「学校教育と社会教育の連携」(事例・団体編)目次   実践社会教育シリーズ 全日本社会教育連合会 1 青少年団体の横断的紹介誌を作成し、高校に配布している事例    −鹿児島県青少年団体連絡協議会「DO YOU KNOW?」−   〜存在が知られていないという単純な阻害要因を、まず除去する〜 2 高校生がお客さまではなく、団体活動の重要な担い手として活躍している事例    −奈良県平群町青年団−   〜高校生という青年が地域にいることにあらためて気づく〜 3 子ども会と学校とが良い関係をむすんでいる事例    −名古屋と横浜の子ども会−   〜日常的に連絡をとりあう、そして学校から学ぶ〜 4 学校の教師から郷土について学んだり、郷土資料の収集・展示をしたりしている事例   −埼玉県上尾市・与野市小学校のPTA−   〜学校から地域を学び、学校に地域を「還元」する〜                                         ○ 青少年団体の横断的紹介誌を作成し、高校に配布している事例    −鹿児島県青少年団体連絡協議会「DO YOU KNOW?」−   〜存在が知られていないという単純な阻害要因を、まず除去する〜 1 青少年団体への加入者の激減をくいとめるために  昭和48年、鹿児島県青少年団体連絡協議会が結成された。当時は加盟団体総計で約4万人いたが、現在では半減してしまっている。都市化と青年の地域離れが影響しているのである。  また、団体の中にはあまりにも会員が減ってしまってまともに活動ができず、最近は事実上、休止状態のところもあるという。  実は、「DO YOU KNOW?」には、このような状況を打開するための窮余の一策という側面もあるようだ。だが、実際にはこの冊子にそんな壮絶感は感じられない。むしろ明るいイメージなのである。  かれらはなかなかタフである。 2 「DO YOU KNOW?」から始めよう  この冊子の前書きによれば、これが作られたいきさつは次のとおりである。  昭和60年、国際青年年のイベントとして「アジア青年祭inかごしま」を開催。その会場の一角を青少年団体の紹介コーナーとして、100枚のパネルを展示した。同時に配布したリーフレットの題が、「あなたのまわりにこんな団体がある事をご存じないでしょうね」である。  その時、一般の県民から「こういう団体があることを知らなかった」とか、「いろんな活動をしているので驚きました」などの感想が寄せられたという。  それらの反応をうけとめながら、昭和62年2月、鹿児島の青年たちは第2弾としての「DO YOU KNOW?」という青少年団体を紹介する冊子を発行し、高校にまで配布したのである。  鹿児島に限らず、特に最近の青少年の中には、既存の社会教育団体や地域団体を敬遠するふん囲気が強いようである。しかし、実際にはさまざまな団体の存在そのものを知らなかったり、誤った先入観から活動内容について貧困なイメージしかもっていなかったりという、単純な理由から敬遠されていることも多いのではないか。  鹿児島県青少年団体連絡協議会は、加盟団体のそれぞれの活動の実像を知ってもらうため、地域の人々に、青少年自身に、そして学校に「DO YOU KNOW?」とよびかけた。県内に就職する予定の高校生に対しては、県教育委員会の後援をとりつけ、公文を添付して、各高校にその冊子の配布を依頼した。  みずからの団体を広くアピールしようとする、この積極的な精神を、評価すべきであろう。団体にとっての「学社連携」は、このアピール精神から始まることが多い。 3 かれらのマインドを象徴する表紙  A5版で、手に取りやすい。表紙は青少年の団体活動の情景である。これは、5枚のカラー写真の組み合わせで多色刷りで印刷されており、人の目をひく。  表紙の写真自体も特徴的である。集団全体ではなく、集団活動の中での1人か2人の瞬間的な動作や表情にピタッと焦点が合っている。2人の女性がテニスをやっているシーンもある。なんでこれが、青少年「団体」活動なのか。  しかし、これらの場面はけっして「つくりもの」ではない。むしろ、このように一人ひとりがいきいきとしてこそ団体活動は成り立つのである。「団体」活動の一場面として、2人でテニスをすることだって、じゅうぶんありうる。  青少年団体だからといって、つねに集団として「統一行動」をしていて、他の「一般の青少年」と画然と区別されるというものではない。ところが、一般の青年や市民の中にはそう思いこんでしまっている人もいると思われる。その方こそ、「虚像」である。  青少年団体の活動のなかみは、「普通の青少年」がごくあたりまえに共感できるものなのである。これが「実像」である。  「DO YOU KNOW?」の表紙は、虚像によって団体から離れてしまっている多くの人々に対して、実像を提示することによって、その目をひきもどすことに成功している。そして、特に学校の教師や生徒に対して、  1 青少年団体は、どんな青少年でもいきいきと活動できる場であること  2 今までの学校以上に、一人ひとりの主体性が求められ、ためされ、生かされる場で  あること の2点をアピールしようとしている。  これは、表紙に限ったことではない。この冊子全体の、そして、鹿児島県青少年団体連絡協議会自体の「マインド」を、この表紙が象徴していると考えるべきであろう。 4 訴えて、フォローする  本文には、鹿児島県青年団協議会から始まって各種ボランティア団体まで、横断的に、28の加盟団体のイラストを主体とした簡単な紹介と連絡先が掲載されている。1団体につき1ページである。  それぞれのページは、イラストや写真が紙面の半分またはそれ以上を占めるものばかりである。最初に「明るいイメージ」といったが、その理由はこれに負うところが大きい。内容の詳しさよりも、目に訴え関心をひくことをねらった紙面構成である。  巻末には、応募はがきがついていて、「1.入会したい 2.資料がほしい 3.連絡がほしい」のいずれかと、希望の団体のところに○をつけるようになっている。フォローの姿勢がはっきりしている。  しかも、当然のことながら、このフォローは青年個人と青少年団体との関係で行われることになる。配布は高校で行っても、会員募集については、その場で「網をかぶせて」集団加入させるという乱暴なことはできない。すべきでもない。  そこまで極端な例ではなくても、青少年団体と学校が連携するにあたって、ややもすると安易な集団主義が持ち込まれる危険性がある。それを避けるためには、団体・学校の双方の主体性の尊重と、いわば「けじめ」をもった良識が必要なのである。  その点、「DO YOU KNOW?」のように、青少年団体のPR誌を学校で配布してもらって、あとははがきでフォローすることは、一つの方法である。 5 「普通の」高校生にまで、くまなく配るために  先にもふれたように、同協議会としては団体紹介誌を過去にも出したことがある。しかし、最高でおよそ千部であった。今回は、八千部なのである。同協議会の年間予算350万円のうちの100万円を使った。それだけの価値があると判断したわけである。  千部ならば、公共施設に配布する程度でせいいっぱいである。しかし、八千部だから、すべての対象者にもれなく配布できる。そこに意味がある。  百十の高校に、県内に就職する予定の高校生が五千人ほどいる。青少年団体に関心をもつ高校生にも、関心をもっていない「普通の」高校生にも、全員にこの冊子を配布できるのである。  さらには、実際にこの冊子を配布するにあたって、広く的確に対象の高校生にゆきわたらせるため、県の教育委員会を通して各高校にそれを依頼した。  このようにして、「DO YOU KNOW?」は作成され、県内で就職するたくさんの高校生の手にわたっていったのである。 6 本事例から学ぶべきこと  青少年団体と学校との連携に関して、本事例から次のようなことが考えられる。 1 青少年層を広く的確にとらえて青少年団体の情報を提供するためには、特に学社連携によって学校の協力を得ることが有効である。 2 しかし、その場合、団体への加入の勧誘や受付などまで、いっせいにその学校でやってしまおうとしてはいけない。それでは、学校の中に安易な悪い意味での集団主義をつくりだし、それを団体が利用するという恐るべき「学社連携」になってしまう。  「DO YOU KNOW?」の巻末はがきのような「個」に対するフォローに習いたい。 3 このように、団体がしなければならないことまで、学校に依存しようとしないことが大切である。学校側も団体の主体性を尊重し、望ましくない依頼にまで「義理」で応じたりしてはいけない。学校ができることには限度がある。 4 これらの原則を守った上で、後輩の青少年たちに、そしてかれらを育てようとしている学校に、青少年団体は自信をもって自分たちの活動をアピールしてほしい。学校側に歩みよって、青少年団体の情報を学校型に変形して紹介するのではない。活動の実像を伝えればそれでよい。  以上、「DO YOU KNOW?」の事例をもとに考察を進めてきたが、まとめの最後の「活動の実像」については、本冊子がそれを余すことなく伝えているとは必ずしもいえない。たしかに、この冊子が「高校生に」しかも「青少年団体の存在を知らせる」というねらいから作られていることを考えると、これ以上の詳しさは必要ないといえる。  しかし、今後の課題としては、現在直面している問題点などの「活動の実態」をさらに率直に学校に訴えることが必要である。また、学校の方も学校として主体的に、その訴えをうけとめて、地域の教育力の形成のためにともに考え、学校なりに援助できる道を探ることが望まれる。 〔資料〕 「青少年団体紹介誌 DO YOU KNOW?」,鹿児島県青少年団体連絡協議会,昭  和62年2月 「朝日新聞 鹿児島版」,朝日新聞社鹿児島支局,昭和62年2月13日朝刊                                         ○ 高校生がお客さまではなく、団体活動の重要な担い手として活躍している事例    −奈良県平群町青年団−   〜高校生という青年が地域にいることにあらためて気づく〜 1 スタッフ不足がきっかけ  青年団は、従来、重要な地域集団として活躍してきた。しかし、今日ではいずこも団員の減少という問題に悩んでいる。奈良県生駒郡平群(へぐり)町青年団も同様であった。 平群町は、新住民の流入により急激に人口が増えている。しかし、町の青年団が抱える6支団は、すべて「旧村」にできており、新興住宅地に支団組織はない。町外通勤青年の増加のため、団員数も減少傾向にあるという。  スタッフ不足の中での機関紙の定期発行はきびしい。そこで、担当の広報部スタッフは次のように思いつくのである。  「なんとかならんもんだろうかと、担当役員は考えた。そしてふと思った。『そうや、高校生がいてるやないか』」、「作業を通じて町青年団の活動に対する理解も深めてもらえる。まさに一石二鳥ではないか。彼らはそう考えた。実に安易な発想ではあったが、結果的に、これが町団役員と高校生団員との結びつきを深めるひとつの『きっかけ』となったのだから、何でもやってみなくてはわからない」。(後記資料より)  とにかく、このような理由から、平群町青年団での高校生の活躍が始まったのである。2 高校生はすでに入団していたが  平群町青年団の場合、中学校を卒業した者は自動的に入団してくる。そのため、現在、登録されている高校生は60人で、全団員の30%にもなるという。  しかし、実際には、登録された高校生に対しては、事業のある時だけ支団を通して呼びかけるというパターンだった。そこまでなら、他のたくさんの青年団でもやっていることである。  資料によれば、平群町青年団長は「事業をするにしても、新興住宅地で団員を拡大しようと思っても、必ず在学青年、特に高校生団員の問題にぶちあたる。ただ勧誘すればいいというものではない。団員数も減少してきているし、高校生は次代の平群町青年団を担う貴重な存在だ。特に新興住宅地の高校生たちを活動に巻き込みたい。」という趣旨の発言をしている。  そして、平群町青年団は、高校生の団員を青年団の次期リーダー、地域を担う一員として「明確に位置づけ、積極策に出た。」、すなわち、「これまでのように、すべてお膳立てされた事業に高校生を呼ぶのではなくて、ひとつの行事の準備段階から高校生にかかわってもらおうとした」のである。  高校生をお客さまにしないで、年長青年たちといっしょに主体的に青年団活動に参加してもらうようにしたこと。平群町青年団の事例に注目する理由は、ここにある。 3 機関紙の編集作業に関わる  平群町青年団は、機関紙「若いこだま」を4年間、毎月発行し全戸配布していた。しかも、新興住宅地では団員が一軒一軒、直接、手渡してきた。住民との大切なコミュニケーションの場であり、青年団活動を広くPRするのにこれほど大きい力はないと、資料にはあるのだが、これは大変な作業である。  そこで、さきほどふれたように、高校生の「助っ人」を頼んだのである。しかも、それは高校生が直接「若いこだま」の編集に携わるという、高校生の主体的な参加形態によるものである。このことが実現できた基盤として、さきほどの平群町青年団の高校生に対する「積極策」がある。  町中央公民館の一室で行われている編集作業のようすが、次のように描かれている。「部屋の中は、ワイワイガヤガヤと実ににぎやかである。レイアウト用紙を前にロットリングで、いっしょうけんめい字を書いている子もいれば、町団役員を相手に学校生活のよもやま話をしている子もいる。問題集をひろげて、必死に数学の宿題をしている子もいたりする。なにか一般的な青年団の雰囲気とは、ちょっと違った独特のものがある。」  たしかに、青年団自体の「雰囲気」まで、何らかの変化を示しているのである。 4 青年団に与えた良い影響  このように高校生が主体的に参加することによって、青年団自体が受けた良い影響として、次のようなことがあげられる。 1 活動を支える人数が増えるだけでなく、「雰囲気的に明るくなり、先輩団員たちに活力も出てくる。」(副団長の発言) 2 「無駄ばなしをしている中から、役員は高校生団員の考え方や悩みなんかを聞き」(団長)という発言に見られるように、年長青年が後輩の青年たちの理解を深め、ジェネレーションギャップの克服に寄与することができる。 3 そればかりでなく、「僕たちが、高校生の話を聞いて、ああなるほどなと思うこともある」(団長)という発言に見られるように、若い世代の発想から逆に学ぶという社会教育活動独特の「教えあう」関係の創出も、おおいにありうる。 4 青年団活動がきちんと責任をもった、しっかりしたものになる。資料には、「時間的な制約など多くの問題がある。役員の苦労もそれだけ大きいわけだが、今は、まず高校生団員の親、家族の理解を得ることに重点を置いている。したがってルーズな活動は決して許されない。」とある。  この前半部分は、一見デメリットのように見えるが、親や学校に信頼されるような青年団活動をつくりだそうとするかれらの努力は、けっして不毛なものではないはずである。親(=家庭教育)や学校(=学校教育)と、青年団活動(地域の教育力)をむすびつける営みの一つとしてとらえられるからである。 5 高校生に与えた良い影響  次に、高校生が主体的に青年団活動に参加することによって、その高校生自身が受けた良い影響としては、以下のようなことがあげられる。 1 平群町青年団の女子高校生団員の一人は「自分の考えていた青年団と、実際の青年団活動との違いが、ようやくわかってきたように思う。」と発言している。このように実際に青年団活動に携わることによって、地域活動や青年団体活動に対しての誤った認識を改め、正しい理解を得ることができる。  正しい情報の提供も大切だが、それだけでは地域・団体活動に対する間違った先入観を払拭することはできない。それに対して、人と接し、体験を味わうことによる学習の力は大きい。 2 成人になるための高校生自身の内なる発達をうながす。前項の彼女も「(平群町青年団について)私たちから見たら、『大人の世界』なんだなァって感じるときもあるけど」・・と言っているが、それは異なった世代、すなわち成人と自分との差異の認識であると同時に、共感へ、そして彼女なりの「同化」へとつながっていくのである。  青少年が家庭において兄弟をたくさん持たなくなり、地域においての兄・姉の役割を持つ人の存在を失いつつある今日、青年団の先輩のような準拠の対象が身近にいるということは、大きな価値をもっている。 3 学校と家庭以外に役割遂行の場をみつけることができる。彼女は「自分の意見が素直に言えて、それがみんなに認めてもらえるのがとってもうれしい」と言っている。  高校生という多感な時代に、自己の役割を見つけ、その役割の遂行が社会的に評価されることは、自己形成にとって非常に意義のあることである。今日、学校の中でそれを見つけることに失敗した高校生たちにとって、このような学校に代わる場はとても少ない。 6 本事例から学ぶべきこと  高校生の青年団活動が、学校教育に対して果たす役割に関して、この事例から次のようなことが考えられる。 1 学校の友達という同世代どうし、またはクラブの後輩・先輩という近い世代どうしの人間関係、学校の先生という超自我の象徴としての存在の他に、青年団の先輩という地域の兄・姉を高校生がもつことになる。  これが、学校の中では設定しにくい人間関係の部分を補完する。 2 役割遂行の苦しみと喜びの体験のうち、学校教育において計画的には準備しずらい部分をインフォーマルな形態で補完する。 3 このようにして、青年団活動は特に高校生に対しては難しいであろう「学校外教育」の場を提供するものであり、学校側もそれをいっそう重視すべきである。しかし、それとともに学校教育における教育課程にそれをどうフィードバックさせればよいかということも、今後の課題となるだろう。  すでに述べたように、平群町青年団が高校生の参加を求めた理由の一つとして、「スタッフ不足」があげられる。だが、それだけでなく、高校生を次代の青年団と地域を担う主体として尊重していたことも見逃せない要因である。  筆者がさまざまな青年団体の役員と話す時も、この「スタッフ不足」がよくでてくる。たしかに、地域の青年団体は苦しんでいるのだ。しかし、この都市化現象の中での地域にこそ、コミュニティおよび地域の教育力の新たな形成が求められる。  コミュニティ形成はもちろん、地域の教育力の形成に対しても、地域青年団体、特に生活集団としての青年団が果たす役割は大きい。目先の「スタッフ不足」に追い回されるのではなく、青年団として地域の教育力の発揮のためという大きな視野から、学社連携をまともにとらえなければならない時期にきているといえよう。  平群町青年団は高校生を活動主体としてとらえた。そのことによって、高校生はさまざまな得難いことを地域で学ぶことができた。この考え方をもっと発展させ、青年団自体を地域の教育力を支える機能の重要な一環として誇りをもって自認し、その役割を発揮できるのはずである。  「高校生団員の親、家族の理解を得る」というかれらの努力は、その端緒であるが、さらに高校と意識的に連絡をとり、地域教育力の形成のために互いにいっそう手をとりあうことが望まれるのである。 〔資料〕「高校生団員をどうする 上・下」,奈良県青年団協議会事務局 岡村猛,      (「青年」,日本青年館,昭和61年5・6月号所収)                                         ○ 子ども会と学校とが良い関係をむすんでいる事例    −名古屋と横浜の子ども会−                          〜日常的に連絡をとりあう、そして学校から学ぶ〜 1 子ども会と学校の関係の現実  子ども会の指導者にとって、学校の過密スケジュールは頭の痛い問題である。皮肉なことに、熱心な指導者ほどその傾向が強い。「せめて学校行事などは、私たちに事前に知らせてくれないものだろうか」などというグチを聞くことが多い。クラブや部活動なども、ややもすると「目のかたき」にしがちである。特に「超過密スケジュール」の中学生については、組織率が低下しており、神経質になっているようだ。  しかし、そのように反発する前に、そもそも、その学校との関係をうまくむすべているかが問われるのではないか。  それが簡単にできるわけではないが、その糸口だけでも見つけるために、2つの事例をとりあげて考えてみたい。 2 日常的に子ども会の情報を学校に届ける  名古屋市中川区助光中学ブロック子ども会連絡協議会は、そのエリアに2小学校と1中学校をかかえている。そして、この3つの学校のそれぞれと日常的な関係をとりむすんでいるという。  その一つとして、「月刊 子ども会」(全国子ども会連合会発行)の学校への贈呈があげられる。しかも、ただ届けるだけでなく、三役の内の一人が必ず手渡しするのである。そして、その都度、校長や教頭と1時間くらい、情報交換・意見交換を行なう。  資料には、そのようすがこのように書かれている。「子どもたちの学校での様子や学校行事の話を聞いたり、子ども会の予定を話したりの情報交換や、子ども会から学校への意見を伝えたり、学校から子ども会への意見を伺ったりの意見交換が、その機会に行われます。」  学校に届けられたこの月刊誌は、職員室の閲覧台に置かれ、新しい月のものがくると、図書室の書棚に配架されるが、この本を教師はよく見ているようだということである。この本には、学校の外で見せる子どもの目の輝きのようすや、それをはぐくむ地域の指導者のあり方が、ハウツーまで含めてよく載っているので、先生方には参考になるのだろう。 その他、年度始めのたびに、学校と子ども会とが年間行事計画を互いに出しあって、調整したりしている。日常的にも、すべての子ども会行事の案内を、その都度、役員が学校に届けるということである。資料には「ですから学校では、子ども会で今何が行われているか、今度は何があるか、常に分かっているのです。」とある。  このような普段の努力が「学校との良い関係」をつくりだしていくのである。  ここの小学校長だった人が他校に転任して、「子ども会行事があるのに、自分は出なくてよいのか」と、そこの子ども会役員に聞いたので、かえって驚かれてしまったというエピソードが資料には紹介されている。学校は学校の中の教育、子ども会は外の活動というわりきった関係の方が通常なのであろう。それに対して、この子ども会連絡協議会の実践は注目に値する。  たしかに、これらの実践を他の地区で真似しようとしても、即効的に効果を期待できるものではないだろう。ここの地区では、小学校区子ども会連絡協議会発足の時から23年間、教師に会計や書記などの役に加わってもらい、それを校長も認めてしきたりとなっているとのことである。このような営々とした努力が不可欠なのである。  しかし、特にそのための初めの第一歩は重要である。なぜなら、学校と子ども会指導者が「出会う」ことさえうまくいけば、あとはその関係が自然に育っていくという側面も、人間関係にはあるからである。 3 子ども会が、学校から学ぶ  横浜市立入船小学校では、心身ともにたくましい子どもを育てるための一環として、「校庭キャンプ」を実施している。  「校庭キャンプ」は、夏休みに、学年・学級ごとではなく、町内ごとのグループに分かれて5、6年生が参加する学校行事である。夕食と朝食は子どもたちで作るのだが、その献立は自分たちで考え、予算の範囲内で買い出しに行く。学校はテントとはんごうとかまどを用意するが、それ以外に炊事に必要なものなどは、自分たちで考えて持ってくる。  資料には「子どもたちは自分たちで何かを作ることがとても好きです。」とあるが、このような現実の子どもの理解から、子どもが主役となったキャンプを実施しているのである。子どもの発達の契機を鋭く見抜く眼力をもった者として教師の専門性が、よく発揮されている。  そして、地域の子ども会の活動が、この「校庭キャンプ」に大きな影響を受ける。たくさんのことを学ぶのである。  資料からまとめると、 1 「以前はバス旅行等を行っていた」子ども会役員が、キャンプをやろうとして、学校に相談にくるようになった。 2 子ども会で行うキャンプも、「本当に子どもが主役となる」ような形で実施されるようになった。 3 学校の施設を利用して、子ども会のキャンプが実施されるようになった。 さらに、「校庭キャンプ」の時には、警備等の面での地域の人々の協力、また、地域のジュニア・リーダーの協力なども得られた。それらは学校と地域の「良い関係」をつくりだしていったのである。  入船小学校の場合は、子ども会に対してかなり好意的であると思われる。しかも、学校の教育内容自体も子どもの体験学習を大切にしているので、子ども会が直接、学ぶべき内容も多い。  しかし、他の地域の子ども会指導者は、「入船は、学校側の活動内容がすぐれているから」と、ただ言うだけですませてしまうわけにはいかないのではないか。  入船の地域の人々は、学校行事に積極的に協力した。そして、特に子ども会指導者は、学校の行う「校庭キャンプ」に関心をもち、みずから進んで学校を訪れてそれについて学ぼうとしたし、さらには、学校施設を利用したキャンプまで実施したのである。どの地域の子ども会指導者にも、このような進取的精神が求められるのではないだろうか。  どこの学校でも多くの教師は、子どもについて正しく理解し、その発達の契機が何であるかを鋭く見抜くことのできる専門性を有しているはずである。子ども会指導者は、子どもに対する地域の教育者として自律的に活動しながらも、この教師の専門性から学ぶべき点は学ばなければいけない。けっして、レクリエーションだけ、しかもその表面的なハウツーだけが、指導者に求められる資質ではないのだから、学べる要素はありとあらゆる範囲で考えられるのである。  学校側も、「うちの子ども会は、旅行会とたいしてかわらない」と「傍観」しているのではなく、ぜひ、入船のような専門的指導性を地域に対しても発揮してもらいたいものである。 4 2つの事例から学ぶべきこと  この2つの事例から、子ども会と学校とが「良い関係」をつくりだし、それを維持・発展させるためには、以下の点で努力が必要であるといえる。 1 「学校のスケジュールが過密で、しかも子ども会の行事の日に学校行事を平気で重ねてくる」と文句を言う前に、子ども会自体の行事計画を日取りだけでも早く決めて、それを学校に知らせる。学校との関係がほとんど持てていない子ども会でも、とりあえずは、そのことから始めてみる。 2 子ども会事業のあるたびにその予定と報告をする。機関紙などの発行のたびにそれを学校に届ける。しかもそれを、会の運営に責任をもつ者が学校を直接訪れて行う。この「日常的連絡」が連携の基盤となる。 3 これらの機会を利用して、可能な限り、学校側とのインフォーマルな話し合いの場を日常的に設定する。そこでは、それぞれの立場ゆえに知りえた地域の子どもに関する情報を、交換・共有したり、おたがいの主体性を尊重した上での参考意見を交換したりする。 4 せっかく地域に教師という子どもの教育の専門家がいるのであるから、子ども会の指導者として、そこから学べることをできるだけ学ぼうとするどん欲さが必要である。 その際、子ども会の事業の実施に直接役立つ技術だけ追い求めるのでは、得るものは少ない。入船の場合でも、「校庭キャンプ」のポイントはキャンプ技術ではなく、子どもの主体性をはぐくもうとする教師の教育的観点であった。このような教育的神髄を汲みとろうとする「学ぶ態度」が求められる。 5 さらに、子ども会としては、学校を地域の教育施設・機能として位置づけ、その両面からの活用を図るよう努めるべきである。たとえば、子ども会行事を校庭で開催させてもらうことなどがそうである。しかし、その場合、学校との日常的な信頼関係が大切である。これがあってこそ、学校の活用は子ども会と学校との関係をさらに発展させるものになるのである。  学校は子ども会に対して地域の教育機能としての信頼を寄せ、子ども会は学校に対してその公的教育機能に信頼を寄せるという、相互の「良い関係」をもっているところは、残念ながらまだまだ少ないようである。  双方が「みくびりあって」いては、何も学べない。ごく日常的な人間関係としてのつきあいを大切にしながらも、さらにそれを意識的に発展させ、それぞれのみずからの教育実践や地域活動をつねに根底的に問いなおしてより良いものにしていこうとする主体的な「学ぶ姿勢」が必要である。それがあってこそ、子ども会と学校との学社連携は本当のものになるのである。 〔資料〕 「月刊『子ども会』を学校へ」,名古屋市中川区助光中学ブロック子ども会連絡協議会,「校庭キャンプで結ばれて」,森孝昭  (いずれも「月刊 子ども会」,全国子ども会連合会,昭和61年7月号所収) ○ 学校の教師から郷土について学んだり、郷土資料の収集・展示をしたりしている事例   −埼玉県上尾市・与野市小学校のPTA−   〜学校から地域を学び、学校に地域を「還元」する〜 1 郷土という素晴らしい教育資源を、子どもも大人も忘れている  今日、都市化現象の中でややもすると地域への愛着が失われつつある。  近郊都市においては、ベッドタウン化が進行し、子どもたちばかりでなくその父母でさえ、自分が今、住んでいる地域についてあまり知らず、関心さえないという傾向が見受けられるようになってきている。  しかし、後記資料は「子供にとっては、ここは『ふるさと』である」と強調している。子どもにとっては事実上の「ふるさと」であるその地域に対して、親やその他の大人たちがいつまでも魅力を感じられないのであれば、子どもたちも、ますます、心から「ふるさと」と思える所を持たない人間になってしまうだろう。  移り住んできた町ではあるが、それが「自分にとっての第二のふるさと」であるといつのまにか感じているような、そんな「郷土学習」が、今、大人にも求められているのではないか。  ここでは、埼玉県内の2つのベッドタウンのPTAの活動を紹介する。両者とも、子を持つ者として、わが子やよその子のすこやかな成長を願う心から、「郷土理解」のもつ大きな価値に気づき、実践した事例である。  しかも、その活動の中では、教師を講師として依頼することによって、学校の教育機能を大人にも発揮してもらったり、あるいは、大人たちが収集した郷土資料を学校の中で展示して、子どもの目を輝かせたりしている。  学社連携が地域にいかされ、その成果が学校に「還元」されているのである。 2 教師を講師とした家庭教育学級  この事例は、尾山台小学校PTAの成人教育部が中心となって実施したもので、郷土理解を内容として含む、家庭教育に関する成人の学習のケースである。  「講師は、本校児童の実態をよく把握した本校職員がその指導にあたり、親近感ただよう中での受講は楽しいひとときであるようだ。」と資料には記されている。そして、次のようにその学習内容が紹介されている。 1 郷土理解のために(講師・・・校長)  郷土の歴史講話、地域見学(バス見学を含む)など 2 「児童理解と親としてのあり方」学習のために(講師・・・教諭)  子どもを育てながら親も向上することの意義、親や教師は子どもたちにとって身近な 先輩であること、親も子も自立していかなければならない時期のあることなど 3 発育ざかりの子どもの食事と親たちの摂る食事について(講師・・・栄養職員)  給食の試食会(量や献立について知り、家庭での食事の参考とする)、大人の食物に ついて(低カロリーでおいしく食べられるお菓子の作り方)など 4 親と子の体力づくりのために(講師・・・教諭)  日常生活の中でできる無理のないストレッチ体操など 3 郷土資料の収集と学校での展示  与野市立鈴谷小学校PTAの活動事例の経緯は、資料から拾うと次のとおりである。  58年秋、開校以来行われてきたバザーを中心とした「すずや祭」に、文化的なものを折り込もうということになり、「昔の鈴谷の暮らし展」を開催。地区内から借用した農具や民具、写真等を展示して好評を博する。社会科の授業で子どもたちにも見てもらう。  その時、市の資料室からも民具などを借り、資料室長に名称などを教わる。その後、当室長には「与野の歴史」というテーマで講演も依頼する。  このようにして、「地域の中から古い物を集めて、本校独自のふるさと室を作ったら」という声があがり、教師や父母の気運が盛り上がる。そのねらいとして、資料には「子どもたちに昔の人の労苦をしのばせ、郷土愛の心を育てたい」、「郷土学習(3・4年生)の資料センターとしての役割が果たせればよい」の二つが紹介されており、「多少の困難もいとわない協力体制を定着させ、教師と父母の間に信頼感を生み出していった。」と書かれている。  59年2月、郷土学習室の先進校を見学。PTAだよりで報告、今後の協力をよびかける。  学校とPTAによる準備会を重ね、59年6月には次のことを決定  1 作業と並行して学習をすすめるために家庭教育学級をいかす  2 ふるさと室の中味については学習内容にあう計画を中心に教師(社会科研究グルー  プ)が考える  3 費用はPTA特別会計(廃品回収・バザーの収益)をあてる  4 作業はPTA実行委員会(役員、専門部正副部長、学年委員長)と文化厚生部が中  心となってあたる  59年秋以来、地区内には文書を配って協力の依頼を行っていたが、60年に入って本格的な収集作業を開始。資料には、そのようすが次のように描かれている。  「古い倉や納屋が残っている家や旧家と思われる家をかたっぱしから当たってみると『学校で役立つ物なんかありませんよ』といわれたが『どんな物でも結構です』と中を見せてもらうと、貴重な物が出てくることが多かった。」、「すっかりほこりにまみれ顔も髪もまっ黒になるほどであった。トラック・乗用車・自転車と使いわけ、運んだ物を水洗いするなど皆でよく働いたが、そのうち地域の方が持ち込んでくれたり、道具の組立てに来てくれたり、『取りに来るように』との知らせが続いたり、温かい協力をいただいて予想外の成果をおさめることができた。」  このようにして、所有者さえその価値に気づいていなかった郷土資料が、初めて掘り起こされ、それが「教育資源」として地域に対する親たちの関心をよびさまし、また、地域もそうした親たちの「変容」に感化されていくのである。  60年10月、これらの収集資料を二つの空き教室に展示して、「ふるさと鈴谷学習室」として開室。自治会長から子どもたちに、昔の鈴谷のようすや子どもの頃の思い出を話していただく。  同11月、開室記念のつどいを開催。地域の古老や資料を提供してくれた人々の参加のもと、なごやかに行われる。市長も参加した。資料には「『学習室のある学校に通えることを誇りにしたい』と読みあげた児童の作文に涙ぐむほど、母親たちの完成のよろこびは大きかった。」とある。 4 2つの事例から学ぶべきこと  PTAと学校との連携に関して、以上の2つの事例から学ぶべきこととして、次のようにまとめることができるであろう。 1 学校の教師は、日常的に子どもたちの教育に携わっており、子どもの実態をよく把握している。その教師を講師にお願いすることにより、親が地域学習を子どものすこやかな成長と関連づけて主体的にとらえることができる。 2 学校の教育機能は教師だけにあるのではない。尾山台小学校PTAが栄養職員のお話を聞いたように、学校の教育機能をはば広く発揮してもらう努力が必要である。 3 鈴谷小学校PTAの親たちは、鈴谷の地域の人々と実際に接する中で、学んだ。地域の人々も、そのPTAの活動を見て、自分の地域にあらためて気づくことができた。 このように、学社連携は、たとえば学校とPTAだけの閉鎖的な活動ではなく、地域に根ざす活動として機能することによって、よりいきいきとしたものになる。  鈴谷小学校PTAの信条は「○わが子が良くなるように ○学校の子が良くなるように○自分自身が高まるように」であるという。この「よその子」の幸せまで考えようとする姿勢こそが、地域の教育力形成にとっても一つのポイントになるであろう。  そして、郷土資料はもう一方の地域の教育力として、そのような親たちに「多少の困難もいとわない」意欲と「児童の作文に涙ぐむ」感激を与えてくれたのである。 〔資料〕「広がる学社連携の輪 −さいたま学社連携事例集−」,埼玉県教育委員会,      昭和61年3月