青年の家について、みんなで考えてみよう 東京都立府中青年の家 西村美東士  「この指とまれ」の大いなる(?)発展、おめでとうございます。「この指」は、何回も、東京都の青年の家を利用していますね。青年の家についてどう思いますか。  東京都は青年の家を七つ持っています。みなさんの近くにある青年館や公民館とは、次の二点で異なります。1、宿泊が出来る=維持管理のための予算規模が大きく、区市町村段階では維持しにくい、2、広域事業を行なう=区市町村のエリアを超えた青年の交流などを援助する。  59年、当時の週休制の一般化による、勤労青年の余暇増大という状況のなかで、国は余暇対策(余暇善用)の一環として国立青年の家第1号を御殿場にオープンしました。そこでの教育方法は「団体宿泊訓練」でした。同年、東京都も青年の家の第1号を八王子にオープンしました(今の八王子青年の家)。しかしそこには「訓練」という考え方はなく、また、例えば国旗掲揚などもしていません。設立の当時から、国立形の青年の家と違う性格をある程度はもっていたと言えるでしょう。  とは言え、やはり「お役所」のやること、どうももう一歩青年の気持ちにピッタリこないところがあるようです。青年の声をあまり聞かずに60年代の青年の家が、どんどん建てられました。青年や市民の要求があって建てられたのは、70年の水元青年の家です。それでも大まかに言えば、東京都の青年の家は、青年とのつながりが非常に弱いと言えます。  その証拠に、あなたは、私たち青年の家専門職員〔社会教育主事(補)〕の存在を御存知ですか。そして78年度、各所1名づつ定員削減を受けることを御存知ですか。今年から試行されている宿直廃止も関係しているのでしょう。しかし、青年の家をより良くしていきたいと考える私たちにとっては大変なショックです。早番、遅番のローテーションがきつくなり、やりたい仕事がやれなくなるからです。  しかし、青年が、そういう状況にある青年の家に対して、ほとんど要求をぶつけてこない、あるいは、要求を持っていないというのはどういう理由でしょうか。各サークルにとっては、死活の問題として定例会の場の条件があります。それに反して、せいぜい一年に何度か、合宿で使うぐらいの青年の家については、それほど死活の問題ではありません。ここに、青年が青年の家に対して要求をぶつけず、したがってつながりも作りにくいという原因があります。もちろん、私たち職員の主体的役割についても反省すべき点はありますが…。   しかし、宿泊可能な施設は、サークル内の人間的つながりにとっては、本当は非常に、有利な施設と言えないでしょうか。せいぜい週に一度、2時間から3時間くらいづつ会うだけでは、心の底からお互いを理解しあうのは難しくありませんか。風呂にいっしょに入って、お湯につかりながら話をする。寝床に入って、ボソボソ話をする、そんな共同生活の中に、仲間のすばらしい人間性を感じることができるのではないでしょうか。  さらに、「この指」のように、広域にわたる青年サークルの交流を援助するのは、東京都の大きな役割の一つです。また、そのように遠くから集う場合、宿泊機能を持った施設でないと充分な交流は困難です。このような意味でも、青年の家は大切な施設です。  このような大切な役割は、いま充分に生かされてはいません。問題は、こまかく言えばたくさんあります。門限、活動時間、複雑な手続き、禁酒、など、みなさんもすぐ思いあたることでしょう。しかし職員から言えば、自由にした場合の事故の問題や、労働条件の問題が気になります。ひどい利用団体になると、職員を真夜中、たたき起こして、平気な顔で入ってきたり、夜中、宴会をやってとなりの部屋の人の眠る権利を侵害したりすることもあります。そこまでひどくなくとも、不自由な規則を変えさせようとするのではなく、自分の団体だけはなんとかだましすかし、あるいは、ねじこんで、小さな規則破りを貫徹しようとするところは多いようです。自らのグループサークル活動をを愛する情熱は理解できますが、それにしても不自由な規則の改善を要求してくる正義漢が、一年のうちで多くて二、三人だというのは、淋しい気持ちがします。もちろん、それは、青年に対する青年の家の姿勢(青年が不満をぶつけにくい)にも反省するべき点があると思いますが…。いずれにせよ、青年と、青年の家職員とは、すれ違い状態のようですね。  73年、狭山青年の家の「三多摩青年サークル交流会」の中で「三多摩サークル連絡協議会」(三サ連)が結成されました。その時、青年たちは、東京都教育庁社会教育部に対して青年の家の無料化や、施設増設、青年の手による自主的な運営、専門職員の配置などの「要請文」を出し、ある程度の回答を得ています。現在は、その回答よりもはるかに後退した状況にあります。「この指とまれ」が東京の青年サークルの要求を反映し、東京都の社会教育行政をよりよいものにしていくよう活躍されるよう期待する意味が、御理解いただけると思います。そして青年の家の方も、広域の青年とつながりを持ち、青年サークルの交流と連絡を援助できるよう、がんばっていこうと思っています。