地方自治体における生涯学習計画の実際  −東京都生涯教育計画策定までのあゆみ− はじめに  東京都はけっして生涯教育計画の先進自治体ではない。むしろ、他県の動向を見てから、それらより遅れて計画を策定したといったほうがよいだろう。しかし、それだけに計画化にいたるプロセスを細かく見てみると、これから述べるような長い「前史」と「準備期」の蓄積が消化され反映されていることがわかると思う。そのため、他の先発自治体の生涯教育計画がとりこめなかった先進的部分をかなり指摘できるのである。したがって、このプロセスを分析することは、各地の地方自治体における今後の生涯学習推進計画のあり方を考えるためにもかなり有効なものになると考えられる。  さらに大規模自治体であるがゆえに、一般行政の多様な関連事業などのさまざまな要素が生涯教育計画に複雑な影響を与えているという側面がある。この複雑さの正当な意味での統合は、生涯学習推進計画の現代的な眼目の一つである。  一般行政や民間における生涯学習関連事業が全国的に発展し、その意義の評価が進むにしたがって、東京にみられるこのような複雑さは、各自治体においてもますます広がってくるだろう。つまり、東京都の生涯教育計画を生んだ状況が、今後は全国にも普及すると考えられるのである。  このようなことから、東京都における生涯教育計画策定までの経緯を分析することは、これからの生涯学習時代においても普遍的な意味をもつということができる(なお、今日では、生涯教育計画は生涯学習推進計画などとよばれることが多くなっている)。 一 東京都生涯教育計画前史(一九七〇年代まで) 一「一 現実と理想の乖離  一九六五年一〇月、「東京都社会教育長期計画」が東京都社会教育委員の会議から答申される。そこにはすでに次のような記述が見られる。  「現代社会の経済・政治・文化・科学などの高度な発展の段階においては、幼児、児童、青年、成人(高年層を含む)のすべてを含めた組織的、継続的な社会教育が必要となってきた。フランスで永久教育、イギリスで継続教育ということばが用いられるようになったのも、こうした新しい社会教育の重要性が認められたからである」。  生涯にわたる社会教育の意義を説き、その展開について計画するならば、そのような社会教育計画はすべて生涯教育計画でもあるととらえることもできよう。そして、その考え方によれば、この長期計画もすでに生涯教育計画の一つとして数えるべきということになるのだろう。  しかし、本論では、東京都の生涯教育計画の誕生をもっとのちの一九八〇年代後半ととらえた。ある計画を生涯教育計画とよぶためには、その計画はどうあればよいか。その要件をどうとらえることが妥当かが問題になる。ここでは、八〇年代後半の生涯教育計画に至るまでの関連する諸計画の事例を追うなかから、本論なりに考えるその要件を次第に浮かび上がらせていくことにしたい。  さて、この「社会教育長期計画」では、一九六三年に正式発表された都政全体に関する「東京都長期計画」との関連についてこう述べている。  「(東京都長期計画は)激動期にある今日の都行政のあるべき姿が深く追求されているが、明日の東京都を創造すべき教育、とりわけ社会教育については、考慮されるところがはなはだ乏しい」、そして、「東京都教育委員会においては、長期的な見通しの上に立って、社会教育の基本的なあり方を確立し、都の長期計画をより完全なものとしなければならない」。  つまり、行政全体の長期計画においては残念ながら社会教育の観点が欠落しているので、社会教育長期計画によって補完しようとしているのである。それだけに、総合社会教育施設をサービスエリアによって第一線から第五線までに分類して位置づけるよう提起するなど、社会教育長期計画としての面目躍如といえる側面もある。しかし、いかんせん、行政全体の長期計画との相互の連動がないのでは、それらのビジョンも実際の行政においては現実性の乏しい理想論としてしか見なされない。すなわち、一般行政と社会教育行政との、そして現実論と理想論との乖離をひき起こすのである。この傾向は八〇年代に入るまで続くことになる。  一九七一年一〇月、「東京都社会教育振興整備計画」が策定される。これは、前月の社会教育委員の助言を受けて、東京都教育委員会として決定されたものである。ここでは、既存としては一館あるだけの社会教育会館を都内交通ターミナル地区を中心に一三館、既存としては七館の都立青年の家を一五館にするなどの大胆な方針が打ち出された。しかし、実際にはそれらの施設は、それ以降今日までじつに一館も増えていない。(一九七三年に青年の家が一館廃止されて、新しく倍の規模の一五〇ベッドの青年の家が開設されただけである)。そういうものを行政計画とよんでもよいのか、疑問の残るところである。  ただ、計画そのものについては、 (一) 一九六五年の「社会教育長期計画」の「五線施設構想」を発展的に継承している、 (二) 区市町村社会教育施設や他行政関連施設にまで、よく目配りした施設配置を計画している、 (三) 「財政措置」「情報処理態勢」などにまでふれている、 などの、発展的な側面を見いだすことができる。  「振興整備計画」がもつこのような、継続性、総合性、細やかさは、計画が行政計画であるためには必要不可欠の条件ということができよう。とりわけこの計画において、近隣生活圏から都域生活圏まで、社会教育施設から既存関連施設まで、それらを包括して図式的に整理した施設計画に注目したい。それは、タテ割り行政の観点ではなく、住民の学習の視点から統合的に編まれている。この統合の視点は今日でも非常に重要であり、生涯教育計画の立案において欠かせない条件である。(図@) 一「二 生涯教育計画の萌芽  一九七三年七月、社会教育委員の会議から「東京都の自治体行政と都民の社会活動における市民教育のあり方について」が答申される。市民運動を「人間形成の視点から考察すると」大きな教育的価値を有しているとして最大限に評価している特徴的な答申である。この答申のなかで、「区市町村が社会教育行政施策推進の基盤である」としたうえで、広域行政としての都の役割は次のように示された。 (一) 区市町村の行っている事業の成果の交流につとめる。 (二) 広域的課題にも意欲的にとりくみ、都民の学習要求にこたえる。 (三) 社会教育施設および学習機会の研究開発ならびに相互協力(ネットワーク)をすすめる。  都道府県と区市町村の社会教育行政の役割分担については、国レベルでは、「第一次的には市町村であり、これを広域的に補完するものは都道府県である」(一九七一年「急激な社会構造の変化に対処する社会教育のあり方について」社会教育審議会答申)とすでに明示されていた。また、この答申の写しの送付に伴って、「都道府県教育委員会は、(略)直接に都道府県民を対象とする社会教育事業を行なうことはできるかぎり抑制すること」という通知も出されている(同年、社会教育局長通知)。  東京都の答申のいう「三本柱」は、この社会教育行政の原則を東京都の実態にあてはめて表現したものといえる。そしてこれは「広域・交流・補完」と集約的によばれて、東京都の社会教育行政の役割としてその後もひきつがれている。生涯教育計画においては、この都道府県社会教育行政の役割の「限定論」を機械的に適用できない面もあろうが、今日の「生涯学習熱」のなかで見過ごしてしまってはならない基本的原則であることも否めない事実であろう。  同じく一九七三年七月、「東京都社会教育振興整備計画の改定について」が社会教育委員の会議から助言される。これは前述の「市民教育のあり方について」の答申の結果を受けた内容になっている。とくに「従前の計画は『物中心』の計画であって、社会教育振興の三つの要件のうちの『人の問題』と『事業の問題』が含められていなかった」という反省のもとに、事業と職員の充実を細かく各論的に施策化している点が注目される。ただし、のちの生涯教育計画においては、ソフト面、システム面での計画に、施設配置などのハード面での計画と同等またはそれ以上の比重が置かれるのだが、それに比べて当時のこの助言では、あくまで社会教育施設を中心にして、それに伴う事業と職員の問題をおもに論じている。  一九七六年二月、「東京都社会教育行政体系化にあたっての課題」が社会教育委員の会議から助言される。これは、一九七三年の「市民教育のあり方について」の答申後、インフレ、不況に伴う財政危機という状況の悪化のなかで、先の答申を継承しながら基本的方向を検討したものである。そこでは、「社会教育における『財政上の制約』はなにもいまはじまったことではない」として区市町村の努力と住民の権利意識の高まりに状況打開の期待をかけている。たしかにそれらも重要な要素ではあろう。  しかし、われわれは、その後の生涯教育計画が財政合理化を使命の一つとしながらも、たんなる「節約型」にはとどまらなかった事実に注目する必要がある。合目的的な施策には、現実に大きな予算が措置されることもありうる。すなわち、現代的要請への対応は「目玉」としてとらえ、特別に集中的に財政上の措置を行うのである。これと比べると、当時の計画にはそのような意味でのプライオリティ(優先順位づけ)の思想が欠けていたといえる。  ただ、社会教育行政の独自の役割を強調する「タテ割り責任論」と、他行政の社会教育的事業にばかり重きをおいて相互協力関係の必要だけを強調する「ヨコ割り責任論」の、どちらにも偏ることのない行政相互の責任分担と協力関係の検討を提言していること、さらには、民間諸施設の活用にも触れていることなどは、生涯教育計画の萌芽として評価することもできよう。  この助言の最後は、「おわりに「具体化の努力を「」という章で締めくくられている。そこでは、「現在の自治体財政の窮迫化という事情のもとでは、施設や職員の画期的充実にはいくたの障害がある」ので、この助言で示した施策を「自治体の現実的条件を顧慮しつつ、一つ一つ具体化していく努力が必要」としている。社会教育委員の会議の願いがいかに強く、助言の見識がいかに高くても、それが施策として具体化して表現されなければ行政計画にはならない。この助言がことさら「具体化の努力を」という標題を掲げていることは、裏返せば、その当然のことが充分になされなかった残念な現実をはっきりと物語っているのである。  生涯教育計画も同じく「具体化の努力」すなわち生涯教育行政計画の策定と実施を伴っていなければ、全体としては「生涯教育計画」とはよべない。次の助言、「当面の社会教育施設の整備について」(一九七八年七月)は、この本質的障害をもっと明確に文面に表しながら、東京都生涯教育計画前史の最後に象徴的に登場する。最初の章の標題が「この憂慮すべき事態について「助言の背景とわれわれの意図するもの「」である。「現下の都財政の危機は、社会教育関係予算に対する厳しい削減、縮小となって表れた」という文で始まっている。  この章のなかでもとくに重要なのは、「(社会教育施設の拡充策に関して)社会教育委員の会議がこれまで努力と創意を傾注して『答申』『助言』してきた方策が、都の行政計画に果たしてどの程度に具体化されてきたか、という点についてはわれわれは満足していない」と述べている箇所である。さらに、「(今までの提言が)形式的にのみ評価され、なかには、明らかに空文に終わってしまっている部分が少なくない経過それ自体もまた憂慮されるべき事態」と指摘している。社会教育委員がこのような告発を含んだ提言を公表すること自体、そうたびたびあることではないだろう。委員の重大な決意を示したものといえよう。しかしながら、そのうえで、たとえば従来から提言してきた念願の二三区のなかでの都立社会教育会館の建設をあらためて強調したのだが、それでもなおかつその建設は実現しなかったのである。 一「三 東京都生涯教育前史のまとめ  まとめておこう。ここで東京都生涯教育計画前史とした時期においても、次のような生涯教育計画の萌芽ともいえるような特徴を、社会教育計画のなかにすでに指摘することができる。 (一) 生涯教育の意義について論及し、その実現を目標としている。 (二) 一般行政の教育的機能との連携・協力など、生涯教育的施策を含んでいる。 (三) 計画が一定の総合性と継続性をもっており、その意味では文字どおり「計画的」である。  しかし、次の理由から、それを生涯教育計画とよべるような要件はいまだ満たしていないと考えるほうが妥当であると思われる。 (一) 一般行政全体の長期計画などと相互に連動していない。 (二) 構想を具体化、施策化するための実行力のある「行政計画」を伴っていない。 (三) 「ソフト」や「システム」に関わる計画が、「ハード」に関するものほどには高く位置づけられていない。 (四) 現代的要請に関わる生涯教育施策を財政的に優先するプライオリティ(優先順位づけ)の観点が欠けている。 二 東京都生涯教育計画準備期(一九八〇年代前半) 二「一 「コミュニティ・カレッジ構想」の出現  一九七九年四月に鈴木都政がスタートし、同年八月、「マイタウン構想懇談会」が発足する。これは都政全体に関わる懇談会である。この懇談会が翌八〇年一〇月、「コミュニティ部会報告」を提出する。以後一貫して東京都生涯教育政策の目玉の一つとなる「コミュニティ・カレッジ構想」はここではじめて登場した。ほかに、この報告では、地域住民の身近なコミュニティ施設として「コミュニティ・セントウ」(銭湯)の設置などを提案している。  しかし、コミュニティ・カレッジについては、それよりやや広域的な区市町村のレベルの施設として設置する、都立高校や職業訓練校を活用する、などの簡単な説明しか見られない。つまり、確たる実体的なイメージはじつは最初からあったわけではないのである。だが、「コミュニティ・カレッジ構想」はそのあいまいさにもかかわらず、「全都政」に関する全都的課題として登場し、次第にその実体を育てながら、のちの生涯教育計画においてもっとも重要な地位を占め続ける。このように、生涯教育・成人教育にかかわる特定の施策が都政全体の計画のなかで誕生し、その後も一貫してとりあげられ続けたことはそれまではなかったことであり、注目に値するできごとである。  一九八一年一月、「東京都総合実施計画(マイタウン東京81)」が出される。これは、「安心して住めるまち」、「いきいきと暮らせるまち」、「ふるさとと呼べるまち」のまちづくりを柱とする「マイタウン東京構想」を推進するための計画である。そして、都政全体の総合計画でもある。  そのなかで、「諸大学の公開講座、民間のカルチャー・センターの盛況等にみられるように、都民の生涯を通じた学習を望む声は高まりつつある」と生涯教育の意義を現実に即して明らかにし、これに対応する必要を説いている。そして、そのうえで「都立教育施設のコミュニティ・カレッジ化」の検討が表明された。  一九八二年八月、「ともに生きるための生涯学習をめざして」という助言が出る。これは、東京都社会教育委員の会議として初めて生涯学習・生涯教育をテーマにしてまとめたものである。その「新しい生命の誕生と教育計画」という項では、「いままでのように、各行政がばらばらに乳幼児に対して行っている施策から、それらが協同の実をあげうるものにしていかなければならない」として、既存の各行政の関連機能の統合的発揮のための具体的諸施策を打ち出している。また、「高齢化社会の到来と教育計画」という項では、「従来のいわゆる『老後問題学習』の域をこえて、新しい社会基盤の創出とその担い手の養成という観点から進められる必要がある」として、高齢化への全面的対応の構えを見せている。  しかも、これらの施策としては、たとえば「子どもの生育環境基準の策定」、「高齢期準備教育のシステム化」などのように、ソフトやシステムによる課題解決を重視して位置づけている。「とにかく施設を」ではなく、全体的な視野をもって総合的に対処しようとしている。このようにして、一つには、社会教育計画が内容面で生涯教育計画に近づき始めているといえるのである。  そのうえで、小中学校を「新しいコミュニティ・スクール」に、高校・大学を「新しいコミュニティ・カレッジ」にしようと助言している。学校教育をトータルに「人間形成のための新しい基盤づくりに対応」すべきものとしてとらえたこの発想は、社会教育の見識に基づいて先の「コミュニティ・カレッジ構想」を継承・発展させるものといえる。すなわち、二つには、「都政全体の計画」における構想と、社会教育委員の会議による社会教育計画が連動し始めているといえるのである。  そして、この助言は最後に「すべての都民にとっての生涯学習情報センター」としての「生涯教育センター」の設置と「生涯教育推進会議」の設置を提言している。前者はその後、「生涯学習情報センター」として施策化される。後者は一年後にはさっそく「生涯教育推進懇談会」として発足する。社会教育委員の会議の答申・助言が「形式的にのみ評価され」、「空文に終わって」しまうと、会議自らが指摘したのは一九七八年であった(前出助言「当面の社会教育施設の整備について」)。それとは対照的に、三つには、社会教育の答申・助言が施策として具現化され、実現されるようになり始めているといえるのである。  本助言については、以上の三つの特徴が指摘できる。  一九八二年一二月、「長期計画懇談会」の報告を受けて「東京都長期計画」が東京都企画報道室から発表される。低経済成長のもとでの民間の活力と資源の活用や、あらゆる事業への都民参加の推進などをめざす都政全体の基本的な長期(一〇年)の計画である。そこでは、「コミュニティ・カレッジ構想の推進」という事業名が明示されている。そして、区市町村および都レベルの既存の施設・事業をコミュニティ・カレッジとして活用する構想が明らかにされている。しかも、すでに一部行っている都立短期大学と都立高校の公開講座を「コミュニティ・カレッジ構想の推進」の「現況」として位置づけたり、今後一〇年間に都立の大学、短期大学、高校、職業訓練校を地域、社会人に開放する数と方法の見通しを示すなど、かなり具体的かつ現実的な計画になっている。  一九八三年五月、「都民の生涯学習需要予測研究調査報告書」が発行される。これは生涯学習の意欲をもちながら実際には学習活動に参加しないなどの「参加と不参加のメカニズム」を解明しようとする調査の報告である。調査は、東京都教育委員会が財団法人日本都市センターに委託して行われた。同年一二月には、同じく東京都教育委員会から「東京都・区市町村における生涯学習関連事業調査報告書」が発行される。これはあらゆる部局の二万二千もの関連事業をコンピュータ処理によって分析した結果の報告である。  この二つは、かなり本格的な調査である。それだけに、その後の生涯教育計画策定のための基礎データとして大きな意味をもち続けることができた。たとえば道路政策の決定のために科学的で正確なデータが必要なように、とくに都市部での生涯教育計画策定のためには、このように財政的措置をして組織的かつ本格的な調査を行う必要がある。職員個人の力量と負担に頼って調査をすませてしまってはいけない。 二「二「推進懇談会」の発足と当時の状況  一九八三年七月、「東京都生涯教育推進懇談会」が発足する。これは都知事の依頼のもとに、学識経験者二四人の委員によって構成する懇談会である。全局的にとりくむ懇談会なので、幹事として各局の関連部長が名を連ねていること、そして、事務局は教育委員会社会教育部が受けもっていることに注目したい。  この懇談会の発足によって、都政全体における生涯教育の重要性が各局に再確認されると同時に、生涯教育計画を最も中心的に担当する行政部局として、教育委員会が実際に専門的役割を発揮する場をもった。生涯教育計画策定のためのプロジェクトにおいて、このように各局の部長クラス(この場合は、一二局二二部長)が幹事として参加することは、現実にはさらに大きい意味をもっている。行政の場合、その部長を派遣することは、その部の組織的意思による。部長による自発的参加とは違う。そのため、生涯教育推進の課題も、参加している部長個人の課題ではなく、その部の組織的課題として主体的に受けとめられるのである。このことは、計画策定作業がスタートするための最低条件といえる。  このようにして東京都生涯教育推進懇談会は発足したのだが、各局の生涯教育関連施策も、一九七九年に鈴木都政がスタートして数年経てから懇談会発足の頃までに各種の報告の形で出はじめている。年代順に簡単に触れておきたい。  一九八〇年一二月、「消費者行政における情報活動と消費者教育に関する答申」(東京都消費生活対策審議会)が出される。そこでは、消費者の自己学習や自己教育を援助すること、消費者が必要な情報を得られるようにすることなどの重要性を説いたうえで、各種の具体的方策を提言している。  一九八一年一月、「港湾計画の基本的方向」(東京都港湾審議会)が出される。そこでは、人工なぎさの造成や海上公園の建設などのレクリエーションの場としての海の活用を提言している。同年三月、「東京都職業訓練計画」(労働経済局)が策定される。五年計画で、高学歴化、産業構造の変化、余暇の増大などに対応する新しい職業訓練を実現しようとするものである。  一九八二年二月、「高齢化社会にむけての東京都の老人福祉施策とそのあり方について」(東京都社会福祉審議会)が答申される。そこでは、高齢者が生きがいをもつために老若男女の相互理解と相互協力を進める新しい福祉教育のあり方を提言している。同年三月、「国際障害者年東京都行動計画」(福祉局)が策定される。「ともに生きる」という理念のもとに、障害をもつ人ともたない人の地域における交流事業などを計画している。同じく三月、「今後の保育行政のあり方について」(東京都児童福祉審議会)が答申される。そこでは、地域ぐるみの社会的保育の全体的向上などを提言している。同年八月には、前述したように「ともに生きるための生涯学習をめざして」(東京都社会教育委員の会議)が助言される。  一九八三年一月、「婦人問題解決のための新東京都行動計画」(生活文化局)が策定される。そこでの五つの課題のうちの一つが「男女平等観にたった人間形成」で、そこでは生涯教育施策も重視されてとりこまれている。同年二月、「世界の文化都市をめざして」(東京都文化懇談会、担当は知事部局の生活文化局)という報告書が提出される。文化を「生きがいの問題を含めて、幅広く人間的にとらえること」を基本として、行政の行うべき事業などを提言している。同年四月、「東京都における今後の中小企業勤労者福祉対策について」(労働審議会)が答申される。そこでは知的向上のための施策として「文化教養講座の充実」、「能力向上への援助」などの施策が挙げられている。同年五月、「東京都における青少年健全育成のための行動計画策定にあたっての基本的考え方と施策の方向について」(東京都青少年問題協議会)の中間報告が提出される(最終報告は一九八四年一月)。そこでは、青少年が社会のメンバーの一人として参加し、成長する「ユースコミュニティ計画」を提起している。  「生涯教育推進懇談会」の発足までには、じつにこれだけの「生涯教育関連施策」(すなわち生涯教育計画の「部分」である)が各局各様にそれなりの形で出そろっていた。総合的な生涯教育計画の策定のためには、このような状況はたいへん有利である。あるいは、こういう状況がなければ、あとで述べる「東京都生涯教育計画」の策定は日の目を見なかったかもしれないのである。  それでは、このようないわば「行政各部局の生涯教育化」が展開していない自治体ではどうすればよいのか。このときの東京都のように明確な「生涯教育関連施策」は、一般部局の諸計画には見当たらない自治体も多いかもしれない。しかし、それでも、まずは各部局の諸施策を丹念に読み込んで該当しそうなものを拾い出そうとすべきであろう。さらには、各部局の諸計画に新たにとりあげてもらえるよう、生涯教育担当部局がセクションの壁を越えて働きかける積極性が求められるのではないだろうか。  このようにして「生涯教育推進懇談会」は開始されたが、その後、一九八三年九月に、「活力ある都政をすすめる懇談会」が発足し、都政全体に対して非常にきびしい影響を与えた。まず、その年の一二月、中間報告が出され、施設運営の民間委託化などの「民間活力の活用」が提起される。それを受けて年が明けて一月には、たとえば社会教育施設では全部で七つの青年の家の民間委託化がさっそく決定する。一九八四年八月には最終報告が出る。そこでは、中間報告にいう「民間活力の活用」のほかに、「行政の簡素化・効率化」の視点に基づいて「組織の細分化の是正」などを提言している。これにより、実際にたくさんの課が統廃合された。  このような「衝撃」は、自治体においてときどき表れるものである。すべての部局がその強烈な波をかぶることになる。各局の各個の施策におかまいなく影響力が行使される。どこもその影響を免れることはできない。すなわち、その「衝撃」とは「超行政計画」といえるのである。逆説的であるが、だからこそ現実的で実効性があるともいえる。  しかし、この「超行政計画」も対象施策によりその力を使い分ける。拡張すべきと判断する施策には、むしろ大幅な財政的措置を認めることもある。生涯教育計画は、少なくとも削減・縮小すべき施策とはされずに、その後も発展し続けたのである。そもそも「生涯教育推進懇談会」はゼロから突然できたのではない。各局にわたってそれぞれの関連施策がすでに積み上げられつつあり、その統合の必要が必然化してはじめて、横断的な計画策定の準備作業が始まったのである。この既存施策の「統合」は、「行政の簡素化・効率化」の思想に一致する。また、主要にはソフトに属することである。それゆえ、「超行政計画」がこの「生涯教育計画」を削減する対象としてとらえるはずはないのである。  最初に断ったように、本論では「生涯にわたる教育」を実現しようとする社会教育計画であっても、それを「生涯教育計画」とは切り離してとらえた。後者の「生涯教育計画」は、他の一般の行政計画とは現実的にかなり違うからである。後者は、たとえばこのような緊急事態においても、各局の個別の多くの施策とは異なる特別なとりあつかいを受けることになる。 二「三 社会教育計画と生涯教育計画の連動の前兆  一九八四年八月、「生涯学習情報システムの確立について」が社会教育委員の会議から助言される。二カ月後には「生涯教育推進懇談会」から「東京における生涯教育の推進について」が出されるのだから、両方の事務局を受けもった教育委員会(社会教育部計画課)は大変な苦労だっただろう。しかし、それだけにこの二つの報告はよく連携がとれたものになっている。  「生涯学習情報システムの確立について」の助言では、「はじめに」において、先の「ともに生きるための生涯学習をめざして」(一九八二年八月)の助言で提言した「生涯教育センターの創設」について次のように述べている。  「『生涯教育センターの創設』は、長年にわたる『区部にも都民の集まる社会教育会館の創設を』の念願もこめた提言であった。そこで今期は、このセンターが創設されることを期待して、その中心の事業となるべき『生涯学習に関する情報システムの確立について』を協議することにしたものである」。  そして、本文でその方向についてのべたのち、「おわりに」では「生涯教育センター」の設置場所や運営などについても具体的に提言している。「東京都生涯教育計画前史」において、何度も提言されては消えていた二三区内の「都立社会教育会館」の構想が、このように形を変えて急に現実性を帯びてきたのである。  一九八〇年代前半のほぼ終りの八四年一〇月、東京都生涯教育推進懇談会から「東京における生涯教育の推進について」が報告される。「生涯教育センター」については、二カ月前の社会教育委員の助言を引用して、再度、その設置を提言したうえ、「将来的にはコミュニティ・カレッジ≠フセンターにコンピュータの端末をつなぐことによって同センターに生涯教育センターの分室的機能を持たせたり、生涯教育センターでコミュニティ・カレッジ≠フ一環としての教室や講座を開くなど、両者が相互に連携」することを展望したのである。  このようにして、社会教育委員の会議の提言が、都知事の諮問するレベルの懇談会の提言でも重視され、尊重されるという状況が生まれる。そして、それらはたがいに補い合って、いわば計画相互の関係の有機化を実現しているのである。  また、この提言では「コミュニティ・カレッジ構想」について、都内をいくつかのブロックに分け、「そのブロック内の公私立高校や短大・大学の公開講座、都民大学、公共職業訓練校の地域開放、さらには、区市町村の教室・講座、専修・各種学校、民間社会教育機関などによって構成」するというソフトなシステムを提唱している。これは、提言のなかでも述べているとおり、マイタウン構想では欠けていた部分の改善・補完でもある。  そのほかにも、この報告は都知事から検討を依頼されてから一年以上の審議の結果を、よく集大成して文章化してある。本報告はその名称どおり「東京における生涯教育の推進について」、そのあり方をていねいに論じたものになっているのである。  しかし、生涯教育計画がこれによりスタートしたとは、なお、とらえないでおきたい。なぜなら、行政計画がまだ正式には伴っていないからである。行政計画、つまり行政による「実行計画」が策定され、それが生涯教育構想を支える時、はじめて生涯教育計画の開始ととらえられるのではないか。  助言においても「コミュニティ・カレッジ≠ニいう名称、そのより具体的な内容及び具体化のステップなどについては、別途検討すべきであろう」と書かれているが、この「別途検討」という措置は、けっして逃げではなく、むしろ行政計画を含めた生涯教育計画の策定のためには必要な措置と考えられる。  このような意味で、生涯教育計画の開始は次の一九八〇年代後半に譲ることになる。 三 東京都生涯教育計画開始期(一九八〇年代後半) 三「一 社会教育計画、生涯教育計画、総合計画の「同軸回転」  この推進懇談会の報告「東京における生涯教育の推進について」を受けて、一九八五年一月、「東京都生涯教育推進本部」が設置される。「生涯教育施策に係る基本方針の策定に関すること」、「生涯教育に係る諸施策の協議及び推進に関すること」(設置要綱より)などを所掌する組織である。ここが生涯教育「行政計画」を策定することになる。  知事が本部長を、各局局長が本部員を務めるという、都政の最高責任者による構成である。その下に幹事会が各局関連部長によって開かれている。生涯教育政策が高く位置づけられているのがわかる。幹事会の下には課長会が設置されている。これは、各局において生涯教育関連施策推進に最も直接的に関わる担当課長の会議ということになる。さらには、課長会のもとに担当者会が開かれている。これらの横断的組織によって計画そのものが現実性の高いものとなるし、施策が実際に実行されやすくもなる。また、そのような第一義的なメリットのほか、広く各部局の関連施策の相互認識と連絡・調整の実際的な機会にもなりうるという副次的効果も見逃せない。  そして、事務局は教育委員会(社会教育部計画課)に置き、教育長が事務局長となっている。もちろん、知事部局である企画審議室からも調整部長および計画部長が幹事として参加しており、そこが本来的、普遍的に持っている総合企画調整機能の発揮も、当然、期待されている。それと同時に、教育委員会社会教育部が専門セクションとしてもっている社会教育に関わる企画調整機能を各局に対して発揮することが、それとは別に求められることになったととらえられる。実際、社会教育部は企画審議室とつねに連携しながら、その後の計画策定作業のかなめとしての役割を発揮することになる。  そのほか、「生涯教育推進本部」のなかに「事項別ワーキンググループ」が作られた。「コミュニティ・カレッジ」と「システム開発」の二つの最重要課題に関するグループである。そこでは、社会教育セクションが専門的イニシアチブを発揮しながら、企画調整部局や関連事業担当部局も交えて、現実的な計画策定のための詳細な資料作成や綿密な理論構築を行なっている。  その後、一九八六年一〇月、「東京都生涯教育推進懇談会」は、「東京都における生涯教育推進のための学校教育」を報告する。前回の「東京における生涯教育の推進について」の報告が出たのち、懇談会の事務局は、同じ教育委員会の学校教育のセクションである指導部指導企画課に移された。そして「生涯教育の視点から見た学校教育の在り方」にテーマを絞って検討が続けられていた。その検討の結果がこの報告に集約されている。  そのおもな内容は、 (一) 学校教育を生涯教育の基礎づくりの場とするため、生涯教育の視点から教育目標や教育内容・方法を見直す。 (二) 学校教育を地域に開かれたものにするため、家庭や地域社会、近隣の学校等との連携を強める。 (三) いつでもどこでも学べる学習社会を形成するため、新しいタイプの高等学校や短期高等教育システムを創設する。 などである。  学校教育は、それ自体が生涯教育の一部であり、生涯学習の基礎づくりの機会でもある。それゆえ、生涯教育計画が完結するためには、学校教育の側が生涯教育を理解し、生涯教育計画に学校教育の改革を組み込むことが必要である。その意味で、東京都が学校教育の専門的指導セクションに事務局を置いて懇談会を進め、このような報告を出したことには大きな意義があるといえる。  一九八六年一一月、「東京都第二次長期計画」が発表される。生涯教育に関しては一九八二年の長期計画をさらに具体化しており、とくに「生涯学習情報センターの設置」が新しく加わったことが注目される(図A)。社会教育委員の会議が、古くは一九七〇年代初頭から提言してきた「都立社会教育会館の設置」や一九八〇年代前半の「生涯教育センター」が形を変えて都政全体の総合計画に採用されたのである。さらに「第二次長期計画」に登場したこのセンターは、一九八四年の社会教育委員の会議の助言「生涯学習情報システムの確立について」で提言された「生涯学習情報センター」と名称も同じであり、考え方も共通している。  先の社会教育委員の会議の助言では、センターのおもな機能として収集・提供機能、助言・相談機能、研究・調査機能、交流機能の四つが挙げられていたが、本長期計画でも、情報提供、相談、交流など、と書かれている。相談や交流の機能もが共通していることに注目したい。すなわち、「単純な情報提供ではこと足りない」という学習援助サービスとしての社会教育的な見識が、都政全体の長期計画にもとりいれられたと見ることができるのである。  そして、一九八七年六月、東京都生涯教育推進本部は「東京都生涯教育推進計画」を発表する。これは、策定主体から見ても、名称から見ても、まさにそれまで欠けていた行政計画そのものである。  さらに、早くもその年の一一月には東京都教育委員会が「東京都生涯学習情報システム基本計画」を発表する。もちろん、これは、推進計画の具体化の一環として位置づけられるものである。  このように、この時期に至って、教育委員会の生涯教育・社会教育計画、都政全体の生涯教育計画、そして都政全体の総合計画の三者がたがいに関連しながら回転するようになってきた。その回転の軸は三者で共有しているが、中心部は専門家としての社会教育セクションが「事務局」となって支えている。知事部局の企画セクションもそれを支援する。東京都生涯教育計画の策定経緯を見るなかで、このような新しい構造の成立が認められるのである。この構造は、社会教育の専門的観点と生涯教育の広い観点の両方から生涯教育計画を策定するためには必須の基盤といえるだろう。 三「二 「東京都生涯教育推進計画」における計画性  この計画における推進事業の計画期間は昭和六一年度から七〇年度までの一〇年間である。また、計画実現の最終目標は「二十一世紀初頭」となっている。本計画の事業体系は表のとおりである(図B)。一から五の項目については、それぞれ数個の「長期目標」が掲げられている。右列の各項目については、「現状と課題」、「施策の方向」および「推進事業」が示されている。ちなみに、推進事業の総数は二三九事業にもなっている。  もちろん、これらの事業のうち、新規に計画されたものは少ない。すでに実施されているものや、他で計画化されているもののほうがはるかに多い。しかし、だからといって計画としての価値を軽く見ることはできない。  なぜなら、一つには「システム」としての価値がある。既存の生涯教育事業や計画が、体系化作業を通して統合されるのである(少なくとも体系図のうえでは)。  二つには、「行政内部の意識変革」としての価値が考えられる。ある事業が実際には生涯教育を行うものであっても、必ずしも生涯教育の観点をきちんと踏まえたうえで実施されているとは限らない。生涯教育をはっきりとは意図していない関連事業もあるだろう。それらの事業をあらためて生涯教育の事業体系に組み入れることによって、生涯教育の発想にもとづいて、生涯学習の援助者としての意識を高める方向で担当セクションを触発することができる。  このようなことから、生涯教育計画において問題とすべきは「どれだけ新しい事業を思いついたか」ではないということになる。むしろ、 (一) 生涯教育の視点のもとに各事業が体系化されているか。 (二) 既存事業を計画に組み入れる際、各部局、各事業の担当セクションが計画作業にどれだけ主体的に関わったか。 (三) 同様に、それぞれが計画をどれだけみずからの問題としてとらえているか。 ということのほうが大切なのである。それが不十分であれば、事業の体系化も結果としては形式的な分類作業にしかすぎないことになってしまう。  また、本計画では表Bに見るとおり、推進事業を「(生涯教育の)推進課題別」に集約している。他の区分の基準としては、生涯各期の発達段階に応じた「発達段階別」、それに婦人などの学習主体の区別を加えた「対象別」、学習内容の種類に応じた「学習課題別」、簡単なものでは「行政セクション別」などが考えられる。機械的に所管別に事業を振り分けるだけの最後の区分を除くとして、いずれが良いのかは断定できない。もちろん、その「所管別」を含めて、「推進課題」、「学習課題」、「発達段階」、「対象」などのあらゆる次元のマトリックスに、各事業を当てはめて検討する作業は計画の途中ではいずれにせよ必要になる。そういうプロセスを省いてしまっては現実に基づいた計画にはならない。しかし、計画の最終的な表現においていずれを中心的な基準とするかには、計画の「思想」が表れている。本計画が「推進課題別」をとっていることは、生涯教育の推進体制の根本的変革をめざす目的意識を象徴していると考えられるのである。  最後に、本計画の文面に表れた「計画論」をとりあげて考察しておきたい。本計画では、次の三点について言及が見られるが、これらはいずれも計画の中身というより、計画そのものに関する方法論すなわち計画論に近い。 (一) 長期総合計画との整合性  計画には「東京都生涯教育推進懇談会の報告を踏まえるとともに『第二次東京都長期計画』との整合性をはかった」とある。そして、「推進事業」にも長期計画に計上された事業を数多く(六九事業)とりあげ、しかも、長期計画事業であることをとくに注記してあつかっている。  そのことにより、一つには生涯教育計画に長期計画の裏付けがなされ、計画の実現可能性が強まる。すなわち、長期計画の支援を受けることになる。しかし、それだけでなく、生涯教育政策からの長期計画への支援にもなる。このような計画相互の支援の双方向性は、生涯教育の統合理念を中心軸とする「同軸回転」を実現するための必須条件である。 (二) 漸進的総合化と逐次改定  計画では「各実施機関の独自性や主体性を損なわずに、当面、実現可能な事業から着手し、漸進的に総合化をすすめていく必要がある」としている。生涯教育施策が社会の変化に対応して随時変化する「生きもの」としての存在である以上、計画にあげられた諸事業がいっぺんに実現することはありえない。計画でもいうとおり、「学習社会の実現には長期的な視点が重要であり、その推進のためには地道な努力の積み重ねが必要」なのである。また、計画では「今後、各事業の実施状況を逐次掌握」し、「社会の変化に対応した見直しを行い、概ね三年を目途に必要な改定を行っていく」とある。つまり、計画は完璧なものではない、実際には実現しない事業があるかもしれない、しかも、三年で修正をされる箇所さえ出てくる、ということなのであろう。  しかし、これは、先に「東京都生涯教育計画前史」で指摘した「現実と理想の乖離」の状況とどう違うのか。まず、現実と理想のギャップの大きさが違うだろう。すでに述べたように、本計画は既存の事業や計画が多く、実現可能性が高い。ギャップが小さいのである。だが、もっと根本的にはギャップの「質」が違うといえるのではないか。「前史」においては、都政全体の方向は社会教育行政の求める理想とは必ずしも一致していなかった。それに対して、本計画においては、両者の理想が基本的には一致したうえでの現実上でのギャップなので、あとは諸施策をどう調整し実施するかということ、端的にいえば技術上の問題に過ぎないのである。  このようなことから、「漸進性」と「逐次改定」は、適時的な政策判断を可能にするという意味から、むしろ計画の柔軟性を保障するための仕掛けとして評価することができるのである。 (三) 民間などへの影響力  計画は「東京都がめざす方向を示すことにより都民、区市町村、大学や民間教育機関、国などに対して、積極的な参加と協力を求めていくものである」としている。  生涯学習は学習者の学習なくして成り立たない。しかし、その学習という行為自体は本質的に主体的行為以外のものではありえない。また、生涯学習の理念からいえば、さらに学習行動の決定に関してまで自発性が求められる。そうすると生涯教育政策ができることとは何なのだろうか。計画には、「東京都が目指す学習社会とは、都民のあらゆる年齢層や学習のレベルに応じて、様々な学習機会が体系的に整備され」とある。条件整備ということである。しかし、仮にそれだけにとどまるなら、かえって、学習する者だけがますます学習することから「学習格差」が広がるなどの危険もありうる。  計画では「学習社会は、都民と行政が一体となって築いていくところに成り立つものであり、都民一人ひとりが、この計画の推進に積極的に参加することが強く期待される」と述べている。じつは生涯教育の推進とは、行政側の努力だけでは何ともしがたいものである。その困難を強く意識したところから、このような都民への「呼びかけ」が発したのであろう。  そして、「東京都がめざす方向を示すことにより」という言葉は、生涯教育計画の一次的な役割としての「行政を」計画することに対して、見過ごされがちな二次的な役割を示唆しているととらえることができる。すなわちそれは、生涯教育計画の策定それ自体がもつ役割、すなわち、結果として住民の意識に呼びかけることになるという役割としてとらえることができるのである。  また、区市町村については「住民の日常生活に密着した行政」として、民間教育機関については「生涯学習のための多種多様な学習機会」の提供体として、それぞれの「学習社会の実現に果たす役割」を高く位置づけている。そして、これらに対してもそれぞれの主体性を尊重しつつ連携することによって、「計画の着実な推進をはかっていく」としている。外部に対して参加や協力を呼びかける。そして、その呼びかけが実際に何らかの影響を及ぼす。生涯教育計画はそういう波及効果を発揮しうるのである。 三「三 まとめ(準備期から開始期まで)  東京都の生涯教育計画のあゆみの中に、われわれは生涯教育計画の「要件」ともいうべきものを見てきた。東京都の計画がその「要件」を十分に満たしているということではないが、少なくとも方向性は明らかになってきたと思う。ここに、それをまとめておきたい。 (一) 生涯教育計画の重要性が行政全体の総合計画において強く認識されていること。 (二) 社会教育計画、生涯教育計画、総合計画が連動し、さらには「同軸回転」していること。 (三) 各行政セクションが生涯教育およびその計画に関心を持ち、計画の策定に主体的に関わっていること。 (四) 計画の実現が行政の効率化にもつながることが行政全体に認識されていること。 (五) 外部機関による答申・助言だけが独走するのではなく、行政側の現実的な「実行計画」が伴っていること。 (六) 社会の変化に対応しつつ施策の漸進的実行をめざすなど、柔軟であること。 (七) 以上の要因から、高い実現可能性をもっていること。 (八) 計画事業が生涯教育の観点から既存の事業を含めて総合的に体系化されていること。 (九) ハード(施設等)の新設だけでなく、ソフトやシステムの改革による問題解決を重視していること。 (一〇) 行政側の条件整備計画を掲げることだけにとどまらず、住民にも呼びかける姿勢をもっていること。 (一一) 民間や他行政の主体性を尊重しつつ、それと連携を図ろうとしていること。 おわりに  この一九八七年の「東京都生涯教育推進計画」ののちにも、東京都は、「東京都における生涯体育の振興策と推進体制の整備について」(一九八七年七月、東京都スポーツ審議会答申)、「社会人学習の場『都民大学』の実現にむけて」(一九八八年一〇月、「都民大学」構想検討懇談会報告書)、「生涯学習情報センター整備計画」(一九八九年九月)などの各種の答申や計画を得る。また、一九八九年一二月に「教育庁生涯学習推進本部」が設置され、さらに、一九九〇年八月には、東京都教育庁の組織改正が行なわれ、社会教育部を生涯学習部に改めることになる。これらは、全庁的な体制である「東京都生涯教育推進本部」を基盤に、東京都および東京都教育委員会の総合的、体系的な生涯学習施策を推進する中核的組織として役割を発揮するよう期待されたものである。そして、一九九二年七月には「東京都生涯学習審議会」が発足して、生涯学習推進の基本的考え方や学習成果の還元活用について審議を始めた。これらの動きのなかでは、「生涯教育」という言葉遣いが「生涯学習」に全面的に変わってきた点などが注目される。また、施策実施の面でも、「とみん情報システム(生涯教育情報システム)」が稼働したり、「都民カレッジ(都民大学)」が開設されたりしている(ともに一九九一年四月)。  しかしながら、今まで論じてきた「東京都生涯教育推進計画」成立までの歴史的経緯を振り返ってみると、ここまで計画化が進んできた今日でも、なお、生涯教育計画、生涯学習推進計画に関わって、次の課題が残されたままになっているようにわたしには思われる。 (一) 行政全体の総合計画においては生涯学習が重視されるようになってきていることがわかった。しかし、今日においてもなお、生涯学習支援の姿勢が一般行政の個別の各計画にまで浸透しているわけではない。じつは、そのような末端の諸計画における生涯教育計画の浸透こそが、行政の「生涯教育化」の本命のはずである。 (二) 生涯教育計画と社会教育計画とがお互いに支えあう時、両者の実効性は高まる。しかし、社会教育計画の独自の範疇のものは何だったのか。それについては拡散・消滅しつつあるかのように見える。過去の社会教育計画を復活することではなく、生涯学習時代における新しい社会教育計画の独自の役割を開拓することが求められているのではないか。 (三) 生涯教育の統合の理念が少しずつ現実のものになりつつあるいま、その計画化においても、統合理念の具現化のあり方が問われていると思われる。「分(ぶ)をわきまえる」といういやな言葉があるが、それがたんに禁欲や退嬰を示す言葉ではなく、むしろ行政の各セクションや社会の諸機能のそれぞれが生涯教育推進のなかでの個別で独自の役割に喜びと自負を感じるという積極的な意味をもった言葉として、根本的な転換がなされるようにならないだろうか。  自己が全体のなかでの部分でしかないことを受容できないとすれば、それは自己の価値や文化を全体に押しつけようとする全体主義や、そういう他者の押しつけに服従する敗北主義にもつながりかねない。本文中では「同軸回転」の重要性を述べたが、それはけっして一方が他方に同化することによって成立するものではないはずである。生涯学習の理念は、同一化へのみずからの内なる誘惑に抗して、個々がたがいに異質であることを歓迎するネットワーク型の志向と特質をもっている。つまり、それは、自分が他とは個別で自立的な特性を有しながら他と連携することが喜ばしいという感覚であり、個と全体との新しい共存の方法でもある。それゆえ、生涯教育のめざす統合も、その計画化のなかでの具体的な姿としては、たがいに異質であることがそのまま生かされるゆるやかな統合であるべきということができるだろう。各セクションの個性がいきいきと表れる生涯教育計画を求めたい。 (四) 生涯教育計画は、いま、大いに現実性を獲得しつつあるといえる。しかし、そこに計画主体による現実への不当な妥協はなかっただろうか。現実自体が目まぐるしく変化する時代において、もし計画がその時点での現実の集約でしかないとすれば、計画としての独自の価値は少ないといわざるをえない。現実性に裏打ちされたうえで、「開発性」が求められていると考えられる。たとえば、計画のなかに新しいアイデアを盛り込むなどの、新しい現実を切り開くための能動的な計画性も必要であろう。 (五) 社会の変化に対応して適時的な政策判断を保障する柔軟さが東京都の生涯教育計画のなかに育っていることがわかった。しかし、もっと積極的に柔軟性を発展させて、偶然を取り込んで「自己成長」するようなシステム面での工夫をも計画のなかにとりこんでいけないだろうか。たとえば、「逐次改定」のための委員会の設置などが考えられよう。 (六) 生涯教育計画が生涯学習の支援のためにあるということを強調し、そのことによって学習者の自主性を尊重するという意味では、その計画の名称にも生涯学習という言葉を使うようになった今日の流れは大いに評価しうるものである。しかし、反面、生涯教育という言葉をあえて避けることは、学習援助として教育が存在しているということまで一面的に否定する「教育に対する敗北主義」にもつながりかねない。たとえ「生涯学習推進計画」などの表記をしたとしても、その計画は、人びとの生涯学習の有効な支援としての「教育」の意義と可能性をつねに新たに開発する視点が要請される。生涯学習という言葉の普及によって学習者の主体性が復権したとすれば、次に必要なことは、その有効な援助としての生涯教育のもつ意義と可能性を「生涯学習推進計画」のなかで復権させることであるといえよう。 (七) 生涯教育計画は「行政計画」をともなってこそ、計画の実効性が飛躍的に高まる。しかし、そもそも、生涯学習の推進そのものは、そのほとんどが行政の力だけではどうにもならないものである。全生活、全地域、全社会での生涯学習のための条件整備の営みが必要になる。それらのことについては行政は期待を述べるだけということでは、生涯教育の本格的な推進は現実には望めない。自治体行政だけでなく、地域のあらゆる構成メンバーの共同制作によって、全領域を統合したもっと大きな「生涯教育計画」をめざすことが期待される。  さらには、主として条件整備面での計画化としての生涯教育計画の策定とともに、地球規模のゆがみやきしみのなかで、われわれはとくに何をどのように学習するのかということを、学習者や援助者が現代に生きる同時代人として協同して主体的に計画化するような文字どおりの「生涯学習計画」の実現も、今後は期待されるだろう。これは、現代社会のなかで主体性を失いつつあるわれわれが、生涯学習計画の共同制作のなかで学習計画能力を育て、そして、それによって、認知し、行為し、評価する主体性をとりもどし、みずからの学び生きる意欲と能力を身につけることによって、「学びたいことを学びたい手段で学ぶ」という生涯学習の理想を実現する学習主体としての力量を獲得し、現代社会のなかでその理想を現実に開花させることにつながるのである。  これらは簡単に課題を列記しただけのものである。しかし、このように考えると、生涯学習計画はいま始まったばかりで、今後の課題のほうが多いということは確かなようである。また、その課題を解決してしまった自治体が東京都以外にはあるとも考えられない。本論が生涯教育計画の「開始期」で終わっているのもそのためである。  学習社会とは、これらの課題解決のさきにある社会なのだろう。 参考文献 西村美東士『生涯学習か・く・ろ・ん −主体・情報・迷路を遊ぶ−』(学文社、一九九一年四月) 西村美東士『こ・こ・ろ生涯学習 −いばりたい人、いりません−』(学文社、一九九三年三月) 図表タイトル 図@ 「東京都社会教育長期計画の5線施設構想と東京都社会教育振興整備計画施設計画との関係」  出典 東京都社会教育振興整備計画(1971年10月) 図A 「コミュニティ・カレッジ構想と生涯学習情報センター」  出典 東京都第2次長期計画(1986年11月) 図B 「東京都生涯教育推進計画の事業体系」  出典 東京都生涯教育推進計画(1987年6月)