公民館が仕掛ける出入り自由の「こころのネットワーク」  −狛江市中央公民館青年教室のなかでの相互理解−                 昭和音楽大学短期大学部助教授 西村美東士 1 プータローの自由な精神を求めて  プータローとは、フーテンの寅さんのような人のことをいいます。寅さんは、自然を愛し、あたたかい隣人に恵まれ、本当の友だちをたくさんもっていて、心豊かに生きていると思います。私たちは、そんな寅さんにあこがれます。  私たちが社会に生きていくためには、今の仕事や学業をやめてしまうわけにはいきません。でも、自由な遊び心は失いたくないのです。  狛プーでは、プータロー精神にのっとり、豊かな時間と空間を創り出そうと話し合っています。かけがえのない自分の人生をていねいに大切に生きるために、あなたも狛プーの一員になりませんか。  以上は、ぼくが一九九二年度狛江市青年教室の企画委員の青年たちに提案したチラシの前書きである。この前書きに基づいて、教室の名称を「狛江プータロー教室」(狛プー)とした。参加者の中には、この前書きの文章にひかれて応募したという人もいる。 2 アイデアはバラバラだけれど、そのひとつひとつが宝物  しかし、このチラシの一番の魅力は、なんといっても企画委員の青年たちが作ったわけのわからないプログラムだろう。毎月いろんなことをスキゾ的にやってしまおうというのだ。過去に各地で行なわれていた青年学級も、目的的なテーマをひとつだけ設定するということをしないで、高校に行かない青年たちのための総合的な学習カリキュラムを提供していたが、狛プーのプログラムはそれとも少し違う。狛プーでは、企画委員の青年があくまでも自己の関心・興味からばらばらなアイデアを出したのである。  だが、ぼくなどにとっては最初は理解できないようなアイデアであっても、提案者の話をよく聞いてみると意外に面白そうなものが多かった。「紙芝居」のアイデアが出たときは、ぼくは最初は「そんなもの、今の若者がやりたがるものか」と内心では思っていた。しかし、あっという間に、「自転車に『狛プー紙芝居軍団』というのぼりを立てて、市民祭で練り歩こう」という所まで青年たちの話は発展していた。あとになって、この「紙芝居」はぼくたちにとっての素晴らしい自己変容のきっかけのひとつになったのである。  そんなことから、ぼくは、「グループによる発想法などが企業などで研究されているけれども、そんなテクニックなどそんなに使わなくても、一人ひとりの心が解放されていて、メンバー間に受容的な雰囲気さえあれば、青年たちがいくらでもアイデアを披露してくれる」と思えるようになった。それぞれのアイデアは素晴らしい宝石である。しかも、その一つひとつが色も種類も異なる宝石である。 3 プータローの自由のつらさ  例の前書きを書いたとき、ぼくはつぎのように考えていた。  「現代青年が、いま、もっとも求めているものは、自分たち一人ひとりがそれぞれの個性を発揮できる場と、そういう場を創り出すあたたかい仲間関係なのではないだろうか。それを『支持的風土の集団』ということもできるし、『サンマ』(心を開いて交流できる時間・空間・仲間の3つのマ)ということもできる。ネットワークの本当の意味はこれだろう。」  だが、そういうネットワークの場は、本人にとって最初はかえってつらいものになるときがある。自分の責任でその自由を行使しなければいけないからである。今まで、保護されたり、管理されたりしたことはあっても、自由になったときの恐ろしさは味わったことがない。自由のつらさはプータローの宿命である。だが、このようにして苦しみながらも自由を行使したことがないと、結局は、「保護のしかたが足りない」「管理のしかたが悪い」などと言っていつも社会や他人のせいにして被害者を演じて生きていく人生の構えが身にしみついてしまう。  狛プーは、一人ひとりの個性をできるかぎり尊重することによって、青年が自由の楽しさとともにその怖さを体験し、自己の非主体的な思い込みから自らを解放していく場になっているのである。 4 撤退自由のネットワークにおける「潔い撤退」  「いったん集団に入ってしまったら、そこから抜けることは無責任である」という考え方があるが、ぼくはそれを「不幸の手紙」のような「不幸の分かち合い」や「不幸の押し付け」として感じる。他者に対して自分や自分の帰属する集団に「同一化」するように迫るピア・コンセプト(仲間意識)の逆機能(否定的側面)そのものではないか。  これに対して、狛プーは出入り自由のネットワークとして運営されている。だから、「いつでも、だれでも、よかったらおいでよ」と新規参入(ニュー・カマー)を歓迎するだけでなく、来なくなってしまった人に撤退した責任を問うこともしない。せいぜい「たまには顔を見せて」と電話をするぐらいである。  ある人の突然の撤退によって抜けた穴でも、残った人で何とかなるものだ(担当者は大変だろうけれども、それが社会教育職員の援助者としての役割なのだから仕方がない)。ただ、その日に役割をもっているのに抜けたくなった人は、仲間のだれかに連絡するぐらいのことは最低限のルールだと思う。そういうルールが学習できるのも、自由なネットワークだからこそのものだ。  撤退の自由がなければ、本人がそこに参加するのも「お義理」になってしまうこともありうる。だから、ネットワークには撤退の自由が必要なのだ。しかし、撤退する本人が運営に関して撤退後も発言したり(OBによる現役支配の弊害がそれである)、残っている人を個人攻撃したりするなどの、「立つ鳥あとを濁す」ような未練がましい行為があると本当にいやなものだ。自分の「未練」を他人に押し付けるのは、プータローの自由な精神に反する。ネットワークに撤退の自由が求められるとともに、撤退する本人には「潔さ」が要求されるのである。 5 出入り自由の淋しさを受容する  狛プーのメンバーが撤退するとき、本当は内心淋しいのかもしれないがニコニコして去っていく。おとな心も適度に持ち合わせているのだろう。キャンプだけ参加して、あとはまったく出てこない人もいたが、その人などは最初から「みんなでキャンプに行くのが好きだから、キャンプだけ参加します」と言って、キャンプ場では常連メンバーのように振舞って楽しんでいた。  問題は、残された仲間たちの淋しさである。それは、つまり、「出入り自由の淋しさ」である。しかし、一人ひとりがこの淋しさとうまくつき合えないと、いつまでたってもピア・コンセプトの逆機能は乗り越えられないし、ネットワーク型のコミュニケーションを創り出す主体性を身につけることができない。現代青年は、コミュニケーションをすることによって相手を傷つけたり自分が傷ついたりすることを極端に恐れている。これは良い意味での「現代青年の優しさ」でもある。しかし、その優しさは、「だからコミュニケーションしない」という彼らの敗北主義の象徴のような「山アラシジレンマ」(接近したいが、かといって、お互いの針で傷つけ合いたくはないというジレンマ)に陥る危険にも結びついているのだ。  狛プーで「出入り自由の淋しさ」を感じながらもその淋しさを受容することは、「結果を恐れるがあまり、したい交流もしない」人間から、「したい交流はするが、自分の期待どおりに交流してくれない相手の存在も受け入れる」人間に自己変容することにつながっていく。そういう人間をネットワーカーと呼んでもいいだろう。これこそが「山アラシジレンマ」を正面から突破するための唯一の筋道なのだと思う。 6 狛江市にとっての「流入青年」たち  狛プーの「いつでも、だれでも、よかったらおいでよ」の精神(ネットワーク・マインド)は、当然、狛江市外から、なかには一時間以上もかけて、通ってくる青年たちの参加を増やす結果につながっている。これは「地域に根ざす社会教育であれ」というスローガンを平面的にしかとらえようとしない人には、好ましくない現象として映るかもしれない。  しかし、狛プーは、現代青年にとっての「アジール」のひとつである。アジールとはもともとは「(自治的な都市などの)不可侵の領域」という意味だが、ここでは「駆け込み寺」として理解しておけばよいだろう。「正統派」からはじきとばされた人たち(プータロー)は、そんな自分が受容されるサンマを感覚的にかぎつけてアジールに集まってくる。そこでは、仲間の活動に加わらずに(参加できずに)その活動を眺めていることだって許される。そういう所からユース・カルチャー(若者文化)が生まれ、社会の「正統派」の文化に影響を与えていく。  だから、狛プーがアジールであるとすれば、狛江はユース・カルチャーの発信基地のひとつと呼べるわけだ。そこでの活動は、狛江市に若々しい息吹を吹き込んでくれるだろう。現に、狛プーの紙芝居は、市民祭で市内の多くの子どもやその親たちに歓迎された。もちろん、たった一カ月の練習でプロ並みの腕ができあがるわけがない。紙芝居の面白さを知った「一時的流入青年たち」の気持ちが狛江市民の気持ちと触れ合って、市民祭の場で共感的な世界を創り上げたのである。  「地域に根ざす」といっても、それを機械的に推し進めようとすると「土壌」はいつまでたっても豊かにならず、草木は「根腐れ」してしまう。「アジールへの流入青年」たちが吹き込む新しい風が狛江の土の上を吹いてこそ、その土(地域文化)も豊かになるのである。  また、流入青年たちの中には大学生も多い。一昔前の青年教育は、大学に行かない(行けない)勤労青年のための福祉的、恩恵的な意味合いをもって行なわれていたといえよう。しかし、現代の山アラシジレンマの青年たちにとっては、本人が大学生だろうが勤労青年だろうが、社会教育の世界を知ってネットワーク・マインドを身につけることが緊急課題になっていることには変わりがないのではないか。  むしろ、高等教育(大学の授業)は本来、自己教育力(「学びたい」という意欲など)を前提に成立するのだが、その前提そのものが成立していない現状のもとでは、狛プーのような「社会教育」によって、高等教育を成立させるための大学生の側の主体的条件がつくられるというだいそれた考えさえ、ぼくは抱いている。なぜなら、今日の大学生の学習意欲の喪失のおおもとには、彼らの生きる主体性そのものの喪失があると考えられるからだ。狛プーは、勤労青年にとっても大学生にとっても「何を楽しみに自分は生きるのか」を見つける場所である。 7 キャンプは夜だ  過去の青年教育においては、サークルなどの目的集団に対して、青年団などの生活集団の意義が叫ばれたことがある。そこでは、生活に根ざした総合的な人間交流の意義があらためて評価されていた。もし、そういう人間交流が可能になるならば、それは現代管理社会の一端に人間解放のユートピアを実現することにも近い。しかし、これといったほかの目的を持たずに、生活の中での人間交流そのものを目的とする試みなどに現代青年が関心を持つだろうか。私たちのそういうためらいに答えを出してくれるひとつの仕掛けが、キャンプであり、キャンプの夜であり、キャンプの夜の「空白のプログラム」である。  そこでは、気楽なおしゃべりや「打ち明け話」とともに、一人ひとりの「生活文化」が自然にしみだしてくる。共通の文化の確認も楽しいが、異なる文化との出会いは「えっ、君っておもしろいね」という感じで、より刺激的である。「仲間との楽しさ」とは本当はこういうものであり、キャンプは新しい「生活集団」として、新しい教育的効果を発揮してくれる。  日中の正式のプログラムが終わって、夜、寝床で昼の議論の延長戦を行うことを「寝床分科会」と呼んで、その意義が注目されていたことが過去の青年教育にもある。本音の交流ができるというのである。このような「寝床分科会」の意義も軽視できないとは思うが、狛プーのキャンプは分科会の延長でさえありえない。鉄板焼の肉や野菜、アルコールで盛り上がる一方で、個人がそれまで持ってきた「文化」や「生活」そのものがぽつりぽつりと出される。「たんなる飲み会」ゆえの魅力とも言えようか。思いもしなかった他者の枠組に出会って自分の枠組との違いに驚き、「おもしろい奴だなあ」と感じ、しかもそれなりに他者を共感的に理解する。  人間は仕事や学業に追われる昼間よりも、夜のほうが自然体になりやすい。だから、夜になると「悪いこと」もしてしまうのだろうが(それは、ある意味での「人間らしさ」である)、夜はそういう魔力をもっているからこそ、プータローの自由な精神にあこがれる青年たちにとって魅力的なのである。 8 青年が自分のお金を払う時  大学生でさえ、教科書をなかなか買ってくれない。貧乏だからなのかとも思うが、彼らどうしの飲み会では二千円、三千円と気前よく払っている。飲み会は現代人にとって「天国から地獄に降りてきた蜘蛛の糸」のようなものかもしれない。ただし、そのわりには、「一気飲み」や「瞬間芸」など、それぞれの本心は大切に隠して背中を向け合っているような淋しい飲み会のほうが主流のようだ。  しかし、狛プーの飲み会はそれとは違っている。終了後は、毎回、飲み屋に流れていく。用事のある人や飲みたくない人はさっさと帰っていくが、飲めない人でもこれを楽しみにしてジュースで参加する人がいるし、狛プーの終了時刻にぎりぎりにしか間に合わないために、公民館ではなく、その飲み屋に直行して待っているという人もけっこういる。  狛プーの飲み会は一人二千円くらいかかるが、その金額以上の魅力があるのだろう。ぼくは、これを、「飲み屋での自己解放と相互解放」ととらえている。実際、ぼく自身、その飲み屋で、「ここにいるときが一番mitoさんらしい」とメンバーによく言われる。メンバーもぼくも、公的社会教育の参加者や援助者という社会的位置づけから解放されて役割演技の仮面をはずすことができるのである。  これは、自前の金をおたがいに払い合っているからではないかと思う。 9 空白のプログラム  狛プーのキャンプの魅力が「空白のプログラム」であることはすでに述べたが、通常のプログラムにもそのような仕掛けが配置されている。それは計画が「いい加減」ということでもある。しかし、いい加減はよい加減でもある。何をやるかきっちりと決まっているからこそ「来よう」という気もおきるのだが、そればかりでは参加者は「やらされている感じ」になってしまう。たとえば、狛プーのプログラムの中の「温泉に行こう」だの「連続お別れパーティー」だのという月は、じつは何も決まっていないに等しい。そのほか、月の切れ目なども「良い加減」に運営している。  たとえば、メンバーの一人が玉乗りのプロであると知ると、さっそく翌週のプログラムは玉乗りの練習にしてしまったり、「正月だからカルタとりをやろう」と一人が言い出すと、「やろう、やろう」ということになって誰かが百人一首を持ってくる。その「良い加減さ」が、参加者をその気にさせるのである。それに目くじらを立てる青年はまずいない。狛プーでは青年たちは自由を使いこなそうとしている。ぼくは、これを、フリースペースの社会的教育力、自己治癒力だと考えている。  ぼくは、狛プーの通年講師として、ある反省をしたことがある(そういう反省の機会はけっこう多い)。報告書に掲載する図について話し合っていたとき、ぼくは早く完成させようと焦っていた。担当者(ぼくの古くからの友人である)がいつもののんきな口調で雑談をしばしばはさんでいた。ぼくは、「おいおい、早く片づけちゃおうよ」と言った。そうしたら、その夜の飲み会で、ある女性メンバーに、「mitoさん、焦ってるんじゃない?」と言われてしまったのだ。担当者のペースのほうがいいと言う。彼女にその理由を聞いたところ、「今日はプログラムが何も決まっていなかったから、久しぶりに飲み屋さん以外でもおしゃべりのためのおしゃべりができると思って楽しみに来たのに……」と言うのである。  プログラムを決めて、その目標に向かって参加者を楽しませる、そんな「過去の社会教育の枠組」にぼくのほうこそ縛られていたのかもしれない。逆に、担当者の「職員らしからぬ言動」は、彼の本領発揮、面目躍如の行為であり、さらにはユースワーカーとしての社会教育主事の存在意義そのものを示すものであったのだ。  フリースペースの創造のための職員や講師の働きかけのあり方は、簡単そうで難しいし、難しそうで簡単なのである。 10 狛プーは癒しのネットワークである  ぼくが大学の授業で、最近出会った過去を断ち切るために行なう「偶像崇拝的」なある活動について、依存の表れであると批判したところ、ある学生に「あなたは傷ついたことがないのではないか」と出席ペーパーに書かれてしまった。「その人がそれを信じていて幸せになれるのならいいではないか。だから、批判すべきではない」というのである。しかし、そのようにして批判を避けて生きていくとしたら、そのあとに残るコミュニケーションとは何と空疎なものだろうか。また、特定の個人を偶像崇拝するファシズムが現れても、ぼくたちは「一部の人が幸せになれるのなら」と言って批判を避けなければならないのだろうか。社会は個人がばらばらに生きていける所ではないはずだ。しかも、自称「傷ついた人」は、偶像崇拝を許す「優しさ」のわりには、ぼくの触れられたくない過去の傷の有無まで問うてくる身勝手さをも兼ね備えている。  人間は親に全面的に依存できる時期を過ぎて、現実原則を働かさなければいけない社会に出ていく。それを「楽園追放」という。そのときにすでに「痛み」は不可避的に生じるのである。「痛み」を経験していない人はいない。もちろん、気づかないようにすることは大いにありうる。しかし、そういう「痛み」をつらくて乗り越えられないでいる人が、「深み」をもっていることを証明された人間のようにほかの人を見下し、結局はかえって威張っているような状況に、ぼくは異議を申し立てたい。「個の深み」とは、「痛み」の大きさなのではなく、その人が自分自身の「痛み」や自己の枠組と異なる他者とどれだけ深く対面できているかなのではないか。  この事例にぼくは現代青年のもっている変な思考回路を感じる。快適なコミュニケーションのためには「心を開く」ことが不可欠であるが、だからといって、「開きたくないこと」まで無理に開くことはないし、また、逆に、「心を開かせることが必要だから」といって、相手の人格にまで立ち入って論じたり過去を詮索したりすることなどは誰にもできないはずだ。その相互認識なしには心を開くコミュニケーションなどできるわけがないし、山アラシ・ジレンマに陥ってしまうことも目に見えている。もしかしたら、何人かの現代青年は、「心を開くコミュニケーション」を非主体(偶像崇拝)的に憧れすぎているため、その結果として、実際にはそういうコミュニケーションができなくなってしまっているのかもしれない。  傷ついた青年たちのもっている敗北主義は、現在、「被害者」を演じようとする思考回路にはまっていて、それがそれなりの自分勝手な安定感を生み出してしまっていると思われる。そういう現代社会において、狛プーの青年たちが培ってきたネットワーク・マインドの「朗らかさと潔さ」は、とても重要な役割を果たすことができよう。狛プーの役割は、「自分への信頼(自信)や他人への信頼」を失いつつある現代青年にとっての、その基本的信頼感を回復するための、心を開いて交流できる「癒し」(いやし)のネットワークとして機能しているといえるのである。