東京都の社会教育はサークルのために何をすべきか  東京都府中青年の家 西村美東士   1977.8 世田谷青年の家にて  みなさんのサークルは社会教育行政に恵まれていますか。例会をする場所はちゃんとありますか。社会教育施設では青年はいきいきとしているでしょうか。現在、区市町村の社会教育行政は、サークルを初めとするさまざまな活動をしている青年たちにとって大きな関心事となっています。それは青年の自主的活動を援助すべき最も直接的な場が区市町村の社会教育施設なのだからごく当たり前のことでしょう。  それに対して東京都が都政の一環として行なう社会教育はちょっとニュアンスが違います。地域の社会教育は、あくまでもその区市町村のレパートリーであり、都が上から何やかんやおせっかいをすべきではありません。都の仕事としてはおもに、@区市町村の社会教育行政の援助と、A広域的活動の援助及び広域施設サービスの2つがあげられます。  @は、たとえば社会教育行政民主化の手だてを試案したり、それに役立つ資料を作成して配布したりすることなどがあげられます。  Aの意味はおわかりですか。「広域的活動」・・・・、そう、たとえばこの「東京都青年交流集会」は、区市町村のレベルを超えて、青年が、サークルが、手を結び合おうという活動であり、「広域的活動」といえます。残念ながら、都の社会教育行政として、これを援助する方向はまだ出ていませんが・・・・。  次に現在、都が行なっている広域的施設は青年の家がおもなものです。これは区市町村の社会教育施設で青年が宿泊できるものはごくわずかなので、都がそれを建てて、都内のどこの青年グループでも利用できるようにしたものです。そこでは青年が生活をともにしながら、グループ活動を楽しむことができます。  僕はその一つ、府中青年の家の職員です。できるだけ多くの青年ができるだけ充実した自主活動を行なえるよう、毎日、電話受付、リーダーとの事前打ち合わせ、オリエンテーション、設備利用の手助けなどをしています。これらは、事務的、管理的な側面も持っていますが、それでも青年の活動を援助する大切な仕事だと思っています。  しかし、ここで僕がいつも悩んでいる問題があるので、皆さんにぶつけてみたいと思います。それは都の社会教育施設および職員と青年とのつながりの問題です。青年の家を考えてみましょう。確かに青年の家は、毎日数十人、あるいは数百人の青年を迎えています。しかし、その青年たちは、1泊か2泊をそこで過ごすと地域に戻っていきます。そこでまた、いきいきとした活動を始めるのでしょう。当日、青年の家職員とたとえ、二三、言葉をかわしたとしても、それは青年の家が青年とちゃんとつながりをもったということではありません。東京都の他の社会教育行政も、同様に、いや、それ以上につながりは弱いといえます。なにせ、住民と直接接することのないところで働く社会教育職員もいるのですから・・・・。「広域的な援助と施設」、それはいま、とみに青年が必要としているものではあるけれども、どうしても青年とのむすびつきは浅くてもろいものになっています。  僕はこれは大きなネックだと思います。なぜなら、たとえ職員が、初め、青年の立場に立ってやってゆこうと、情熱を真っ赤に燃やしていても、相手の青年とちゃんとつながりをもっていなかったら、それを燃やし続けるのはひどく難しいからです。燃え尽きてくさってしまうかもしれません。「そんなオーバーな」と思う人もいるでしょう。だけどあなたの「片想い」を思い出してください。想う相手と会うことも、話をすることもできないとしたら、その片想いはいつか消えて、単なる「思い出」になってしまいます。あるいは、女性ぎらい、男性ぎらいになるかもしれません。もしかしたらあなたは、青年とつながりを持とうとしない社会教育職員の中で、青年に敵意ばかり持っている人を知っているかもしれません。それです。  結びつきの必要の理由はまだあります。そもそもつながりのないところでどうして社会教育が成り立つでしょうか。いつも合って話ができる。その積み重ねの中で、職員も、青年個人や