狛プーと大学のなかでのぼく 昭和音楽大学短期大学部助教授  西村美東士(mito)  狛プーが始まって6年が経った。ぼくは、毎年度、狛プー記録集『いなほ』で、次のように「ぼくにとっての狛プー」を書き続けてきた。 一九九二年度 「狛プーは出入り自由の"こころのネットワーク"だーぼくと狛プーの関係」  1プータローの自由な精神を求めて、2アイデアはバラバラだけれど、そのひとつひとつが宝物、3プータローの自由のつらさ、4撤退自由のネットワークにおける「潔い撤退」、5出入り自由の淋しさを受容する、6狛江市にとっての「流入青年」たち(を歓迎する)、7キャンプは夜だ、8青年が自分のお金を払う時、9空白のプログラム、10狛プーは癒しのネットワークである。 一九九三年度 「狛プーはどうしてネオ・トラなのか」  1ネオ(新しい)でトラ(伝統的)な狛プー、2アイデアばらばらなごった煮の年間計画、3いかにもトラ(伝統)的な狛プー、4狛プーのネオ(新しさ)は、どこにある?、5これからのネットワーク社会を担う人間の育ち方、6狛プーはノリのよい狛江だけでしかできないものか?。 一九九四年度 「初めての人のための"狛プーとは何か"」  1ヒエラルキーを蹴飛ばすプータローの「自由な遊び心」、2自分の人生をていねいに大切に生きたいという「ミーイズム」の肯定、3善と悪、薬と毒の混在するアンビバレンツな人間存在への関心、4共生社会創造のための公的サービス、5いい男、いい女さえ支援すればよい、6おわりにー癒しと成長、受容と変容の循環。 一九九五年度 「 "おうち"としての狛プーー狛プーの公的・現代的意義」  こりかたまって抑圧されたぼくの思考が、「狛プーはおうちだ」という言葉によってするすると解き放たれていった。ああ、そうだ、そういえば「おうち」というのは、どんなに大人になったっていつまでも必要だ・・・・。「おうち」も「外の世界への参加」も、どっちもすてきなものになればよいのだ。 一九九六年度 「いい世界だよ」  狛プーといういい世界とたまたま出会ったと思えばいい。こういう世界のよさを知らない人に対しては、その人は知らないというだけの理由なのだから、抗弁したり非難したりすることもない。でも、「こんなにいい世界があるんだよ」という「提案型」のメッセージだけは、狛プーからこの競争社会に送っていきたい。また、この上下競争社会のなかで水平異質交流の居心地のよい共生のサンマの内実をつくりだしている主体は、狛プーというシステムでもなければ、担当職員やぼくでもない。たまたま「今、ここで」集まっている人たちが創り出しているのだ。もちろん、だからこそ、こわれるかもしれない危うい存在である。だが、今のところはそれぞれの人が、このいい世界の作り手の一人である。  上の最後にあるように、狛プーの作り手は「たまたま"今、ここで"集まっている人たち」である。でも、ぼくだってそこにいた。このぼくはどんな価値をもっていたのか。年間講師としてのぼくの役割については、すでに、「ミニ・ヒエラルキー形成の阻止」として、そのために@ニューカマー(新規参加者)をさっそく主役にする、Aもうすでに歩いている人よりも、これから足をおずおずと踏み出そうとしている人の「初めの一歩」を支援し、評価し、気を楽にさせる、B撤退を望む人には、さわやかに潔く撤退できるように仕向ける、の3つを留意点として挙げている(一九九三年度)。そこで、ここでは、ぼく個人の態度等が狛プーや大学の雰囲気づくりに与えた影響をまとめておきたい。  先日、大学の授業の締めくくりにあたり、2年間おつきあいいただいた短大2年生に「mito的授業の印象」に関する自分個人にとってのキーワードを一人ひとり出してもらった。これをまとめたものが本図である。図を見て気づくように、そのほとんどが、態度や雰囲気に関することである。単位認定に結びつかない狛プーにおいては、なおのこと、それがぼくの存在の意味だったといえるのではないか。子どもっぽくて寂しがり屋のぼくではあるが、それだからこそ現代社会の、そして人間存在の、孤独な宿命のなかで、8年間の大学の授業や6年間の狛プーで、ぼくなりに役に立つことができたのだと思いたい。 (参照 自著『癒しの生涯学習ーネットワークのあじわい方とはぐくみ方』学文社、1997年4月) 【ACCESS】 E-MAIL:mitochan@ppp.bekkoame.or.jp