弘文堂『福祉社会事典』原稿  徳島大学大学開放実践センター助教授 西村美東士 リカレント教育  教育をこれまでのように人生の初期に集中させるのではなく、個人の生涯に分配し、必要に応じて反復的に受けられるようにすること。1970年代にOECD(経済協力開発機構)が提唱した。なかでも、高等教育機関が職業人を対象に職業上の知識・技術を学習内容として行ういわば狭義のリカレント教育を、文部省は「リフレッシュ教育」として推進している。さらに、リカレント教育の意義を広くとらえると、従来の学歴偏重社会における固定的な高等教育ではなく、人生の生涯にわたって行われる生きた学習こそを重視することになる。これは、個人に対しては、「過去の文化遺産」にしがみつく生き方から「今を生きる」生き方への転換を可能にする考え方でもある。 (西村美東士) 発達課題  R.J.ハヴィガースト(Robert James Havighurst)によれば、人間の生涯にわたるそれぞれの時期において学習することが望ましい課題。1950年前後にハヴィガーストは、たとえば青年期の発達課題については、「結婚と家庭生活の準備」などを挙げた。しかし、1960年代、E.H.エリクソン(Erik Homburger Erikson)は、青年期の発達課題をアイデンティティ(identity、同一性)の獲得とした。これは、楽観的なハヴィガーストの説とは対照的に、現代社会におけるその獲得の危機を前提としている。さらには、自分の所属する企業と一体化してそこにアイデンティティを求めてきた会社人間、そういう夫から疎外された妻たち、核家族化の進行の中での高齢者などの現代人の姿は、アイデンティティの確立が、青年期ばかりでなく、すべての世代にわたって危機的な状況にあり、重要な課題であることを表している。この例のように、発達課題は、そもそも全生涯にわたる適応過程として存在する。一方、発達には「順序性の原理」が働く。そして、発達課題の達成については、これに失敗すれば、その後の課題の達成は困難になるといわれる。最近は、臨床の研究などから、ほとんどの社会的不適応の原因を幼少期からの家族関係に求める議論等もあるが、その場合、この「順序性の原理」だけを機械的に適用すれば悲観論に陥ることになる。男女共同の子育ての風土づくりや教育システムの改革などの社会的視点、個人の自己変革主体としての可能性の評価などの教育的視点などによる変革の要素が重要である。生涯学習の議論においても、固定的な発達課題論から脱却し、個々人の多様な発達のあり方を柔軟に受け止め、「いつでも、どこでも、だれでも、なんでも、気づいたときから始められる」という姿勢が求められる。 [主要文献] R.J.Havighurst, Developmental Tasks and Education, David Mckay, 1948. E.H.Erikson, Identity and the Life Cycle,International Universities Press,1959(エリクソン著/小此木啓吾訳編『自我同一性』誠信書房,1973). (西村美東士) 生涯発達  人が誕生してから死に至るまで、常に絶え間なく発達しつづけること。80年代ごろにこの概念が普及するまでは、成人期前期の「頂上」以降、上昇ではなく、下降として考えられていた。しかし、高齢化の進行と、それに伴う研究の深化等により、老年期であっても成人期以上の水準を示すものがあることが明らかになり、発達が全生涯過程においてとらえられるようになってきた。生涯発達の社会的支援のあり方に関しては、@人間には生涯の各時期に応じた発達課題があるのだから、それぞれの時期の課題に適した学習を行えるようにする、A人間は一生涯、つねに多様に発達し続ける存在なのだから、本人が気づいたときにいつからでも何でも始められるようにする、という2つの観点が成立しうる。しかし、少なくとも、生涯の各時期における「発達課題」を固定的に受け止め、そのまま各時期の「教育目標」として、対象に押し付けるようなことがあってはならない。さらには、発達だけを重視する価値観自体さえ、現代においては疑問視される。家族関係の病理、教育システムの弊害、内なる同一化志向などから、人びとの心が傷つきがちな現代社会においては、勤勉主義的に発達を追求するだけではなく、生涯にわたって「癒される」機会を意識的に創造する必要がある。この点で注目すべきは、セルフヘルプグループのほか、生涯学習、ボランティア活動、地域活動などの活動である。これらの活動は、多様な価値基準をもつ各人の自己決定を前提としたネットワークであるがゆえに、たがいにピア・コンセプト(同輩意識)の抑圧から解放され、あるがままの自他が相互に受容される条件をもっている。そこでは、教育が追求してきた発達・成長だけでなく、癒し・安らぎの場が保障される。個人にとっては、その自他受容は、建設的な自己変容の基盤にもなる。それは、たとえば基本的信頼感の獲得という課題について、全生涯過程において継続的に発達し続けることを示している。 [主要文献] 東洋他編『発達心理学ハンドブック』福村出版,1992. 西村美東士『癒しの生涯学習』学文社,1997. (西村美東士)