徳島市学遊塾広報誌『ぶどうの木』第15号原稿 「今しかここだけしか」から「今ここで」へ  −中高年みずからが地域の楽しみ方を若者たちに示そう− 徳島大学大学開放実践センター助教授 西村美東士(mito)  ぼくが今年の3月まで年間講師として関わっていた東京都狛江市中央公民館の青年教室「狛江プータロー教室」(通称狛プー)での話だが、紙芝居教室をやったとき(狛プーは月替りメニューである)、講師の紙芝居屋さんのおじいさんの態度がとても魅力的だった。参加者が一人一人順番にアドリブで紙芝居(本物の)をやっているときさえも、講師本人は自分の紙芝居の準備に熱中している。もちろん、言葉少なげに的確な専門的アドバイスをしてはくれるのだが、基本的にはそのおじいさんは「好きでやっている」だけなのである。だから、太極拳だかなんだか、関係ないけれど自分がいま関心を持っている話題については一生懸命しゃべる。こういう「自然体」で「ほんもの」の生き方に、若者は憧れるのである。  地域の心ある大人たちが危機感に駆られて、しかめっ面で「地域に根づかなければならない」と訴えることより、少しでも多くの中高年たち自身が、地域をみずから楽しみ、地域の横のつながりに癒される思いをもてるようになることこそ大切なのではないか。  「今ここで」あるいは「今を生きる」という言葉がある。学歴などの過去の文化遺産を比べあったり、「次の世代のために」と演説したりすることより、「今ここで」の自他の個の深みとの出会いこそ、若者も中高年も心の奥底では求めていることなのだろう。  しかし、現代文明がここにまで至って、「今ここで」ではなくて、「今しかここだけしか」(どうせ将来は自己決定の生き方など無理だから)という絶望的な時代の気分が高校生などの若者たちを支配しているように思える。  そういうとき、中高年こそ、現実の地域と生活に根ざして、「いつでも、どこでも、だれでも、なんでも」の生涯にわたる「今ここで」の地域の楽しみ方を示すことができるのではないか。地域活動等の自己決定活動に限っては、主体的、意識的な営みさえあれば、それはすぐ手の届くところにあると思う。そういう中高年たちが地域にいれば、若者にとってはたまらなく魅力的な姿に映ることだろう。