狛プーという新しい教育 −保護や管理より自由の恐怖を− 昭和音楽大学短期大学部助教授 西村美東士 (狛江市中央公民館青年教室「狛江プータロー教室」年間講師)  青年教育は日本では壊滅したといわれ始めたときから数年が過ぎ、いま、全国各地でちらほらとだが、青年が元気になれる「青年教育」が誕生しつつある。この新型の青年教育の全国的に有名なメッカを3つ挙げるとすれば、新潟市(社会教育課が仕掛けた青年のネットワーク)、鹿児島県(青年団協議会)、そして狛江市中央公民館のプータロー教室(狛プー)ということになるだろう。  狛プーの最大の特色は、「一年に一回来ればメンバーだ」というゆるやかな癒しのネットワークにある。現代青年が、いま、もっとも求めているものは、自分たち一人ひとりがそれぞれの個性を発揮できる場と、そういう場を創り出すあたたかい仲間関係である。それを「支持的風土の集団」(同調できないときには同調できないと安心して言える関係!)ということもできるし、「サンマ」(心を開いて交流できる時間・空間・仲間の3つの「マ」)ということもできる。ネットワークの意味とはこれであろう。  だが、そういうネットワークの場は、本人にとって最初はかえってつらいものになるときがある。自分の責任でその自由を行使しなければいけないからである。「去る者は追わず」「私は私、あなたはあなた」のもつ淋しさにも耐えなければならない。いままで保護されたり管理されたりしたことはあっても、自立して自由を行使するときの恐ろしさは味わったことがない。新型の教育は、そういう彼らに対して、保護や管理に明け暮れていたずらに屋上屋を重ねるのではなく、自由に恐怖したり使いこなしたりする機会を提供する場として転換されなければならない。  この世はいまだ生涯学習社会への移行期であり、学校歴偏重社会の上下競争の価値観という遺物が青年の内面に癒しがたい傷として残っている。そういういま、狛プーの公的・現代的意義は大きい。なぜなら、信頼と共感と自立の水平的人間交流のネットワークのあり方を、狛プーはこの世において温かくかつ鋭く実現しているといえるからである。(参考 拙著『こ・こ・ろ生涯学習』学文社)