ジャンル別ブックガイド 青少年編  昭和音楽大学短期大学部助教授 西村美東士(mito) 私のすすめるベスト10 1 「青年期の教育」 宮原誠一 岩波新書 (絶版) 03−5210−4000 2 「現代の青少年−自立とネットワークの技法」 柴野昌山 学文社 1854円 03−3715−1501 3 「青少年の地域参加−生涯学習のまちづくりシリーズ5−」 岡本包治他 ぎょうせい 2000円 03−3268−2141 4 「現代教育の忘れもの−青少年の欠損体験と野外教育の方法−」 三浦清一郎他 学文社 1854円 03−3715−1501 5 「グループ活動と青少年」 福留強 学文社 2987円 03−3715−1501 6 「生涯学習と学校5日制」 岩淵英之他 エイデル研究所 1800円 03−3234−4641 7 「がんばれ子供・若者たち−青少年育成のアラカルト−」 かみむらぶんぞう 日本教育新聞社 2000円 03−3464−0043 8 「ボーイスカウト−20世紀青少年運動の原型−」 田中治彦 中公新書 680円 03−3563−1366 9 「メディア革命と青年」 高橋勇悦他 恒星社厚生閣 1751円 03−3359−7371 10 「都市青年の意識と行動」 高橋勇悦他 恒星社厚生閣 6695円 03−3359−7371 11 「こ・こ・ろ生涯学習−いばりたい人、いりません−」 西村美東士 学文社 2000円 03−3715−1501 12 「生涯学習か・く・ろ・ん−主体・情報・迷路を遊ぶ−」 西村美東士 学文社 2000円 03−3715−1501 キャッチ 40字 1件 16字*32行*3段=1536字=40字*38行 「生涯学習か・く・ろ・ん −主体・情報・迷路を遊ぶ−」 西村美東士 学文社 メディア革命の時代だからこそ青少年と「個の深み」のワンダーランドを遊ぶ  ほかの人のすぐれた文献が多くあるなかで、拙い自著を臆面もなくひとさまに紹介するのはあまりにも厚かましいとは思うが、一人でも多くの人にお読みいただき、また、批評という水平のストローク(存在確認のやりとり)をもらいたいというわがままから、ここでは『か・く・ろ・ん』と『こ・こ・ろ』の2つの拙著を紹介させていただく。  まず、『か・く・ろ・ん』についてだが、日本教育新聞(91年7月)ではつぎのように評論された。  −−青少年教育やパソコン通信での第一人者として長い間社会教育の世界にいた著者が、昨年、大学の教員になりこの本を書いた。第1部では大学や社会教育での講義型学習、第2部ではパソコン・ネットワークと青年、第3部では子どもたちの団体活動、などについて説明している。これらはすべて著者が体験した中からの生涯学習各論である。各論をつらぬいているのは、これからの生涯学習では人のつながりがネットワーク型であること、また、個人の主体性があくまでも尊重されることという著者の観点である。ここからは生涯学習はワクワクする、自由な、おもしろいものだというメッセージが伝わってくる。中身は相当重要な問いかけをしているにもかかわらず、教師一年目で悪戦苦闘している著者の授業風景のコラムなど”遊び”が随所にあるのがうれしい。−−  第2部「現代都市青年と情報」に関しては、中央青少年団体連絡協議会機関誌「なかまたち」(89年12月)において、茨城大学教授菊池龍三郎からつぎのように評論された。  −−氏は若者に必要な情報とはどんな情報かという問題について興味ある問題提起を行っている。・・・・そうした新しい情報とチャンネルは多分彼らと地域との関係をひっくり返し、地域を彼らにとっての人間形成空間につくり変えるに役立つと思われる。−−  同「パソコン・パソコン通信と青年」に関しては、金子書房「青年心理」(90年1月)において、大阪大学教授井上俊からつぎのように評論された。  −−パソコン通信のネットワークのなかに「自立」と「依存」の統合の可能性を見出し、そこからさらに「知」と「集団」の新しいあり方、新しい情報文化の可能性を遠望したもので、文章と議論の運びには生彩があり、楽しく説得されてしまう。−−  また、第3部第1章「子どもたちの団体活動−そこに秘められている大いなる教育力−」では、つぎのような認識のもと、「子どもにだって『個の深み』がある」と主張している。  −−団体が子どもたちに伝えたいことをもっているということは、少年団体活動が教育的意義をもつための基本的条件にはなるが、それを子どもたちにお説教するだけなら、そんなものは何回繰り返しても本当の教育にはならない。子ども自身が自分でワクワクしてこそ、子どもは確かな成長をするのである。教育的センスさえあれば、少年団体活動は、そういう「ワクワク」を与えるワンダーランド(不思議の国)の局面を本質的にたくさんもっている。−−  「個の深み」への関心こそが、「個性重視」の合い言葉を超えた、もっと刺激的でしみじみとした出会いをわたしたちが味わうための鍵であると本書はたびたび繰り返し述べているのである。本書はいう。  −−率直に言って、一人ひとりの「個の深み」は現在の組織運営にはむしろ邪魔にさえなりかねない。だが、やっかいだけれどもそれとつきあっていく覚悟を決めなければならない。「個の深み」は、本人の目先の利益には役立つかどうかもわからない。だが、それを支援するのは今後の社会への教育の責任である。−− 「こ・こ・ろ生涯学習 −いばりたい人、いりません−」 西村美東士 学文社 保護や管理ではなく自由への恐怖を与えよ、若者はその恐怖を受容して楽しみに転化せよ  −−飲食や入退室がオールフリーの教室で、学生のこころをえぐる時間・空間が展開される。そして、教育と学習の双方向のやりとりのなかで、幸福追求の人生や学習から逃げ出そうとする私たち現代人の敗北主義があらわにされていく。−−  いま思うと、本書の袖のこの文章は少々過激で宙に浮いている感もある。だが、日本教育新聞(94年2月)は次のように評論してくれた。  −−本書は、『生涯学習か・く・ろ・ん』に続く、著者第二弾の生涯学習論である。とにかく、ユニークな本である。「なんで生きてるの?」「時間/空間/仲間というサンマ」「フリーチャイルド」「自分さがし」「さわやかな自己主張」「共感/ストローク/エンカウンター」「自由への恐怖」。これらは、表紙に踊るキーワードである。豊かな感性としたたかな自己主張を感じさせる。ところで、本書の特徴は、自分が担当する大学での授業風景を、学生に課す「出席ペーパー」なるものを通じて赤裸々に紹介していることである。本論とそれとの二重進行が、読み手の興味を一層そそるものとなっている。「個の深まり」としての学習の復権(主体性の回復)を、受験学習との対決の中で、自ら実践しようとする著者の姿勢が垣間見られる。本書は、新しい大学教育の実践を、教官と学生の双方向の学習交流として位置づけ、受験体制下で呻吟している現代若者に対して送る「私的メッセージ」という感が強い。一つの、大学教育の変革者と映る。(堂本彰夫)−−  本書の最終章もことさらに過激である。そのメッセージは「若者に保護や管理ではなく自由への恐怖を与えよ」である。学習者の立場からいえば、「みずからの主体性のなさを他人や社会の保護や管理が至らなかったせいにするのではなく、自由の恐怖を受容して楽しみに転化せよ」ということになる。実際のユースワークや講義、授業では「何でもアリで、楽しく面白く」が筆者のモットーなのだが、青少年活動において何かにつまづいたとき、指導者自身の思考方法においては、この「保護や管理を与えるのではない」にもどる必要があると本書では説いているのである。ただし、それを可能にする条件としては、本書の副題のとおり、「いばりたい人、いりません」ということになろう。  この最終章では、コミュニケーションを心の底では求めながらも、それによって傷つきたくないとおののいている若者たちのこころを受容的に受けとめたうえで、しかしながら、軽やかな無内容の「双方向の一方通行」ともいうべき彼らの「おしゃべり症候群」には強く異議を唱えて、つぎのように提唱している。  −−どんなストロークも自分の判断で出せるという自由の場に彼らを引きずりこんでこそ、自分がストロークを本当は求めながらも、それを出すことによって傷つくことを恐怖している、という自分に気づくだろう。・・・・このように誰のせいにもできない状況では、その人のすべてのストローク発信をその人の責任にすることができる。そこでどうするか、ということこそが、本来の現実原則の学習につながる。自由への恐怖を味わうことなしには、何も始まらないのである。−−  指導者が(わたしが世話をして青少年が恐怖しないように守ってあげないと)「何も始まらない」と思い込んでいる限り、青少年が自由を使って自己とは異なる枠組みをもつ他者やものごとと出会う力の獲得は「何も始まらない」というべきだろう。  なお、第2部「こころを開く態度変容の学習」では、その方法論、実践論が、第3部「主体的学習へのいざない方」では、とくに「学習相談」の傾聴・共感の技術が書かれている。