狛プーの「一年に一回来ればメンバーだ」ということについて             狛プー前年間講師(徳島大学大学開放実践センター助教授)                  西村美東士  東京を離れ、狛プー(狛江プータロー教室=狛江市青年教室)と会わなくなってから一年になろうとしている。現在は、元狛プーメンバーの一人で、社会教育やぼくの「いい加減はよい加減」などという言葉に関心をもっている榊原正博さんが年間講師を引き継いでくれている。  さて、それでは、今のぼくにとって、現在の狛プーはどんな位置を占めているのか。以前のように毎週木曜日に狛江市中央公民館に通い続けているわけではないぼくにとって、である。  もちろん、赴任先の徳島でもだんだんとおもしろい人たちと知り合い、たとえばヤングフェスティバルの実行委員の若者たちが、街の中のぼくの魚釣りポイントまで来てバーベキューをしてくれたり、ぼくの講座「私らしさのワークショップ」を受講する人たちとは毎週、フリースペース的飲み会をやっている。  しかし、ほかの人があるグループにのみ準拠しているわけではないように、ぼくの心も徳島だけに生きているのではなく、徳島のいくつかのサンマ(時間・空間・仲間の三つの間)と並んで、依然として狛プーはぼくにとっての「心の居場所」の一つである。そこで新たな感慨をもって思い出す狛プーの合言葉が「一年に一回来ればメンバーだ」なのである。  狛プーの年間講師をしていたとき、この合言葉を知ったある人から「ああ、それなら行ってみたくなるわけですよね」といわれ、ぼくは「そうだなあ。単純なことだけど、そういう参加の仕方さえ許されていない教室や講座って多いのだなあ」と思ったことがあった。「一年に一回来ればメンバーだ」という言葉は、個々人にすべてそれなりの心と時空間の「事情」があり、それを詮索したり、ましてや追及したりすることなく、今、参加しているあるがままのあなたを両手を広げて歓迎する、という気持ちを表している。これと比べて、他の一般の社会教育に対しては、若者たちは「自分の個人の事情なんかで行動することはきっと許してもらえない」という先入観をもっているのだろう。しかも、社会教育の側からも、この先入観が間違っているとは断言できないところがますます悲しい。  「一年に一回来ればメンバーだ」という言葉は、ある意味で、ネットワーク特有の「撤退の自由」という淋しさを表してもいる。たとえば、きれいな女性がある日、参加してくれたとする。ぼくを含めたその気のある男性はワクワクし、翌週は彼女と会えることを楽しみにそこに出かける。しかし、そこにはもう彼女はいない。  そんなとき、一回申し込めば、その後は出席することが半ば当然視されていた従来の社会教育においては、そのことを根拠にあまり心理的な葛藤を経ずして、当たり前のように「来週は出席してくださいね」とお願いすることができたのだろう。しかし、「一年に一回来れば」という合言葉は、それを許さない。あとは、彼女に出席してもらいたいという自分のほうの気持ちを彼女にわかってもらったり、あるいは、次回がどのように彼女にとって魅力的な時間になるかを訴えるしか方法はないのだ。これは、恋を告白するときに似た心理的葛藤を伴うだろう。  しかし、だからこそ、一人一人は「自分の事情が尊重されている」という実感をもつことができるのだといえる。過去の「義務参加」とは異なる「個々人の自己決定参加」の生み出す一連の淋しさの受容と、そこから始まる能動的な人間関係の努力なくして、現代青年が求める個人の自由の保障と、自他信頼の人間関係との両立はありえないのである。  ぼくの最近の気持ちに話を戻せば、この「一年に一回来ればメンバーだ」という合言葉が、期せずしていまのぼく自身にとって、とてもやさしくありがたい言葉に感じられる。「みんなに会いに行かない、あるいは行けないことが申し訳ないことなのではないか」という心配なしに、「狛プーでいい仲間と出会えたなあ」という自分の思いを素直に受け容れることができるからだ。だから狛プーは今でもぼくにとっての「心の居場所」の一つなのだ。この思いの上で、ぼくは今を生きている。  そして、若者にとっての「巣立ちの場」であろうとしている地域なら、きっと他に転出した若者にとって、巣立つ前のその地域は、ぼくがいま感じているのと同じような温かな感情を与え続けるに違いない。これを「心のふるさと」といってよいだろう。  恋人ではないのだから、ぼくにとって狛プーはいつもべったり会っている関係でなくてもよい。まさに間(一定の心理的、物理的距離)のある関係である。それでも、せめて「一年に一回」ぐらい、ぼくは狛プーに会いに行きたいと思う。ぼくにとって「心のふるさと」なのだから。