まちを創るリーダーたち 栃木県佐野市  全国生涯学習まちづくり研究会福留強『まちを創るリーダーたち・パート2』学文社 1 伝統と産業、恵まれた自然と公共施設整備のまち、佐野  佐野は、さかのぼれば、万葉の昔から歌にうたわれ、名将藤原秀郷をうみ、その名は歴史に古くから刻まれている。近世に入り、日光例弊使街道の宿場町として栄え、天明(命)鋳物、節句品などはその伝統と技術を今に伝えている。また、越名河岸は当時交通の主力だった河川交通のかなめであり、江戸と直結した流通の大動脈として、物資だけではなく、進んだ文化や流行風俗も佐野に運んできた。さらに、田中正造は、卓越した思想、行動力で流域の農民救済に奔走し、足尾鉱毒事件の解決のために一生をささげた。佐野市小中町にある生家は今も保存され、正造関係の遺品や資料は郷土博物館に収蔵展示されている。  現在の佐野市は、人口約8万5千人、工業、農業、商業等が調和した都市で、美しい自然環境と首都圏に位置するという好条件に加え、東北自動車道、国道50号が通過し、市北部地域には北関東自動車道とインターチェンジが予定されており、市内全域にバランスのとれた発展が約束されている。  佐野は、自然にも恵まれている。市の北域にあたる後山の一角に、名水百選に選ばれた「出流原弁天湧水」があり、また、三毳山山麓には万葉自然公園かたくりの里があり、三月下旬の開花時期には、かたくりの花が咲き乱れ可憐な花のじゅうたんが出現し、そのあとも季節のうつろいに従って、ニリンソウ、ヤブレガサ、ホタルブクロ、ツリガネニンジン、ヤクシソウと山野草が山麓をかざる。  一方、市内各所には公共施設の整備が進んでおり、市民スポーツの拠点として、32haの敷地に各種競技施設を備えた運動公園、大小ホール、展示室等を備えた文化会館、13万冊の蔵書がある市立図書館、田中正造を中心として郷土の歴史をわかりやすく展示した郷土博物館、生涯学習の拠点となる8ヵ所の地区公民館、また、福祉や健康増進のために、総合福祉センター、保健センター等も整備されている。このように佐野市では、先人から受け継いだ自然、歴史、文化を大切に守るとともに、市民生活向上のための産業振興や、新しい時代に対応したまちづくりに取り組んでいるのである。  佐野では、豊かな伝統が根づき、そのうえで産業が振興されており、また、自然と人情に恵まれ、そのうえで公共施設の整備などの行政施策が進められている。毛塚吉太郎市長(平成3年5月から)は、そういう佐野の優れた条件を大切にして最大限に活かしつつ、これをいっそう盛り立てるかたちで生涯学習を振興しようとしている。 2 私らしさ咲かせます、楽習のまち佐野  平成4年12月、佐野市生涯学習推進協議会から市長に「佐野市生涯学習推進基本構想」が答申された。そのキャッチ・フレーズは「私らしさ咲かせます、楽習のまち佐野」である。これは、この構想の中間報告を提起した推進協議会からの呼びかけに応じて市民から寄せられた多数のアイデアから採用されたものだ。そのキャッチ・フレーズのとおり、構想のポイントは、「私らしさ」と「楽習」にある。  この構想では、市民一人ひとりが、私(わたし)すなわち個人の生活や人生を充実させることを、一番の基本においている。もちろん、学習者がグループや集団を作って地域活動や学習を進めることは、生涯学習の推進にとって欠かせないことだろう。しかし、それでさえも、根本的には一人ひとりのメンバーがよりよい充実した人生を送るためにあるはずである。佐野市の生涯学習の推進においては、あくまでも私(わたし)を大切にして、個性を活かし、自発的意思に基づくそれぞれの楽習が進められるよう配慮する必要があるというのである。そして、さらには、「なにからでも学ぼうとする本人の主体的で積極的な生き方や姿勢」をめざして、「佐野市の生涯学習の推進をとおしておたがいを高めあっていこう」と市民に呼びかけている。生涯学習推進の中心に、近代的な「個の確立」を据えているのだといえる。  また、そこでの生涯学習は、他人から強いられて学ぶ受動的な「学習」ではなく、みずから進んで「楽しく学ぶ」という考えに立って「楽習」と呼ばれている。趣味・教養に関する学習活動、文化・芸術活動、健康・スポーツの活動、レジャー・レクリエーション、そして、ボランティア活動・社会参加活動までもが、楽しさを感じながら行われ、しかも、それぞれの「自分」が生きている価値をよく噛みしめて味わうことにつながっているという。もちろん、そこでの楽習の「楽」は、「ラク」という意味ではなくて「本当の楽しさ」という意味である。 3 私(わたし)の生涯学習がよりよいまちづくりにつながる  しかし、このように「私」の尊重ばかり強調していると、もう一方では「私利私欲のために他人の幸せを犠牲にしたり、社会の秩序を乱したりすることになるのでは」という批判も生まれよう。答申は、この点について、「私(わたし)の生涯学習がよりよいまちづくりにつながる」として、次のようにいっている。  実際、自発的意思のもとに自由に進められている市民の活動が、ほかの市民の関心をひいたり、見知らぬ人の楽しみや支えにもなっていく場面を、私たちはさまざまな生涯学習活動の中でたくさん見聞きすることができます。「自分のため」が「人のため」につながっているのです。逆に、義務感や強制を伴って行われていることには、今や魅力が少なくなりつつあります。  個は他者と関わることによってより深まる、と言われます。ボランティア活動であっても、「犠牲になっている」という意識よりは、むしろ、「自分がいろいろな人との出会いから学ばせてもらい、成長させてもらっている」という意識で行われているのだと考えられます。そのような意味で、生涯学習の観点からは、「自分のためにやっている」と胸を張って言えることこそ、大切なことだといえるでしょう。  さらに、生涯学習のまちづくりという広い視点に立ったとき、そのことはいっそうはっきりします。  現代社会において生涯学習の推進に向けた新しい波が大きな高まりを見せていることは、生涯学習がただ単に市民個人の問題として重要であるという理由だけによるものではありません。この波は、個人が人間らしい幸福な生活を実感しながら生きていける真に豊かな社会への展望を示すものであり、間近に迫った21世紀に向けて、そういう社会を創造する新しい波、そのものなのだと思われます。  私たちは、自分のための生涯学習が、ほかの人びとにとっての住みよいまちをつくることにもつながるというすばらしいチャンスに、今、出会おうとしています。私(わたし)の生涯学習が、生涯学習のまちづくりにつながるのです。  この「佐野市生涯学習推進基本構想」は、生涯学習のまちづくりによって私(わたし)の充実を支援し、その個人は私(わたし)の生涯学習を通してまちづくりに参加、参画する、という個人と社会の双方向の理想的道筋を示そうとしたものです。  この「自分のための生涯学習が、ほかの人びとにとっての住みよいまちをつくることにもつながる」という考え方は、都市型の「生涯学習のまちづくり」の新しいあり方を示しているといえるのではないだろうか。 4 毛塚市長のロマンと現代的リーダーシップ  毛塚市長は、子ども会活動の実践者としての豊富な経験を有しており、また、ビデオマニアとしても本格的なものがあり、市長という重職に就いている今でもビデオ編集をやり始めるとつい徹夜してしまうほどだという。市長自身が体験してきたこれらの社会教育活動のもっている人間的なふれ合いの温かさや、あるいは、現代の科学技術の成果への関心は、生涯学習推進に関する市長の発言のなかにもいきいきと反映されている。  佐野市の生涯学習推進のあり方を考えるにあたって、筆者が市長に直接インタビューしたところ、つぎのようなアイデアが氏の口からポンポンと飛び出してきて、その豊かさと斬新さに驚かされたものである。  ビデオ技術指導者講習会などをどんどん行って、そういう有志に生涯学習や町づくりの振興に関わる映像の制作に協力してもらったらどうか。また、郷土芸能などの地域に蓄えられている映像を、埋没させることなく収集・整理・保管し、CATVの番組にも積極的に取り入れていったらどうか。  生涯学習センターは佐野の中心地に設置し、その1階部分には、市民がふらっと入りやすい広いエントランスホールを備え、観光客も意識して、物産展示などを常設したオープンスペースにしたい。そこでは、さまざまな親しみやすいイベントを常時行うようにする。このようにして、生涯学習センターを、佐野のなかでも市民のこころがもっともゆきかうもっとも佐野らしい拠点にしたい。また、1階部分には2階部分につながるエスカレーターを設置し、2階以上の階も個人でも気軽に入れるよう配慮する。そこでは、音楽、ダンス、演劇、展示発表など、市民の能動的な文化・芸術活動が盛んに行われるようにしたい。  今度新しくオープンするキャンプ場は、佐野市らしい生涯学習を表すという意味で非常に重要な役割をもっている。キャンプ場では、子どもの顔がもっともいい顔になる。大人も子どもの笑顔を見て、また、自らも他の人たちと交流して、いい顔になる。そんなキャンプ場にするために、キャンプ場の中ではなるべく管理的事項を排除し、大人も子どももチャレンジする機会に十分恵まれたものにしたい。また、学校や社会教育団体などの組織的、教育的なキャンプのほか、家族連れなどの気軽な利用も促進し、そこでの自然発生的な市民どうしのふれあいの場を提供して、すべての市民の生涯学習の拠点のひとつとなるようにしたい。  社会教育の見識とともに市長個人のもつ雄大なロマンをも感じさせるアイデアである。しかし、市長は、そういう自分の考え方を部下の幹部職員にごり押しするようなことはしない。それぞれの現場からの現実的な意見や声をきちんと尊重して政策を決定していく。これは、トップとしては当然もっているべきバランス感覚ともいえるが、都市型の生涯学習推進行政には不可欠のリーダーシップのあり方を示すものとして評価することができよう。市長自ら働きかけることはあっても、功を焦ることなく、それが市民や職員の自発的な意思として熟してくるまでじっくりと待つのである。つまり、進取の精神に基づく市長としてのリーダーシップは、佐野市の生涯学習推進行政が守旧に陥らないように発揮されてはいるが、それは、現代の行政システムにマッチした現代的な形態で、あくまでも「堅実に」そして「穏やかに」発揮されているといえるのである。  市長のこのようないわば「現代的リーダーシップ」は、たとえば、つぎに紹介するようなユニークな関連事業に職員がのびのびと取り組み、また、市民もその事業に安心して参加できる雰囲気をつくりだす重要な要素になっている。 5 生涯学習推進のためのユニークな取り組み  前出の答申では、図の「植野ふるさとマップ」のような地域のすみずみの生涯学習資源まで紹介するきめ細やかさをもった楽習マップがすべての地区ごとに作成されるよう呼びかけている。ザリガニのいる所、ふなが釣れる所、コスモスがきれいな所、などのこの地図のもつ人間味あふれた地域情報は、生涯学習にとっても欠かせない情報だというのである。そして、地区ごとのマップの作成にあたっては、この「植野ふるさとマップ」のように、その地区に実際に住んでいる関係者の意見や要望を最大限にとらえたものとすること、たくさんの住民の参加を得て住民主体で作成することによって、生涯学習に関して地域全体の関心が高まるよう配慮すること、などを挙げている。  実際の社会教育の事業も、それぞれなかなかユニークである。「ウィークエンドセミナー」は、余暇時間の増大に対応して、週末に、多様化した学習ニーズに応える学習機会を提供しようとするものである。この講座は、生涯学習関連施設を結んで実施しており、実際、そのネットワークのメリットを活かした多様なプログラムの展開になっている。「アートゼミナール」は、絵画、陶芸、写真、音楽、演劇などの芸術系学習講座である。このような事業は、終了後は、自主的なサークルとしてその活動が発展的に展開されている。なお、このようなサークルと教育行政の関係者が一堂に会してサークル活動のあり方を考える事業として、「サークル活動フォーラム」も開かれている。  教育委員会以外の一般部局の生涯学習関連事業も盛んであるため、その連携が検討されている。たとえば、体育課では、市内を4ブロックに分け、ニュースポーツの普及指導など、高齢者スポーツ活動を行なっているが、高齢対策課でも、「新スポーツ紹介事業」など、高齢者の生きがいと健康づくりモデル推進事業を実施している。また、生涯学習課では、創作やレクリエーションをおもな内容とする「子どもフェスティバルわんぱく王国」を開催しているが、児童家庭課でも、「親から子、子から孫へ」の「手作りおもちゃ展」を行なっている。そして、平成5年5月5日(子どもの日)には、日本で初めての「こどもの街宣言」を行ない、子どもたちを日本一大切にする街づくりもめざしている。このような事業の相互連携が検討されているのも、一般行政部局においても生涯学習関連事業が主体的に取り組まれているからこそのことである。  さらに、平成5年10月には、「全国生涯学習まちづくり研究大会」が、この生涯学習推進の機運高まる佐野市を会場にして開かれることになっている。そこでは、全国の関係者が一堂に会するとともに、広い層の市民の参加を得て、「ただの豊かさから、ほんとうの豊かさへ」(仮題)と名付けられた第4回佐野市生涯学習フォーラムも同時に開かれる予定である。それによって、市を挙げた生涯学習への関心の高まりの中で平成5年の市制50周年を迎え、市民自身の生涯学習の盛り上りとその成果をその後の発展につなげようとしている。その意味では、市制50周年は、佐野市民の手による生涯学習のまちづくりの本格化の元年としても位置づけられている。  なお、この「生涯学習フォーラム」では、従来から「佐野市民憲章賞」の表彰を行なっている。これは、市民憲章の精神を生かして献身的で奉仕的な活動をしている市民及び団体を表彰しているものだが、ボランタリーな生涯学習活動を続けている人びとの励みになっている。  市民一人ひとりの「私」の生涯学習を施策の中心あるいは頂点にはっきりと据えたうえで、市全体の生涯学習を推進しようとする佐野市の姿や、その推進にあたっての市長の現代的かつ穏やかなリーダーシップの発揮の姿は、これからの都市型の「生涯学習のまちづくり」のあり方を示すパイオニアとして、今後も注目すべき存在であり続けるだろう。 図版及び写真の表題 1 栃木県佐野市の位置図 2 佐野市生涯学習都市構想図 3 毛塚吉太郎佐野市長 4 郷土芸能フェスティバル 5 植野ふるさとマップ 6 ウィークエンドセミナー 7 アートゼミナール 8 サークル活動フォーラム 9 からっ風ドッジボール   (青年会議所との連携による市制50周年記念事業) 10 佐野市生涯学習フォーラム 執筆者 西村 美東士 (にしむら みとし)  昭和音楽大学短期大学部 助教授 〒176 東京都練馬区豊玉南2−23−6−208  電話   03(3992)5105 佐野市担当者  生涯学習課田中さん 0283−24−5331