練馬に元気と癒しの「サンマのネットワーク」を 『元気がでる講座』講師 (昭和音楽大学短期大学部助教授) 西村美東士 練馬区春日町青少年館『元気がでる講座』平成6年度活動記録集原稿(平成7年3月)  まあ、とにかくみんな元気ですよね、とくに女性が。これが、6月当初に講座のメンバーと出会ったときのぼくの一番の感想です。その後もときどきみんなと会いましたが、この元気の基本線はかわらないようで、ぼくにはそれがとにかく楽しいです。  しかし、元気だということは、ちょっと無理をしているのだと思います。人間ですから、悲しいときや苦しいときや淋しいときがあって当たり前。−−でも、ふさぎこんでいてもしかたないし・・・。ほかのひとを心配させたくないし・・・。まっ、いいか。陽気にやっちゃおう−−、他者に対してそういうふうに思える心やさしいひとたちが、がんばって元気を出し続けているのでしょう。だって、他者に対するそういうやさしさや配慮の足りないひと(めめしいぼくなんか)だったら、−−わたし、こんなに不幸せなの。だれか、なんとかしてちょうだいよ−−という他罰と甘えの気持ちのほうが先にくるはずで、けっして自分が無理して元気をだして、しかもその元気を他人に配ってあげるなんてことは思いもつかないでしょうから(ふたたび、めめしいぼくなど)。だから、元気がでる講座にはきっといい男といい女が集まっているんだなあ。あるいは、いい男やいい女になりたいと現在努力中のひとかもしれない。  でもね、「めめしいぼく」から、ひとこと提案があります。−−あんまり無理しないでね−−という提案です。だれだって、悲しいときはだれか安心できるひとの前でわんわん泣きたいし、淋しいときはかえって一人になってその淋しさをじっくり受けとめていたい、そういうときがあるんじゃないでしょうか。そういうときは無理をしないで自分のままでいるようにしませんか。元気がでる講座を、そういうばかな自分を安心して出せる「癒しの場」にしませんか。「自分はいい男やいい女でなくてもいい」というひとにこんなことをいうつもりはありません。しかし、いい男やいい女が集まる元気がでる講座に対しては、ぼくはぜひ提案したい。ここだけは、おたがいがあるがままの自分でいて、そういう自分と相手との異なりをおたがいに尊重しあう「時間・空間・仲間」(3つのマだからサンマ)にしましょうよ。  ぼくは、ご存じのかたも多いと思いますが、『狛プー』(狛江市中央公民館青年教室「狛江プータロー教室」)にもしっかりハマっています。1週間に1度はかならず味わえるぼくにとっての「癒しのサンマ」です。狛プーなどの場を社会教育や生涯学習とよびます。そういう大人の自己成長の場では、義務教育と違って、「自分が行きたい(学習欲求)から、行きたいところ(学習手段)に行く」という個人の自己決定と自己管理が尊重されます。どこまでも知りたいけれど、癒されもしたい。だからこそ、仲間と出会う。そして、だからこそ、あなたは元気がでる講座に参加しているのではないでしょうか。無理をして「違う自分」を演ずるのではなく、泣きべそで淋しがり屋のあるがままの自分自身や、無知で非力なあるがままの自分自身であってよいし、そういう他者の存在をも受け入れることができる。それが癒しの基本原理でしょう。  話はぶっ飛びますが、これを「信頼・共感・自立のトライアングル(三角形)」とぼくはよんでいます。いい男といい女は、現代社会の「不信・孤立・甘えの魔のトライアングル」(不信と孤立が自立につながらずにかえって甘えという結果を呼び起こすというありがちな事実を思い起こしてください)から脱して、「信頼・共感・自立」のもっといい男ともっといい女になる権利と可能性をもっているのだと思います。  自分と、自分と異なる相手との、両方を認めあい、対等に(上下関係からではなく)手を結ぶ関係を「ネットワーク」とよぶことができるでしょう。ネットワークはピア(同一化をめざすなかよし仲間)とは違います。ここでぼくが元気がでる講座に提案していること、つまり、個人が無理をしなくていいサンマにしようということは、結局は、元気がでる講座を、−−無理に仲間にあわせる甘えとなれあいのピア型ではなく、異なりを受け入れあう自立した者どうしのネットワーク型で−−ということなのです。  ネットワーク型とは、具体的には、たとえばつぎのようになるはずです。参入は歓迎するけれども、撤退も自由。撤退するひとに「どうしたの? 何かあったの?」と声をかけるぐらいのことはするけれども、撤退したことを責めたり、逆に撤退させたことの責任を勝手に感じたり、撤退したひとを深追いしたりはしない。それぞれのひとは、それぞれの事情と心情というものをもっているのですから。撤退するひとも、ほかのひとや社会のせいにしたりしないで潔く撤退する。実際、狛プーが「出入り自由」であることを初めて聞いた人が、「そりゃあ、それが許されるのだったら、わたしだって参加したいわ」というのです。今までの社会教育が「出入り自由」のネットワーク型でなかったことこそ、あるいはそれが許されないという誤解を与えていたことこそ、問題なのでしょう。  元気がでる講座を元気と癒しのサンマのネットワークにしたいものですね。  ただ、よけいなことかもしれないけれど、元気がでる講座といえども(狛プーといえども)けっして現代社会のなかでは「信頼・共感・自立の理想社会」そのものではありえないのですから、自分のあるがままを「無理して」さらけだすなんてことのないように。そんなことをして、あとで悔やむのはあなた自身です。「開きたいと思う部分」の自分の心を安心して開くことこそ、「今ここで」のあるがままのあなたの願望であるはずです。ああ、占星術のノリになってしまった・・・。  でもね、とにかく無理は禁物です、「無理な変身」も禁物です。「あなたは変わらなければならない」「あなたを変えてあげる」という世間の一部からのあなたへのささやきは、いっときは魅力的に見えるかもしれないけれど、そんなささやきに対しては、「おいおい、ほんとかよ」と反発する強さを身につけてください。そのために、自分のことをあるがままに知ってください。それから、そのうえでもうひとつ、自分のことをもっとだいじにしてください。 講師紹介  〒243 神奈川県厚木市関口808 昭和音楽大学 PHONE0462−45−1055  昭和音楽大学短期大学部助教授。社会教育主事課程担当。東京都教育委員会社会教育主事、国立社会教育研修所専門職員を経て現職に。学生や社会教育職員は、mitoさん、mitoちゃんと呼ぶ。  生涯学習、社会教育、青少年教育、学習情報提供、パソコン通信、パソコン活用などを研究中。春日町青少年館「元気がでる講座」講師、練馬区生涯学習推進懇談会委員のほか、総務庁、文部省、第二国立劇場、千葉県などの情報システム関連委員、東京都、神奈川県、佐野市、桶川市、葛飾区、中野区などの生涯学習関連委員、全日本社会教育連合会月刊誌「社会教育」の編集委員などを務める。また、狛江プータロー教室(狛江市青年教室)の年間講師など、社会教育現場でも頻繁に活動している。