徳島市学遊塾広報誌『ぶどうの木』原稿 チエちゃんの話  −自己決定の人生と生涯学習− 徳島大学大学開放実践センター助教授 西村美東士(mito)  ぼくは今年の3月まで昭和音楽大学で社会教育主事課程を教えていた。  チエちゃんという学生は、短大に入学してすぐのぼくの最初の授業で、講義が終わったとき、ぼくのところに来てこう言った。 「mitoちゃん(ぼくのこと)、わたし、いい女になるつもりだからよろしくね」。  ぼくは、これはすごい人が入学してきた、と思った。大人の女でも、ふつう、どこかにいい男がいないかしら、となるものである。それに対して、18歳のいわばまだ「小娘」であるはずのチエちゃんが、きちんと自分自身の成長に希望を持ってまっすぐに目を向けているのである。このように自分にきちんと目を向けられる人は強い。思ったとおり、彼女は声楽家の卵としてもずば抜けた成長を示し、現在、憧れのオペラの舞台を目指して一生懸命生きている。  ぼくは最初、「これは愛の告白なのかな」などと思ってドキドキしてしまったが、彼女にはそのつもりは幸か不幸かまったくなかったということを、あとになって本人から聞いた。彼女は「やあねえ、mitoちゃん、そんなこと考えてたの」と笑った。いい女というのは、本人が気づかないうちに、男にとっては罪作りなことを言ったりしたりするものだとぼくは思った。  チエちゃんが2年になったとき、また、「ねえ、mitoちゃん、わたし、すごいこと思いついちゃった」と呼びかけられた。こういうことは、青年期真最中の多くの学生にとってよくあることなので、ぼくはいつものように「なあに」とふつうに応じた。  彼女がそのとき言ったのはこういうことである。きのう、おうち(この場合は下宿先)に帰る途中、これって人生みたいだな、と思った。おうちが「死」であるとすると、それに向かって歩いていくのが人生だ。  彼女も青年期真っ只中だから、やはり生きることとは、とか、死ぬこととは、とか、まともに考える時期なのだなあ、とぼくは思った。しかし、彼女の話は次のように続いた。  おうち=死に向かって帰るとき、二つの帰り方がある。ひとつは、おうちだけを目指して、寄り道もしないで、まっしぐらに効率よく歩く帰り方だ。そういう人たちをあざ笑ったり、ましてや責めたりする気持ちはまったくない。でも、自分自身はもうひとつの帰り方をしたいということに気づいたのだそうだ。それは、友だちのところに会いに行ったり、途中の森に入り込んで散歩してみたりして、「人生の風景を味わいながら帰る」という帰り方である。  ぼくはこれを聞いて、それが大きな発見であることを認めた。まさに自己決定の人生のあり方ではないか。そして、生涯学習やボランティア活動、市民活動などは、そういう「自分がやろうとしてやる」自己決定の活動である。ほんとうに自己決定で生きることができている人は、たしかに、そうでない人がいるからといって、干渉したり、とやかく言ったりしないものだ。そういうことまで、ぴったりと説明しきれている。多くの人がそうありたいと思っている当たり前のことだが気づかない「自己決定」のあり方を、チエちゃんははっきりと示してくれたのだ。  ぼくは、その後、ちゃっかり、この話を授業やいろいろな講演などでしゃべらせてもらっていた(もちろんチエちゃんの話という前置き付きで)。青年教室にときどき顔を見せていたチエちゃんが、それを聞いて、ある日、二次会の席でぼくにこう言った。「mitoちゃん、わたしの話、ほかの人にどんどん話していいわよ。でもね、私がそのとき言ったことで一番大事なことを、mitoちゃん忘れてる。もう、しようがないんだから」。  彼女のこの言葉もけっこうぼくをドキドキさせたが、そのあとの彼女の言葉は、ぼくの思い過ごしとは違う意味でたしかにドキドキさせる本質的な発言だった。「エネルギーを使うけど」という前置きの言葉を、「人生の風景を味わって生きていきたい」という言葉の前につけていたはずだ。それが大切な発見だったのに、とぼくは注意されたのである。  そうだ。自己決定の活動をしようとすると、「効率よく生きる」のとは違って、多大なエネルギーを消費する。自分がやろうとしてやり始めた生涯学習活動なのに、人と出会うことによってかえって自分自身が傷ついてしまったり、専門の世界を散歩しているうちにさ迷い込んでしまって、自分がその世界のどこを歩いているのだか見当がつかなくなってしまったり・・・・。自己決定の人生や、自己決定の生涯学習活動というのは、「エネルギーを使うけど」という前提も含めて自己決定することなのだろう。  最後にぼくの追加意見を述べたい。ぼくはチエちゃんみたいな人たちから、たくさんエネルギーをもらって生きているけど、それでも元気がなくなるときもままある。そういうときに思う。人には「エネルギーを使うけど」という前提そのものがしんどいときがある。そういうときは、自己決定活動の場合なら、潔くお休みさせてもらえばいいのだ。それは、けっして、自己決定活動が元気にできている人からは、非難されたりすることはないだろう。そのことはチエちゃんの言葉が保障してくれている。