希望 いまとは違う何か? 昭和音楽大学短期大学部助教授  西村美東士 14字×29行×2段 =812字  先日、授業で、社員の自立を促すために企業全体で取り組むボランティア活動の意義を取り上げた。予想どおり「企業ぐるみということが個人を抑圧するのでは」という反論が多くの学生から出されるなか、一人の学生が次のように書いてきた。  「企業だからできること、サラリーマンは給料でるから。ボランティアは個人的なものではない。ボランティアでは食えない。個人でボランティアをやっているのはバカである。ある程度のゆとりがあって、やること。これから何かをやろうとしている若者たちにとっては無駄な時間である。自分の欲を満たさずしてどうする」。  ぼくにはこれが現代人の真実の叫びのように聞こえた。実際、このペーパーを他の学生に紹介したところ、「そういう自分を隠さずに書けるなんてすごい」という賞賛の声が挙がった。ボランティア研修会の若者さえ、「共感できるわけではないけど否定はできない」といった。ぼくは思った。このペーパーは、上下競争のせちがらい現代社会に生きる人間が、それでも「希望にあふれた人生でありたい」という願いを捨てられないとき、「私はふつうの人とは比べものにならないほどの自分だけの希望をもっている」と思い込もうとしている姿なのではないか。しかも、その自分の「希望」というものが、じつはただのないものねだりにすぎないことにも気づかないようにして・・・・。そして、ぼくにも同じ気持ちがあったから、このペーパーに真実を感じたのではないか。  ところが、タイでの少女買春反対のボランティア活動に楽しく参加している女子高校生が、このペーパーについてあっさりこう言った。「この人、ボランティアのいい世界を知らないだけじゃない?」。彼女の言葉はもう一つの真実だ。希望は、彼女がいうとおり、自分が見ようとしさえすれば身近にごろごろところがっているものなのかもしれない。「いまとは違う何か」があると自分に言い聞かせるのはもうやめたいと思った。 本文58行 印刷上のお願い  ボランティア活動に楽しく参加している女子高校生 のうち、「楽しく」に傍点を振ってください。