徳島市学遊塾『1年間の活動報告』原稿 不幸の手紙からの脱却の方法−ネットワーク型活動への転換を 徳島学遊塾運動アドバイザー 徳島大学大学開放実践センター助教授  西村美東士  「いきいきどきどき徳島学遊塾運動」は、まち全体を学び舎として、市民のだれもが学ぶことができ、教えることのできる「共育システム」である。そして、その主体はつねに市民であり、市民自らの発想と実践によって運営されることが基本とされる。学遊塾推進本部や企画、広報等を担当する各専門部会は、公募による市民ボランティアが活動の中心となる。  もちろん、これに対して、徳島市(事務局は社会教育課)はできる限りの支援をしようとしている。しかし、だからこそ、そこで問われるのは市民参画の実体であり、官民パートナーシップの成熟度である。  ぼくは本年度から澤田順子さんとともに本運動のアドバイザーをやらせてもらっている。これは、ぼく自身にとってもボランタリーな活動である。澤田さんは6年目であったが、ぼくはまだ1年しか経過しておらず、まだまだ「実体」としての本運動を把握しているとはいえない状態だが、ぼくなりにいまの学遊塾が突き当たっている究極の問題点として感じている点を述べてみたい。  それは、参加・参画する市民の側にややもすると「不幸の手紙」と似た心理的状況が垣間見られ、そのことが市民参画や官民パートナーシップの阻害要因になっているのではないかということである。「不幸の手紙」とは、同じ内容の手紙をつぎの人に回さないと不幸になるというもので、チェーンレターの一種である。市民の自己決定活動の一環であるはずの生涯学習なのだが、とくにそういう活動のなかで役員などをやっている人は「なんで自分ばかりこんな苦労をしなければならないのだろう」という非生産的な気持ちにさいなまれることがあるのだ。これをそのままほかの人に訴えて協力を得ようとしても、相手だっていやな苦労はしたくないわけで、進んで協力しようという気持ちになれないため、「不幸の手紙」をもらったときのようないやな気持ちになるだけの非生産的な結果しか残らない。  もちろん、行政側にもこのような運動への対処の未成熟な部分も残っていて、それも阻害要因のひとつにはなっているとは思うが、市民の側に行政とのパートナーシップ能力が培われれば、それは市民の力で次第に解消されよう。  なお、本稿は問題点とその対処法を考察することを主眼としており、実際の学遊塾運動は、ほとんどの場面でまさに「いきいきどきどき」と運営されていることを念のため言明しておきたい。  1997年度の『1年間の活動報告』において、徳島学遊塾運動推進委員会委員長の山本忠男さんは、「学びたい人々はたくさんいる。また、自分のもっている知識技能を多くの人々に広めたいと思っている人も少なくないと思う。そんな人々の、共に教えあい学びあう場が学遊塾である。師弟とか金銭とかに関係ない、遊び心から学び心への共育であり楽習である。企画運営に当たる推進委員も、市民教授も、みんなボランティアであるのが特色で、理想的な市民手づくりの生涯学習」としつつ、「道いまだ遠しという感がする」と述べている。  澤田さんは、「互いに教え、教えられる双方向の関係に戸惑いを覚えたようだ。はじめは市民教授というと、特別な資格であると錯覚を起こした向きもあった」、「各部会や推進委員の意向が反映されてきているとはいえ、まだまだ主体性を持つところまでいっていない。『私にできることがあればお手伝いします』の域を越えないまま指示を待ち、事務局に頼る部分が多いようだ」と述べている。  共育と楽習は、ある意味で「わがまま」(わが思いのあるがまま)に積極的に関与する行為であり、しかもそれは「自分のため」の行為であるといえよう。だが、徳島の人たちの「控え目さ」ゆえにか、そういうとらえ方ができずにいる面がありそうだ。これはこれで徳島の人たちの味わい深さを表しているのかもしれない。げんに阿波踊りのときなどは身も心も大いに解放し、ハレの日を十分味わうことができる。ぼくも3日間踊りっぱなしであったが、とくに学遊塾の連で踊ったときは、超ベテランの三味線(これもボランティア)のメロディーというぜいたくな条件のもとで、下手も上手もごく当たり前にいっしょになり、地元の路地や、いつものなじみの盛り場や商店街を踊り歩くことができて、一番楽しかった。  しかし、日常の日々における「控え目さ」のほうは、それが何かの拍子に潜行するようなことがあると、先述の「不幸の手紙」のような非生産的状況に陥ることにもなる。「これだけ自分はやってきたのに、ほかの人がやってくれないのはおかしい」、「行政はこういう私たちにこそもっと面倒を見てほしい」というわけである。ややもするとそういう気持ちになることは無理もないこととは思うが、これが市民の自己決定活動という本質を歪ませ、市民参画や官民パートナーシップを難しいものにしてしまう。  ぼくは平成11年2月に本運動の市民教授研修会において「さて困った、大人への教え方」というワークショップを行い、引き続き推進委員研修会で討論と懇談会をさせてもらった。  「よそでたまったストレスを学遊塾で発散している」という元気な意見もあったが、「役員をやっているとストレスがたまることが多い」という訴えもあった。その理由は、まわりの人が協力してくれない、あるいはちゃんと理解してくれていない、会議でなかなか全体の意見がまとまらない、などである。高齢のため体がついていかないという人もいた。市民教授登録者からは、他県の例と同じく、講師としてお呼びがかからないという問題が大きかった。  一方、環境問題に関する活動をやっている人からは「活動を、自分の生きてきた証しだと感じている」、民謡の人からは「徳島の宝を伝えるお世話をしたい」などの意見もあった。このような「使命感としての生涯学習」という側面も忘れてはなるまい。しかし、それにしても学遊塾運動が本質的に市民の自己決定活動であり続けるためには、「不幸の手紙状況」からはなんとしても脱却し、「使命感」にしても「潔い使命感」が求められているといえよう。  そのときぼくは次のようにコメントした。 1 教授法の実際の様子がわかる「市民教授リスト」  市民教授のさらなる活用といっても、あまり関心がわかない人に講師を依頼するということがあるとしたら、それ自体が生涯学習活動としては好ましくない。ただの無機質なリストではなく、もっとその人の顔がわかり、メッセージや雰囲気が伝わり、どんな教え方をしてくれるのか、プログラムまでわかるリストが必要である。また、今後ますます重要になる学校教育への協力については、専門の分野についてだけでなく、教育についての見識をもち、学校側にもそれが伝わるリストにすべきである。 2 活躍場所の自己開発  町内会、婦人会など地域はだれもが主人公になれる場である。また、市民教授同士でチームを組み、市側にいくつかの会場を提供してもらって、自分たちでキャラバン隊のように各地域に教えてまわるということも考えられる。 3 自己決定活動はグループ活動  ボランタリーな活動は、実際にはそのほとんどがグループ活動として行われるものなのではないか。そういう意味では、まずは市民教授や役員同士が日常的に教えあったり学びあったりすることが楽しいと思う。 4 自分のための活動  いったん役員を引き受けたのならば責任を持って会合にも出席すべき、という感覚はそれが自分自身に向かっている限りは敬意に値すると思う。しかし、責任感以上に、そこに行けば歓迎される、だから仲間と会いたい、役員自身が学べる、おしゃべりできる、だから会合は楽しい、といういわば「自分のため」という感覚こそが大切なのではないか。欠席した人に「もっと責任をもって出席して」ではなく、「この前は来れなくて残念だったね」といえるような活動を目指したい。役員の会合であっても、学遊塾運動が自己決定活動の一環である限りはそういう活動にすることが大切である。 5 ネットワーク型の運営  大人はそれぞれの事情をもって生きているのだから、会合にたまたま参加できた人でそのときの合意を作り出せばよいし、該当する役員にはなっていなくてもメンバーはだれでも会合に参加でき、意見も述べられるということにしたらどうか。来るものを拒まず、去るものを追わずという自由で柔軟なネットワーク型の運営のための工夫が望まれる。  徳島学遊塾運動のような行政が支援する、あるいは行政が仕掛ける市民参画、市民主体の生涯学習事業には、市民の独立型の生涯学習活動とは異なる独自の困難が見え隠れしている。「不幸の手紙状況」に陥る危険性が大きいのである。しかし、その状況からの脱却に向けた市民と行政の努力は、問題が精神構造にまで及ぶというその困難さゆえに、もし成功すれば、きっと市民参画や官民パートナーシップの実体をより確かなものにすることになるだろう。