生涯学習時代に求められる学習相談の考え方       昭和音楽大学短期大学部助教授 西村美東士  「社会教育」92年8月号 ※ このテーマについては、近刊『現代生涯学習推進実務選書第九巻』(ぎょうせい発行)において、「特論 学習相談の意義・方法・課題」として、拙論をより詳しく述べているので参照していただければ幸いである。 1 学習相談は、従来の日常的相談でも、現在の学習情報提供でもない  いま新しく生涯学習の援助者に求められている学習相談は、従来から日常的に行われてきた相談業務とは別のものである。もちろん、社会教育が築き上げた蓄積のうちには継承すべき点も多々あるのだが、新しい学習相談は、それらの蓄積とは別の革新的なインパクトとしてとらえなければならない。  一方、最近の学習情報提供サービス重視の流れのなかで、学習相談を情報提供と実質的に同一のものであるかのように扱う傾向も見られるが、その傾向に対しては、「とにかく相談員をおいて求められた情報を提供すればよい」という消極的、無批判的、非主体的な姿勢を感じざるをえない。学習情報センターに訪ねてきたり電話をかけてきたりした人に学習情報を提供することをもって単純に学習相談とよぶならば、学習情報提供のうちでも個人に対するものは、すべて学習相談であるということになってしまう。そんな程度の認識で学習相談を行うならば、しばらくすれば、利用効率が悪いなどの理由から、せっかくの相談員の人員も財政当局から削減されたりするのがオチであろう。  学習情報提供と学習相談とはともに社会教育や生涯教育の革新の姿として現代的意義をもつものであるが、そのふたつの意義はむしろ両極に分かれてバランスを保っているのだと思う。学習情報提供が第一の革新だとすれば、その不備を衝いて第二の革新をめざしているのが学習相談なのである。学習情報提供の革新が、個人の主体性の発揮への援助だとすれば、学習相談が提起する第二の革新とは、その個人の主体性の獲得そのものへの援助である(図1)。  学習情報提供のほうに振れた振子が学習相談によって揺り戻しを受けているのだが、その発展は螺旋状のものであり、新しい学習相談は、「相談業務なら今まで公民館などでふだんやってきている」というときの相談とは内実がまったく別のものである。 2 学習相談の定義と特徴  それでは、そういう新しい意味での学習相談をどう定義づければよいのだろうか。その定義は、学習情報提供が指し示す新しい生涯学習の理念を発展的に継承するものでなくてはならない。すなわち、個人の学習への学習者主体の考え方にもとづいたサービスという意味では「継承」であり、個人の主体性への理念としての尊重(学習情報提供)から、個人の主体性の獲得への実質的な援助(学習相談)へ、という意味では「発展」である。そこで、私は、学習相談を次のように定義したい。  「学習相談とは、個人(または援助者)の求めに応じ、学習環境等の客観的条件や、精神的・身体的な問題等の主体的条件などの、その個人特有のそれぞれの条件にもとづいて情報提供、助言、対話等を行うことにより、学習情報の収集・選択や学習の意欲・能力の獲得などを支援する教育(学習援助)サービスである」。  この定義は、学習相談の特徴を次のように想定していることにもとづいている。  1つは、「個別性」である。学習者の個別な条件の差異によって対応が変化する。広報においては、マス(集団)に対して均一の情報を提供しようとするし、学習情報提供においては、個人が求める情報を誰でも個人の必要に応じて同じ情報源から平等に自由に選択できるようにしようとする。これに対して、学習相談では、相談員が個々の学習者のニーズやその他の状況を勘案した上で、対応の仕方を逐一、判断する。  2つは、「双方向性(プロセス重視)」である。対話などの双方向の交流をともなう。相談の「相」は「互いに」「ともに」という意味である。それは、いいかえれば、学習者の意思決定のための相談員からのアドバイスにとどまらず、学習者の意思決定や問題解決のプロセスの中に相談員が飛び込んでいって双方向のおつきあいをするということである。  3つは、「援助性」である。生涯学習の援助活動の一環として行われる。直接、個人の生涯学習を援助することを目的とするものであり、援助者側の行う事業や保有施設を宣伝するなどして生涯学習全体の推進を図るものではない。また、その行為はあくまでも個人の生涯学習の援助であるから、他の行政目的などから生ずる目標への誘導や指導を紛れ込ませることは許されない。  4つは、「教育性」である。一般行政の相談が行政、法律、医学などの特定事項の専門性にもとづいて行われるのに対して、学習相談は教育的専門性にもとづいて行われる。この場合、教育的専門性のはっきりした規定は困難だが、少なくとも単純に知識や技術を伝達することではない、ということはいえよう。たとえば、「その場合はこうですよ」と教えるような場面は、一般行政の相談では頻発することがあっても、学習相談においては、「こういうこともありますが」とニーズに的確に応える情報を提示しつつ、情報の選択は学習者の主体性に任せることになるだろう。それは、学習者の学習主体としての成長を第一義に考える教育的観点があるからである。  5つは、「自由性」である。「求めに応じて行う」ということである。相談を望まない人にまで相談を呼びかける必要はない。本人が自分で「相談したい」と思うまで待たなければならない。逆に、相談に訪れてくれた人に対しては、「相談に来た」という行為自体をその人の主体性の表れとしてとらえて最大限の敬意を払うべきである。「相談する」ということも、情報収集のための主体的な行動、すなわち生涯学習活動のひとつなのであるから。 3 求められるカウンセリングマインド  最近、学習情報提供のためのコンピュータの活用が進んでいるが、その理由はコンピュータが便利だからである。しかし、コンピュータそれ自体は、本来、たんなる道具、たんなるハコにすぎない。人間以外のものは、たとえ人間存在のための優れた手段にはなりえても、けっして人間存在に関する主体にはなりえない。学習相談においての本来の学習主体は学習者であり、本来の援助主体は相談員なのである。  私は、このような「本来の援助主体としての相談員」を「学習情報ワーカー」として位置づけたい。ここで「ワーカー」という言葉には、ケースワーカーのように当事者(学習者)のケースに個々に対応する仕事と、ネットワーカーのように情報や人々をつなげる仕事の、ふたつの仕事(ワーク)が遂行されることへの期待が含まれている。「相談員」という言葉があまりにも意味中立的なために「与えられた職務だから役割を遂行する」という冷淡なニュアンスを与えかねないことに比べて、「学習情報ワーカー」という言葉は期待の込められたきわめて意味的な言葉である。  ワーカーはネットワーク的な援助を行うことになる。ネットワークとは、自発的意思にもとづく水平なギブ・アンド・テイクの交流であり、そのためには互いが異質の価値(自立的価値)をもっていることが条件になる。また、私は、ネットワークを「自立と依存の統一」としてもとらえている。1)  しかし、情報や人間をつなぐために人間が介在することが必要だとしても、人間によるその援助が、なぜ、どのように、ネットワーク的でなければならないかということについては、もっと深い議論が必要だと思われる。どのように水平なのか、どのように異なった価値をもっているのか、あるいは、どのように学習者がワーカーにギブしろというのか、ワーカーの側まで何をテイクしようというのか、などの異議や疑問が考えられるのである。そこで、ここからは、カウンセリングマインドという切り口から、人間存在への援助としての学習相談の内実にいっそう深く踏み込んで述べることによって、それらの問題について考えてみたい。  ここで考えようとしているのは、心理的な学習阻害要因の克服をおもな目的として臨床心理の専門家が対応する狭義のカウンセリングではなく、一般の学習相談についてである。そういう一般の学習相談であってもカウンセリングマインドが必要であるということをいいたい。これは、学習相談がたんなる学習情報提供にはとどまらないためのもっとも大切な要素にもなるだろう。また、コンピュータ自体はカウンセリングマインドをもちえないのであるから、ワーカーの存在意義を示すものでもある。  なぜ、学習情報提供のサービスだけでは不足して学習相談が必要になってきたのか。それは、急激に変化する現代社会の中で、生涯学習を行うための主体性そのものを人々が失いつつあるからである。それでは、なぜ、カウンセリングマインドにもとづく対応が、学習情報提供だけではできなかった主体性の獲得そのものへの援助になるかというと、それは、カウンセリングが学習者の自己への「気づき」を促す側面をもっているからである。  あとに述べるように、自分のすべてが受容される雰囲気のもとで学習に関する自分の期待などについてしゃべることは、学習者自身が今まで気づかなかった自分に気づくことにもつながるし、そういう自分をオープンにしても受容されるのだ、という安心や自信にもつながる。情報の羅列を外から与えられるだけでは、都合のよい情報だけ選択して自分の今の枠組をさらに強化することはできても、自分のもっている劣等感や敗北感などの不幸な思い込みの枠組自体を変えていくことはできないのである。  生涯学習の理念が自発的意思にもとづいてみずから選んだ手段・方法で行うことであっても、本人が自分自身を見つめていないとしたら、その「自発的意思」も生まれようがなく、したがってその理念の実現は望めない。しかし、そのように自分の深みまで知るということ、すなわち自己洞察は、じつはどんな人にとっても容易なことではない。つまり、「自分に気づく」ということは、生涯学習を行うために不可欠の課題でありながら、それを完全に実現することは困難な課題なのである。  それらの自分への「気づき」のなかでも、学習相談においてもっとも決定的なことは、生涯学習を行う自己の主体性の欠損への気づきだと、私は思う。たとえば、「他人の期待に沿うために」とか「勤勉でなければならない」とかいったような不合理な思い込みが、生涯学習の自発的意思を内からねじ曲げる結果になっている。不合理な思い込みから解放されるためには、まず、そういう思い込みをしている自分の現在と過去に気づかなければならない。問題の本当の所在さえ明らかになれば、あとはそれを自分で解決する能力を人間はもっている(過去は変えられないが)。  このような「自己解決能力」への信頼も、カウンセリングマインドにもとづくものである。明治以来の教育が一定の教育水準まで集団全体をしゃにむに押し上げていこうとするプッシュ型だったことに対して、これからの教育は一人ひとりの個性や関心を引き出そうとするプル型に転換されなければならないということが生涯学習の議論のなかで言われている。カウンセリングマインドにもとづく学習相談は、まさにこのようなプル型の教育作用といえるのである。 4 共感・傾聴・ストローク・エンカウンター  カウンセリングマインドにとってのもっとも大切な要素は、「共感的理解」であるといえよう。  共感は、同感や同情とは違う。共感的理解とは、自分の枠組ではなく、相手の枠組にもとづいて相手を理解することである。一人ひとりの枠組がすべて違うのだから、ワーカーはそのいずれの枠組をも理解し対応できるように努めなければならない。共感的理解を示すワーカーが対応することによって、学習者は安心してしゃべることができる。共感的理解こそが、ワーカーと相談者との心のふれあいのあり方なのである。2)  共感的理解のために大切なことは、傾聴である。傾聴とは心を傾けて相談者の話を聴くことである。「早く本題に入って、どんな情報がほしいか言ってほしい」などの態度がワーカー側にちらつくと、相談者は安心してしゃべれなくなる。じつは、カウンセリングマインドにもとづいた学習相談の本旨は、学習情報の検索の代行などではなく、学習者が生涯学習に関するみずからの動機や希望、阻害要因などに気づくよう援助することなのである。また、毒にも薬にもならない無駄口が相談者に目立つ場合には、ワーカーがその人の発言を抑止することもあるかもしれないが、その時でさえも、無駄口をたたかざるをえない相談者の気持ちを察するように努めなければならない。このように、ワーカーには、自己の傾聴する役割への自覚が強く求められる。  つぎに、学習相談におけるカウンセリングマインドに必要な2つめの要素として、「ストローク」を挙げたい。  人間は、スキンシップや言葉がけやまなざし、うなずきなどによって相手の存在を認めていることを示す。「交流分析」ではこのような行為をストロークとよぶ。交流分析を開発したバーンによれば、人間は誰しもストロークを求めて生きている、ということである。  一方、最近の生涯学習の学習内容の傾向のひとつとして、こころへの関心が指摘できる。生涯学習に向かう要因としても、それを阻害する要因としても、こころの問題は大きい。豊かなこころは、豊かな対人関係、つまりは豊かなストロークに支えられる。そういう意味から、学習情報ワーカーはストロークの達人であってほしい。そのことによって、生涯学習に向かおうとする学習者にエールを送ることができる。  さらに、カウンセリングマインドの3つめの要素として、「エンカウンター」を挙げたい。3)  日常の対人関係にはいわゆる「仮面」がつきものであるが、エンカウンターでは、それを脱ぎ捨てて本音と本音をぶつけあう。対立することも多い。このようなエンカウンターは、通常、グループワーク(エンカウンターグループ)として行われるが、学習相談においてもエンカウンターの精神が求められていると考えられるのである。なぜなら、学習相談は、社交儀礼がやりとりされる場ではなく、幸福追求の一環としての自分なりの生涯学習を模索する生身の人間(相談者)に対する生身の人間(ワーカー)からの援助が行われる場だからである。  カウンセリングマインドにもとづく学習相談において、生涯学習に関する相手の枠組をワーカーが理解すること、すなわち共感的理解は重要であるが、それは、ワーカーがその人と同じ枠組になる、すなわち同化するということではけっしてない。逆に、相談者とは異なったワーカーの好みや感情、考え方を率直に表明することも効果を及ぼす場面がありうる。カウンセリングのように精神的な治療を必要とする人を相手にしているわけではないのだから、対等な基本的信頼の関係のもとでは、異なった価値観や考え方の提示はむしろ有益な場合が多いであろう。また、生涯学習の方法論に関する専門的・技術的な助言なども、ワーカーだからこそできる「異なった立場からの援助」のひとつとして重要である。 5 ネットワークのなかでともに育つ  このようにして進められる学習相談は、ネットワークの営みともいえる(図2)。情報と情報をつなぎ、学習者と情報とをつなぎ、さらには、学習者と学習者とをつなぐ。そこでのワーカーと相談者の関係は、今まで述べたとおり、異なった価値をもつ者のあいだの水平なギブ・アンド・テイクである。あくまでも学習者の自発的意思にもとづくものであり、そのつながりはゆるやかで、参入と撤退、出会いと別れを自由に繰り返す。  そのためには、それぞれが自立的価値(個性)をもっていることが条件になる。そのうえで、自立したパソコン(スタンド・アローン)がパソコン通信によってネットワークされるように、自立的価値をもつ個人や機関や情報が学習相談によって相互に連携(依存)する。ネットワークが自立と依存の統一である、と私が考えるのはそういう理由からである。  私はこのネットワークを支える鍵概念として「個の深み」という考え方を提起したい。「個の深み」とは、個人が集団に埋没することなく、それぞれの方向性をもつ個人一人ひとりとして生きること、そして、その固有の方向に向かって深く踏み入ること、あるいは踏み入ろうとすること、という意味の造語である。4)人間はなぜ生きているのか、といえば、究極的には自己実現によって「個の深み」という高次な幸福を獲得するためであり、その人間がなぜ社会の一員として生きるのかといえば、究極的にはコミュニケーションによって他者の「個の深み」を味わいつつ自己の「個の深み」の形成にも資するため、と考えたいのである。  ネットワークのこころさえ失わなければ、学習相談の事業は、学習者の「個の深み」とたえまなく接し続けることができるだろう。それは、たとえば一般行政の相談では、「本務ではない」などの理由から相談員はかなり禁欲しなけれはならなかったことである。しかし、学習相談においては、ワーカーの主体的な判断力とモラルを前提とすれば、それはむしろ「本務」として勧められるべき行為である。だから、みずから学び育ちたいという気持ちがあるかぎり、学習相談という仕事は至上の喜びをもたらしてくれるはずである。  生涯学習推進のために、あるいは、住民のために、犠牲的精神で学習相談活動を行っているなどというような人がいたとしたら、その言葉はウソであろう。中身のない虚ろな言葉だ。ともに育つ学習相談のなかでは、援助者側の人間は自分のために研鑽を深め、自分のために業務に携わっているはずだ。それは、教育の仕事全般にもいえることである。本当の「自分のために」ということは、自分自身がつねに変わり成長することであり、その姿勢は他者の主体性の獲得とはまったく矛盾しないばかりか、援助者、教育者であるためのもっとも大切な資格要件ともいえるのである。 1) ネットワークについては拙著『生涯学習か・く・ろ・ん−主体・情報・迷路を遊ぶ−』学文社、一九九一年、とくに一二九頁 2) カウンセリングについては、とくに平木典子『カウンセリングの話(増補)』朝日新聞社、一九八九年 3) 傾聴の技法とエンカウンターについては、とくに国分康孝『エンカウンター−心とこころのふれあい−』誠信書房、一九八一年 4) 「個の深み」については前掲『生涯学習か・く・ろ・ん』、とくに二頁−四頁 図1「学習相談への発展」           OGGG学習情報の判断者GGS OGGGGG援 助 目 的GGGGGGS RDDDDDDDDDDDDDDDDDDDユDDDDDDDDDDDDDDDDDDDDDユDユDDDDDDDDDDDDDDDDDDDDDDDDDユDDV F 従来の日常的相談 I    援助者    I I  集合学習への動機づけ I F ZDDDDDDDDDDDDDDDDDDDユDDDDDDDDDDvDDDDDDDDDDユDユDDDDDDDDDDDDDvDDDDDDDDDDDユDD^           I     F I I F E RDzDDDDDDDDDD~DDDDDDDDDDzDzDDDDDDDDDDDDD~DDDDDDDDDDDzDDDDDDDV        F 第1の革新・・・個 人 の 主 体 的 学 習 の 重 視 と 尊 重 F ZDrDDDDDDDDDDvDDDDDDDDDDrDrDDDDDDDDDDDDDvDDDDDDDDDDDrDDDDDDD^           I     F I I F E RDDDDDDDDDDDDDDDDDDDユDDDDDDDDDD~DDDDDDDDDDユDユDDDDDDDDDDDDD~DDDDDDDDDDDユDDV F 学習情報提供   I    学習者    I I  個人の主体性の発揮 E F ZDDDDDDDDDDDDDDDDDDDユDDDDDDDDDDvDDDDDDDDDDユDユDDDDDDDDDDDDDvDDDDDDDDDDDユDD^           I     F I I F I RDzDDDDDDDDDD~DDDDDDDDDDzDzDDDDDDDDDDDDD~DDDDDDDDDDDzDDDDDDDV        F 第2の革新・・・個 人 の 主 体 性 の 欠 損 へ の 気 づ き F ZDrDDDDDDDDDDvDDDDDDDDDDrDrDDDDDDDDDDDDDvDDDDDDDDDDDrDDDDDDD^           I     F I I F I RDDDDDDDDDDDDDDDDDDDユDDDDDDDDDD~DDDDDDDDDDユDユDDDDDDDDDDDDD~DDDDDDDDDDDユDDV F 学習相談     I    学習者    I I  個人の主体性の獲得 I F ZDDDDDDDDDDDDDDDDDDDユDDDDDDDDDDDDDDDDDDDDDユDユDDDDDDDDDDDDDDDDDDDDDDDDDユDD^ WGGGGGGGGGGGGGGGGGGGGG[ WGGGGGGGGGGGGGGGGGGGGGGGGG[ 図2「コンピュータとワーカーの仕事との関係」 RDDDDDDDDDDDDDDDDDDDDDDV F 学習情報データベース F ZDDDDDDDDDvDDDDDDDDDDDD^     F RDDDDDDDD~DDDV 学習情報提供RDDDDV FコンピュータfDDDDDDDDDDDDDDDDDn   F F fDDDDDDDDDDDvDDDDDn 学 F ZDDvDDDDDDDDD^ F F F   F 学習相談※1F F F RDDD~DDDDDDDDDDDDDDDDDDDDD~DV F 習 F F 学 習 情 報 ワ ー カ ー F F   F ZDDDvDDDDDDDDDDDDDDDDDDDDDDD^ F F   F学習相談※2 F 者 F ZDDDDDDDDDDDDDDDDDDDDDDDDDDDn F ZDDDD^  (※1 コンピュータ利用への援助)  (※2 ネットワーク的援助) 図3「ネットワークとしての学習相談」 RDDDDDDDDDDDDDDDDDDDDDDDDDDDDDDDDV        F           OC受容 F        F           _C繰り返し F        F OC共感的理解CC傾聴CCC明確化 F  援助者 ……F E   _C支持   fDDDDDDDDDDDDDDDDDV        F E   WC質問 F 自分のため→ F        F _Cストローク F F        F WCエンカウンター F F ZDDDDDDDDDDvDDDDDDDDDDDDDDDDDDDDD^ F F RDDDDDDDDDDDDDDDDDDDDDDDDV RDDDDDDDD~DDDDDDDDDV              fDn カウンセリングマインド fDDDn 援助者自身の成長 F F ZDDDDDDDDDDDDDDDDDDDDDDDD^ ZDDDDDDDDvDDDDDDDDD^ RDDDDDDDDDD~DDDDDDDDDDDDDDDDDDDDDV 異質の交流↓F        F マス(集団)   →個別  F RDDDDDDD~DDDDDDDDV F 一方向      →双方向  F F F  学習相談……F 指導      →援助    F F と も に 育 つ F   F 特定事項の専門性 →教育の専門性F F F        F 定型性      →自由性 F ZDDDDDDDvDDDDDDDD^ ZDDDDDDDDDDvDDDDDDDDDDDDDDDDDDDDD^ 異質の交流↑F F   RDDDDDDDD~DDDDDDDDDV F   F相互の自発的意思 F              F RDDDDDDDDDDDDDDDDDDDDV F参入と撤退の自由 F              fDn ネットワーク的援助 fDDDDDDDn水平なギブ&テイクF              F ZDDDDDDDDDDDDDDDDDDDD^ F自立と依存の統一 F F ZDDDDDDDDvDDDDDDDDD^ RDDDDDDDDDD~DDDDDDDDDDDDDDDDDDDDDV F        F 自己の主体性の欠損への気づき F F F    ↓ F 自立的価値→ F  学習者 ……F 問 題 の 自 己 解 決 fDDDDDDDDDDDDDDDDD^   F    ↓ F        F 「 個 の 深 み 」 F ZDDDDDDDDDDDDDDDDDDDDDDDDDDDDDDDD^