学習情報システムはやりたくないが、学習相談はやってみたい、という傾向  町村のベテランの社会教育主事などの中には、いまだに学習情報のシステム化に対して消極的な人もいる。エリア内の当面必要になりそうな学習情報については自分たちはおおよそ掌握していると思いこんでいるため、その学習情報をわざわざ手間をかけてシステム化したり、わが町を超えた範囲の広域の情報をネットワーク化したりすることについては必要性を実感できず、むしろ「余計な仕事」としてとらえがちなのである。  たしかに、学習情報の収集・整理は、地味だが気の遠くなるほど根気のいる作業である。せっかく集めた情報も、必ずすべてが使われるとは限らない。何らかの事情で個人的にはあまり勧める気がしない学習機会などであっても、よっぽどの事情がない限り公平に情報提供しなければならない。情報提供した時は、それなりに住民に喜ばれるだろう。しかし、それによってたとえばその住民がある学習機会の情報を得て参加し、すばらしい成長を得たとしても、その成果を「見届ける」ことができるとは限らない・・・。学習情報システムの構築に消極的になってしまう理由は、あげだしたらきりがないほど、たくさんある。人間交流や社会教育の味を知っているベテランの職員ほどその傾向が強い。  これに比べて、学習相談は、ベテラン職員の頭の中にある地域の豊かな学習情報を有効に発揮することができる。しかも、その情報のデータバンクは、生涯学習への従来の地道な援助活動の中で自分の頭と心の中に自然に構築されたものである。相談に応じて発する自分の一言ひとことが、住民にとって有益な情報になるだろうと思える。相談が日常的、かつ、継続的に行われるならば、その住民と全人的につきあっていくことができるだろうし、学習の成果もきっと分かちあうことができよう・・・。学習情報のシステム化には消極的であっても、学習相談については、「やりましょう」、とか、「そういうことなら、すでに、日常的にやっていますよ」という答えが返ってくることが多いのは、そういう理由からであろう。  しかし、現代社会において生涯学習の援助者に求められていることは、そういう従来からの相談における指導力とは、性格が異なっている。社会教育が築き上げた遺産のうちには継承すべき点も多々あるのだが、援助者と学習者との関係がよりいっそう水平なネットワークに近づくような、新しい努力が必要なのである。学習相談についても、そういう新しい視点でとらえなおさなければならない。  学習情報提供については、すでに本シリーズの6で述べたので、ここでは、学習相談のあり方について述べる。その基本は、個人に適した手段(集合学習を含む)を学習者自身が自ら選んで、やりたい学習を行えるよう援助することである。そのためには、「自分が何をどのように学習したいのか」、すなわち「自分」、に学習者が気づくための対応と、そこから求められる情報の適切な提供が必要になる。 個に対応できる相談  学習情報提供システムの整備が各地で行われるようになってきている。そういう所では、学習相談も不可分のものとして位置づけられていることが多いようである。しかし、その実態が、たんにコンピュータから情報を引き出す操作を代行しているだけであれば、それを相談とは呼ぶべきでないだろう。相談には、情報提供だけではない何かが求められる。  神奈川県では、本年五月、横浜市西区の県立図書館の中に、「神奈川県学習・文化情報センター」をオープンした。これは学習情報システムとともに学習相談を行うものであるが、そのために五人の相談員をおいている。校長を退職した人たちである。長い教職の経験が学習相談に役立つであろうし、また、相談の過程で、五人が奉職したそれぞれの地域の関係機関との連絡・調整の必要が生じた場合も、非常にスムーズだということである。  相談に応ずる専門の職員を置くということは、学習者の個々のケースに対応できるということである。たとえば、同じ英会話であっても、どのレベルのものをどのような雰囲気の所で学びたいのか、実際にはそのケースは無限に分かれていく。学習者自身にとっても、それらのニーズは整理された上で相談に来るのではない。むしろ、自分のニーズを話しているうちに、相談員に聞いてもらっているうちに、だんだんと自分の学習要求が見えてくるのである。神奈川県の生涯学習推進のモットーが「十人十色の生涯学習」ということだそうだから、ますますその成功が期待される。  もちろん、この場合にも、相談員と相談者との水平なネットワーク的関係が求められる。相談者が学習の「権威者」としての相談員にすがるような図式は、かえって非主体的な学習態度を育ててしまう。相談者の言葉を傾聴する、いっしょになって情報や資料を探すなど、相談者と対等な人間として相談者の抱える学習の「迷路」につきあう中で、相談員もともに育つことができるのである。  このように学習相談とは、人手と手間のかかるものである。順番待ちしている相談事項をコンピュータを操って能率よく処理していくことが相談ではない。そして、情報提供だけでは足らずに相談のレベルまで求める住民が列をなすことがあるとしたら、その方がむしろ異常なのであり、単純に相談件数の少なさをもって学習相談の意義を否定することはできない。 カウンセリングとしての学習相談  昨年四月、埼玉県県民活動総合センターが開館すると同時に、県民活動相談事業が開始された。ここでは、ボランティア、社会福祉、社会教育、婦人、青少年、高齢者などに関わる諸活動に関する「活動相談」や「生涯学習相談」とともに、活動上の悩みに関する相談としてカウンセリングを行っている。カウンセリングは週に1日だが、それ以外の相談は、毎日受け付けている。  専任相談員の内山鮎子さんは、カウンセリングの研鑽と実践を数十年、積み重ねてきた相談の専門家である。いつもは「活動相談」や「生涯学習相談」も受け持っている。  通常の相談は、活動に関する情報とノウハウの提供が多い。とは言っても、一般県民から続々と問い合わせがくるわけではない。実際には市町村等の関係職員などからのものが多いようである。その場合でも、自分でも簡単に調べられるようなことや、逆に、特定の講師の謝金の単価など答えようがないことなどもある。  しかし、そういう通常の相談の中にも、じつは、カウンセリングとしての相談の要素が必要になる場合があるという。たとえば、あるリーダーが、「自分は一生懸命やっているのに、なぜか自分の団体が活性化しない」という相談を持ちかけてきたとする。その人は、最初は団体活動活性化のノウハウを求めにくるのだろう。しかし、相談の中で、団体の問題を話していくうちに、リーダーとしての自分の問題に気づくことがある。「自分には、他人を支配したいという気持ちがあったのではないか」。団体活性化の問題とリーダーやメンバーの心の内面の問題とは、切り離せない複雑な関係があるのだ。相談を持ちかけた人が自分の心の内面に気づくためには、相談を受ける側が、たんなる情報提供だけではなく、受容、確認、明確化などのカウンセリング的な対応をしながら、その人の話に共感的に耳を傾けなければならない。  カウンセリングそのものの事例もある。センターでは、精神病圏のものは県内の精神保健総合センターに引き継いでいるが、神経症圏のものは自館で対応している。  たとえば、グループのリーダーやPTA会長の人から「書痙」の問題の相談を受けている。そういう人たちは、まじめでぎりぎりまで頑張ってしまう性格なので、リーダーにもなってしまう。そして、グループ内の人間関係やリーダーとしての悩み、それらと分けることのできない自分の個人的な悩みが重なって、そういう神経症状を引き起こす。メンバーの前だと、どうしても字が震えてしまうのである。  一般の人は、こういう人たちに、「気にしない、気にしない」とか「頑張ってね」とか言って、励ましたつもりになってしまうかもしれない。しかし、カウンセリングの常識からすると、その二つの言葉は、こういう場合に絶対言ってはならない傲慢な言葉だといえる。本人は気にしたくないのに気にしてしまうのだし、頑張らなくてはいけないと思い込む気持ちがこういう症状を引き起こしているからである。あるいは、頑張ろうと思っても頑張れない何かがあるかもしれない。不用意な言葉は、せっかく相談に訪れてくれた人に「ああ、やっぱり、話を聞いてもらえない」という絶望感を与えてしまう。本人が自分の本当の問題に気づくことを援助することが大切なのであって、「人の目を気にしないようにする」とか「頑張ってみる」など、その問題をどう解決するかについては、本人が決めることなのである。それについては、援助者側は、多様なチャンスやノウハウなどの情報を提供するだけでよい。  センターのカウンセリングを受けている人の中には、半年以上も前に配った案内のチラシをずっと持っていてやっと訪れてくれる人も多いという。心臓が止まるほどの苦しい思いをしているが、それは、人には言えない深い悩みなのである。生涯学習の諸活動にそういう悩みを持ちながら取り組んでいる人たちのために、カウンセリングが用意されていること自体が、相談件数などの効率上の問題以前の大切なことである。  従来の学習援助では、個人よりもマス(集団)が優先されがちであった。しかし、学習相談は、「個の深み」ともいうべき人間一人ひとりの深さに、学習援助者の目を向け直させてくれる。「個の深み」は、ときには弱く脆(もろ)いものでもあるが、個人の弱さの露呈とそれが受容される体験が、かえってその人の「深み」の獲得へとつながるのである。そのためには、教育が築き上げてきた人間の可能性への絶対的な信頼と、カウンセリングが大切にしている自己解決能力への信頼の姿勢を、援助者側があらためて持ち直さなければならない。学習相談は、「個の深み」が発揮される新しい生涯学習援助の形態を提起しているのである。 生涯学習を援助する相談事業  知恵くらべ生涯学習−生涯学習の現場から−  昭和音楽大学短期大学部助教授 西村美東士                 ニシムラ ミ ト シ  第一勧業銀行京橋支店(024)   No. 1321215 (本文のみで22字×152行=3256字)  〆切 7月末日