トランスペアレンシー  全国視聴覚教育連盟「視聴覚教育時報」「私のことば」  昭和音楽大学短期大学部助教授 西村美東士  トランスペアレンシーとは、「透明なもの」という意味である。  みずからネットワーカーであることを自負してパソコン通信を行っている人の中には、トランスペアレンシーの感覚、すなわち「透明感」を大切にしている人が多い。何が透明であるべきか、それはパソコン通信の機器である。逆に、それぞれのネットワーカーが発信するメッセージそのものは、透明などではなく、さまざまな色合いをもっているほうが歓迎される。機械の助けを借りていることは忘れて、メディアに邪魔をされず、人間味のあるコミュニケーションを行うことに、彼らは最高の価値を認めるのである。  豊かなモノに囲まれた現代青年にとって、パソコン自体はあこがれの対象にはならなくなってきた。彼らは、パソコンの情報交信ができるという特性に気づいているだけのことであって、成長時代のブランド志向の人が洋服や自動車をステータス・シンボルとしたり物神化したりしたようには、パソコンを崇めたりしない。高機能のパソコンといえども、自分で実際に試して良いと思えば、それを当然のように使いこなしていくだけのことである。これをパソコン利用の成熟化とみることができよう。  さらに、このような成熟したパソコン利用の姿は、情報化の象徴としてとらえられる。成熟時代に重要なものは、本来の「神」であるべき情報、すなわち人間の発信内容そのものであるべきだ。このように価値がモノから情報に変わること、これこそ真の情報化の姿であるといえるのではないか。  そして、そこで前提となるのは、ネットワーク型の水平な人間関係である。上下関係に基づく上からの説教などは彼らにとって「まっぴら」なのであり、気軽で対等な情報交流こそが求められている。この志向は、理想的に進めば、仮面と役割演技に凝り固まった現代管理社会に風穴をあけて、人間一人ひとりの絶対的な個性(私は「個の深み」と呼んでいる)を回復することにつながるかもしれない。