青少年施設とそのリーダー S56.2.1/ユースワーカー能力開発協会 ユースワーカー ルポ 青少年施設とそのリーダー Vol.10 東京都立武蔵野青年の家 ―西村 美東士さんの巻― レポーター田中治彦 青年の家でディスコを 西村美東士さんの府中青年の家での最初の仕事は「サークルリーダー・レクリェーション研修会」である。今から四年前、彼が動労青少年指導者大学講座を第一期生として卒業した年の四月であった。 西村さんはまずこの「まじめな」タイトルにこだわった。「レク研修会」のイメージはフォータダンスや室内ゲームであり、これではいつものまじめな「青年の家」的青年しか集まるまい。この際今までの青年の家ではつかみきれなかった「普通の」青年たちにアプローチしてみたい。それにはどうすればよいのか?また一般的に閉鎖的で「内弁慶」なレクサークルの巾を広げ、お互いの交流を深めてもみたい。それにはどうしたらよいのか? 彼の一つの回答は、ディスコを青年の家にもちこむことであった。不安はあった。青年たちはついてきてくれるだろうか?まわりから変な目で見られはしまいか?しかしともかくもやってみたい。看板をレク研修会から「ダンスフェスティバル」に書き改めた。彼はさっそく府中レクリェーション研究会(府レク)に入会する。そして初回のみ府レクがフェスティバルに協力してもらえるよう了解をとる。 第一回のダンスフェスティバルの日が来た。一九七七年十二月十日である。オリエンテーションをし、タ食をとった後さっそくディスコタイム。踊りの指導はその道のプロ、新宿のディスコクラプ「GET」のマスターだ。やさしいステップから離しいステップへ。生まれて初めてという人も、毎週ディスコに通いつめているものも、いっしょになってステップを踏む。最初はどきまぎしていた人たちも次第にステップを楽しめるようになる。ディスコのステップは、ディスコ好きの友人でもいない限りなかなか教えてもらう機会もない。そんなことからディスコに反発を感じる青年もいるだろう。そんな青年もディスコ好きになる。 講習の時間が終っても延々とディスコは続く。ここで現われたのが「ディスコボーイ。」卸売センターに勤める「いかした」若者で、なかなかの人気者。難しいステップは彼の独壇場だ。皆はまわりを囲んで見とれている。そのうちに夜も更けてゆき、第一回のディスコパーティも無事成功裏に終る。 ニ回目からは青年が運営 翌年からは実行委員会が運営に当り、西村さんや府レタは裏方に回った。その間二度ほど「ミニレク研究会」の形でジルバやレクダンスの集いが持たれる。二回目のダンスフェスティバルには「都のおしらせ」などで知って個人的に来た人が多く「青年の家」のワクもちょっぴり広がった。しかし、ふとんを敷きっぱなしなので、「お客様」的な人が多く運営の方はてんてこまい。 参加者の声を聞いてみよう。―去年の人が覚えていてくれた!(Aさん)、いわゆる『青年のつどい」のようなものに対する偏見がなくなりました。(T君)、未知の人に対して心が開けるようになった(S君)、いっしょうけんめいやっている仲間に感動(Hさん)。 一方でウラカタさんの実行委員の声――私もめだちたい、オレも踊りたい!――葛藤があるようです。 そして三年目。西村さんに言わせると「画期的」なことが起こる。毎年皆の前でかっこよくワンマンショウを演じていた例の「ディスコボーイ君」。つかつかと皆の前に出てゆき、ステップの指導を始めたのである。これには一同やんやのかっさい。 ディスコは不良ですか 紅余曲折はあるものの「青年の家」にディスコが定着してゆく。上の人とあつれきはありませんでしたか、とお聞きしたところ、「夜の時間の延長、予算等、実務的な間題はあったものの、ディスコをすることそのものの反対はなかった。」とのお返事。都立青年の家の、「革新的」部分であろうか。もっとも若者たちは気軽にディスコに出かけていく。あたり前の若者文化なのだから当然といえば当然なのだが。 しかし、若者文化からきらにかけ離れた所があるという。それは――学校。この三月に東京都の主催で高校生の洋上セミナーがある。それに班長として乗船する西村さんがディスコを提案したところ、学校の先生方から猛烈な反対を受けたという。西村さんの「革新的」なアイディアも社会教育止まり、ということらしい。 西村さんは今は武蔵野青年の家の方に移っているが、今度は一転してマジメに青年の「生活課題」にとりくんでみたいという。その第一弾が一月下旬の『あなたの住宅問題を語るつどい』だそうである。こちらの方も成功を祈りたい。 (付記)なお西村さんはディスコのステップなどを直接教えてくださるそうです。連絡先は―東京都武蔵野青年の家 西村美東士(武蔵野市境四‐五‐十五、電話〇四ニニ-五三-〇ニ五一)