友達・親・社会との関わり度を中心に− 子育て支援文献データベース化の条件−多様な情報ニーズに対応する紐付け提案型システムをめざして 日経平均株価がバブル経済崩壊後最安値更新 2010 一〇代三極分解世代 ユーザーニーズの把握に基づく子育て商品開発の授業実践−シミュレーション型授業の実践を中心として、社会開放型子育て観研究の展望―親の個人化と社会化に関する一体的アプローチをめざして 生涯学習の人的交流がもつ癒し効果の可能性に関する検討 内閣府初の引きこもり全国実態調査→「NEET」は計100万人 2011 生涯教育における「癒し」研究の展望、親の社会化・個人化・原点回帰の一体的プロセスモデルの設定 東日本大震災→地域や家族の「絆」再評価 2012 生涯教育文化学科におけるキャリア教育体系化の試み―学科教員による専門教育の実践とその成果から、社会化・個人化の視点から見たキャリア教育の課題―生涯教育文化学科におけるキャリア教育体系化モデル設定の試み、個人化の進展に対応した新しい社会形成者の育成―キャリア教育及び青年教育研究の視点から 学科キャリア教育におけるICT利用の効果−自己内対話と相互関与を相乗的に深める方法 【資料】自著の書誌情報と要旨 @ 教育方法 ◆区市町村社会教育行政に対する東京都青年の家の独自の役割とは何か、東京都社会教育主事会青年の家ブロック、『青年の家を考える』部会、1977/12/8 要旨:東京都の「広域的役割」の実践は困難とともに、危険や緊張をはらんでいる。一歩間違えれば、範囲が一つの区市町村でしかなかったり、区市町村の社会教育と同内容だったりしてしまう。東京都の社会教育が、明確なプロセスをもった広域的な役割を果たし得ていない原因もここにある。しかし、青年の広域的要求に東京都が応えることは、「住民一人一人の生活課題に関す学習要求に直接応える」という市町村第一主義を内実から作り上げていくものだといえる。 ◆ダンスフェスティバル、東京都立川社会教育会館、『青年期セミナレポート』、1978/12/1 要旨:実行委員は、組織性、社会性など、知らぬ間にそれなりに成長している。それは、そもそも内に秘めた他者からは把握不可能な営みの場合もあるし、科学的に追跡できる場合もある。後者については、担当者としては努力が必要であった。 ◆三多摩の70年からの青年教育の流れをとらえるために、東京都立川社会教育会館、『青年期セミナレポート』、1979/12/1 要旨:74年12月、昭島に「でく」、75年9月、小金井に「サチ」が、青年や市民自らの手により誕生する。また、国立市公民館では、75年1月に「コーヒーハウス」が開店し、青年学級の性格を一部引き継ぎ、うかもふらりと立ち寄れる「たまり場」を実現した。後者の場合は、赤字が出て青年たちが背負い込むということはあり得ず、「でく」や「サチ」より有利である。公的社会教育は、青年を「型にはめる」のではなく、しかも、「コーヒーハウス」のような目的的な活動を援助する必要がある。また、青年サークル連絡協議会(サ連)の動きは、メンバーまで含めた大衆的な広がりのある交流イベントの開催によって、個々のサークルのリーダーが、サ連などの活動に一人で飛び出ていき、一人で帰ってくるという不毛な繰り返しが克服されつつある。 ◆青少年施設とそのリーダー、ユースワーカー能力開発協会、『ユースワーカー』、田中治彦、pp.26-27、1981/2/1 要旨:田中治彦の取材に応え、「青年の家でディスコを」「2回目からは青年が運営」、「ディスコは不良か」の3点にわたって、東京都青年の家で自ら実施している「ディスコ」に関する主催事業の意義と教育意図について論じた。 ◆私たちと社会同和教育映画、東京都教育委員会、『社会同和教育研究奨励事業』、1982/3/31 要旨:同和教育映画における固定的性別役割分担、同和地区内の差別、映画製作所の差別の存在を指摘し、自己教育を本質とする社会同和教育の営みとして、映画芸術の大衆的な関与を提起。 ◆乳幼児期における人権尊重意識の涵養について考える、東京都教育委員会、『社会同和教育研究奨励事業』、鈴木三則、藤本隆子、共同研究につき本人担当部分抽出不可能、、1983/3/31 要旨:情緒、情操、知力及び自主的思考育成のため、自己教育、相互教育及び教育的指導性の介在の必要性を指摘。 ◆人権尊重思想の啓蒙と社会教育、東京都教育委員会、『社会同和教育研究奨励事業』、根岸豊、橋立宏子、共同研究につき本人担当部分抽出不可能、、1985/3/31 要旨:1啓蒙主義の歴史的意義、2教育における「啓蒙」の問題、3社会教育における「啓蒙」の問題、4社会教育における人権尊重の普及のあり方について。啓蒙主義の歴史的意義を指摘した上で、押しつけの啓蒙ではなく、従来の地域コミュニティに存在したカウンセリングの代行機能を果たすべきと主張した。しかし、いわゆる「寺中構想」のもつ啓蒙主義については、「戦後の正当な政治的理想の実現のために貢献した側面こそ評価すべき」とした。 ◆個としての主張を援助するコミュニティ志向の新しい民間教育事業、全日本社会教育連合会、『社会教育』、43巻3号、pp.28-31、1988/3/1 要旨:1BEすなわち個の存在の主張、2若者の街、渋谷の中で、3地域レベルの学習の場をめざす、4新しい時代の要請にこたえる内容とネーミング。東急のカルチャースクール「BE」を、すなわち個の存在の主張であるとし、「教養」より、個性的な文化創造による個の「存在確認」のニーズに応える姿勢を高く評価した。 ◆イチ(市)とクラ(蔵)によるモノの拠点、日本教育新聞社、『週刊教育資料』、150号、pp.36-36、1989/4/10 要旨:「しろうと」でない学習者が増えてきた今日、それを援助する生涯学習関係職員も、西武ロフトのような、高度な学習内容への「こだわり」が必要である。 ◆ロール・プレイングの活用、日常出版、生涯学遊ネットワーク、福留強編、pp.87-90、1989/10/10 要旨:青年にとっての団体・グループの仲間づくりとして、ディスコをいっしょにつくりあげるから「あったかい」、みんながしゃべる会議、寝食を共にする合宿の意義について論じた。ロール・プレイの活用については、てれないこと、実感をともなって見ることによって、「信頼感」を呼びおこすことができるとした。 ◆学習圏構想によって生み出されるアダチ・アイデンティティ、文部省編集、ぎょうせい発行、『文部時報』、1357号、pp.28-31、1990/2/10 要旨:1さまざまな生涯学習を行う区民、2区民の一人ひとりに受け入れられつつある生涯学習、3日常の学習圏とより広い学習圏の施設配置、4下町の良さを引き継ぎつつ次代をになうために。足立区における日常の学習圏とより広い学習圏の施設配置を、区民一人一人の生涯学習によるアダチ・アイデンティティの創出基盤として評価した。 ◆個の深みを支援する新しい社会教育の理念と技術(その1)、昭和音楽大学、『昭和音楽大学研究紀要』、10号、pp.135-150、1991/3/15 要旨:「講義型学習と社会教育、高等教育」については社会教育のアナロジーとしての高等教育、講義からの「逃避」に隠された弱点−多数者の主体性の支援からさらに「個の深み」の支援へ、「個の深みを支援する講義技術」については、反応・発展の個別化の促進方法、書くことの意義と実際について論じた。 ◆地方自治体の役割−学習プログラム作成の視点からとらえる、学文社、『社会教育計画』、倉内史郎編、pp.144-168、1991/11/5 要旨:「知と健康のネットワーキングを支援するシステム」については過去の団体中心主義と現在の施設中心主義、ピラミッド型からネットワーク型への転換、啓蒙主義の発展的解消としてのネットワーク型問題提起の公的役割、「年間事業計画の作成」については地域実態・行政実態の把握、学習要求の把握、「公的課題」の優先、学習課題の整理、「個別事業計画」については「学習ニーズ」の優先、参加対象の設定、学習目標・学習主題・学習内容の設定について述べ、「公的課題」の本質的解決の方向を示した。 ◆学習内容・方法の特徴的な事例、野間教育研究所、野間教育研究所紀要『生涯学習の生態学』、37号、倉内史郎他、pp.19-23、1993/3/31 要旨:「突出的学習者」へのインタビュー調査の結果から、以下の特徴を指摘した。1学習の目標、成果、態度などの高度化、2メディアの有効活用とメディアからの自立、3余暇自体の質的な高度化、4女性の生涯学習のインパクト、5自分自身のこころへの関心、6自分と社会の新しい関係、7集団学習の新たなる展開。 ◆私らしさ咲かせます、楽習のまち栃木県佐野市、学文社、『まちを創るリーダーたちU』、福留強編、pp.223-235、1993/12/20 要旨:生涯学習推進委員として関与している佐野市について、次のとおり論じた。1伝統と産業、恵まれた自然と公共施設整備のまち、2私らしさ咲かせます、楽習のまち、3私(わたし)の生涯学習がよりよいまちづくりにつながる、4市長のロマンと現代的リーダーシップ、5生涯学習推進のためのユニークな取り組み事例。 ◆地方自治体における生涯学習計画の実際、亜紀書房、『成人学習論と生涯学習計画』、倉内史郎編、pp.111-157、1994/3/1 要旨:東京都生涯教育計画前史については、現実と理想の乖離、生涯教育計画の萌芽として、計画準備期については、「コミュニティ・カレッジ構想」の出現、「推進懇談会」の発足、社会教育計画と生涯教育計画の連動の前兆として、開始期については社会教育計画・生涯教育計画・総合計画の「同軸回転」として、各期を理解し、その課題と展望を示した。 ◆チ・イ・キなんかが若者の居場所になるの?、神奈川県青少年総合研修センター、『あすへの力』、24号、pp.6-8、1995/9/1 要旨:「どこまでも知りたい」という自然な人間の欲望が触発され、充足され、際限なく広がる場のひとつとして地域をとらえ、若者の巣立ちの場としての地域を地域自身が受容できるかと問い、新型キーパーソンの登場を指摘して、未来型生涯学習支援サービスとしての青年教育のあり方を提唱した。 ◆生涯学習社会が大学の授業を変える−高等教育内容7つの転換−、全日本社会教育連合会、社会教育、51巻3号、、1996/3/1 要旨:学内で生涯教育を取り入れることの意義を述べ、「自己決定・自立支援型にする」「双方向・水平交流型にする」「いつ・どこ・だれ・なに型にする」「おもしろ・感動型にする」「課題提起・解決型にする」「生きがい創出型にする」「信頼・共感・癒し型にする」という転換の必要性を論じた。 ◆生涯学習時代における公運審の役割と課題、全日本社会教育連合会、『社会教育』、51巻10号、pp.106-108、1996/10/1 要旨:青少年指導者でもある公民館運営審議会委員について、トップ・ダウン論と「ワン・オブ・ゼム(彼らのうちの一人)論」への傾向に警告を発し、「よきリーダーシップ」の発揮の方法について次のとおり提案した。たとえば教員研修の場合でさえ、「子どもたちのため」や「よい授業をするため」ではなく、「自分のため」といえる教師こそが「本当に必要な研修」をしている教師である。これが学習の本質であり、生涯学習関連リーダーのあり方といえる。 ◆ボランティア指導者を『指導』できるのか、全日本社会教育連合会、『社会教育』、52巻4号、pp.18-26、1997/4/1 要旨:ボランティアの望ましい態度変容を促す学習プログラムのあり方について、次のとおり論じた。1ボランティアコーディネータはボランティアを「指導」できるのか、2「個の深み」と出会うコーディネート、3アダルトティーチングのためのティーチング、4態度変容の研修の必要性、5受容と共感の態度変容、6受講者事前アンケートの意味−1%の批判、7偶発的学習による態度変容−毒と薬の両面価値の真実、8ネットワーカーとしての態度変容、9成人学習者としての態度変容、10ボランティアとしての態度変容、11無知と非力の自覚と受容。 ◆癒しの生涯学習、学文社、、1997/4/10 要旨:本書では、青年期の葛藤、自立への煩悶の中で見出そうとしている個の確立への展望を、大学教師と学生という関係の中で、臨床的に明らかにしようとした。また、カウンセリングという具体的で実際的な手法で、「人間はなぜ生きるのか」「どう生きればよいのか」について探る指標を提示しながら、一方では、生涯学習の基本的な問題をパラレルに描き出して、問題解決を意図した。 ◆自己決定や共感はしてもしなくてもよいものか、全日本社会教育連合会、『社会教育』、52巻12号、pp.68-69、1997/12/1 要旨:自己決定の人生を歩きたい、自他を信頼し、共感しあって生きていきたいという願いは禁欲できない潜在的願望であり、それを「してもしなくてもよいもの」と割り切ってしまおうとする時代の心理の奥底には、暗澹たる敗北感が流れている。 ◆心を育てる・・・ええっ、なんということを−成人教育の視点から「心を育てる」をとらえ直す−、全国公民館連合会、『月刊公民館』、494号、pp.4-11、1998/7/1 要旨:1わたしたち大人自身の心に問題がある、2用語の言い換えだけでは問題は解決しない、3大人に対する心の教育や指導は可能か@非日常的な相互関与を意図的に深める。A指導者自身が、無知と非力を自覚し、なおかつ、受容する。B教育と学習の間に流れる暗くて深い河を認識しつつ、舟を漕ぎ続ける。、4わたしたちはどんな心をもちたいのか。 ◆癒しのサンマと若き旅人たち−地域若者文化のはぐくみ方−、青少年問題研究会(総務庁青少年対策本部編集協力)、『青少年問題』、45巻11号、pp.34-39、1998/11/1 要旨:地域若者文化の支援のあり方について次のとおり論じた。1地域に囲い込もうとしないで−若き旅人たちの巣立ちの場、2ノリを押しつけないで−鬱の時代の「個の深み」、3個人としてとらえて−学習は個人的事象、4大人や紳士淑女としてとらえて−青年は保護や管理の対象ではなく自己決定主体、5後向きを否定しないで−積極・消極の自己決定の尊重、6教育っぽくないのが好き−双方向ライブこそ教育や地域若者文化の姿、7中高年みずからが地域文化を楽しむ。 ◆癒しの公民館−新しき伝統、全日本社会教育連合会、『社会教育』、54巻3号、pp.34-37、1999/3/1 要旨:「癒しの公民館」の課題を次のとおり指摘した。1癒される場としての公民館−寺中構想の再評価、2血縁・地縁から問題縁へ−水平異質共生のコミュニティ、3住民の自治能力を向上させることよりも、まず大切なのは癒しと安心−過去の学校のような集団づくりはもうやめよう、4「地域社会に役立っている私」という住民の存在確認−コミュニティに癒しを広げる公民館の公的役割。 ◆ボランタリズムと官民パートナーシップとしての生涯学習活動の現状と未来、社会教育協会、『生涯学習の未来像』、西村美東士編、pp.31-108、1999/3/31 要旨:「地域社会に役立っている私」という住民の存在確認をとおして、コミュニティに癒しを広げる公民館の公的役割を果たすこと、市民への大学開放を推進するために、高等教育内容において7つの転換を図ること、ボランタリズムを活性化し、官民パートナーシップを推進するために、「不幸の手紙状況」から脱却してネットワーク型活動への転換を図ることの必要性を、それぞれ指摘した。 ◆癒しの大学開放−徳島大学大学開放実践センター公開講座「私らしさのワークショップ」報告、徳島大学大学開放実践センター、『徳島大学大学開放実践センター紀要』、10巻、pp.87-112、1999/6/30 要旨:自己の担当する公開講座について、次の視点から自己評価を行った。1自己中心主義の評価、2他人に関心を寄せるようになることの意義、3他者の幸せを感じるときへの共感の誘発、4自己の価値観への気づき、5「あげる」と「もらう」だけの相互協力の意義、6「裏講座」における多角的交流の意義、7自分の気持ちを相手に伝える能力の育成、8わかってもらう、わかってあげようとすることの意義、9社会に役立つわたしという存在確認、10「わからなければわからないなりにそれなりの答えがある」ということの理解。 ◆1990年代の若者やこどもの「個」の支援−その転換と課題、社会教育協会、個が『善く生きる』ための生涯学習(文部省民間社会教育振興補助事業)、竹迫和代、白石克己、田中治彦、中島憲慈、pp.29-58、p109-128、p177-198、2000/3/31 要旨:1990年代の若者やこどもの「個」の支援の分析結果からは、個性重視からの発展としての自己決定能力の獲得と発揮の支援の必要を指摘した。「個人はなぜ学ぶのか」では、「集団は一斉には学ばない」として、個を学習に駆り立てる要素を把握した。「個人の学習を支援するために」では、「善く生きるための学習」として、個人間の対話及び普遍的事実よりも臨床的真実の優先を主張した。 ◆1990年代青少年教育施策と理論の文献分析−10年間の青少年問題文献ドキュメンテーションから−、徳島大学大学開放実践センター、『徳島大学大学開放実践センター紀要』、11巻、pp.27-52、2000/6/30 要旨:1990年代の青少年教育施策理念を関連文献の分析から次のとおり把握した。1初頭の動きとしての臨教審/個性重視/生涯学習、2大人の個が問われる学校週5日制/「心を育てる」、3個別に多義的に生きる個−自由時間再評価/自分さがし、4固有の身体をもった個−臨床の知/体験学習と冒険教育/生きる力、5他者との関係のなかで生きる個−癒し/居場所/準拠個人/第4の生活の場、6共同体のなかで生きる個−団体活動/学社融合/第4の領域、7他者から承認されて生きる個−カウンセリングマインド/自己決定、8貢献することによって生きる個−ボランティア/青年海外派遣/情報ボランタリズム。以上から大学開放にとっての意味を論じた。 ◆ワークショップ型授業の構成要素とその効果−学生の自己決定能力を高める授業方法、大学教育学会、『大学教育学会誌』、22巻2号、pp.194-202、2000/11/10 要旨:2日間の「生涯学習概論」の授業で、学生がどのように自己や他者に対する気づきを得たのか、その変容の過程を解明することによって、学生の自己決定能力を高める授業の構成要素とその効果を明らかにした。第1に、ワークショップ型授業によって、即自から対自へ、対自から対他者へと学生の気づきが促され、対他者から再び対自や即自のより深い気づきへと循環する過程が明らかになった。第2は、学生の自己決定能力の到達段階の把握に基づく戦略的な指導内容と授業構成の必要性が明らかになった。 ◆若者の居場所−行政が「つくる」教育的意図は何か、兵庫県自治研修所、『研修』、218号、pp.16-22、2001/3/31 要旨:第1に、学習その他の特定の目的をもった事業を、参加した若者が居場所として感じられるように運営することである。第2に、特定の目的のもとに若者が集まって活動するための拠点を提供したり、先の1の第3の自主的な対社会活動を支援したりすることによって、それが居場所としても機能するよう働きかけることである。第3に、特定の目的をもたずに集まる「たまり場」を提供することである。第4に、居場所であること自体を主要な目的とする狭義の「居場所」を提供することが考えられる。 ◆生涯学習−資源枯渇のない消費、関西消費者協会、『消費者情報』、320号、pp.10-13、2001/4/15 要旨:生涯学習の世界は、「教える人は学ぶ人、学ぶ人は教える人」「教えることは学ぶこと、学ぶことは教えること」という混沌とした世界である。このような他者との出会い(対他)によって、自己に向かって立ち返り(対自)、その自己を他者や社会のなかで関連付けながら、再び、自己に戻って深めていくことができる。生涯学習、ボランティア、市民活動に共通するのは、それがエネルギーを消費することを覚悟した社会的自己決定活動であるということである。 ◆大学授業における学生の社会化過程の類型−個人化と社会化の相互関係に着目して、大学教育学会、第24回大会自由研究発表、、2002/7/13 要旨:「自分らしさを守り育てることと、社会性を身につけることはどういう関係にあるか」について学生54人の文章表現を集約し、T主観的自分らしさ優先型、U自己抑圧としての社会化型、V自分らしさの基盤としての社会化型、W社会化・自分らしさ相互好循環型に整理した。それぞれの類型による社会化過程の特徴を把握し、個人化がより深く実現される社会化を効果的に支援する方策を検討しなければならない。 ◆青少年施策の進展に対応する施設経営の動向−90年代の関連文献の分析から、日本生涯教育学会、『日本生涯教育学会論集』、23号、pp.85-92、2002/9/30 要旨:[ときの青少年教育施策が次々と迫ってくるため、青少年教育施設はその対応と成果の開示に追われ、施策の理念に現代青年の価値観を反映させた実践の展開がおろそかになっている]という仮説を設定し、青少年教育施設に関する90年代の文献を分析した。その結果、@受け身の自己都合の発想からの脱却、A公立施設の施策との相互疎外の解消、B国立施設の先導性の保持、C実践・研究の充実とその成果の開示・流通の必要を提起した。 ◆青少年の居場所−社会化と個人化を意図的・統合的に進める公民館の教育機能、全国公民館連合会、『月刊公民館』、547号、pp.12-16、2002/12/1 要旨:多くの学生が就職をはじめとする自己の社会化を、自らの課題として真剣にとらえようとしている。社会化という教育的意図がむしろ積極的に発揮されることが求められている。ただし、それは、現代青年のニーズやその構造に対する的確な理解に基づいて行われることが重要である。居場所づくりにおいても個人化と社会化を統合的に進めるための検討が必要である。 ◆最近の若者の労働観と生き方を考える−日本産業教育学会第43回大会ラウンドテーブル報告、日本産業教育学会、『産業教育学研究』、33巻1号、pp.20-25、2003/1/31 要旨:3人の登壇者は「定職に就く」ことを絶対視する考え方に異議を申し立て、「やりたいこと」を求めて生きていくことを大切にした。その議論を通して「主体的フリーター」の存在が浮かび上がってきた。今後の産業教育は、「定職」にこだわることなく、「主体的フリーター」をも包含したところに「望ましい到達像」を設定する必要がある。 ◆居場所づくりと青少年育成の考え方、青少年問題研究会(総務庁青少年対策本部編集協力)、『青少年問題』、50巻4号、pp.54-56、2003/4/1 要旨:個人化と社会化とを統合的に進めるよう配慮することが、若者のニーズに的確に応えることにつながる。そのためには、居場所をとおして得られる「気づき」の構造を理解し、支援する必要がある。即自から対自へ、対自から対他へと気づきが促される過程とともに、対他から再び対自や即のより深い気づきへと循環する過程が重要である。 ◆青少年教育施設の活動・経営をめぐる問題、学文社、『生涯学習の計画・施設論』、鈴木眞理編、pp.153-167、2003/4/18 要旨:青少年教育施設の基本的性格、歴史をたどり、宿泊型施設における指導性と専門性の困難、青少年教育施設に求められる個人化/社会化機能等について述べた。また、「団体宿泊訓練への新たな理解」として、「究極的な主体はあくまでも個人であり、その個人化は、敬遠されるどころか、より望ましい社会化につながるものとして歓迎され、支援される」よう主張した。 ◆学生の社会化を支援する大学授業の方法論、徳島大学、大学教育研究ジャーナル、1号、pp.1-19、2004/3/31 要旨:1授業における双方向要素の効果、2社会からの青少年の社会に関する要請の近年の動向に関する年次ごとの文献分析及び大学教育の対応、3社会化に関する学生の記述内容の分析と、「自分らしさ」に関する意識との関連による類型化について述べた上で、質問紙調査の結果から、学生の社会化類型に応じた望ましい大学授業の方法に関する仮説を検討した。 ◆社会化支援としての青年教育、狛江市中央公民館、『平成15年度青年教室活動記録』、pp.50-52、2004/3/31 要旨:生涯学習社会における「水平異質共生」のなかでの「共生トレーニング」による現代青年の成長・自立、限定された居場所から無限定世界への巣立ちまでの意義を指摘した。さらに、「入り口から仕上げまでの社会化支援」として、現実社会での効果を測定する指標の設定を提起した。 ◆クドバスを活用した子育て学習の内容編成−高校生の子をもつ親のために−、聖徳大学生涯学習研究所紀要、『生涯学習研究』、3号、pp.41-54、2005/3/9 要旨:「職業能力分析」の手法を援用することにより、高校生の子をもつ親に求められる能力を分解してとらえた上でこれを構造化し、各科目の到達目標及び全体の「仕上がり像」が明示化された学習内容を編成して、学習プログラムを作成した。その結果、学習スケジュール作成の段階にあっては、比較的容易に、テーマごとの学習目標を明確に設定することが可能であることが明らかになった。 ◆社会の中でより充実する「私らしさ」をめざして−新佐野市生涯学習推進基本構想検討始まる、全日本社会教育連合会、『社会教育』、61巻2号、pp..60-63、2006/3/1 要旨:新佐野市の生涯学習推進協議会の審議は次の点で意義深い。@合併によって、それまで旧市町に存在していた生涯学習資源や先進的取り組みが埋没せず、広域交流によって共有されるようになる。A「私」の充実から、さらに「社会に参画してまちをつくる私」の充実へと発展させることができる。B形式的な協議と機械的な分業による起草を避け、ワークショップ型の協議を進めている。 ◆「五感をとおしてちがいを楽しむワークショップ」のすすめ、神奈川県立青少年センター、『青少年とのよりよいコミュニケーションのための手引書』、pp.2-9、2006/3/31 要旨:コミュニケーションの「氷山モデル」に基づき、青少年の「表層の言葉」のみに引きずられることなく、彼らの「背後の思い」に気づき、「準拠枠組」を理解する必要がある。そのためには、各自の異なる体験が異なる身体や五感によって受けとめられて形成され、また、身体や五感を伴って交流されるワークショップの意義は大きい。青少年が求めるストロークは、両面価値の理解とそれが受容される「居場所」において実現される。そのことにより、青少年に対して、「してあげる・してもらう」能力の回復、支持的風土の交友関係へのシフトアップ、社会参画の基礎的能力獲得の支援が可能になる。 ◆構造的理解に基づく子育て学習の支援のために−子育て支援学習における学生の社会的視野拡大の事例からの検討、日本生涯教育学会、『日本生涯教育学会論集』、27号、pp.51-60、2006/7/31 要旨:女子学生に子育て支援に関するグループ研究による学習を行わせ、その成果と学習過程における記述に表れた気づきを分析した。その結果、「自己への主体的関わり」→「他者との交流」→「社会への主体的関わり」という発展過程が示された。このような仲間や他者との出会いや交流を契機とした社会的視野の拡大過程は、親の子育て学習と共通する。「問題解決のための個人学習」→「自分の子育て行動に対する気づき」→「親の会や地域社会における仲間との出会いを基礎にした集団学習」→「親の子育てまちづくりへの参画行動」という親の子育て学習の発展過程に関する構造的理解のもとに、親や学生の学習を支援する必要がある。 ◆まちづくり推進における青少年と親の社会化支援方策−佐野市生涯学習推進基本構想作成過程からの検討、聖徳大学生涯学習研究所紀要、『生涯学習研究』、5号、pp.17-37、2007/3/28 要旨:中間答申作成過程における委員の青少年育成及び子育てのまちづくりに関する発言内容を分析し、次の点が明らかになった。@「まちづくり推進」という公的課題の学習において、青少年と親の社会化不全の状況が問題視された。A「まちづくり推進」において「社会化促進要因」を活性化するための、「居場所」、「参画」、「仲間づくり」などの重要性が認識された。B「地域教育力」、「家庭教育力」などに関しては、閉塞感が強く、実効性のある現実的な支援方法までには至らなかった。「まちづくり推進」における青少年と親の社会化過程に関する構造的理解のもとに、その支援方策を明らかにする必要がある。 ◆現代青少年に関わる諸問題とその支援理念の変遷−社会化をめぐる青少年問題文献分析、、科学研究費基盤研究(C)(課題番号17530588)研究成果報告書(研究代表者)、331p、2007/3/31 要旨:キーワードに関して、文脈まで含めて細部にわたり分析した。その分析を通して、社会化支援理念が、青少年個人の即自、対自己、対他者、対社会の気づきにどう対応しようとしてきたかを検討した。その結果、その変遷過程に一定の特徴を見いだし、より効果的な支援方策のための知見を得た。方法論に関しては、個人化と社会化の統合的支援や、自己形成と社会形成の一体化の実現に向けた有益な知見を得た。成果公開の内容と方法の改善については、社会化効果の測定や、より効果的な施策・事業展開のための計画策定の指標について、また、経験知に関する他メディアの活用等について明らかにした。 ◆「学生による子育て支援研究」の方法と効果−学生の社会化支援の視点から、聖徳大学FD紀要、『聖徳の教え育む技法』、2号、pp.53-68、2007/12/20 要旨:学生に研究をさせることによって、他者への関心、自他への信頼感、チームワークなどの一定の側面においては、彼らの社会化のための、効果的な気づきを促進するということについて確かめることができた。同時に、研究をするということのもつ難しさや、現実の職業の場の厳しさなど、いくつかの阻害要因も明らかになった。 ◆「Supporting Ideas and Methodology of Youth Socialization in Japan」、聖徳大学生涯学習研究所紀要、『生涯学習研究』、6号、pp.43-46、2008/3/21 要旨:We have tried to clarify the transition of the appearance ratio of keywords about the youth socialization. There are "unchangeable themes" that should not be influenced by the "wave of the times". They are the themes about the "self-formation" such as "self-consciousness", the theme around "entrance" of the youth socialization such as friendship, association, the theme that connects "self-forming" and "community assembly" such as family, child discipline, and socialization. It is important whether these themes can take root or not. ◆「子育て学習の構造的理解序説−親の社会化支援の視点からの整理」、聖徳大学児童学研究所紀要、『児童学研究』、10号、pp.1-10、2008/3/21 要旨:第一に、学習集団に受容的雰囲気が形成され、互いに安心して自己開示を交換することが、対自、対他、対社会の気づきに対して与える効果と逆効果について、主にプロセスの視点から検討した。第二に、これまで明らかにしてきた青年たちの場合の社会化過程の研究成果に基づき、研究1で明らかにした気づき過程と、親能力に関する大学授業の研究成果とを比較して検討した。第三に、主にPTA会員による「子育てのまちづくり」への参画型学習の成果について、子育て学習グループによる親能力リスト作成に関する学習成果と比較した。 ◆癒しと生涯学習、日本生涯教育学会、生涯学習研究e事典、pp.1-3、2008/4/25 要旨:生涯学習のもつ癒し機能には、@エスケープ:緊急避難、Aオリジン:原点復帰、Bネットワーク:人的交流の3点が挙げられる。とくにBについては、異質な者同士が、共有する目的のために、対等に交流する中で、双方向のホスピタリティを実現するものということができる。癒しは個人としての充実を促進するとともに、社会化プロセスの前提としての効果をもつと考えられる。これによって、個人化と社会化は連動して促進され、自己形成と社会形成の一体化が現実化される。 ◆保育士教育における参画型教育の意義−子育て商品ニーズの把握から商品企画までを通して、日本産業教育学会大会、2009/10/10 要旨:各回の課題に関する気づきを学生に短文で記述させ、これを@記述の視点(需要側か、供給側か)、A記述の内容(能動的肯定、肯定、否定、能動的否定)で分類した。@で母親の実態やニーズに関する記述を「需要視点」とし、商品提供や社会からの支援に関する記述を「供給視点」としたが、その量的変化は、各回の記述課題の設定によって影響を受ける。そのため、Aについては判断基準を設けて質的評価を行った。質問紙調査では、そのような差は発見できないと考える。 ◆「参画型子育てまちづくり」から見た社会開放型子育て支援研究の展望、私立大学学術研究高度化推進事業社会連携研究推進事業(研究代表者 松島鈞)、『連鎖的参画による子育てのまちづくりに関する開発的研究 平成17〜21年度研究集録』、pp.1-14、2009/12/20 要旨:子育て支援研究を学として確立するためには、今後、原理及び関係する学問群・関係学会、歴史、分野・領域・研究対象・テーマ、研究方法・手法群などの各領域における研究を体系的に進めていく必要がある。本研究では、「社会開放型子育て観」のキー概念のもとに、各学問分野から関連テーマを追究することによって、その体系の一部を見ることができた。これまでの子育て支援学関連領域の研究においては、「まち・産業の社会形成」と「子育て及び子育て学習による自己形成」のいずれかのアプローチから結果を見ようとしてきたため、一面しか見ることができなかったと考える。「社会開放型子育て観」による「子育てまちづくり」の視点を適用すれば、自己と社会の2面における各要素の働きを一体的、動態的に理解することができる。 ◆ユーザーニーズの把握に基づく子育て商品開発の授業実践−シミュレーション型授業の実践を中心として、聖徳大学生涯学習研究所紀要、『生涯学習研究』、8号、pp.29-33、2010/3/31 要旨:需要予測と供給可能性に関する認識については、当初の学生の単純な楽観的見通しからの脱皮と、需要の問題点のチャンスとしてのとらえ直しという側面で、一定の深まりを見せた。このことから、子育て商品の企画を通した参画授業のなかには、自己の受給の認識が、現実の子育て商品市場にそぐわないことに気づき、修正する過程があったと見ることができる。しかし、今回は、「教育」のためのシミュレーションとしての参画にとどまらざるをえなかった。今後は「参画のための教育」を追究したい。 ◆社会開放型子育て観研究の展望―親の個人化と社会化に関する一体的アプローチをめざして、日本子育て学会大会、、2010/10/17 要旨:本研究では、次のとおり「操作的定義」を定めた 。@個人完結型=母親(もしくは父母)が自己の子育てに関する問題を(自らの範囲内で)解決するスタイル。A社会開放型=地域社会の支援・協働のもとに母親(もしくは父母)が自己及び他者の子育てに関する問題を解決するスタイル。社会開放型子育て観の観点からの質的評価を組み込んだ数量化と、気づきの過程やレベルアップに関する動態的理解により、どのようなプロセスをたどらせることによって、両者を統合した子育て観を育てることができるか検討した。 ◆生涯教育における「癒し」研究の展望、聖徳大学生涯学習研究所紀要、『生涯学習研究』、9号、pp.29-35、2011/3/31 要旨:本研究の前半では、個人化を社会化と一対のものとしてとらえるとともに、「癒しによる原点回帰機能」を両者の結節点として位置付けることによって、個人の社会化過程を全体的に俯瞰するプロセスモデルを設定した。後半では、学生の癒しニーズの分析から、「原点志向」と「閉鎖志向」の2つの癒し因子を見出した。このことから、「癒し志向」の特性について、「自己の原点への回帰」と「社会との窓の開閉」の2軸で分けられる4類型が示唆された。 ◆親の社会化・個人化・原点回帰の一体的プロセスモデルの設定、日本子育て学会大会、、2011/10/22 要旨:子育てや関連する活動のもつ癒し効果による個人の「原点回帰」を、「自己超越」のようなレアケースとしてではなく、「普遍的成長プロセス」の一環としてとらえる必要がある。そして、親個人に「与える」だけの子育て支援では、主体的な子育ては育たない。しかし、親としての自覚や社会性をむやみに求めても、その支援は成功しない。一人一人の親が社会の形成者の一員として成長するとともに、個人としての自己の原点を守り、充実するという側面を一体的に認識する必要がある。 ◆生涯教育文化学科におけるキャリア教育体系化の試み―学科教員による専門教育の実践とその成果から、聖徳大学FD紀要、『聖徳の教え育む技法』、6号、西村美東士、長江曜子、清水英男、斉藤豊、齊藤ゆか、林史典、pp.103-114、2012/2/27 要旨:専門科目「総合特別講座W−情報と職業」(4年次)を取り上げ、その分析をとおして、「自分がその職業をめざす理由について、『好きだから』ではなく、『このようなことを、このようにしたいから』という展望をまとめることができる」という教育目標についての効果を確かめた。現在の学生の立場からではなく、未来の職業人の立場から現実的、主体的に職業に向かう態度を身につけさせるための課題提示によって、感覚的次元ではなく、実際に働くことの具体像を深めて、PDCサイクルを可能にし、企業人事側のいう高業績遂行能力としての「キー・コンピテンシー」における現実的、主体的な問題意識、論理的思考、関係調整力などを育てる効果があった。 ◆社会化・個人化の視点から見たキャリア教育の課題―生涯教育文化学科におけるキャリア教育体系化モデル設定の試み、聖徳大学生涯学習研究所紀要、『生涯学習研究』、10号、pp.23-29、2012/3/31 要旨:文献研究により、次の課題を導き出した。@具体的な仕事内容の理解促進、A必要な職業知識の明確化、B具体的必要能力の明確化、C学生個人の「職業への構え」の育成、D職業上必要な交信力と論理力の育成、E社会対応型能力活用力の育成。フォーマルな学校教育の視点からは、これらの多くは困難、または限定的な課題であるが、職業能力の明確化によって学習目標の設定を提示することができる。また、これまでフォーマルな学校教育が苦手としていた分野について、グループワーク等の内容や方法の導入のあり方を提示することができる。以上の検討から、本学科のキャリア教育においては、年次毎に達成目標を設定し、これを高等教育としてのモデルと連動した「学科キャリア教育」としての体系化を図ることが必要であると結論付けた。 ◆個人化の進展に対応した新しい社会形成者の育成―キャリア教育及び青年教育研究の視点から、日本生涯教育学会年報、33号、pp.145-154、2012/11/10 要旨:「個人化の進展に対応した新しい社会形成者の育成」というテーマは、一見、自己矛盾した課題のように捉えられよう。しかし、個人内のスパイラル過程の理解が、その解決策となると考える。「即自」とは、自分自身で感じたまま対処する状態である。個人は、ここから出発し、「対自」において、自分自身を見つめて、問題をどう解決するかを考えるようになり、やがて、「対他」において、他者との関わりを考えるようになり、対社会に発展する。そのことが、社会における自己の適正な位置づけにつながり、社会形成者として必要な能力を獲得することになる。このスパイラル自体は連続的なプロセスであるが、個人化支援の視点のみから見た場合は、ついたての裏は見えず、個人化プロセスに戻ってきたときだけ、その成長を「自己の充実」(人格の完成)の側面から見ることができる。社会化支援の視点のみから見た場合は、逆に、個人の自己への関心と自己受容のレベルアップの様子を見ることはできず、共存から共有への社会形成者としてのレベルアップの側面から見ることができる。これらのいわば「断続的観察」が、スパイラルとしての理解により、「連続的観察」ができるようになると考えたい。 A 集団形成 ◆東京都の社会教育はサークルのために何をすべきか、東京都青年団体連絡協議会、『大会資料』、1977/8/1 要旨:東京都の「広域的な援助と施設」という役割は必要だが、青年との結びつきは浅くてもろくなる。それは「片想い」と同様である。想う相手と会うことも、話すこともできないとしたら、その片想いはいつか消えて「思い出」になってしまう。青年とつながりを持とうとしない社会教育職員のなかで、青年に敵意ばかり持っている人がいるとしたら、これに該当する。東京都の社会教育行政に対して、しっかり結びつくための道筋を示すことが大切である。 ◆青年の家についてみんなで考えてみよう、東京都青年団体連絡協議会、『大会資料』、1978/8/1 要旨:広域にわたる青年サークルの交流を援助するのは、東京都の大きな役割の一つである。また、そのように遠くから集う場合、宿泊機能をもった施設でないと十分な交流は困難である。サークル連絡協議会が、青年サークルの要求を反映し、東京都の社会教育行政をよりよいものにしていくよう活躍されることを期待したい。 ◆青少年関係施設における指導員としての体験を語る、勤労青少年指導者大学講座シンポジウム『青年とのつきあいかた』、1981/1/31 要旨:「対策からサービスへ」と題して、「青少年の自己開発を援助するために行われる組織的な活動」を提起。現代青年の「優しさ」を評価するとともに、「立ち入ろうとしない優しさ」を批判。これを乗り越えるための実行委員会方式による青年参画型の教育を提起。 ◆ヒューマンネットワークと人材活用、東京書籍、『現代公民館全書』、湯上二郎編、pp.266-282、1989/5/18 要旨:「地域の組織・団体との連携1地域の組織・団体の今日的意義と公民館」として「公民館と地域組織・団体との協働」の意義を明らかにし、「自主的学習グループ・サークルの育成と援助」及び「グループリーダー養成事業」について、その対象、方法、内容のあり方を論じた。 ◆団体・グループの仲間づくりの演出、日常出版、生涯学遊ネットワーク、福留強編、pp.70-76、1989/10/10 要旨:青年にとっての団体・グループの仲間づくりとして、ディスコをいっしょにつくりあげるから「あったかい」、みんながしゃべる会議、寝食を共にする合宿の意義について論じた。ロール・プレイの活用については、てれないこと、実感をともなって見ることによって、「信頼感」を呼びおこすことができるとした。 ◆子どもたちの団体活動、中央青少年団体連絡協議会、『なかまたち』、30号、pp.3-6、1990/10/10 要旨:T.教育とは子どもがワクワクする営み、U.少年団体活動とは子どもの「準拠枠」に迫っていく活動、V.少年団体活動には教育力があふれている、W.子どもにだって「個のふかみ」がある。教育とは子どもがワクワクする営みとして、子どもの「準拠枠」に迫る少年団体活動を提唱するとともに、子どもにも「個の深み」があるとして、同じ「刺激」を全員に与えて、全員から思い通りの「反応」を得ることが集団教育の目的ではないと主張した。 ◆青少年と生涯学習、日本教育新聞社、『生涯学習ナウ』、福留強編、pp.161-181、1991/11/13 要旨:「生涯学習における少年教育の推進」については生涯学習としての少年教育の特徴、体験・参加・参画のもつ教育力、地域・集団のもつ教育力、「生涯学習における青年教育の推進」については仲間や社会との交流によって深まる青年の個、「個の深み」を尊重し助長するための視点、主体的企画・表現・関わりについて論じた。 ◆コミュニケーションを求めておののく若者たち、日本教育新聞社、『週刊教育資料』、281号、pp.26-27、1992/1/6 要旨:1ストロークを自分は求めるけれど、人にはあげられない、2現実原則の中でのストロークの自己管理を、3コミュニケーションの成熟化と無力化、4管理や保護よりも自由の恐怖を。 ◆狛プーは出入り自由のこころのネットワークだ、狛江市立中央公民館、『平成4年度青年教室活動記録』、pp.58-66、1993/3/31 要旨:現代青年のネットワークづくりの方法について、次のとおり論じた。1プータローの自由な精神を求めて、2アイデアはバラバラだけれど、そのひとつひとつが宝物、3プータローの自由のつらさ、撤退自由のネットワークにおける「潔い撤退」、5出入り自由の淋しさを受容する、6狛江市にとっての「流入青年」たち、7キャンプは夜だ、8青年が自分のお金を払う時、9空白のプログラム、10狛プーは癒しのネットワークである。 ◆まちづくり団体・グループの実態調査、社会教育協会、「団体・グループ活動の新しい魅力としての生涯学習とまちづくり」、pp.16-25、1994/3/31 要旨:1生涯学習時代における民間団体と行政の新しい関係、2会員構成の重層的把握が必要、3参入と撤退を繰り返すネットワーク型運営の活力、4「自分さがし」を実現する団体活動5まちづくり活動と生涯学習。 ◆狛プーはどうしてネオ・トラなのか、全日本社会教育連合会、『社会教育』、49巻10号、pp.105-107、1994/10/1 要旨:狛江市中央公民館青年教室の特徴として、第1に、戦後の「ごった煮社会教育」の面白さ、メンバー間の相互関与の重視等の伝統的側面、第2に、「健全青少年育成」を越えた「善ではない自己」の容認を含めた自己決定主義、権威あるものの支配を内面にまでは受け入れないという「自由性」を指摘した上で、今後のネットワーク社会の担い手の育成のあり方を示した。 ◆科学研究費総合研究A『都市と世代文化に関する実証的研究』研究成果報告書、青少年研究会、藤村正之編、「若者にとってのネットワーク形成の困難と可能性」、pp.151-170、1995/3/31 要旨:神戸・杉並の青年意識調査の結果分析から次の結論を導き出した。1知的主体性や自立的価値の要請、2親密・淡白・親友不在の3つの突出グループ、3あてにならない交友関係における「個別性」、4親密型の杉並、淡白型の神戸、5一人暮しによる交友関係の親密化、6スポーツ系の親密、文化系の淡白、無所属の親友不在、7親密の道具としてのダイヤルQ2、8他者や社会を否定する「親友不在型」の不満、9与えられた現実に自ら埋没する「淡白型」のリアルな孤独、10他者や社会の目に追い回される「親密型」の過剰適応コミュニケーション。 ◆若者にとってのネットワーク形成の困難と可能性、恒星社厚生閣、『都市青年の意識と行動』、高橋勇悦編、pp.155-174、1995/5/10 要旨:神戸・杉並の青年意識調査結果を分析し、現代青年の問題の根底に、「みんなが同じことを考えて同じものを好きになること」を自分にも他人にも求めてしまい、そのために、自分を不幸にしたり、他者の個性や自由を蹂躙して迷惑をかけたりしてしまう仲間集団(ピア・グループ)の存在を見いだした。これを親密・淡白・親友不在の3グループの比較によって検討した。 ◆狛プーという新しい教育、狛江市教育委員会、『狛江の教育』、57号、pp.3、1996/3/31 要旨:この世はいまだ生涯学習社会への移行期であり、学校歴偏重社会の上下競争の価値観という遺物が青年の内面に癒しがたい傷として残っている。そういういま、狛プーの公的・現代的意義は大きい。なぜなら、信頼と共感と自立の水平的人間交流のネットワークのあり方を、狛プーは示しているからである。 ◆狛プーにおいでよ−癒しの生涯学習−、狛江市教育委員会、『狛江の教育』、pp.1、1997/7/25 要旨:自分らしくいられるときと場、すなわち居場所を創り出すひとのネットワーク、すなわち異質同士の水平な交流が重要。 ◆江戸川区民カレッジ第2次報告−自分を大切にするボランティア準備者たち−、全日本社会教育連合会、『社会教育』、53巻7号、pp.71-73、1998/7/1 要旨:この事業では、自己実現と社会貢献によって成長し、癒されるサンマ(時間・空間・仲間)づくりをして、自分を再確認するとともに、地域で活動するコツを追求した。その答えは「水平異質交流」である。 ◆狛プーの『一年に一回来ればメンバーだ』について、狛江市中央公民館、『平成10年度青年教室活動記録』、pp.55-57、1999/3/31 要旨:過去の「義務参加」とは異なる「個々人の自己決定参加」の生み出す一連の淋しさの受容と、そこから始まる能動的な人間関係の努力なくして、現代青年が求める個人の自由の保障と、自他信頼の人間関係との両立はありえない。 ◆ネットワーク−ヒエラルキーからピアへ、ピアからネットワークへ、恒星社厚生閣、『みんなぼっちの世界』、富田英典他編、pp.133-134、1999/5/20 要旨:同一化せずとも『異なる他者』を受容することができるようになるための基本的信頼感、多少迷惑をかけあっても折り合いをつけることができるようになるための共感的理解の能力、自分らしさを現実のなかで実現するための実践的な自立力の重要性を指摘。 ◆公民館の多角化戦略、全国公民館連合会、『月刊公民館』、517号、pp.6-7、2000/6/1 要旨:社会の進歩にはへそ曲がりも必要だが、外界や自分が見えていないといけない。そこで公民館ならではの「意味ある他者」との出会いに期待したい。それによって、立派なへそ曲がりになれるし、他者や地域社会から承認されたりもする。「みんな主義」への異議申し立てこそ、あぶれ者の存在価値といえる。 ◆親子関係における気づき過程とその支援−公開講座による子育て支援の実践、徳島大学大学開放実践センター、『徳島大学大学開放実践センター紀要』、12巻、pp.71-95、2001/6/30 要旨:「本研究では、学習集団に受容的雰囲気が形成され、互いに安心して自己開示を交換することによって、対自・対他の気づきが促されるという仮説は、部分的には検証された。また、講師がいくつかのワークショップの手法を活用することにより、同じ悩みを抱えた学習者のなかでは、受容的雰囲気は比較的容易に形成されることがわかった。しかし、本研究では同時に、「わかる」とか「同じ」などの受容をしあうことによって、逆に対自や対家族、対社会への気づきを阻害してしまう傾向を見出した。 ◆個人化を実現するための狛プーの社会化機能、狛江市中央公民館、『平成13年度青年教室活動記録』、pp.49-50、2002/3/31 要旨:狛プーは本来の「社会化」という教育機能を発揮してきたからこそ、非現実的な「自分らしさ」崇拝の現代において希少価値を有している。狛プーをとおして、公民館の一室がマイルームを突き抜けて「自分らしさ」を他者に発信するトレーニングの場として機能してきた。 ◆学習ニーズの動向とプログラム提供のあり方、徳島大学大学開放実践センター、『徳島大学大学開放実践センター紀要』、14巻、pp.29-38、2003/7/31 要旨:調査結果から、受講者は第1に、自己の研究や学習の中で、自己に閉塞するだけでなく、他方でしなやかなネットワークを求めている。第2に、社会とつながることを求めている。第3に、他者や社会に役立ちたいと思っている。多くの人々が、生涯学習、とりわけ集団学習のもつ特性から、学習成果の活用や社会貢献を求めるようになると考えられる。 ◆若者の友人関係の類型と社会化支援、基盤研究(A)(1))(研究課題番号13301011)、平成13・14・15年度科学研究費研究成果報告書『都市的ライフスタイルの浸透と青年文化の変容に関する社会学的分析』、研究代表者高橋勇悦、pp.148-159、2004/3/31 要旨:神戸・杉並の約1000人の若者の回答から、友人関係に対する態度を横軸に、「自分らしさ」に対する考え方を縦軸にして4領域を設定して検討した結果、各類型に応じた社会化支援の必要が導き出された。しかし、社会的能動/受動との関連については、上のような鮮明な有為差が出なかったことから、個人として深まり充実する「個人化」と、「社会化」との統合的支援の必要を結論づけた。 ◆子育て学習の構造的理解と支援−「子育てのまちづくり」検討のための仮説の設定、日本生涯教育学会、第26回大会自由研究発表、、2005/10/29 要旨:サロン型学習に終始していては、問題解決に向けたワークショップ型学習への発展にはつながりにくい。子育て学習支援者は、親の気づきをより構造的に理解し、サロン型学習がより気づきを深めるワークショップ型学習に発展、深化するよう、効果的な指導行為を介在させる必要がある。そこで、親の気づき過程や、親能力の構造的把握の方法について検討し、クドバスの効果的活用のためには、「自信の獲得に関する自己評価」「統合的能力を育成するプログラム」が有効であるという仮説を提起した。 ◆「出産・子育ての自己決定能力」を育む大学授業の方法と効果−女子学生(未来の母親)の社会化を支援する技法、聖徳大学FD紀要、『聖徳の教え育む技法』、1号、pp.31-49、2006/12/20 要旨:「クドバスを活用して女子学生自身の社会化欲求に対応したワークショップ型授業を行うことによって、子を産む性をもつ者として必要な社会化を効果的に促進することができる」という仮説を設定し、その授業の過程を検討した。その結果、「他者との関係や職場における自己のもつべき能力の客観的な位置づけ」、「自己内対話の促進」、「課題・目標の自己設定、共同設定」という機能の面での効果が明らかになった。「能動」については、気づき促進効果は少なかった。出産のもつ社会的側面については、今や多くの女子青年にとって魅力のないものになっている。女子学生が「子育てまちづくり」に参画し、出産、子育てに夢をもてる「未来の母親」として成長するよう、その社会化を支援する必要がある。 ◆「学びあい、支えあい」による自己形成と社会形成の一体化、全日本社会教育連合会、『文部科学省委託事業学びあい支えあい地域活性化事業に関する調査研究報告書』、、2008/3/28 要旨:「生涯学習のまちづくり」の視点からは、「学びあい、支えあい」によって、市民が個人として充実し、社会の中で、つながり・広がり・深まり、社会を形成し、それが、市民一人一人の「私らしさ」や「自分さがし」に還元される展望を示すことは重要な意義をもつ。「子育てのまちづくり」の視点からは、親が、子育て仲間をつくり、子育て学習のなかで学びあい、支えあい、「子育てのまちづくり」の中で役割を果たしてこそ、わが国の少子化インパクトは軽減される。 ◆市民参画を実質化する生涯学習推進の方法論(序論)−佐野市の生涯学習諸会議でのワークショップスタイルの導入と成果、日本生涯教育学会、『日本生涯教育学会論集』、29号、pp.13-22、2008/9/30 要旨:市民メンバー全員が出席して、議論を重ねて合意形成に至るという従来の活動形態は困難になっている。「生涯学習都市宣言」起草文原案作成過程においてクドバスを適用した結果、効率的にチームとしての改訂作業をすることができ、その成果は欠席者を含めたメンバー全員の合意として確認され、共有された。また、「佐野市放課後子どもプラン」策定過程においてクドバスを適用した結果、居場所機能ごとの達成目標が構造的に把握されたため、共有された目標を前提としたメニューづくりが可能になった。 ◆「参画型子育てまちづくり活動」から見た生涯学習推進の展望、聖徳大学生涯学習研究所紀要、『生涯学習研究』、7号、pp.39-49、2009/3/31 要旨:子育てをする親という「子育ての源流(ニーズ)」としての「個人」と、子育てまちづくり活動への参画の「連鎖」の、両軸から「子育て小売店研究」を位置づける必要がある。子育て活動・子育て学習からの発想・提案によって、源流が「子育て商品開発」というかたちで市場に至り、子育て活動の中で消費・活用され、当然ながらその使用感、その良さ、その特徴によって引き出される新たなニーズが源流となる。これによって、その発想・提案が商品開発に還元される。 ◆未来の母親に対する社会化支援の方法と効果−子ども・友達・親・社会との関わり度を中心に−、聖徳大学児童学研究所紀要、『児童学研究』、11号、pp.39-48、2009/3/31 要旨:評価指標は、@他者理解の方法と可能性、A自分らしさと社会性、B若者の社会関係の3点について、子ども・友達・親・社会との関わり度と自己との関係を中心に設定した。対照群の講義型授業と比較して、とくにクドバス型授業の場合に、劇的変化が見られた。クドバスの場合、@自分が提案・仲間で分類・きれいに位置づく、Aチームで考える・決める、B一人の限界と他者との関わりの意義づけを体得できるという理由から、関わり度が高まったのだと考えられる。しかし、情念レベルでの共有度については劣っていた。 ◆生涯学習の人的交流がもつ癒し効果の可能性に関する検討、日本生涯教育学会研究大会、、2010/11/27 要旨:これまで、一般に、個性の伸長や社会性の涵養など、「進展=促進」が自明の前提として論じられてきた。しかし、人々の「癒し」へのニーズの高まり、「居場所」の再認識などの動向からは、「進展=促進」ではなく、「進展+回帰=促進」ととらえる方が妥当な見解のように思える。同様の方向性をもつ知見としては、道教の唱える「無為自然」、マズローが晩年に提唱した「自己超越」などが挙げられるが、学習がもつ癒し効果による個人の「原点回帰」を、より普遍的なプロセスの一環としてとらえる必要がある。 B ICT活用 ◆図書館の役割と情報資料サービス−講座「情報整理の技術」、東京都武蔵野青年の家、『しいのみ』、27号、pp.4、1981/8/31 要旨:社会教育現場では、氾濫する資料をいかに整理・提供すべきか悩んでいる。しかし、ハウツーだけではなく、情報公開等の大きな課題にアプローチしながら学ぶ必要がある。日野市砂川雄一図書館長へのインタビューでは、「リヤカーで引っ張っても図書館はできる」という考え方から、市政図書室など、市民・職員・議員が同じ情報と土俵の上で議論できるようにしてきたことが指摘された。また、担当者の力量は、レファレンスサービスなど、カウンター業務での市民や行政職員との直接的な関わりのなかで高められていくことがわかった。 ◆むさしのインフォメーションサービス−今までにわかったこと、わからないこと、東京都武蔵野青年の家、『しいのみ』、31号、pp.3、1982/7/31 要旨:@さまざまな分野の人から横断的に学ぶこと、A情報提供の意義と課題、B情報整理の方法と工夫について、重要性が明らかになった。そこで、本青年の家では、「むさしのインフォメーションサービス」を意識的に開始した。そこでは、これまでの講師から学んだことを生かし、「ナマ」の「今日的」な情報に重きを置きたいと考えている。 ◆社会教育施設に『関係』のあふれた情報提供機能を、全日本社会教育連合会、『社会教育』、39巻10号、pp.73-77、1984/10/1 要旨:1「押しつけがましさ」の克服、2情報提供と「関係」、3人間的、生活的、全面的、今日的、「つながり」の情報、4地域情報・行政情報の提供、5カウンセリング・グループワークの位置づけ、6情報提供の個性化とシステム化、7情報の整理と提供がさらに認識を育てる、8社会教育施設が情報提供機能を発揮する役割。「押しつけがましさ」の克服と、人間的、生活的、全面的、今日的、そして「つながり」の情報提供の必要性を指摘した。 ◆社会教育とマイクロ・コンピュータ、東京都教育庁社会教育部、根岸豊、小野寺求、信永耕司、桜井通、村上長彦、共同研究につき本人担当部分抽出不可能、、1985/2/28 要旨:マイコンは個人の知的活動や遊びとしても使われることから、「新しい文化」として社会教育は注目すべきである。米国環境保護団体は、アップル社が提供するコンピュータ・コミュニケーション・ネットワークシステムを活用し、充実した異議申立書の作成と野放図な伐採を中止させた。とくに、市民の手によるデータベースの活用は、市民自治の実践的能力の育成を可能にする。 ◆人権尊重思想の普及のあり方についての実践的考察、東京都教育委員会、『社会同和教育研究奨励事業』、根岸豊、橋立宏子、共同研究につき本人担当部分抽出不可能、、1986/3/31 要旨:カウンセリングへの注目の必要性について論じ、「カウンセリングの本質から学ぶ」として、「対策」ではなく「こころ」、人間関係をつくる、人間を「個性的存在」としてとらえるの3点を指摘した。また、カウンセリングの受容、繰り返し、明確化、支持、質問等のスキルの導入とともに、青年教育としての、情報提供、交流の援助等の関与の必要性を指摘した。 ◆現代都市青年と情報−ヤングアダルト情報サービスの提唱、恒星社厚生閣、『青年そして都市・空間・情報』、高橋勇悦編、pp.115-156、1987/4/10 要旨:現代都市青年の情報化不適応、青年をとりまく情報の特質、情報の限界、情報能力と情報必要の観点から「青年と情報環境」の実態を把握し、「ヤングアダルト情報サービス」の現代的意義を分析した。その上で、1青年の要求情報・必要情報、2人間の情報、3生活の情報、4連帯の情報、5地域情報と行政情報の5つの情報提供を提唱した。 ◆「学習情報の提供と活用の実際」、実務教育出版、『学習情報の提供と活用』、山本恒夫編、pp.95-122、1987/8/28 要旨:各自治体の学習情報提供事業について、縦割行政打破、民間情報の提供、提供できない情報への問題意識、いわゆる「低次元」情報ニーズへの接近、自由で文化度の高いイベントの開催などの面から評価した。 ◆パソコン通信の双方向性と相互教育力、日本生涯教育学会、『関東支部研究会』、、1988/1/11 要旨:成熟化としての「透明感」、情報量やスピード以外のニーズ、しろうとからの情報発信、リゾーム型の情報発信、開放と蓄積と発展、自立と相互依存の流動的統合、農業文明と産業文明へのアンチ、アイボールミーティングの可能性、近代的機能集団のなかでのハイタッチ、等の面からパソコン通信を理解し、公的機関の関与の必要性と可能性を指摘した。 ◆パソコン・パソコン通信と青年−成熟したネットワークとは何か、恒星社厚生閣、『メディア革命と青年』、高橋勇悦編、pp.109-141、1989/6/15 要旨:「パソコンの急速な普及と未成熟性」については、青少年から始まったパソコン、パソコンの機能と新しい文化、パソコン文化の未成熟性とパソコン通信による成熟化、「ネットワークを体現するパソコン通信」については、パソコン通信の経済性、新しいコミュニケーション環境、スタンド・アローンのネットワーク、「パソコン通信における新しい知と集団」についてはROMの存在、新しい「知」の誕生と「集団」の形成について論じた。パソコン通信のネットワークについては、フェース・ツー・フェースのコミュニケーションを模擬、増幅、補完する可能性を指摘した。 ◆パソコン通信は生涯学習に何を与えるか、日本視聴覚教育協会、『視聴覚教育』、43巻10号、pp.64-67、1989/10/1 要旨:1「在来型の生涯学習」を支援する、2「新型の生涯学習」とは何か、3アバウト、ミスマッチ、ジグザグ、4コミュニケーション型学習、5ネットワークによる知的生産。パソコン通信が生み出しつつある新しい生涯学習の特性として、インフォーマル・エデュケーション、インシデンタル・ラーニングを挙げ、そこでのレスポンス至上主義を、効果的なコミュニケーション型学習であるとし、ネットワークによる知的生産の意義を高く評価した。 ◆学習情報提供の現状と課題、日本生涯教育学会、『日本生涯教育学会年報』、11号、pp.207-212、1990/11/17 要旨:学習情報は、本質的に個人のためのものであるから、いくらニーズにマッチした学習情報を提供しても、それが有効に使われている場面そのものは、従来の「社会教育現場」のようには見えてこない。そこに、学習情報サービスの独特の広がりと難しさがある。 ◆生涯学習を援助する相談事業、日本教育新聞社、『週刊教育資料』、263号、pp.28-29、1991/8/19 要旨:団体の役員などから、リーダーとしての神経症的な悩みなどを受けることがある。カウンセリング機会の提供が重要である。従来の学習援助では、個人よりもマス(集団)が優先されがちであった。しかし、学習相談は、学習援助者の目を「個の深み」に向けさせてくれる。個人の弱さの露呈と、それが受容される体験が、さらなる「個の深み」の獲得につながる。 ◆トランスペアレンシー(巻頭言)、全国視聴覚教育連盟、『視聴覚教育時報』、449号、pp.1、1992/9/25 要旨:トランスペアレンシー(透明)を重んじる成熟したパソコン利用の姿は、情報化の象徴としてとらえられる。成熟時代に重要なものは、本来の「神」であるべき情報、すなわち人間の発信内容そのものであるべきだ。 ◆科学研究費A報告書「生涯学習時代における文化映像の製作・保管・活用に関する調査研究」、文化映像研究会、島田外志夫他、「生涯学習の現段階からみた映像活用の課題」、pp.60-68、1993/3/31 要旨:1生涯学習の振興を促す国立映像センターの役割、2生涯学習振興法と映像基本法の制定、3生涯学習情報提供事業から見た文化映像の分類・整理の法、4生涯学習時代における大学のあり方と国立映像大学、5映像が生涯学習に与えてくれるもの。 ◆社会教育関係者にとっての電子メールの存在価値−自負できるプライバシー、二次利用されたい著作権の誕生、財団法人AVCC、平成8年度文部省補助事業生涯学習関連施設調査研究報告書、財団法人AVCC調査研究アドバイザー委員会編、pp.94-97、1997/3/31 要旨:1N対Nのコミュニケーションの「道具」としての電子メール、2社会教育職員のメーリングリストの活用、3水平異質共生の出会いによる気づきと癒しの仮想的コミュニティ、4自負できるプライバシー、二次利用されたい著作権。 ◆「自由な女たち」にひっかきまわされることによる新教育メディアの活性化を、国立婦人教育会館、平成9年度新教育メディア研究開発事業報告書、国立婦人教育会館編、pp.111-112、1998/2/1 要旨:「気軽におしゃべりする」ような自然体の水平な感覚で、今後のマルチメディアや通信技術などを「学習ツール」、「新教育メディア」としてひっかきまわして使ってくれると、ニューメディアも人間の匂いのする魅力ある道具に変身できる。身近で小規模な「新教育メディア」をぜひ普及してほしい。 ◆人と人との出会いのためのマルチメディア−かながわ産業未来展出展報告、全日本社会教育連合会、『社会教育』、53巻2号、pp.68-69、1998/2/1 要旨:1情報を外に求めるような気風(オープンマインド)が、地域の商店街や産業界の活性化にとって重要である、2人びとの出会いをより望ましい形で促進する道具としてのマルチメディアの活用が求められている、3展示の制作課程をそのまま見せる、関係者がその場でおしゃべりし公開する機会を設ける、などのライブ感覚の工夫が望まれる。4産業にとって、音楽は今や他の一般的なジャンルをしのぐ大きなマーケットであることを認識し、重視する必要がある。 ◆癒される情報処理教育、情報処理教育研究集会、平成11年度情報処理教育研究集会発表、、1999/11/13 要旨:大学授業での情報処理教育のあり方について次のとおり論じた。1癒しとは何か、2自己決定の支援方法、3効率偏重からの脱却方法、4大学公開講座「私らしさのワークショップ」自己評価、4看護学校授業「情報科学」自己評価、5状況主義的自分らしさを許容するコミュニケーション教育のあり方、6情報処理教育における教師から学生への「介在」のあり方。 ◆SCSを活用した遠隔教育のあり方−徳島大学大学開放実践センターでの試みから−、日本生涯教育学会、『日本生涯教育学会論集』、21号、pp.21-27、2000/9/30 要旨:1本事業の概要、2本事業の成果と課題、3来年度事業の方向、4遠隔教育のワークショップ化の提唱−ピア(同質の仲間)ではなく、異なる他者との臨床的真実の出会いをめざして、5結語(「協働」の遠隔教育によって我々が得るものは、究極的には、相手の「個の深み」との出会いということができる)。 ◆コンピュータを導入したワークショップ型授業の実践−「自分らしさ」の発展としての他者との関わり指導の経過から、大学教育学会、第23回大会自由研究発表、、2001/6/9 要旨:コンピュータを導入したWS型授業においては、ネット上での学生同士の交信に対して、役割提供、表現支援、受容、揺さぶりなどの教師の指導機能をいかに有効に発揮するかが重要な課題になる。そのためには、一人一人の学生の対自、対他者の気づきの到達段階を把握する必要がある。「自分らしさ」に関する認識の段階の深まりに沿って、@即自の段階、A対自己の段階、B対他者の段階、C対社会の段階に整理できる。この4段階は循環して深まっていく。 ◆チャット及び電子掲示板システムを導入した学生間交流授業の実践、科学研究費特定領域「衛星利用の遠隔授業・日本語教育と社会人教育の効率化に関する基礎的研究」報告書、光田基朗他、pp.15-17、2002/3/31 要旨:今回の授業では、コンピュータを介して匿名性を保障されても、コミュニケーションの苦手意識自体が解消されるわけではないことが示された。他方で、「内面性」「社会性」に関わる話題の展開に関しては、一定の側面からはコンピュータの導入の効果があった。教師は、この効果をよりいっそう意識的に活かすことによって、共感や信頼能力を培うことが必要である。 ◆青少年施設における社会化言説と今後の課題−青少年文献データベースを活用した調査研究、日本生涯教育学会、第24回大会自由研究発表、、2003/11/30 要旨:青少年文献データベースを利用して、次のとおり分析結果を報告した。@個性化と社会化に関わる青少年文献の量的動向、Aわが国の青少年施策における社会化言説、B青少年援助としての社会化機能、C教育における「個人化」機能、D社会化願望と社会化圧力とのミスマッチ、E今後の社会に求められる社会化言説の課題。 ◆創年と情報−コーホート分析の視点による創年のIT活用の展望、私立大学学術研究高度化推進事業学術フロンティア推進事業、『創年学−中高年の新しい生き方の創造』、聖徳大学生涯学習研究所、pp.53-66、2005/8/31 要旨:今後の創年にとって、デジタル・ディバイド等の内実を明らかにするためには、「40歳以上」という「年齢効果」の検討だけでは不十分である。そこで、戦後出生モデルの出生コーホートを分析し、「キャッチアップと対抗文化の両面価値に生きた10代」「異議申し立ての時代に生きた20代」「30代になってからマイコンやテレビゲームブーム」「40代に職場OA化、50代にネットワーク化の波」として理解できた。これに基づき、創年のIT活用の展望として、ツールとしての割り切り、交流と学びのネットワークとしての活用について提起した。 ◆子育て支援文献データベース化の条件−多様な情報ニーズに対応する紐付け提案型システムをめざして、私立大学学術研究高度化推進事業社会連携研究推進事業(研究代表者 松島鈞)、『連鎖的参画による子育てのまちづくりに関する開発的研究 平成17〜21年度研究集録』、pp.395-410、2009/12/20 要旨:要旨文脈分析方式による文献分析が妥当であるとする一連の仮説は、一定の検証を得たと考える。しかし、検索者の非恣意性等の自由語検索の弱点を考慮すれば、子育て支援文献のデータベース化にあたっては、基本的には要旨文脈方式を採用するとともに、自由語検索の弱点を補うために、シソーラスを構築し、その活用方式を併用できるようにすることが望ましい。また、子育て情報ニーズには次の特徴があると考えられるため、検索結果の提示だけでは不十分といえる。@個人・社会等の多領域に関連するため、検索者が適切な「検索語」を設定するための基礎知識を十分にもっていることは前提にできない。A子育てスキルなど、言語化できない部分が多いため、検索結果を提示するだけでは、重要な関連情報を見逃すおそれが強い。B現在の人々の生活や社会の動向に強く影響を受けて変化するため、これに柔軟に対応した情報提供が必要になる。以上の理由から、子育て支援文献のデータベース化においては、「同義語検索」や「シソーラス検索」とは異なり、多様な情報ニーズの動向に対応して、データベースの側から「検索結果」とは異なる関連情報を「紐付け」して提案するシステムが必要と考える。 ◆学科キャリア教育におけるICT利用の効果−自己内対話と相互関与を相乗的に深める方法、私立大学情報教育協会、『ICT利用による教育改善研究発表会資料集』、西村美東士、林史典、清水英男、長江曜子、斉藤豊、齊藤ゆか、pp.90-91、2012/8/10 要旨:他学生の記述をリアルタイムに一覧形式で見ることができることは、とくに大人数授業場合は交流ツールとして有効であることは明らかといえよう。他方、その交流が、自己内対話の遮断として機能する場合も考えられる。今回の結果からも、相乗効果以前に、自己内対話志向か、協同志向かという要因の影響の大きさが示された。しかし、学生の職業生涯の充実のためには、その両者の統合的発展が重要であることは明らかである。このことから、キャリア教育に多用されるワークショップの場面において、学生の協働(課題設定等)→沈思黙考(カード書き込み)→口頭コミュニケーションによる協働(カテゴライズ作業等)→協働・沈思黙考(振り返り)というプロセスに関して、自己内対話と協同の相乗的促進のための、評価付与、揺さぶり、新たな課題提示などの教師の指導行為の効果を検討する必要が示唆された。  2006年12月施行。  1948年6月施行。  1990年6月施行。  福原匡彦『改訂社会教育法解説』、全日本社会教育連合会、pp.9-15、1989年。  たとえば、青少年の居場所実践に関して、田中治彦は「日本の近代産業社会において採用され有効とされてきた青少年育成の基盤が崩壊しつつある」として、「教育」ではなく「関わりの場としての『居場所』の構想」を提起している。崩壊しつつあるとした「青少年育成の基盤」とは、「大人が『教育目標』を設定して子どもをそこまで『到達』させるという手法」であるという。なぜなら、「子どもたちは目の前にぶらさげられた『人参』である教育目標自体を疑問視しているし、到達しても『人参』はないだろうと疑っている。ここにおいて『教育』『育成』『指導』という用語と手法が、子ども、若者の世界で無力化しつつある」と田中はいう。さらに、田中は、「それでは私たちはどのように子どもたちと対峙したらよいのであろうか。結論的に言えば、それは『教育』『育成』『指導』から、『関わり』と『参画』への発想の転換である」という。田中の議論は、流動化、多様化する社会にあって、これまで自明とされてきた教育目標に対して、青少年の視点から問い直し、「関わりと参画」による社会化効果を指摘したという点で、新鮮である。しかし、本稿の筆者は、「関わりと参画」を促進する青少年支援においてもなお、青少年の多様な社会化実態と、社会の多様化、流動化に対応した目標設定が必要になるはずであると考える。田中治彦編『子ども・若者の居場所の構想−「教育」から「関わりの場」へ』、学陽書房、p.10、2001年4月。  「出席ペーパー」の機能は、次号以降、詳細に検討する。  中村雄二郎『臨床の知とは何か』、岩波新書、1992年1月。中村は、人間存在の多面的な現実に即した「臨床の知」が構築されねばならないとする。中村は近代科学の「普遍性」「論理性」「客観性」を批判し、近代科学が排除してしまった「コスモス」「シンボリズム」「パフォーマンス」、すなわち「固有世界」「事物の多義性」「身体性をそなえた行為」の大切さを訴えた。筆者は、現在でも、この知見の優越性を一定程度評価するものであるが、同時に、本研究でも述べるとおり、教育活動において、これを交流させ、収束させ、共有させることによって、社会形成者の育成にとって必要な教育目標を設定し、実践することができると考えている。  ロンドン大学教育研究所大学教授法研究部『大学教育の原理と方法』(英文題名「Improving Teaching in Higher Education」)。そこでは、「学習は本来個人的事象であり、学習者自身が、自分のペースで、自らの興味や価値観、能力、レディネス(学習への準備状態)、背景となる体験、これまでの学習や訓練の機会といった要因に応じて達成していくもの」であること、すなわち「学習は個人的事象である」ことが基本テーゼになっている。したがって、「多人数で行なう講義」については「教師と個々の学生との間の物理的・心理的距離」などから「大学教育の教授形態として最も一般的なものではあるが、これまで述べてきた学習の諸原理とは最も相容れにくい形態でもある」としている。  西村美東士「ワークショップ型授業の構成要素とその効果−学生の自己決定能力を高める授業方法」、『大学教育学会誌』22巻2号、pp.194-202、2000年11月。  筆者は、これを次のように評価した。「自分さがしの旅」を公教育が援助していくのだといういわば「決意表明」である。まずは個性尊重の表れとして評価できる。しかし、その功罪は考えなければならない。当時、初等・中等教育だけでなく、いくつかの大学でも、自分が何をやりたいかを気づかせたり、自分を見つめさせたりする授業などが試みられた。「自分さがし」とは本当にそういうものなのなのか。「本当の自分」とは、学校教育のような強固に意図的・組織的な営みのなかで支援されるべきものなのか。「本当の自分」があるとしても、それは多義的、状況的な性格を有していることに留意する必要があると考える。『現代青少年に関わる諸問題とその支援理念の変遷−社会化をめぐる青少年問題文献分析』、科学研究費基盤研究(C)(研究代表者:西村美東士)(課題番号17530588)研究成果報告書、p.69、2007年3月。  前掲『現代青少年に関わる諸問題とその支援理念の変遷−社会化をめぐる青少年問題文献分析』。平成14・15・16年度日本学術振興会研究成果公開促進費(データベース)の助成を受けて構築した「青少年問題に関する文献データベース」に収録した文献のうち、1978年1月から2002年12月までに発行された文献23,732件について、キーワードに関して、文脈まで含めて細部にわたり分析した。その結果、その変遷過程に一定の特徴を見いだし、より効果的な支援方策のための知見を得た。方法論に関しては、個人化と社会化の統合的支援や、自己形成と社会形成の一体化の実現に向けた有益な知見を得た。  西村美東士「親子関係における気づき過程とその支援−公開講座による子育て支援の実践」、『徳島大学大学開放実践センター紀要』12巻、pp.71-95、2001年6月。同研究では、学習集団に受容的雰囲気が形成され、互いに安心して自己開示を交換することによって、対自・対他の気づきが促されるという仮説が、部分的には検証された。また、講師がいくつかのワークショップの手法を活用することにより、同じ悩みを抱えた学習者のなかでは、受容的雰囲気は比較的容易に形成されることがわかった。しかし、同時に、「わかる」とか「同じ」などの受容をしあうことによって、逆に対自や対家族、対社会への気づきを阻害してしまう傾向を見出した。  最初の成果は、1992年度〜1994年度科学研究費総合研究A「都市と世代文化に関する実証的研究」研究成果報告書(研究代表者:高橋勇悦)。神戸・杉並の青年意識調査を行った。10年ごとに大規模調査をしており、現在、3回目の調査結果のコーホート分析等によって、若者の文化や意識の変化を明らかにしようとしている。  土井隆義『友だち地獄−「空気を読む」世代のサバイバル』、筑摩書房、p.225、2008年3月。  西村美東士「個人化の進展に対応した新しい社会形成者の育成−キャリア教育及び青年教育研究の視点から」、『日本生涯教育学会年報』33号、pp.151-152、2012年11月。図の説明文は、同稿から抜粋した。  西村美東士「創年と情報−コーホート分析の視点による創年のIT活用の展望」、私立大学学術研究高度化推進事業学術フロンティア推進事業『創年学−中高年の新しい生き方の創造』、聖徳大学生涯学習研究所、pp.53-66、2005年8月。  西村美東士、長江曜子、清水英男、斉藤豊、齊藤ゆか、林史典「生涯教育文化学科におけるキャリア教育体系化の試み―学科教員による専門教育の実践とその成果から」、聖徳大学FD紀要『聖徳の教え育む技法』6号、pp.103-114、2012年2月。ここでは、「自分がその職業をめざす理由について、『好きだから』ではなく、『このようなことを、このようにしたいから』という展望をまとめることができる」という教育目標についての効果を確かめた。  西村美東士「東京都の社会教育はサークルのために何をすべきか」、東京都青年団体連絡協議会『大会資料』、1977年8月。  西村美東士『癒しの生涯学習−ネットワークのあじわい方とはぐくみ方』、学文社、1997年4月。  前掲「ワークショップ型授業の構成要素とその効果−学生の自己決定能力を高める授業方法」、pp.194-202。  イヴァン・イリイチ『脱学校の社会』、東洋・小澤周三訳、東京創元社、1977年10月。  松下圭一『社会教育の終焉』、筑摩書房、1986年8月。  西村美東士「社会教育施設に『関係』のあふれた情報提供機能を」、全日本社会教育連合会『社会教育』39巻10号、pp.73-77。  ギデンズ『第三の道―効率と公正の新たな同盟』、佐和隆光訳、日本経済新聞社、pp.67-71、1999年10月。近代市民社会の成立による個人の解放とは別の意味での、新しい「個人化」の進行を指摘し、そこでは、個人が社会的帰属集団などとの関係においてではなく、個人それ自体としてとらえられるようになり、個人それ自体が社会や制度を構成する「制度化された個人主義」に至るとする。そして、個人の自己選択が再帰的に求められるこのような社会について、個人のあり方を根本的な不安にさらすことになると指摘した。  西村美東士「社会教育施設に『関係』のあふれた情報提供機能を」(全国社会教育委員連合最優秀賞)、全日本社会教育連合会『社会教育』39巻10号、pp.73-77、1984年10月。  西村美東士「参画型子育てまちづくりから見た社会開放型子育て支援研究の展望」、私立大学学術研究高度化推進事業社会連携研究推進事業(研究代表者:松島鈞)、『連鎖的参画による子育てのまちづくりに関する開発的研究平成17〜21年度研究集録』、pp.1-14、2009年12月。  前掲『癒しの生涯学習』、p.1。  西村美東士「個人化を実現するための狛プーの社会化機能」、狛江市中央公民館『平成13年度青年教室活動記録』、pp.49-50、2002年3月。  西村美東士「『学びあい、支えあい』による自己形成と社会形成の一体化」、全日本社会教育連合会『文部科学省委託事業学びあい支えあい地域活性化事業に関する調査研究報告書』、2008年3月。  前掲「社会教育施設に『関係』のあふれた情報提供機能を」、pp.73-77。  西村美東士「パソコン・パソコン通信と青年−成熟したネットワークとは何か」、恒星社厚生閣『メディア革命と青年』、高橋勇悦編、pp.109-141。  西村美東士、根岸豊、小野寺求、信永耕司、桜井通、村上長彦「社会教育とマイクロ・コンピュータ」、東京都教育庁社会教育部『研究奨励報告書』、1985年2月。  西村美東士「社会教育関係者にとっての電子メールの存在価値−自負できるプライバシー、二次利用されたい著作権の誕生」、財団法人AVCC『平成8年度文部省補助事業生涯学習関連施設調査研究報告書』、財団法人AVCC調査研究アドバイザー委員会編、pp.94-97、1997年3月。  ジャン・ボードリヤール『消費社会の神話と構造』、今村仁司・塚原史訳、1979年。  西村美東士「ユーザーニーズの把握に基づく子育て商品開発の授業実践−シミュレーション型授業の実践を中心として」、聖徳大学生涯学習研究所紀要『生涯学習研究』8号、pp.29-33、2010年3月。子育て商品の企画を通した参画授業のなかに、自己の受給の認識が、現実の子育て商品市場にそぐわないことに気づき、修正する過程がみられた。