団体・グループの仲間づくりの演出            国立教育会館社会教育研修所 西村美東士 1 あったかいディスコ  今から十年ほど前、私が青年の家の職員だった時、ディスコダンスを取り入れて「ダンスフェスティバル」をやっていました。そのころ、まちではディスコが熱っぽくはやっていましたが、社会教育の場でそんなことをしたのはこれが初めだったと思います。  地域のレクリエーション研究会や青年の家のボランティアグループのメンバーなどで実行委員会を結成して準備や運営に取り組みました。新しいディスコのステップを実行委員が友達やディスコなどから仕入れてきて、実行委員会の例会で教え合ったりしました。「フェスティバル」の本番ではディスコの店長を招いて教えてもらったこともあります。  当時は「バスストップ」などのステップダンスの全盛時代でした。これは、バスの停留所に並ぶような形でみんなでステップを合わせる踊り方です。今から思えば、「いにしえの」ディスコということになりますが、アップテンポのリズムで初めての人でもみんなとステップを合わせて簡単に「のる」ことのできる「古き良きディスコ」は、技術を要する今のフリーダンスよりみんなで取り組みやすいダンスでした。青年の家の「フェスティバル」では、生まれて初めてディスコをやるという人と、毎週ディスコに通いつめている人とがいっしょになってステップを踏みました。  参加者は次のように感想を書いてくれています。「踊りが大好きな人たちがホントに踊りを楽しむ場所。ディスコは体育館みたいなもんです」、「青年の家でやるディスコは、わからない時、きがるに教えてもらったりできるから楽しい」・・・。  ディスコで汗をかくと、身も心もすっきりします。これはお店のディスコも同じです。しかし、お店のディスコでは青年は意外にひとりぼっちです。ステップがわからずにフロアーで立っている人を、じょうずな者が教えるなどといったことはありません。  それに対して、青年の家ではもっと「あったかい」ディスコができたと自負しています。  なかでも、もっとも印象に残っているのは、ディスコボーイのA君がステップ指導をしてくれたことです。「ステップを一歩一歩教えるなんてかっこ悪いことはしない。カッコ良く踊ってみせるのが生きがい。」というのが、普通のディスコボーイのやり方です。A君もそうでした。  彼は最初は単なる参加者でした。しかし、A君のステップのかっこよさにしびれた実行委員は、さっそく彼を実行委員会に引きずり込んでしまいました。彼は次第に実行委員会にのめりこんでいきました。そして、三年目の「フェスティバル」では、難しいステップの曲がかかった時に、スッと前に出てきてマイクを握り100人以上の参加者の眼前で一歩一歩ステップを説明してくれたのです。 2 いっしょにつくりあげるから「あったかい」  ここで、もう少し「参加者」の感想を拾ってみましょう。 「いろんな人と知り合えた。」 「汗を流し、おおいに笑えた。」 「心からバカになって、ほんとうの自分が出せた。」 「先日のミニフェスティバルに参加をした人達と再び会えたことが、そして、覚えていてくれたことが思いがけなくうれしかった。」 「若者達が一つになって何かをするということは、たいへんすばらしいことだと思う。」 「実行委員の人が一生懸命やってくださっているのがよくわかり、感激した。」・・・みんな、「言うことない」、「満足です」という感じです。このように、参加者は「あったかさ」、「仲間の良さ」を味わうことができました。  ところが、実行委員は、「めだちたい、楽しみたい気持ちとの葛藤がありました。」などと感想を書いています。準備を重ねて、やっと迎えたフェスティバル本番では、照明係やレコード係をやっていて肝心の踊りを楽しむことができなかったし、食事や宿泊の心配などをしたりで地味な努力も多かったのです。  しかし、それだけに「あったかさ」、「仲間の良さ」への感動も大きなものがありました。ある実行委員は、ひとこと、「ひと・ものとのめぐりあい」と感想を書いてくれています。  自分たちで企画して、自分たちでつくりあげていくのです。企画を実際に実現しようとすると、ささいなことから大きなことまで、さまざまなものごとやできごとと出会います。たとえば、ディスコクィーン、ディスコキング(コンテスト優賞者)への「投げテープ」の代わりにトイレットペーパーを使おうと企画して、職員(私)に「もったいない」といって止められたことがあります。  ものごととの出会いの中で、意見の違いも出てきました。仲間のいい性格も表れれば、あまり良くない性格も表れてしまいます。けれども、そこに本当の「ひととのめぐりあい」があります。「よそごと」「ひとごと」でない「逃げ」のない人間関係、これが本当の「あったかさ」でしょう。  何かをいっしょにつくりあげるからこそ、ひととの本当の出会いがある。だから「いっしょにつくりあげること」は仲間づくりの最大の秘訣です。いっしょにお酒を飲むのだって、いっしょに汗した仲間だから楽しいのです。ディスコボーイのA君がステップ指導をする気になったのも、ただ単に参加者として楽しんだからではなく、実行委員としてみんなとやってきたからなのです。  何かいっしょにつくりあげようとするものをもつこと、そして、その「何か」をみんながつねに頭の中にはっきり描いていること、つまり「明確化」していること、これこそが究極の仲間づくりの演出のねらいなのです。これから述べるさまざまな「演出」も、すべてそのためにあると言っても言いすぎではないでしょう。 3 みんながしゃべる会議  まず、会議のもち方をもうひと工夫できないでしょうか。アイデアを出すための会議であれば、この本ですでに出てきた「発想法」が役立つでしょう。そこには、メンバー一人ひとりの主体的なアイデアを活かす技術がたくさん盛り込まれています。  そして、グループとしての意思決定の会議においても、意見を言えずに「誰かが決める」のを待っている人に対して、安心して気楽にしゃべれるようにするための配慮が必要です。  そのためにひとつには、みんなの顔が見えるように座ることが必要です。むこうを向いている人にしゃべるのは、誰でも気がひけます。したがって、円形に座ることなどが考えられます。  ただし、何がなんでもいつも真正面に向き合うのが良いということではありません。まだメンバーになっていない人が、発言のためでなく会議の「様子を見る」ために参加する時は、かえってややはずれた所に座ってもらうほうが気が楽でしょう。会議ではなく、講義を聴くような時は、教室形式の方が良い場合もあります。  カウンセリングでは、相談する人と相談を受ける人とは、ややはすに向かって座ることが多いのです。あんまり真正面だと「息がつまる」感じになってしまうからでしょう。そんな細かい配慮も必要です。  二つめには、発言のない人に「どうでしょうか。」と質問する、つまり水を差し向けることが必要です。まだグループになじんでいないメンバーは、「こんなことを言っていいのだろうか。」という不安がつねにつきまとっているはずです。「質問する」ということは、その不安に対して「あなたの意見も聞きたいのですよ。」というグループの気持ちを表明することであり、そのメンバーにとってみれば「自分の存在が認められている」ことの確認にもなるものなのです。  ただし、これも「さあ、言え、何か言え。」とか「時間がもったいないけどしかたないから」などという態度では、逆効果です。そのメンバーは「おしつけがましいなあ。」、「形式的だなあ。」と感じていやになってしまうでしょう。  読者の皆さんはそんな質問の仕方はしないと思います。しかし、無意識のうちに、あるいは「演出技術の未熟」のゆえに、それに近いことをしてしまうことはけっこう多いようです。  たとえば、新人にいきなり「今度のイベントに数人の高校生が参加したいと言ってきているのですが、あなたはどう思いますか。」と質問してしまう。実は、その前の例会で、「夜の反省会でお酒を飲む予定だから、まずいのではないか。」などの論議があって、他のメンバーは「どうすればいいか。」とおおいに悩んでいる。そういう悩みや気持ちを表さずに、つまり自分たちの方の心は開かずに、新人の意見だけ聞いておこうとするならば、それは「形式的」質問であり、あとでその経緯を知った新人にとっては「詐欺にあった」ような気分にもなりかねません。  それに対して、こちら側の心を開いた質問は、相手を安心させ、仲間意識を高めてくれます。経緯や悩みまで話して質問すれば、新人も「そんなに悩むぐらいなら、今回は思い切ってアルコール抜きの反省会にしたらどうですか。」などという、みんなが考えもしなかった(?)フレッシュマンらしい強烈な意見を出してくれるかもしれません。 4 みんなでメシ・フロ・ネル  中堅でバリバリ働いているサラリーマンが、夜遅く帰宅する。その時、彼が奥さんに発する言葉が三つ。「メシ」「フロ」「ネル」・・・。これでは、さびしい限りですね。夫婦や家族の会話はもっと豊かでありたいものです。仲間づくりを大切にするグループにおいても、その思いは当然、同じです。  ところが、この「メシ」「フロ」「ネル」自体は、正直に言って誰でもとっても気持ちよくうれしいひとときのはずです。ホカホカあったかくて、湯気のあがっているごはんを食べるとき、お風呂で「あーあっ」と体を伸ばすとき、ふかふかしたふとんにもぐりこむとき、誰でも幸せを感じてしまいます。  この楽しいひとときを仲間のみんなで「共有」しないという手はありません。そういう楽しい時というのは、誰でもリラックスしてしみじみと語り合えるわけです。  「チカメシさん」という流行語をご存知ですか。「近いうちにメシでも」と誘うだけの上司のことです。しかし、実際、上司・部下の間だけでなく、サラリーマンの社会では「メシ」は広くコミュニケーションのための演出手段として最大限に有効活用されています。それは、グループの仲間づくりにとっても、大きな効果を発揮してくれるでしょう。  そして、「メシ」も「フロ」も「ネル」も、生活の臭いの強いことがらです。これを仲間といっしょにすることは、「生活をともにしている」という暖かい実感をもつことにつながります。  さて、これらのメシ・フロ・ネルをいっぺんに行えるのが、「合宿」です。経験した人はおわかりかと思いますが、合宿の威力は大変なものです。肩肘張った例会ばかりだったとしても、ある時に合宿をやると、次の例会では「やあ」、「よう」、「あれからどうしてた?」などの親しげな言葉がけのやりとりになるということは、よく経験することです。「生活をともにする」ということが、何かをみんなに与えてくれるのです。  たとえば、合宿で夜寝るとき、和室であればふとんを放射線状に敷き直します。うつぶせになって、頬づえをついてみんなでぐるりと向い合います。こういう「寄り合い」だと、なぜかもう誰でも初めっからなごやかにニコニコしてしまいます。  なお、「メシ」はともかく、「フロ」と「ネル」は異性のいる場合、残念ながら限界があります。けれども、たとえば男風呂と女風呂の塀越しで言葉のやりとりをする、就寝時の「寄り合い」には浴衣やネグリジェなどではなく、せめてジャージで参加することに決めるなどの「工夫」をするだけでも、ほのぼのとしてけっこう楽しくやっていけるものです。  ですから、グループで仲間づくりを目指すのなら、その「合宿」ではメシ・フロ・ネルの時間を大切にして、ゆとりあるプログラムにする必要があります。大切な夜の時間まで「研修」のプログラムをびっしり詰め込んでしまったとしたら、外側からは「効率的に事が運ばれた。」と見えるかもしれませんが、実は本来だったらその合宿でメンバーの内側に計り知れない相互作用が行われたはずのものが、ないままに過ぎてしまうということになってしまいます。  仲間づくりとは、このような「生活の共有」の中で、つまりプログラムしきれない所で、メンバーの一人ひとりがみずから自然に行うものであるという要素がとても強いのです。 5 みんなが自然にできる仲間づくりの演出  10数年前までは「青年のつどい」などと銘打っただけで、青年がたくさん集まってくれるという状況がありました。ストレートに仲間を求めていたから、「青年のつどい」などという、まさに「仲間づくり」そのものを示すネーミングでも良かったわけです。  しかし、このテーマでは、今の青年は「わざとらしくていやだ。」と思うでしょう。今日「つどい」を行うのなら、「○○が身につく」、「○○について考える」などのような具体的な「つどい」の目的がはっきりわかるテーマにしなくてはなりません。  グループにおいても、「何かいっしょにつくりあげようとするもの」があるからこそグループをつくって活動するのだし、その活動があるからこそ「自然に」、「メンバー自身の手で」仲間づくりが進むものなのです。  ですから、仲間づくりの演出で肝要なことは、「何かをいっしょにつくりあげる」活動の中に、メンバーの手によって「自然に」仲間づくりが行われるような時と場所を設定することなのです。  グループで合宿をしたり、自由におしゃべりをするための「たまり場」を設けたりするのも、そのような「プログラムしきれない仲間づくり」の環境を整えるためのだいじな演出方法なのです。