青山凾納戸の情報引出し550  −コミュニケーションの情報を求める若者たち−  青山凾納戸は、若者の街原宿から、しゃれたブティックの建ち並ぶ表参道を登った所の地下にある。「凾」とは箱のことであり、「納戸」とは屋内の物置の意味である。  誰かに何かプレゼントをする時、DCブランドの包み紙であっても、それをそのまま差し出すのは、若者にとって「かっこの悪いこと」である。マスプロによる「既成のもの」は、もっときらう。  ギフトをさりげなく、しかし実は洗練されつくしたデザインの箱に入れ直してプレゼントすることが、おしゃれなのである。青山凾納戸は、そういうギフティングボックスという「箱」がいっぱい納められている地下の「物置」である。 「情報引出し」はコミュニケーション型のアンテナショップ  店内奥に「情報引出し550」がある。B5版程度で高さ4pほどの小さな引出しが、四百個ほど、ずらりと並んでいる。  個人が描いたイラストや、創作小説、音楽などや、新しい商品のPRやアンケートも入れられる「プレゼンテーション」(提示・説明活動の意)の引出しが一カ月五五〇円、手作りのアクセサリーなどを入れて店に売ってもらうことのできる「ボックスショップ」の引出しが一カ月一一〇〇円で借りられる。危険物、薬物、風俗営業などに関するものでなければ、何でも置くことができる。  店長の佐藤さんの感触では、契約者のほとんどはアマチュアで、その構成は「プレゼンテーション」が男女半々で、二十歳から三十歳台が全体の6割、「ボックスショップ」は女性が7割で、年齢層は二十歳から三十歳台が7割強を占めるという。概して、若い人たちに使われているといえるだろう。  店のチラシには「アンテナショップは個人にとっても持ちたいもの、大企業だけのものではありません」とある。  アンテナショップとは、流行を探ったり、販売に関する実験をしたりするために、メーカーなどが直営方式で展開する店舗のことである。そのチャンスを個人にも提供しようというのだ。実際、自分の描いたイラストを入れて売ったり、自分たちのバンドの音楽をテープに入れて宣伝する引出しなども数多くある。  しかし、それだけではない。自分の近況報告を書いたノートを入れたものや、「お友達になりませんか」というものもある。また、前者のイラストや音楽の引出しには、「あなたの絵が好きです」とか、「とにもかくにもがんばってくださいね」などというメッセージが他の人から投げ込まれていた。どちらも相互の「通信」が行われているのである。  「通信」は、交換日記のようにしてノートに蓄積される場合もあるし、それぞれが紙切れに書き込む場合もある。そして、そのほとんどが、お互いの顔を知らない者どうしの交流である。  ちなみに、青年たちがパソコン通信に集まる現象を「ダイレクトなコミュニケーションが苦手」なことの裏返しとも見ることができるが、「情報引出し550」は、その延長であると同時に、場に限定されはするが、ものや書いた言葉がそのままやりとりされる、原始的だが若干ダイレクトなコミュニケーションであるととらえられる。  そして、佐藤さんによれば、引出しに入っている「もの」は、利用者にとっては、じつは「もの」としてではなく、情報として重宝されている。すなわち、その「もの」を作り出した人のセンスや知恵を他の人々が「買う」のである。つけくわえれば、それはおもにそれを作った「個人」に「共感」するハイタッチなコミュニケーション型の情報である。  アンテナショップとは、このような情報を誘引する店舗といえよう。若者たちは自己の求めるハイタッチと合致すれば、その店が商業ベースであろうがなかろうが、そこに集まって情報を発信する。 情報のネットワークづくりに役立つ  じつは、「青山凾納戸」の店自体がアンテナショップである。昭和六一年、菓子業界の総合商社である椛q田が、企業生き残り戦略の一環としてここに「ON THE TABLE」という店を出した。佐藤さんは椛q田の社員としてその店の企画の時から一貫して関わっている。  そこでの「情報引出し550」が、テレビ等の取材を多数受け、同じ名称の他の店に迷惑をかけるほどになったので、平成元年1月に現在の店名に変えたのである。「凾納戸」とはなじみのない言葉であるが、まわりにも店名を漢字で書くトレンディーな店が多く、その街の雰囲気に合わせて名前をつけたという。  青山凾納戸は、それ自体が直接、新業態への拡大(脱菓子業界)であるとともに、会社全体の営業内容(菓子の包装、原材料の供給など)を改革、拡大するための企画へのフィードバックの二つの役割を期待されている。  佐藤さんは「メーカーなどの内部にいるだけでは、消費ニーズを肌で感じることができない」と考えている。それに対して青山凾納戸には、ナマの情報やコミュニケーションが渦を巻いている。佐藤さんは、そこで得られた情報や動向を「加工」して、本社の企画に還元しているのである。ここでいう「加工」とは、ただ単に「何があった」という情報をそのまま返すのではなく、「これからどうなるであろう」といったことや疑問点などを問題提起することである。  その情報のネットワークを生み出すために、「情報引出し550」は大いに役立っているという。まず、「情報引出し」の契約者や利用者と店がつながることができる。アウトドアレジャーやコマーシャルベースのサークルも、ここからできたそうである。  第二に、他の商品を買い求めにきた客とつながることができる。今回の取材中にも、ラッピング(包装)を頼みに来た若い女性連れが、ついでに「情報引出し」をのぞいて、何か書き込んでいた。購買とコミュニケーションが、相互に影響しあうのである。  第三に、店が取材などにきた人とつながることができる。ギフティングボックスやラッピング(包装)だけ扱っていたら、そういう関係者しか来ないだろう。「情報引出し」があるから、マスコミ関係者の他、他業種の企業などの人が取材に来るという。「たとえば、西村さんのような人とは、この『情報引出し』がなかったら出会えなかったでしょう」と佐藤さんは言ってくれたが、その積極的な発想に私は驚いてしまった。  佐藤さんは、積極的に「むだなスペース」を作ってこそ、店が人とコミュニケーションできると考えているのである。 今後予想されるアウトドアへのニーズ  このような営みの中から、佐藤さんはたとえば次のような近未来のニーズを感じとっている。それは、「アウトドアレジャー」である。現在、すでに流通業界などが注目しているところである。デパートなどでも売場の重点が「アウトドア」に移されるだろう。それにしたがって、デザインやマーケティングのコンセプトも「動いていく」ということがテーマになるのではないか。日本の「旅行着」はまだまだ貧しいが、早晩、入れ物や服装にこるようになるだろう。  その方向でパッケージを考えれば、取手のついたキャリースタイルの持ち歩きに便利なものということになる。青山凾納戸では、実際にそれを商品開発しており、好評のようである。さらに、他の参入可能なアウトドアレジャーも探っているとのことである。  この佐藤さんの見通しには、もう一つにはKAKIとの出会いが強く影響している。雑誌で富山県立山にある家具の工房、KAKIのことを知り、そのスタッフを訪ねて行って、惚れ込んで帰ってきた。佐藤さんたちは、さっそくKAKIのテーブルやチェストを店内に持ち込み、さわって買える代理店を開始している。その後、KAKIのスタッフとは、遊びに行ってスキーをいっしょにするなど、ずっと友達づきあいをしているという。  KAKIは、東京にも生活の場をもちながら、大自然の中で楽しくタフに家具づくりを楽しんでいる若手のプロの集団である。自然木を何年も寝かして自然乾燥させ、もちろん、美しい自然の木肌を化学樹脂でおおってしまうことなどしないで、何世代にもわたって愛用できる家具をつくる。佐藤さんは、彼らのライフスタイルを「これからは、どういう生活が良いのか」を示唆していると考えている。  店内のKAKIの大テーブルは、小さなイベントスペースでもある。イベントといっても、集会行事ではなく、「時代のサムシングニューを求めて」ギフトに関する商品展示・提案を行うのである。そこで、商品開発、試作、反応や情報の収集が繰り返し行われる。  たとえば、バラ一輪を茎までまるごと入れるための一メートル以上の細長いパッケージ、「ワンステムローズカートン」は、ここから生まれ好評を博している。「バラ一輪」は欧米のプロポーズの時の贈り物であるが、日本の若者にもそのニーズが潜在的にあったのである(ただし、日常的に贈り物をするような今のブームは、日本だけの現象とのこと)。  今後は、漠然とした「異業種間交流パーティー」だけではなく、具体的テーマで異業種が集まる「名刺交換会」の開催も考えている。そして、「お金と場所のないお客さん」と共同で商品開発するプロジェクトを持ち、それを展示のイベントとむすびつけていきたいともくろんでいる。 成熟化したニーズに対応するために  「情報引出し550」を見ていて、佐藤さんはこう考える。若い家庭の主婦も会社員も、主婦業やサラリーマン業の他に、もう一つの何かをやろうとしている。二つめの座標軸を持とうとしているというのだ。  しかし、彼らはハングリーにはやりたくない。あくまでも、マイペースで楽しもうとする。これを「根性がない」と批判することはできる。しかし、その若者が次の文化を担う。しろうとのライト感覚(カルさ)のパワーをないがしろにできないという。  もちろん、だからといって、佐藤さんが今の若者の風潮を手放しで喜んでいるわけではない。若者にとっては「自分の」気持ちが大切であって、それを表現するためには包装が中味より高くかかってもかまわない。どうせ中味は、豊かな時代の中で豊かに平均化されてしまっているから。  しかし、これでは少し「うわついている」というべきではないか。外国では、プレゼントの包装紙はとっておいて、何回も使う。今後、日本の包装ブームがこれ以上進むと、そのパルプを作るために一日に何千本もの木を切り倒すことになる。若者がそのことまで気にしてくれるようにならないか。佐藤さんは、真剣にそう願っている。また、「情報引出し」についても、若い人がもっと夢やビジョンまで楽しく語るものにしたいという。  成熟化したニーズに、どう働きかけ、どう方向づけていくかということは、佐藤さんのライフワークであるとともに、社会教育行政の課題でもある。その時、凾納戸のような民間のサービスのセンスに学べる点は大いにあろう。  しかし、その前に、まだ三十歳代の佐藤さんが情報を得てニーズをとらえるために会社から持たされた、あるいは会社に「主張」して持ったのかもしれないフリーハンド(自由裁量)に匹敵するものが、私たちにも必要になる。それは、たとえば人とおしゃべりをしたり、次から次へと開発のための実験をする裁量と資質・能力である。  佐藤さんは、椛q田の正社員なのに、ラフでおしゃれな服装で、いつも誰かと気楽におしゃべりをしてすごしている。一見、遊んでいるようにも見える。しかし、じつは情報に対して強力なアンテナを張っているのだ。  私たちが(勤務の内外に関わらず)「その職責を遂行するために、絶えず研究と修業に努めなければならない」(教育公務員特例法一九条)とされていることは、今日ではそういう意味としてとらえるべきなのだろう。  (国立教育会館社会教育研修所専門職員)