「教職研修」増刊号「キーワード生徒指導」の「地域社会」 野外教育活動・自然体験活動 (本文54行)  都市生活を離れ、自然環境の中で生活をする機会を増大させ、その生命力、活力の維持・向上、心身の健康の増進、生命や自然への畏敬の念や豊かな情操の涵養を図る活動をいう。  [自然体験重視の背景は何か] 臨時教育審議会は第3次答申(昭和62年4月)で次のように指摘している。「情報化・都市化が進み、自然の中で相互に切磋琢磨する機会が失われてきている。このような現状にかんがみ、今後、児童・生徒が都市生活を離れ、自然環境の中で生活をする機会を増大させ、その生命力、活力の維持・向上、心身の健康の増進、生命や自然への畏敬の念や豊かな情操の涵養を図るとともに、自然体験学習、集団生活、都市と農山漁村との交流、多様な地域文化との触れ合いなどを飛躍的に増やしていく必要がある」。学校教育においては、たとえば、昭和59年度から自然教室推進事業が実施され、それらの拡充が図られているが、社会教育においても従来から野外活動が積極的に取り組まれてきた。現在はさらに大胆な事業が展開されている。これらの自然体験によって現代社会の中で希薄になりつつある自然や人とのふれあいを深めることが期待される。  [自然体験の不足は何を招くか] 自然体験の中には、自然への理解のほか、身体的な活動、勤労体験、困難と直面する体験、美的・情緒的体験、自主的に行動する体験などが含まれている。それらの自然体験は、多機能な直接的経験であり、それだけに子どもに与える影響力も大きい。現代社会においては、それらの体験は失われがちである。このように発達上経験すべきことを経験していないことを、「欠損体験」と呼ぶが、自然接触体験も欠損体験になりつつある。欠損体験は、子どもの社会化を阻害し、その後の生涯の各時期における発達上の課題達成も阻害する要因になってしまう。  [社会教育での取り組みはどうなっているか] 社会教育における特徴的な取り組みは、「自然生活へのチャレンジ推進事業」(フロンティア・アドベンチャー事業)である。これは、昭和63年度から文部省の補助事業として開始されたもので、異年齢で構成される青少年に、山奥や無人島などの大自然の中で10泊程度の自給自足的な生活にチャレンジする機会を提供しようとするものである。そこでは、住居作りに始まり、食料の調達、食事作り等すべての活動はグループの構成員が協力して行うほか、自然観察、早朝登山、農業体験等のプログラムが実施されている。これらの社会教育事業は、指導者体制などの面でも計画的に整備された上で取り組まれており、学校側もその教育的意義をよく理解して積極的に協力するよう望まれる。  [参考文献] (1)三浦清一郎『現代教育の忘れもの−青少年の欠損体験と野外教育の方法−』学文社。 (西村 美東士) 野外文化活動 (本文49行)  人間が自然と共に生きる野性的な世界としての「野外」において、社会人に必要な基本的な行動と心理状態としての「文化」を、実体験を通じて学び、身につけようとする活動をいう。 [なぜ、この言葉が提唱されたのか] 社団法人青少年交友協会理事長の森田勇造氏がこの言葉を提唱した。氏を中心として、昭和52年から「野外活動研究協議会」が開かれ、54年には『野外活動のすすめ』(学研)が出版されており、その頃までは「野外活動」という言葉が使われていた。しかし、それは、もともと文化人類学的発想による「野外文化活動」であったものを、語呂がよいので「野外活動」と称したのであった。しかし、野外活動は文部省体育局の管轄下にあったため、昭和60年4月に「野外活動」という言葉から「野外文化活動」という言葉に改称された。なぜならば、氏の活動は当初から「異年齢集団の野外活動」によって自然と共に生きる人類の英知である「生活文化」を伝承することを目指していたのであり、体育学的なキャンプ中心のものではなかったからである。 [どのようなねらいをもっているか] 野外文化活動は、生きる意欲や喜び、知恵や情操などを、実体験を通じて学び、知的欲望と体力の養成を同時に満たすために行われる。その効果としては、次のようにとらえられている。@身体的効果(行動体力および防衛体力の養成、持続力の養成、瞬発力の養成)、A精神的効果(勇気、忍耐力、決断力、意欲、感動)、B教育的効果(社会性の向上、創意工夫のめざめ、判断力の養成、自己の啓発)。また、とくに、生活労働の体験、自然の認識、社会性と人間性の向上などが、今日的意義として重視されている。森田氏は、そのために、山野、海・川・山、広場、道路、公園、校庭などの空間を野外文化活動の場として子どもたちに意識的に取り戻してやることが現在の大人たちの急務であると訴えている。 [どんな事業が行われているか] 野外文化活動を進める青少年交友協会の特徴的な事業としては次のようなものが挙げられる。「グリーンアドベンチャー」は、身近な自然を理解し、自然を通して日本の文化を知るために、特別のコースが設置されるものである。「かち歩き」は、20〜43キロの長い距離を飲まない、食べないで歩く耐久徒歩である。他人との競争ではなく、社会人の通過儀礼としての意味をもっている。その他、農林水産業の体験や無人島の生活体験など、下表に示すような幅広い活動が展開されている。  [参考文献] (1)森田勇造『野外文化論』学習研究社。 (西村 美東士) 図書館 (本文61行)  図書、記録その他必要な資料を収集し、整理し、保存して、一般公衆の利用に供し、その教養、調査研究、レクリエーション等に資することを目的とする社会教育施設をいう。 [どんなサービスをしているのか] 上の定義は図書館法第2条によるものだが(社会教育施設であることについては第1条)、さらに第3条には「図書館奉仕」として次の内容が挙げられている。@図書館資料の収集と一般公衆の利用への提供、A資料の分類排列と目録の整備、B資料の利用のための相談への対応、C他の図書館との連絡・協力と相互貸借、D分館等の設置及び自動車文庫などの巡回、E読書会、研究会、鑑賞会、映写会、資料展示会等の主催・奨励、F時事に関する情報及び参考資料の紹介・提供、G学校、博物館、公民館、研究所等との連絡・協力。また、これらの公共図書館サービスを「学校教育を援助し得るよう」実施しなければならない旨も記述されている。 [児童サービスに問題はないか] 昭和45年、日本図書館協会は『市民の図書館』において当面の最重点目標を3つ定め、その一つを「児童の学習要求にこたえ、徹底して児童サービスすること」とした。このように、図書館では従来から児童サービスを重視しているが、それが、「女・子どものための今の図書館ではだめだ」という批判にもつながっている。もちろん、ビジネスマンにも魅力のある資料収集の必要性は否定できないのだが、公共図書館は、そもそも、気軽に立ち寄れる地域の社会教育施設を目指している所なのである。ただ、それだけに児童サービスの課題も多い。まず、受験勉強のための貸席にしかすぎないような状態は改めなければならない。この点については、貸出サービスの重視などによって改善が進んでいる。その他、子どもたちの「活字離れ」の傾向や、小学校高学年以降の「図書館離れ」などの基本的な問題もある。図書館としては、児童コーナーや集会活動の充実などによってそれに対処しようとしているが、根本的な改善のためには、親子読書活動などのような子どもの読書に対する地域の取り組みや学校側の協力が欠かせない。 [青年をどうとらえているか] 中学、高校と進むにつれて「図書館離れ」が目立つ傾向に対して、児童サービスの延長として青年をとらえる従来の姿勢を反省し、青年をヤングアダルト(若い大人)として、すなわち権利主体として、とらえようとする図書館側からの動きがある。たとえば、図書館の一角にヤングアダルトコーナーなどが設置され、青年の読書要求に的確に応える蔵書構成が試みられている。そこでは、オートバイやロックに関する本なども提供される。青年によく読まれている本を、すべて低俗な好奇心におもねるクズばかり、と決めつけないで、それらの資料の積極的評価を心がけるのである。とくに高校の教師などは、周辺の図書館におけるこれらの動きを把握し、必要に応じて生徒への紹介などをするとよいだろう。  [参考文献] (1)前川恒雄『われらの図書館』筑摩書房。 (2)竹内紀吉『図書館の街浦安』未来社。(3)石井桃子『子どもの図書館』岩波書店。 (西村 美東士)