学習圏構想によって生み出されるアダチ・アイデンティティ  −東京都足立区の生涯学習推進構想− さまざまな生涯学習を行う区民  平成元年11月26日の日曜日、足立区文化会館で「生涯学習区民の集い」が開かれた。  少年団体連合協議会の佐野静江さんは、壇上、「ここに集った皆さんと同じ立場で活動している者の一人として話したい」と前置きした上で、「皆さんは、いつが一番幸せな時期だっただろうか。私はダンプカーに自転車ごとはさまれて、大病をし、やっとの思いで生き延びることができた時、せっかく生きながらえたのだから、いい生き方をしようと思った。今では、子ども会で、田植や稲刈り、絵や書道の品評会、アドベンチャーキャンプなどのお世話をしている」と述べた。  そういう活動の中で、佐野さん自身がいろいろなことを学んできた。たとえば「今の子どもは感動しないなんて言う人がいるが、とんでもないということを知った。アドベンチャーキャンプの最終日、役所の前で行った解散式は、涙、涙の連続だった」。  体育指導委員会の吉岡信太郎さんは、誰でも気軽に楽しめるビーチバレーボールを普及する活動の中で、「初めは乗り気でなかった」人でも、その95%がアンケートに「楽しかった」と答え、「こんなに大きな声を出したことは、しばらくなかった」「自分がこんなに動けるとは思わなかった」という反応があると述べた。そして、家にしがみついてなかなか外に出て行かない「濡れ落葉のような」中年男性にも、今後は少しづつ生涯スポーツを呼びかけていきたいとした。  婦人団体連合会の清水とよ子さんは、婦人学級や生活学校で学習を続け、食品や衣服など、身近な生活の問題の解決に取り組んできた。そして、その中での「ふれあい」「仲間づくり」をとてもだいじにしているという。清水さんは「生涯学習とは、ただ学習するだけではなく、活動もすること」としめくくった。 区民の一人ひとりに受け入れられつつある生涯学習  この日、自分たちの生涯学習の実践を発表した三人が活動している団体は、いずれも「足立区生涯学習推進協議会」の構成団体である。「協議会」はこのような区内の団体の代表を多数含めた55人の委員から構成され、生涯学習に関するさまざまな願いを取り込みながら、提言などを行ってきた。  しかし、このような生涯学習の活動が、最初から広く区民に理解されていたわけではない。足立区が「生涯学習のすすめ」というビデオの撮影を昭和62年に開始したころ、「生涯学習という言葉を知っていますか」というインタビューに、ほとんどの区民が「知らない」と答えている。  また、一方で、昭和58年頃に行った区民へのアンケートでは、「あなたは、どこに住んでいますかと聞かれたら、どう答えますか」という質問に対し、多くの区民が「足立区」ではなく「東京都」と答えるという回答をしており、区の行政担当者にショックを与えていた。  このような状況の中で、庁内の企画、地域振興、福祉、衛生、そして教育委員会などの関係セクションの係長レベルの人たちを中心にプロジェクトチームがつくられ、生涯学習推進のための実質的な協議が続けられた。  最初は、チームメンバーの中には、「生涯学習は教育委員会の仕事」ととらえる人もいたようである。しかし、納得いくまで、メンバーで勉強しあった。合宿もした。事務局を担当した一人の米山義幸さん(現在、生涯教育部学習推進係長)は、「日頃の仕事が違うからこそ、今でも当時のメンバーといっしょにお酒を飲むととても楽しい」という。  このチームによる足立区生涯学習推進構想「学びあうまち足立の創造のために」の報告(昭和62年6月)の後、「生涯学習の推進」は、行政セクションの違いを乗り越え、「総合行政」の中で重視されるようになってきた。「生涯学習の推進」は文化行政のキイ・コンセプト(中心概念)であり、「A・I(アダチ・アイデンティ)=足立らしさ」の創出の最高の手段であるという報告の提言は、今日では区政全体に受け入れられつつある。  そして、生涯学習についてのわかりやすいビデオやグラフ誌の発行などもあいまって、区民の間にも「なんだ、私たちのやりたいことが、生涯学習だったんだ」というような声があがり、生涯学習への親しみの気持ちが根づいてきている。今では、住区センターの管理運営委員会の自主企画で、「生涯学習について2時間ぐらい話しに来て」などという嬉しいリクエストが区の担当者に舞い込むという。 日常の学習圏とより広い学習圏の施設配置  区内の住区センターの一つ、五反野コミュニティセンターを訪ねた。ロビーでは、子どもが宿題をしたり、主婦が数人で昼食をとったりしている。住区センターは小学校区に一つぐらいの割合で配置されているから、そんな身近な使い方ができるのだろう。  その他、1階は主に老人館で、そのホールでは、「バンパー」というビリヤードのようなゲームを、かなりお年を召した方々がやっていた。その仕草がかなりしゃれているのである。風呂もある。2階は児童館である。広場、図書室、工作室などで子どもが自由に遊べる。  現在38館ある住区センター(最終56館を予定)は、すべて地域振興課の管轄だが、その運営は地域の住民の代表による管理運営委員会にいっさい任されている。この管理運営委員会が、講座などの事業も実施している。もちろん、区の生涯学習推進協議会にも、各センターの運営委員長の中から代表を派遣している。このように、住区センターは区民の一番身近な生涯学習サービスを受け持ち、名実ともに「住区学習圏」の核になっている。  次に、より広範な学習圏の施設の一つであるLソフィアを訪ねた。Lソフィアは、区内の主要な駅の一つである梅島駅から、徒歩2分の所にある。4階建てで白いタイル貼りの明るい感じの建物である。玄関ホールは2階まで吹抜けで、開放感にあふれている。婦人総合センターを有しているのがここの特徴であるが、その他、梅田センター、消費者センター、区民事務所との複合施設になっている。  梅田センターのようなブロックセンターは、区内に12館ある(最終13館を予定)。それぞれ、社会教育館、体育館、地域図書館を併設しており、「住区」と「全区」の間の圏域の施設として生涯学習の中核的な役割が期待されている。  このように、足立区は区民の生涯学習にとって重要な拠点にきちんと施設を配置してきた。そのためには財政面や用地取得の上から、先見性と大きな勇気が必要だっただろう。しかし、それが足立の生涯学習の基盤を整備し、ひいては、足立区民が胸を張って「私は足立区に住んでいます」と言えるようなアダチ・アイデンティティを形成するきっかけとなっているのである。 下町の良さを引き継ぎつつ次代をになうために  緑豊かな東渕江庭園の中に、ひと際目立つ、昔の蔵を思わせる白い建物がある。足立区立郷土博物館である。玄関を入ると、2階まで吹抜けの天井に届くかとさえ思われる山車(だし)が展示されている。このような山車は、下町でももはや貴重なものとなりつつある。  この博物館の展示物の一つに「荒川放水路工事復元ジオラマ」がある。荒川はその名のとおりの「あばれ川」で、大開削工事のすえ、昭和5年に荒川放水路が完成した。これによって、江東デルタ地帯は水害から守られるようになったが、足立は放水路によって二つの地域に分断され、人的、経済的にも大きな試練を受けた。ジオラマの農村風景は一見のどかそうだが、そこには目に見えぬ苦労が秘められていることを感じさせる。  山車に象徴されるような下町の良さや人情を継承しながら、次代に向けて下町ゆえの不利を克服していく・・・、区民一人ひとりの生涯学習によるアダチ・アイデンティティの創出は、そういう努力の一環なのである。