自分らしさを見つけようとする学習者たち 5000字=40字×125行 昭和音楽大学短期大学部助教授 西村美東士  江戸川区で、本年平成9年の2月から3月にかけて計6回の「区民カレッジ“自分らしさ”ってなに?」が開かれた。ぼくは担当の高野さん(一般事務)から全回にわたる講師として依頼されたので、企画段階から張り切って関わらせていただいた。この事業のメッセージは次のとおりである。  「自分が学びたいことを、学びたい方法で、学びたいように学ぶ。生涯学習の時代といわれる現在、生きがいを求め、また、自由時間を充実させるための、さまざまな学習機会があります。この講座では、ワークショップ方式をとり入れ、受講者のみなさんで講座をつくっていき、楽しく学ぶことを通して“自分らしさ”をワクワク・ドキドキしながら発見していきます」。  日時は毎週水曜日午後7時〜9時で対象は区内在住・在勤者30人で、申込多数の場合は抽選の予定であった。じつは、ぼくは、「自分らしさってなに?」というキャッチフレーズついては「目的の見えにくいそんなテーマで人が集まるのだろうか」と、最初はやや懐疑的であった。ところが、広報えどがわ2月1日号と区施設へのチラシ1,600枚(40施設)によって、実際に募集を始めたところ、高野さんが次の葉書を応募者に送るまでに至った。  「区民カレッジ『“自分らしさ”ってなに?』にご応募いただきありがとうございました。定員30名のところ、70名の応募がありました。本来なら、抽選をしなくてはならないのですが、講師の好意により全員受講できることとなりました。会場が多少せまく、窮屈になるかとは存じますが、ご参加をお待ちしています」。  講師の好意なんてものじゃないとぼくは思う。ぼくはむしろ見通しを誤ったのであって、高野さんの若いセンスが市民(おもに中高年)に受け入れられたのである。ぼくとしては、せっかく応募してくれた人を一人でも門前払いにすることは辛くてできない。大学だって、本当は入学を希望する人なら全員入れてあげたいぐらいなのだ。狭くて窮屈な会場がいやになった人や、ほかの事情で途中でやめたくなった人は、潔く撤退してもらえばよいだけの話だ。そんなことよりも、「自分らしさ」を見つけたい、見つめたいという市民の要求の高まりに対して、言葉ではわかっていたつもりでも、実感としてはきちんと感じ取っていなかったぼく自身が認識を新たにしたことであった。  プログラムは次のとおりである。ワークショップ(ゲーム)の実際の進行方法などについては自著『こ・こ・ろ生涯学習』の巻末資料や『癒しの生涯学習』(ともに学文社)を参照していただきたい。 江戸川区民カレッジ「“自分らしさ”ってなに?」プログラム 回 テーマ 内容 ゲーム名等 1 私らしさってなんだろう? 自分さがしの相互承認の出会い 第一印象ゲーム 2 コミュニケーションはキャッチボール 共感能力を高める ジェスチャーゲーム 3 空白のプログラム??? 講師なし 4 さわやかな自己主張 引っ込み思案をなおすコツ ブレーンストーミング(幸せの瞬間)およびロールプレイ(お願いトレーニング) 5 自分のためのボランティア 自分らしさを感じるとき 価値観ゲームおよびスクエアゲーム 6 学習の達人になる 自分らしさの楽習  拍手で合図および銭まわし  参加者へのお知らせについては、ぼくとの相談のうえで、高野さんが次の「講義の進め方」という案内を事前に参加者に郵送してくれた。 1 講義はすべてミニレクチャー(1回15分程度)方式です。 2 講義では、ゲームによる楽しくかつ盛り沢山のメニューが組み込まれています。しかし、皆さんの中には、ゲームに抵抗がある方もいらっしゃると思いますが、なるべく抵抗の少ないものを行う予定でいます。(ゲーム途中は、パスや高見の見物も結構です。) 3 毎回出席ペーパーというものを提出していただきます。ルールは次の通りです(略・どんなことでも自由に記述するもの。毎週、次回の講義の前半の「ディスクジョッキータイム」のなかで紹介し、コメントした)。 4 講義が終わったら・・・講義中、講師と話せなかったこと、講義後でないと話せない内容など、講師とのおしゃべりを希望する方のために、通称“フリースペース”という名の懇談を催します。お時間の許す方はどなたでも可能です。 ひとくちメモ〜ワークショップ〜=@一人一人の個性やアイデアを引き出しながら、進むべき方向をみんなで模索していく方法、A協働作業を通じて、参加者の前向きな意欲を引き出し、お互いの考えや立場を学びながら、合意形成を図っていく集会の形式、などと定義づけられています。  初回は各参加者から提出された「受講理由」に、2回目以降は「出席ペーパー」に基づいてディスクジョッキータイムを行なったが、そのいくつかを紹介したい。矢印以下はぼくのコメントのキーワードである。 @ 初回の受講理由 ◇欠点の固まりの様な私は何事にも臆病で苦痛な事が多いのです。自分に自信の持てるものがないからなのでしょうね。とくに言葉づかいのヘタな私は上手に表現できず誤解されることが多いのです。人をうらやましく思っても仕方のないことなのですが、自分らしく暮らすということは難しいことです。50歳も過ぎるというのに少しも進歩しない私は、いくじなしです。こんな大人で恥ずかしい限りです。このチャンスに自分を見直すことができればと思いまして「区民カレッジ」の趣旨に反するかも知れませんが勇気を出して応募してみました。→自己受容トレーニング「私は私が好きです。なぜならば・・・」 ◇自分を省みる暇もなく、ただひたすらに60歳の定年まで仕事々々に没頭してきた。今、自分に自由に使える時間が与えられたのに、どうしていいか迷うのみで手がつかず、1つの悩みとなっている。人に指図されたものをこなすだけだった過去の人生。これからどうやって自分らしく生きていくべきか悩んでいる。→エネルギーを使うが人生の風景を味わうことの意味 ◇自分って何だ。人とのかかわりあい、生きかた、人生のすばらしさ、皆と仲よく生きたいのにごたごたしている、それは悲しい事である。喜びと感謝の人生を求めて。→本当の仲良しとは何か=支持的風土 ◇自分を知り、自立することについてあらためて考えたい。一生(高齢者になっても)社会に関わり、社会に自分の居場所のある人生を送りたいと思い、今回参加させて頂きました。→癒しのサンマによる社会的承認と社会貢献 ◇子育ても一段落をし「あれ、自分っていったい何者なのだろう」と考えたり、本を読んだりすることが多くなりました。そして今小学校のコーラスにも参加をしており、もっと伸びやかに楽しく自己表現できたら周囲ともに向上していきそうです。→過去の文化遺産の比べあいの自己紹介から、「今ここで」の私とあなたの自己紹介の意味 ◇お姑さん、義姉の介護、その後、孫のおもり等、今までは自分の自由な時間を考えての生活がなかったので前々から私の生きがいとはなんだろうか、私にできるものはなんだろうかと思っておりました時に、この講座を見ましたので申込みました。→ボランティアの合い言葉=経歴を捨てて経験を活かせ ◇皮細工5年、民謡10年以上、手芸5年、詩吟1年カルチャーでお世話になりました。今年はこのようなこともよいと思い希望しました。→研修の目的は、知識の修得、技能の向上のほかに、態度の変容がある。ただし、自他受容の態度変容。 A 第一印象ゲーム ◇私らしさってなんだろう?はじめての人ととってもおもしろく話せた。みとちゃんステキ。→自然体か。授業では難しい。 ◇今日のゲームの何のイミがあっのか。充実感なかった。→1%の批判の意味。自己開示のコツは「かけら」の開示。 ◇グループの中で最低の得点だった。いかに人のことには関心がないかがわかった。「自分にだけに関心がある性格」だと再認識。→ひとへの関心=自分への関心 ◇とても楽しいひとときでした。人間っていいなという感じをもちました。自分ってわかっているようでわかっていない。人にどのようにみられているのか、とても興味がありました。→相手に対する無条件肯定的関心 ◇生涯学習(何のために、何をやったら)がわからなくて迷っています。今日のゲームでいろいろとヒントになりそうな気はしますが、とにかく楽しくやっているうちにその辺が見えてくるのか期待しながら続けていきたい。→自分のため ◇自分で思っている自分と、人から見た自分が違い、自分のことってけっこう知らないものだと思いました。→無限の可能性 ◇今日は、自分の本当の姿を出すことをこわがっている自分を発見しました。→自己開示のコツ=開きたい心を開きたい場面で開く ◇先生のおっしゃる“居場所”とか“人との関係”って、BF(恋人)にもつうじますか? 大変興味有ります。Help Me!!→いい男といい女のサンマ、でも彼は特別。 ◇お話ばかりだと昼間精一杯働いて直接来るので、とも思ったのですが、意外なレクリエーション、とても楽しかったです。こういう風だと、しゃべるのが苦手な人でも楽しく過ごせると思いました。来週が楽しみです。→パスもあり。その人なりの参加の仕方で。 ◇自分らしさ、その人らしさとの出合いのテストにて、自分がほんのちょっと見えた感じで何だかうれしい気持ちです。このようにみられたのかと本当にとってよいのやら。でも、幸せな感じでいます。→気持ちのよい笑い、共感の笑い。 Bジェスチャー ◇女子校に通っているせいか、“いろいろな男の子(人)を知った上で、BFができる”状態になることがかなり無理です。どちらかと言うと、「今の若い子に多い」と先生がおっしゃった恋愛に近い気がします。ちょっぴり悲しいけど、“恋愛だけが人生ではない”なんて強がってみたりして…。→ツーショット願望からのシフトアップ ◇ジェスチャーゲームは今までやったことがありそうでなかった。TVではよく見ていたけど、実際やってみるとかなり難しかった。当ててもらった時の喜びは何ともいえないうれしさだというのを実感した。→ひとから関心をもたれること、わかってくれようとしていることの喜び ◇短時間に内容をまとめて皆さんにわかるよう表す難しさ。どんどん解答してくださる方にすがりたくなります。協力って大切ですね。→迷惑をかけない関係よりも「してあげる、してもらう」のネットワーク型の関係へ ◇いろいろやっているうちに、本来引込み思案と思っていたのに、だんだん図々しくなってきたのは年のせい? 本当はものすごくおせっかいで、だまっていられない性格なのかも。今日は楽しかったです。→若さ=自由な子ども心の回復 ◇ジェスチャーゲーム、子どもになれた。大勢が集まるとなんでも答が出るのに驚いた。ポイントをつかむことが大事だなあ。自分を表現する芽が出た感じ!→わかろうとしてくれる支持的風土 ◇ジェスチャーなんて見る方は楽しいが、やる方は難しいですが、早くあててくれたのでホッといたしました。→「全部わかってほしい」から「数打ちゃ当たる」へ ◇本日は久々に大きな声を出せたと思います。元気が出ました。→「出さされる」のとは違う喜び B空白のプログラム ◇今日は17人の皆さんと本当にたのしい語らいができ、うれしい気分になりました。いつも会社とかの上下関係の中で言いたいこともいえず、ちょっぴり不満をもつことがあります。そのようなものをふきとばすこころよい二時間でした。みんな話せばわかるはずですのに…、ギクシャクしてしまいがちです。あと3回の講座をたのしみにしています。→空白の意味、職員には辛いけれども ◇今まで会ったこともない人たちだから素直に自分を見せられるのかなと思います。でも意見や感想を話したあと、あの人いやなこというわねなどと思われたかと気になるのを何とかしたいです。→文化的孤島の意義 ◇前回は出席できなかったので、今日先生がお休みであることも知らずにきていました。7時10分くらい前に来て、私が3人目だったので「帰ろうかなあ」と思ったけれど、「自分が参加したくなければいつ退場してもいいし、パスしてもいい」という言葉を思い出して一応座りました。自己紹介が始まって、あとのトークまで、おもしろくて楽しくてホワッとした空気のなかであっという間に終りの時間がきてしまいました。それにしても、年齢も職業も性別も違う人たちが、これといった共通の目的もなくフワッと集まっているこのサークルは不思議な場所だと思います。→目的集団に対する生活集団 ◇おしゃべりだけの時間になったが楽しかった。人がそれぞれ生活してきて、何を感じ、何を考えているのか教えてもらい、とてもおもしろい。これは16〜20歳位に悩むのと同じようだけど、思いかえせば若いころは、生活感がないだけに思いもまた違っていたなと思った。違う世代の人、環境の人といることで違いがあり、自分らしさがそこでわかるのかもしれない。今は何の欲もなく、ただ受け入れる毎日がとても気持ちがよいのです。→水平異質交流による人間の真実との出会い ◇いっぱい話し合いができました。いろいろな日常生活の人たちで私のような凡人の日常がうそみたい。皆さん働き者で感心。→潔い怠け者も歓迎される。 ◇残業して遅くなったんだけど、今日はmitoさんがお休みで、高野さん一人だということで急いでかけつけました。思った通り人数が少なかったんですが、一人づつ自己紹介、その後、盛り上がる盛り上がる、皆さんのとても貴重なお話、本音でのお話、来てよかったなあと思いました。人と人との触れ合いって本当にいいものですね。→職員は住民に愛され育てられる。 C幸せの瞬間とお願いトレーニング ◇今日の「幸せの瞬間」はおもしろかった。幸せっていっぱいあるんだということがわかったので、小さな幸せを毎日さがしていきたい。お願いのゲームはつらかった。断るのがすごくへたで、悪いと思っちゃうくらいだから…。でも、お願いするのも大変だった。日頃他人様に迷惑はかけないというのが生活信条なので、お願いがこんなにへただったなんて…、甘えるのとは別なんですね。いろんな感情を経験できるっていいなあ。→さわやかな依存=自立 ◇お願いトレーニングは、とても自分の性格が出るゲームだと思った。絶対に妥協しない自分、あの人に頼まれても絶対やってやるものかということが、今まで何回かありました。最後まで断り続けました。でも、うまいお願いの仕方ってあるんですね!→ひとから学ぶ ◇お願いでは苦しまぎれに口から出まかせを並べました。責任のない良さなのでしょうか。日常生活でも“かるいうそ”をとりいれるのも悪くないのではと。→うそにならない言い方もある。「かけら」をしゃべる。 ◇根本は同じ考えでも、各々感じ方が違っていたり同感だったり、ちょっと自己嫌悪になったり。でも、それが自分なのだと思いました。勉強になりました。→受容=いつもの笑顔で反省 ◇お願いするってとても難しい。こんなに難しいとは思わなかっただけにちょっとショックを受けました。ちょっぴりくやしい感じ。→「正しい人が勝つ」のではなく、そうでない人同士の頼り合い、助け合いが信頼である。 ◇幸せの瞬間のことを考えていると自然に顔がにんまりしてしまう。みんなの幸せの瞬間をきくと「ああ、そうそう」と思うことがたくさんあった。自分で思いついたことは少なかったけど、実は幸せっていっぱいあふれているんだと気づきました。落ち込んだときは、幸せを感じる時のことを想像して、せめて顔だけでもリラックスしよう!→他者の幸せの枠組との出会い ◇お願いゲーム、相手の申し出を断ることの難しさを実感。どうしてもワンパターンになってしまいます。→本当の「許し」とは、最初にきちんと断ることから始まる。 ◇断わるのって難しいですね。今日のゲームみたいに楽しく日常生活のお断わりができたらいいな。とにかく後々を考えて、自分の意見がいえない私。今度機会があったら今日のようにやってみます。→結果を恐れない。「しようがない」は、そのあとで。 ◇さわやかな厚かましさ、見かけより非常に遠慮ぶかく、お願いする前にあきらめてしまう性格、もう少し厚かましくしたら、また、違う自分を見い出せるのかもしれない。→負け犬にならないためのあつかましさを。 ◇笑って笑って笑いまくった一時間でした。ありがとうございました。→共感の笑い ◇お願いトレーニングは、仕事でお願いばかりしているつもりでしたが、いざというと思いうかばないものですね。汗かきました!(冷汗かな?)→仕事なら楽なので、そこから入る手もあり。 ◇幸せの瞬間って意外にあるものなのだとわかった。それを日常生活では気づかずにすごしている…。→気づきによる潜在の顕在化 ◇普通でしたら初めから厚かましいと思ってあきらめていることを頼んでみると、面白くて大いに笑えました。→あとから結局「エーッ」と思わせるよりは親切。 D価値観ゲームとスクエアゲーム ◇5回出席して感じたことは、自分も幸せ、皆も幸せになるような気がしました。→限りある地球に対する限りなき学習 ◇価値観ゲームのうち自己実現/正義/時間の比較でペンが止まってしまった。奉仕はしたい心があっても一番あとになってしまった。生き方のせいか・・・。→あるサークル会長の言葉「奉仕だと思ったことがない」。 ◇“価値観”って人によってずいぶん違うものだと感心した。とてもユニークな講座で、色々な人と気さくな話ができたのがとても有意義。ありのままの自分を出せるようになって、引込み思案で人見知りがちな自分が少しは変わってきたかも。→人間に対する基本的信頼の感覚 ◇スクエアゲームが難しかった。自分が完成すると安心してしまうが、人にも気づかうことの大切さを改めて感じた。思いやりのある気づかいを心がけていきたいと思った。→気をつかうから、気がきく、気を配るへ。「あげることによってもらえる」という大技がある。 ◇スクエアゲームを通して自分がそろってほっとしてしまいますが、全員がそろうまで力を合わせるという感じがとても楽しかったです。異なった価値観ゲームは、色々な人が色々な感じ方をしているのでなるほどなあと思い、とても楽しかったです。→互いに認め合う雰囲気さえあれば、十人十色は楽しいこと。 ◇価値観ゲームで愛が1位で奉仕が6位、意外な結果でした。いつもはどちらかというと冷静で、人にはおせっかいと思っていましたから。ただし今回の愛は親子とか夫婦のような愛ではなく、もっと広い意味ですべての愛とし、生きるものへの愛と考えました。→その判断の仕方にその人らしさがある。 ◇今日は行くのを迷ったけど来て良かったです。→自主休講、自主卒業 ◇今日のスクエアゲームで口をきけない、態度で示してもいけない、といわれているのについ手が出てきてしまい苦笑。手持ちが一つもなくなって(少し気前が良すぎたのかな)、でも新しい展開ができてうれしかった。→自分を嗤う=自己客観視 ◇今日は遅刻してしまいましたが、すぐゲームに入れてよかったと思います。スクエアゲームの「無言でグループの人たちのために考える」って素敵ですね。→神様が通った=実感あふれる心の交流としての沈黙  ぼくは、計6回の講座をとおして、他者がどんな枠組をもっていて、どんな実感を感じているのかを知ることこそ、自分らしさを見つける最高の方法だと感じた。