徳島大学大学開放実践センター紀要  第12巻(2001) 親子関係における気づき過程とその支援 −公開講座による子育て支援の実践− 西村美東士 Process of Awareness in parental relation and its support: Practice for Supporting Child Care in my Extension Courses Mitoshi Nishimura 1. 研究の目的 2. 研究の方法 3. 支援内容とによる気づき過程の結果 4. 討論―気づきの支援方法とその効果について 5. 結論 1. 研究の目的  本研究では、親子関係における親の気づきの諸側面や、それが他の親との学習の中でたどる過程を、教育実践の具体的内容・方法と照合しながら実証的に検討しようとした。そのために、公開講座「子育ての中の交流・コミュニケーション」における学習者の文章表現やワークショップの成果を主として分析した。  自己の子育てに悩みをもつ親は、問題解決にとってもっとも有効な答や好ましいストーリーを求めて「子育て学習」を行おうとする。そして、他の親との交流や指導者からの支援を得て、多様な気づきを経験する。その気づきが、自分なりの答やストーリーの発見につながると考えられる。  しかし、気づきとはいっても、本人が「子育ての答」と思ったものが単なる勘違いだったというケースもありうる。あるいは外から与えられる「子育てのストーリー」を鵜呑みにしてしまうなどのケースも考えられる。子育て学習において、親が客観的な妥当性のもとに、主体的に問題解決できるよう、その気づきを支援しなければならない。本研究では、この問題意識のもとに、望ましい気づきを効果的に促す支援のあり方について検討しようとした。  本研究では、筆者の大学教育学会での研究の成果(1)に基づき、親の気づきの状態を「即自」と「対自」と「対他」に分けた。ここでの自は自己であり、他は他者である。「即自」とは無自覚に主観だけでも認識できる「そのままの自分」である。ただし、「対自」や「対他」から何度も立ち戻った末の深いレベルの「即自」においては、いわゆる自然体の「あるがままの自分」までも想定される。「対自」とは自己を客観的に認識する「もう一人の自分」を想定している。ただし、これにも、表層的な自己否定から深層の自己受容に至るまで、いくつかのレベルが想定される。「対他」とは「自己とは異なる他者の存在」への気づきである。これも自己からの関わり方に数段階のレベルが想定される。  上記研究ではこのように想定して、ワークショップ型授業によって、即自から対自へ、対自から対他へと学生の気づきが促され、対他から再び対自や即自のより深い気づきへと循環する過程を検証した。  そこで、本研究ではその成果をさらに進め、次の仮説を設定した。[学習集団に受容的雰囲気が形成され、互いに安心して自己開示を交換することによって、対自・対他の気づきが促される]ということである。このような相互受容体験は、互いの差異を認めつつ共感や信頼を深めることになるので、親としての自己確立に資すると思われる。  本研究の目的の第1は、学習者としての親が、講座のどの場面でどのように即自、対自、対他の気づきを得てゆくか、その過程を解明することである。第2は、気づきが子育ての悩みの主体的な解決の展望につながらない場合の阻害要因を見出すことである。第3は、主体的解決につながる気づきを促進する支援内容、支援方法、集団内関係の構成要素を導き出し、今後の子育て学習支援の課題を明らかにすることである。 2. 研究の方法  研究対象とした講座は、2000年度徳島大学大学開放実践センター公開講座「子育ての中の交流・コミュニケーション」である。小学校・中学校在学の子どもをもつ母親に対して、春期と冬期に週1回、1.5〜2時間、6週にわたって実施した。主として検討した春期講座は、5月16日〜6月20日に実施した。受講者は5名である。  この講座の目的は次のとおりである。子育て問題の解決のためには、親自身が自他への信頼感や共感をとりもどすことが必要である。本講座では、主として小学校・中学校在学の子どもをもつ親同士で、子育てをしているときのうれしいことや悩んでいることなどの体験を交流した。学習方法は、ワークショップを取り入れ、受容的雰囲気のなかで安心して交流できるように配慮した。  この他に、春期・冬期それぞれの受講者がその後も自主的に交流を続け、そのなかからパソコンを習いたいという希望が出されたため、冬期に「子育て交流のためのパソコン入門」を実施した。  本研究は、春期講座を中心に分析した。春期講座は表1のとおり進行させた。 表1 各回の活動内容と支援のねらい 回 活動内容 分 気づき支援のねらい 1 1  講師からの一方向の説明  1-5(振り返り)のシステムについて 15 「自己決定で書くこと」の意義に気づく。「答を聞く」ではなく、「自ら表現する」意欲をもつ。 2  講師指示型の個人による文章表現ワーク  「心配なこと・聞いておきたいこと」  文章表現1-@回収 5 今の気持ちを匿名で自由にカードに記入することにより、自らの今の不安や期待を確認する。 3  講師対学習者の1対nの講義型対話  カード記入を介した講師との一問一答 20 受講仲間の考えていることを知る。一人一人の思いに講師が応えることにより、受講当初の不安を解消し、今後の受講に期待感をもつ。 4  講師主導型のn対nの出会いワーク  「第一印象ゲーム」 45 他者の異質性と出会うことにより、共感を体験する。他者から見られる存在としての自己に気づく。 5  個人文章表現による振り返り  文章表現1-A回収 5 「個人が自己管理のもと、どんなことでも自由に書くこと」により、自己内での気づきを振り返る。 2 1  1−Aの講師による読み上げと応答 20 異なる他者の存在に気づく。他者固有の関心が自己の関心にもつながることに気づく。 2  個人による文章表現ワーク  「子育て中の母親にとっての就労・社会参加」 10 一人の学習者からの求めに応じて実施。自分が働く理由、働かない理由にあらためて気づく。 3  学習者個人からの1対nの口頭表現とn対nの交流ワーク(話し合い学習)  文章表現2-@回収 30 他の母親にとっての子育てと就労の関係を知ることによって、子育てが自己と社会との関係性のなかで行われていることに気づく。 4  講師主導型のn対nの共感ワーク  「幸せの瞬間」 −「みんな違ってみんないい」を実感 55 幸福追求に関する価値観の違いを越えて共感できることに気づく。幸福に関する自己の準拠枠組の変容に気づく。両面価値を受容できるようになる。 5  個人文章表現による振り返り  文章表現2-A回収 5 1-5と同じ 3 1  2−Aの読み上げ・応答 20 2-1と同じ 2  偶発的交流  −買い物の楽しみと罪悪感 20 席上で表明された学習者の関心に応え、「稼いでいない妻」としての知恵を交流する。 3  学習者個人による絵画表現と1対nの口頭発表  絵画表現ワーク「子育ての楽しみ」 20 子育てにおいて楽しかった一コマを絵で表現することにより、自己がもっている子育てのイメージに気づく。 4  学習者個人による文章表現ワーク 20 自分の描いた絵を文章で説明することにより、自己の子育てイメージを言語化する。 5  学習者個人からの1対nの口頭表現  WS口頭説明「子育ての楽しみ」  文章表現3-@回収 35 自己の描いた絵を他者に口頭で説明しあうすることにより、たがいの自己表現を支えあう風土の重要性に気づく。 6  個人文章表現による振り返り  文章表現3-A回収 5 1-5と同じ 4 1  3−Aの読み上げ・応答 20 2-1と同じ 2  導入(講師による一方向の講義)  自己表現による気づきの意義 20 なやみを話すことが、自分が本当に問題にしていることの気づきにつながることを理解する。 3  個人による文章表現ワーク  カード記入「子育てのなやみ」 10 なやみを言語化することにより、自分の子育てを客観的に表現する。対自の気づきを深める。 4  カード式発想法「子育てのなやみ」  学習者間n対nの交流  発想法成果4-@回収 45 他者の1枚1枚の「子育てのなやみ」のカードをよく吟味しあう。交流による自他受容体験をもつ。 5  個人文章表現による振り返り  文章表現4-A回収 5 1-5と同じ 5 1  4−Aの読み上げ・応答 20 2-1と同じ 2  カード式発想法「子育てのなやみ」  学習者間n対nの交流  発想法成果5-@回収 155 ワークのなかで気づいた自己の「子育てのなやみ」を随時追加することによって、交流を深める。 3  個人文章表現による振り返り  文章表現5-A回収 5 1-5と同じ 6 1  5−Aの読み上げ・応答 20 2-1と同じ 2  カード式発想法「期待と実像」  講師対学習者集団の1対nの交流  発想法成果6-@回収 95 4-4と5-2で得た気づきを、子どもや夫の実像から整理しなおすことによって、個々の状況に応じた気づきを深める。 3  個人文章表現による振り返り  文章表現6-A回収 5 1-5と同じ  分析は、@個人による文章表現ワークの成果、Aワークショップの成果、B各回終了時の個人による振り返りの文章を対象にして行なった。他に、C受講者1名に対する面接調査を行った。  個人による文章表現ワークの成果の分析は次のように行なった。1-2終了時に文章表現1-@「心配なこと・聞いておきたいこと」、2-3終了時に2-@「自己の就労状況」、3-5終了時に3-@「絵画表現『子育ての楽しみ』説明」を、それぞれA6版1枚に記述したものを回収した。この内容を全体的傾向、個人別把握の両面から分析した。  ワークショップ(WS)の成果の分析は次のように行なった。1-4の「第一印象ゲーム」(メモ)(2)、2-4のWS「幸せの瞬間」(図解)(3)、4-4、5-2のカード式発想法「子育てのなやみ」(図解)、6-2のカード式発想法「子育てのなやみ=期待と実像」(図解)を、各回終了後に表にまとめ直して内容を検討した。  各回終了時の個人による振り返りの文章の分析は次のように行なった。毎回、終了時に、「どんなことでも自由に書く」という指示の上で、A6版1枚を配布し、記入後回収した。この内容を当日のWSとの関連の面から分析した。  受講者1名に対する面接調査は次のように行った。2001年5月、現在も他の受講者と自主的に交流を続けている人1名に30分程度の面接調査を行った。会話形式で自由にしゃべってもらい、これを録音して発言のとおり文書化した(面1「当時の受講の様子」、面2「現在考える受講の意義」)。この資料を分析して、受講当時の戸惑い及びその後の自主的交流による気づきについて検討した。  この他に、冬期講座6回のWS成果と個人の文章、パソコン講座6回の個人別発信内容を集約し、春期講座の検討に必要な部分を抜粋して比較分析した。 3. 支援内容による気づき過程の結果 3-1. 社会的気づきの促進期  第1回はテーマを「出会いのワークショップ=本当の私と本当のあなたが出会う方法」とし、次のねらいで実施した。@初めて出会う受講者同士が知り合い、安心して話し合える雰囲気をつくる。A受講者同士がたがいに関心を持ち合う。B他者との出会いについて、日常の出会いの問題点に気づき、望ましいあり方を考える。  1-@では、「ワークショップって何?」、「受講による自分自身の変化が楽しみ」、「どんな技法を使うか」、「話したことは、どこまで秘密か」、「自分にも子どもにも自信と気持ちの安定をもちたい」、「子どもに自信をつけるためには、私自身が子どもにかまいすぎる。どうしたものか」などが出された。延べ数は知識1、技能1、態度4である。  これに対して、講師は、受動的学習方法の打破、「真実」との臨床的出会い、自己受容による自己変容、態度変容、エンカウンターグループの「文化的孤島」としての意味、本人の意思表明の尊重、「自他への信頼」と生産的構え、「かまってもらうこと」としてのストロークのあり方などについて紹介した。項目としては「態度」だが、それに関する「知識」を答えたといえる。また、1-3のまとめとして、童謡詩人金子みすゞの詩から「みんな違ってみんないい」という言葉を紹介した。 図1 1-A分析結果 社会的 B C D E A B C E 客体 個別的 A D 主体  1-3で、講師は「態度」に関する「知識」を中心に回答した。しかし、第1回の終了時に記入した1-Aにはこれらに関する記述がない。  1-4では、『第一印象ゲーム』(坂口順治『実践・教育訓練ゲーム』日本生産性本部,1989)を行った。堅苦しい自己紹介の代わりに、自分は第一印象でどのように見られているか、他人に対する自分の第一印象はどのぐらい当たっているか、テストした。そのあと、それぞれの人が正解(自分の好み)を発表した。笑いの絶えないワークのなかで、「同感はしなくても、共感はできる」という体験をした。  本ワークの終了後、講師は、「このゲームをしているときの気持ちのいい笑いの正体は何なのか」と発問し、各自の思考を促した。これは「信頼と共感」の心地よさについて気づいてもらおうとしたからである。  1-5では別表1-1の結果を得た。1-4のゲームについての感想が多かった。そこに表れた気づき過程を分析し、その結果を図1に示した。キーワードとして、即自では「楽しい・面白い」3件、即自−対他の連動では「緊張せず思いを言葉に出す」「気持ちが自然に出てくるよう」2件、対他では「今までと違った自分表現」「皆の話楽しみ」2件がカウントできる。対自は、「頭をからっぽにして自分を信じるようになりたい」の1件である。 3-2. 気づきの深化・個別化期  第2回はテーマを「共感のワークショップ=『みんな違ってみんないい』を実感」とし、次のねらいで実施した。@一受講者のリクエストに応え、受講者同士の就労の状況等を把握しあう。A他者に対する共感的理解の可能性を実感する。B異質の他者への共感的理解により、自己の枠組変容をもたらす学びの意義に気づく。  2-1では、本講座での交流のあり方について主に態度の側面から述べた後、その象徴として、前回取り上げた金子みすゞ「みんなちがってみんないい」の詩全文を紹介した。  2-2では、前回の1-Aの一個人のリクエストに応え、各人が自己の就労状況をまとめた。その結果は次のとおりである。  仕事をしている者は「留守がちであることがストレス」、かといって「開業手伝いでは社会参加の実感が得られない」、していない者は「家族に迷惑をかけないように働きたい」、「自分の世界をもつという意味で働きたい」とした。「この子は私が育てた、ということに喜びを感じていた」などの自己開示は、次の2-3での交流のなかで行われた。  2-3では口頭発表の後、n対nの交流が行われた。そこでは次のことが話し合われた。@結婚退職・出産退職の現状。A自分の居場所・自分の世界としての労働。B自分の時間がほしい。C子育てのなかのリフレッシュが必要だが、そのための一時保育などは世間から「ぜいたく」といわれる。そのとき、「もうなれた」「私の人生なのだから」と言えるうたれ強い人と、言えないうたれ弱い人がいる。  2-4は、ブレーンストーミングの精神に基づき、各人の「幸せの瞬間」のカードをKJ法のやり方を応用してまとめる「カード式発想法」である。  ブレーンストーミングの批判禁止、自由奔放、質より量、結合便乗のルールは、安心して「自分らしさ」を出すために有効と考えた。これを、理性よりもそのカードのもつ情念を大切にするKJ法に基づいて、グループ分けや表札作りを行ってみせた。KJ法は、自他の感情を的確に理解し、端的な言葉で表現するために有効と考えた(4)。  ワークでは、1枚1枚のカードを書いた本人によって読み上げてもらい、それをもとに会話を進め、受講者同士が共感できるようにした。そして、講師主導型で、受講者にもアイデアを出してもらいながらグルーピングと表札作りを行い、別表2の成果を得た。 図2 2-A分析結果 社会的 →C →E →B ↑D →E 客体 個別的 →A ↓B ↓D ↓A ↓C 主体  ワークで受講者は、最初は「飲食関係」など、理性が勝る分け方をしようとした。しかし、講師としては、1枚1枚のカードを書いた本人がその気持ちについて話すのをもっと聴こうとし、理解するよう促した。講師も、表札を決めるに当たって、最終的には書いた本人の気持ちに従った。結果としては、「ひとりでいるときの幸せ」(8件)が「家族といるときの幸せ」(8件)に匹敵している。  2-5では別表1-2の結果を得た。その分析結果を図2に示した。矢印は気づきの種別の前回からの変化を表している。  第3回はテーマを「子育ての楽しみ=ほかの親の楽しみに共感し、自分の楽しみとする」とし、次のねらいで実施した。@他の親の子育ての楽しみに共感することによって、新しい楽しみを見出す。A絵画表現をとおして、自己の子育てイメージを焦点化する。B文章表現をとおして、自己の子育てイメージを言語化する。  3-1において、前回2-Aの「一つだけ、『それが私にはストレスになる』と思うものもあり、おもしろかった」をとりあげ、書いた本人に何のことか質問し、「自分のことだけ考えていてよい=自分の服をあれこれ迷いながら買い物しているとき」についてだという返答を得た。「主人の稼いだ金で買うことへの罪悪感」が理由という。  これについて他の受講者のあいだに共感と違和感の両方が入り混じり、偶発的に話が盛り上がった。3-2において、即自−対夫としては「買い物でストレス解消して、きれいでいてあげるのが主人にとっても幸せ」、対自−対夫では「妻に我慢されて裏で不満に思われることよりも、妻から『ありがとう』といわれることのほうが夫もうれしいのではないか」という発言があり、合意された。  3-3では、子育てにおいて楽しかったひとこまを各自、絵にして発表した。「絵が下手なので恥ずかしい」という人もいたが、講師も含めて全員が絵を発表した。落ち着いた受容的な雰囲気で交流を行った。 図3 3-A分析結果 社会的 ↑A →C →E →B ↑C →D →E 客体 個別的 →B →D →A 主体  3-4では、一人一人に発表した絵についての説明文を作ってもらった。その結果は別表3のとおりである。  この結果から、家庭内で家族がともにしているときの情景や、子どもとの双方向的な場面、子どもの表情などが文章表現されたことがわかる。  3-6では別表1-3の結果を得た。B「子どもを追いつめたり比較したりすることがとてもいけないことだと十分わかっているのに改まらない」、D「家に帰ったらそういうことも忘れて、また、子どもを怒っていると思う」の2件を重視する必要があろう。対自の重要な気づきであると同時に、解決の展望が見えない状態を表している。その分析結果を図3に示した。 3-3. 客体的理解から主体的理解への移行期  第4回はテーマを「子育てのなやみ=『なんだ、自分だけではないんだ』と気づく」とし、次のねらいで実施した。@「なやみを表現することによって自分に気づくこと」に気づく。A文章表現をとおして、自己の子育てのなやみを言語化する。Bカード式発想法をとおして、自他の一つ一つの表現を大切に受けとめる。  4-1での講師との雑談のなかで、次のように受講者同士の自主的な交流が進められていることがわかった。講座終了後のセンターのロビーでのおしゃべり、フィットネスルームの利用、学外のダンス教室への参加。そこで、センターとしてもロビーでの活用や、講座終了後の自主的つながりにおけるセンター教官の支援など、積極的に応援する方針であることを説明した。  4-2では、今回のテーマ「子育てのなやみ」に関して、書いたり、発表したりして自己表現することの意義を次のように説明した。 図4 4-A分析結果 社会的 →A →C →E ↑A 客体 個別的 ↓A →B →D ↓B ↓C ↓D ↓E 主体  先日の新聞の人生相談で、子どものいない女性から「世間の人から『お子さんは何人?』などと聞かれていつも傷ついている。夫も不妊症の検査などに協力してくれない」という訴えがあり、回答者のカウンセラーが、「世間の人はじつはそのことに関心をもって聞いているわけではない。自分だったら、そんなことは聞かないけれど。それより、あなたが本当に傷ついているのは、世間の人からの言葉ではなく、夫の非協力的な態度なのではないか」と答えていた。  このように紹介したうえで、講師は、「自分の悩みを言葉に表現するということは、今自分が本当に悩んでいることは何なのかを気づくことにもつながるのではないか。それに気づけば、問題解決にもつながるのではないか」と説明した。  4-4では、自主的な交流による学習集団内の支持的風土に基づき、n対nのワークショップを行い、講師主導型で表札をつけた。図解作成は次回に継続することとした。  4-5では、別表1-4の結果を得た。その分析結果を図4に示した。なお、Aについては今回のみ「社会的」「個別的」の両方に分別した。  第5回はテーマを「子育ての知恵=自分の本当の気持ちに気づき、相手を受け入れる」とし、次のねらいで実施した。@カード式発想法をとおして、子育ての知恵を出し合う。A他者への共感と受容をとおして、問題解決の方策を見出す。B他者の子育てに関するストーリーを知ることによって、自己のストーリーを修正する。  5-1では、4-A個人振り返りに表れた個別化、多様化に基づき、「子どもをどうとらえているか。どうあってほしいか」について、より深く自己をとらえることの意義を説明した。そのため、論理療法のABC理論による「信念」のとらえ方を紹介し、自己開示により自らの「背後の思い」に気づくことの重要性を説明した。  5-2では、受講者の了解を得て、全体で2時間半のワークを行なった。前回のものとあわせて、別表4の成果を得た。 図5 5-A分析結果 社会的 →A ↑B →C →E ↑C ↑D ↑E 客体 個別的 →D ↓A →B →C 主体  5-2のワークにおいては、講師は「ぐうたらすることは、どうして悪いことなのか」、「不透明の時代にどう野心をもてというのか」、「無気力になることも本人の自己保存かも」などの問いかけと、「上手な質問のコツ」、「さわやかな自己主張の方法」など知識レベルの紹介を行った。  5-3では、別表1-5の結果を得た。その分析結果を図5に示した。  第6回はテーマを「子育ての悩み=期待と実像」とし、次のねらいで実施した。@自分が理想とする「子ども像」「夫像」に気づく。A各人の家族環境の現実に応じた子どもや夫の実像に気づく。B家族への期待と実像のギャップを埋めるストーリーを各人なりに生み出す。 図6 6-A分析結果 社会的 →C →E 客体 個別的 ↓A ↓B →D →A →B ↓C ↓D ↓E 主体  4-4と5-2の成果(後述)を考慮し、予定されたテーマ「子育てが楽しい社会とは−子育て支援のあり方を社会に提案する」を「子育ての悩み=期待と実像」に変更して実施した。これは、そのまま前回のテーマ「子育ての知恵」につながり、また、「子育てが楽しい社会とは」にリアルな示唆を与えるものと考えた。  6-1では、「あなたはあなた、私は私」という出会いの本質を歌った「ゲシュタルトの祈り」(パールズ)を紹介し、6-2への導入とした。  6-2では、新たな発言も取り入れながら、今までの一人一人の発言を、母親が期待していた「子ども像」と子どもの実像、母親が期待していた「夫(父親)像」と夫の実像、母親がなりたかった「自分(母親)像」と自分の実像に分類・整理した。今回は講師が学習者集団に対して問いかけながら進行し、別表5の成果を得た。  6-3では表1-6の結果を得た。その分析結果を図6に示した。 4. 討論―気づきの支援方法とその効果について 4-1. 講師対学習者の講義型対話の効果  1-Aの結果から、講師からの「知識」中心の話は対他体験と比べて、印象が薄かったと推察される。 冬第4回のカード式発想法「子育てのなやみ」では、講師が自らの抱える子育ての悩みから始めたところ、受講者から「悩みはなかなか次々出てくるものではないですが、先生がはじめに口火を切ってくださったので、話しやすかったです」という文章表現を得ている。講師対学習者の1対nの交流においても、知識中心より体験談中心のほうが、安心感や親密感のためには有効だと考えられる。  ただ、「先生から知識的なことを言っていただいたおかげで、紹介していただいた本を読んでみようかな、とかなりましたし、私にはすごくよかった」という回答も得た(面-2)。講座で話された知識がそのまま気づきにつながるというよりも、知識獲得の動機付けとして有効であったといえる。  2回目からは、最初に、前回の終わりのワーク「個人文章表現による振り返り」の成果を読み上げ、講師からの応答を行った。読み上げのねらいは、「異なる他者の存在に気づく」、「他者固有の関心が自己の関心にもつながることに気づく」である。応答については各回の「講師の応答内容」に掲げたとおり、本講座の進め方等に関する説明、関連する知識の提供、疑問の投げかけの3つが行われた。  これらがどの程度、気づきの効果を表したかは確かめられなかったが、面-2では、「もう一度先週のことを振り返ることはよかった。そうだ、先週はこんなこと考えていたんだな、とか」という回答を得ている。前回のワークと当日のワークの仲介として有機的に連携できたかどうかが要点であるといえよう。  その場合、「個人が自己管理のもと、どんなことでも自由に書く」という条件の功罪が問題になろう。この条件により学習者は次の感覚を得ることができると考える。第1には、どんな方向に進むかが予測できない「ライブ感覚」である。第2には、学習者の文章表現が講座で取り上げる題材、内容、方法に影響を与えているという「参与感覚」である。しかし、これらが当日のワークと有機的につながるためには、各回のカリキュラムの妥当性と当日の進行の柔軟性が必要になる。 4-2. 講師指示型の個人表現ワークの効果  本講座では、講師の指定したテーマと方法による個人表現ワークが繰り返し行われた。  1-2「心配なこと・聞いておきたいこと」で多くの学習者が、受講による自己の態度変容への期待と関心を示した。本講座の受講者の参加動機は、知識修得や技能向上よりも、態度変容に重きが置かれていたといえる。  この場合、次の2点の配慮が子育て支援に当たって重要と考えられる。第1は、学習者が現在までの子育ての態度を自己否定するのではなく、むしろ自己受容することによって態度変容に結びつけるよう配慮することである。第2は、学習者の今までの「生きにくい」ストーリーに代わる新しいストーリーを「与える」のではなく、支援者が学習者の今のストーリーを明らかにしながら進行することによって、学習者自らがストーリーを必要に応じて修正するよう配慮することである。態度変容に対する有効な支援のためには、この受容性と主体性の点検が必要といえよう。  2-2文章表現ワーク「子育て中の母親にとっての就労・社会参加」では、仕事をしている人もしていない人も、「社会参加をしているという実感をもちたい」、「自分の世界をもちたい」という仕事への即自的欲求と、「子どもや家族に迷惑をかけたくない」という対他(家族)の配慮とのジレンマを表現している。「この子は私が育てた、ということに喜びを感じていた」という対自の気づきとその開示や、結婚や出産で女が退職する社会的現状への気づきは、次の2-3での交流を通じて行われた。  このことは次のようにとらえられる。交流を経る前の個人文章表現では、即自と対他(家族)が矛盾する自己の現状を再確認する段階にとどまった。次に、口頭表現と交流をとおして、学習仲間が同じ問題を抱え、同様の感じ方をしているということに気づき、励まされることによって、次の段階へと思考を発展させることができた。すなわち、最初の個人文章表現ワークは「自分が『思っている』と前から思っていること」を表現したにすぎなかったが、対他の気づきを経て、対自(自己の気負い)や対社会(女性の社会的現状)の気づきに発展したといえる。  3-3の絵画表現「子育ての楽しみ」と口頭発表を経た3-4の文章表現では、普段は言語化することの少ない個々人の「家族イメージ」が文章表現された。これは上に述べた口頭表現と交流の効果とともに、絵画表現のもつ特殊な効果により、個々のイメージに焦点が当てられたからだと思われる。  池見陽は「フォーカシング」という心理療法について次のように述べている。「自分の内側に感じられる『心の実感』に触れ続け、それが開かれるとき、アタマの知識を超える知恵が現れてくる。心理療法では、このようなプロセス、つまり実感からの発見や気づきがあるからこそ、成長や創造的な問題解決が可能なのである」(5)。  ここで『心の実感』は「フェルト・センス」と呼ばれる。池見は、絵画を用いての集団でのフォーカシングに触れ、個人的変化を促進する「心の構え」として、「具体性」「間」「優しさ」の3つを挙げている(6)。  3-3→3-4の結果からは、家族・子育てイメージの絵画化、文章化という面では「具体性」、1対nの口頭説明による相互受容という面では「優しさ」の両者について、一定の効果をあげたといえよう。相互受容については、3-Aでは、全員が受容に関連することを書いている。これらは、絵画表現によって、イメージや実感を伴なった共感→受容という対他の気づきが行われたことを示している。  しかし、一方で、B「(共感したにもかかわらず)子どもを追いつめたり比較したりすることがとてもいけないことだと十分わかっているのに改まらない」、D「家に帰ったらそういうことも忘れて、また、子どもを怒っていると思う」の2件は、上述の気づきが対自の気づきを深めることとともに、それだけでは主体的な問題解決の展望にまでは至らないことを表している。  これは、第1には、「同感」や「共通している」という対他の気づきが対自の気づきを促したが、それがふたたび「異なる他者の内面」という対他の気づきに還流しなかったからだと考えられる。態度変容にまで至るためには、即自・対自・対他の気づきの往復が必要といえよう。  4-Aでは、3-A-Dについて「私もついこのあいだまでしていた。とてもよくわかる」としながらも、「でも最近は、宝物ではなく、神様からの預かり物かなと思うようになり、ふとさびしく思ったり、せつなくなったりする」と述べている。これらの学習仲間同士の実感の「差異」がスムーズに交流されるよう留意する必要があった。  第2には、自己否定から自己受容への態度変容が伴わなかったからだと考えられる。  池見は「間をおく」ことについて次のように説明している。「気になる事柄や状況が浮かんできたら、それに伴っている実感に触れ、その実感のもつ『質』をクレヨンで画用紙に描いてみるのである。何色のモヤモヤ? どんな形で表現するとピッタリ? 参加者は時間をかけて、丁寧に、内面に感じられる気がかりの実感を絵に表現し始めた」。その絵を楽になれる場所に置くことが、「間を置く」である。気がかりな状況や事柄から「間をおく」のではなく、それらの事柄に伴う「実感」から「間をおく」ことが重要である。そのことにより、「自分で自分を肯定できるようになる」という。  本講座のワークでは、絵画表現とその交流によって一定程度、実感レベルの気づきに至ることはできたが、次にその自らの実感とは間をおいて自己洞察を深めることができなかったため、より深い受容にまで至ることが難しかったといえる。  「子育ての楽しみ」の文章表現に表れた「子育ての気がかり」を拾い上げて学習集団にフィードバックし、そこで自己の否定的側面を他者から受容される体験を経て、さらには個人がワークに追いまわされずに自己の実感を「間をおいて」振り返る対自の時間を設定することが必要だったと考える。このような個々人の気づきの諸側面に合わせた支援が、受容をより深いものにすると考えられる。 4-3. 学習者間の相互関与を主眼とするワークショップの効果 4-3-1. 出会いワークの効果  1-4「第一印象ゲーム」のキーワード分析の結果からは、安心感と期待感はほぼ得ることができたといえよう。しかし、本ワークのもう一方のねらいであった他者に共感する自己や、自己とは異なる他者の存在への自覚的な気づきにはあまり触れられていない。このことから、「自己紹介(見知らぬ他者との交流)は緊張するもの」という固定概念については容易に揺さぶり機能を発揮することができたが、気づきとしては即自にとどまることが多く、対他の気づきも即自的な安心や期待に類するものであったといえる。  しかし、「頭をからっぽに」という対自の気づきに関しては、個人差の表れと見ることができる。これをWSのなかで学習者集団にフィードバックして検討する機会を与えることによって、各人の気づきをもっと深めることができたと考えられる。 4-3-2. 話し合い学習の効果  2-3「子育て中の母親にとっての就労・社会参加」では、2-2において文章表現されたジレンマが、各人の自己開示をとおして明らかになった。この即自と対他との矛盾は、メンバーの価値観の相違を越えて共通することが確認された。しかし、「母親が働くことによる家族の幸福保証」という社会参加のもつ対他の積極的側面については、経済的理由以上のものには深まらなかった。  社会参加が即自に与えるよい影響を確認することはできたが、自己の子育てを、自己と社会との関係性のなかで行われているものとしてとらえるまでには至らなかったといえる。そのため、問題が、「うたれ強い」「うたれ弱い」という個人差に解消されてしまった。これは、ジレンマの共通性が強調されすぎて、主体ごとの異質性を追求する観点が甘くなってしまったからだとも考えられる。 4-3-3. 共感ワークの効果  2-4「幸せの瞬間」の結果を、前掲表1に示したねらいと対照させて考察すると、次のことが指摘できる。 @ 他者の異なる価値観への共感可能性の気づき  一般的には、価値観が同じものに対してのみ共感できるという思い込みが強い。これに対して、本ワークによって、「幸せ」という異なる価値観に基づくテーマでも共感しあうことができたといえる。これまでのワークをとおして受容的雰囲気が形成されつつあったことも、その要因の一つとして指摘できる。 A 幸福に関する自己の準拠枠組の変容への気づき  思考や認識の自己の枠組の変容のないままの学習は、学習とはいえない。本ワークでとりあげた「幸福感」は不確かなことがらではあるが、ワークをとおして「きのうまでの自分の幸せの枠組が、少しではあるが、確かに形を変え、拡大した」という実感をもつことをねらいとした。  しかし、ワークがそういう効果をもつためには、「他者の話にあれこれ考えているあいだに、次の方や先生の話になる」(2-A)というケースへの対応が必要であった。個人ごとの関心やペースに基づいて自己の変容を振り返り、気づきを深めることのできる対自の個人ワークを、意図的、計画的に組み込むことが重要と考えられる。 B アンビバレンツ(両面価値)の受容  「家族といるとき」に幸せと感じるべきで、「一人でいるとき」に幸せと感じる自分は問題がある、というような偏狭な二項対立は本人自身も苦しめることになる。ワークでは、他者の「幸せの瞬間」に共感するによって、アンビバレンツな自己の価値観にも気づき、さらにはこれを受容するよう促そうとした。  結果としては、対家族(家族といるとき)と即自(一人でいるとき)とが両立する成果が導き出され、そのねらいを一通りは達成することができたといえる。これは、「ほかの人も同じなのだ」という対他における「共通性」への気づきによって、一定の自己受容の効果があり、その成果を増幅したと考えられる。  しかし、ここで、「一つだけ、『それが私にはストレスになる』と思うものもあり、おもしろかった」という表現に注目する必要がある。このような対他における「差異性」の気づきは、自他のアンビバレンツの受容の重要な契機になると考えられる。  ブレーンストーミングの「批判禁止」のルールに基づくとすれば、「結合便乗」の提案をするということになるだろう。だが、対他をとおした対自の気づきの深まりのためには、そのルールを越えて「語り込み」が行われるよう配慮する必要があるといえる。「他者の話にあれこれ考えているあいだに」の問題についても、ワークの個別化とともに、差異性を積極的に浮き彫りにすることが有効であると考えられる。とくに成人学習の場合、ルールの遵守や時間進行への協力の意識が強いと思われるので、注意が必要といえる。 4-3-4. 「子育てのなやみ」を話し合うカード式発想法の効果  4-4「子育てのなやみ」では、4-Aの結果から、今回の学習内容・方法および自主的交流の両面の理由から共同性が高まっているにも関わらず、本人自身が重要な気づきとしてとらえるものは、個別化、多様化している傾向が指摘できる。その諸側面の要素としては、即自(「おもしろい」)、自己開示(「外に出せた」)、自己反省(「まず自分が」)、相手の成長と自分(「神様からの預かり物」)、生き方のコツ(「やってみなければわからない」)等が指摘できる。これらは、気づきの段階の差異だけでなく、方向も拡散していることを表している。これらの差異を、安易に共通性に依拠することなく、どう組織化するかという検討が求められる。  「『なんだ、自分だけではないんだ』と気づく」というねらいは、Aの「子育ての悩みはどの方の話も共感できるものがあり、自分だけじゃないと思え、少し肩の荷が軽くなったような気がする」という言葉どおり、容易に達成できる気づきであった。計画的な気づき支援においては、むしろ上の差異性に注目し、これを明確化して、その上での「自他受容」をねらいとすることが求められると考えられる。  5-2「子育てのなやみ」では、5-@の成果から、4-4と比較して気づきが深化していることが読み取れる。これは、5-2においては随時、文章や口頭でのカードを追加することにより、他者との受容や相互関与が深まったからだと考えられる。深化の特徴としては、第1には対子どもをとおして対自の気づきに戻っていること、第2には子どもだけではなく、夫を含めた家族全体の関係性に目が向き始めたことが指摘できる。  しかし、5-Aの結果からは、4-5のときのような個別化、多様化が、再び減じていることがわかる。「自分の悩みを話せたし、聴いてももらえた」という自他受容の効果が顕著といえよう。しかし、Dの「やはり子どもの存在は大きい。将来主人と二人きりになるとき、自分のなかでそれを乗り越えられるかと思うとこわい」という不安は解決していない。また、他の人の「少し気持ちが軽くなった」、「同じような思いを皆がもっていることに安心」、「耳を傾けて聞いてもらえたことで、気持ちがすーっとした」などの表現も考え合わせると、次の傾向が推察される。第1には、「皆も同じ」というピアコンセプトの同質化傾向であり、第2には、日頃は言えなかった悩みを互いに語り合えたことによる一時的なカタルシスとしての傾向である。  このことから、一定の受容効果は確かめられたと考えてよいだろうが、5-2における気づき支援の課題として次の点が挙げられる。第1に、共通性に偏りがちなときに、4-5について考察したような差異性にいかに引き戻したうえで受容を促すかということである。第2に、悩みの解決の具体的展望を各個人が獲得するために必要な対自の気づきをいかに促すかということである。 4-3-5. 「期待と実像」のギャップに気づくカード式発想法の効果  6-2「期待と実像」では、6-A(本講座の最終到達段階)の結果から、次のような成果が指摘できる。第1に、無自覚な即自のみの表明はなくなった。第2に、子育てが自分自身の問題であるという対自の気づきを深めた。  さらには、「自分にもこうありたいという像があり、子どもに対してもこうあってほしいという像があり、私はそのどこからわいたかわからない自分の勝手な像に常に突き動かされていた」、その気づきの上で、「実像に少し近づいていくか、近づいてもらうかによってずいぶん考え方が変わる」とした文章表現も見られた。これは、主観的には現状で両立しているはずの親の即自と対子どもが、客観的・社会的には引き裂かれがちな現代社会において、あるがままの事実を受け入れる深い受容をとおして引き裂かれずに親子関係をともに育むために欠かせない主体的な気づきといえる。  このワークでは、講師が意図的に問いかけを行いながら、学習者にカードを追加記入してもらい、講師主導で整理の合意を形成しようとした。この積極的介入の意図は「期待と実像のギャップに気づく」ということであった。  そのため、「私も普通の人なんだと思い切ることのできない自分がある」や、「自分が本当に考えていることがかえってうまくまとまらなくなってきた」などの「消化不良」も表明されたといえる。  これに対して、冬の講座では「個々の悩みの解決までなかなかまとめきれなかったですが、大きな悩みに対する解決方法がみえたように思います。まとめきれなかったのでまとめてきていいですか」という文章表現があったため、講師はこれを支持し、次回には、数人の有志でまとめてきた成果を、当該発言者が中心になって説明した。講師主導型に対する学習者参画型であり、講師は主に評価機能(受容)を発揮した。  その成果をすべて紹介する紙面はないが、「ありのままの自分を受け入れる」、「安心して本音を話せる人や場がある」、「何でも許せる親子関係を作る」、「人間なのだから両面価値を持って当然」、「理想を追い求めすぎない」、「その土地のマイナス面を見がちだが、プラスの面を見るようにする」などの解決方法がまとめられている。その特徴としては、第1に受容の精神に貫かれていること、第2に即自と対他・対家族の関係の楽観視、第3に実際的な展望が示されていることが指摘できる。  冬の講座では当初からメンバー間の自己開示が進んだ。そのため、「今まで目を背けたがっていた自分に気がついた。いっしょに考えられる仲間がいたからこそ、勇気を出して悩みと向き合えたのだと思う。また泣いてしまった。あまり人に話さず、飲み込みつづけてきたものが、ここに出ているのか」という文章表現を得ている(第5回)。  このような冬の講座の成果は、講師が当初から形成され始めたメンバー間の支持的風土を考慮して、学習者に対する受容機能や、学習者間の相互受容支援機能を中心に発揮したことが主な要因と考えられる。  春の講座6-2における「消化不良」の表明は、これと対照的である。そこでは、講師主導型で期待と実像のギャップをあからさまにされた。そのため、「わからないことに気づかされてしまった」といえる。しかし、同時に、その「消化不良」の前者の表明者は「みんなと一緒とか、普通って、本当はどんなことなのか」、後者は「子育てとは自分の内面を今までとは違った角度で考えることなのかとも思う」としている。これは、対他、対自の気づきの深まりとしてとらえられる。 4-4. 偶発的交流の効果に関する考察  3-2偶発的交流「買い物の楽しみと罪悪感」は、講師も何のことかはわからなかった「ストレス」をテーマに展開した。そのため、知恵の交流があることは予想できても、初めから気づきのねらいなどがあったわけではない。しかし、少なくとも夫という他者への気づきに関しては、即自や対自の気づきと循環しながら統合的に進められたといえる。  しかし、家族以外の社会のなかでの「稼いでいない妻」としての自己の位置づけにまで気づきが広がることはなかった。講師としては、家事・育児の経済的価値の算出の動向等については情報提供はしたが、そのような知識だけでは、ここで取り上げた「ストレス」の訴えには応えられなかったと考えられる。  冬のパソコン講座では、電子メールや電子掲示板システムを利用した交流であったため、その偶発性の要素が特段に強まった。文字入力の不慣れにより発信回数が少ないなか、「一人っ子ではかわいそう」と周りの人にいわれるという母親の悩みに関するレスポンスが第1回から4回まで大きな比重を占めた。また、最終回の文章表現でも、「素晴らしいパソコンの世界を垣間見ることができ」、「生まれて初めてこの様なパソコンに接する機会がもてて」、「毎週大学生になった様でとても嬉しかった」、「パソコンを買ったあと、すぐにメールが使えるようになれるといいな」、「パソコンを使っていろんな方と交流ができれば素晴らしい」、「最後までパソコンに振り回されていた」、「まだメール友達も少なく、メールの全く来ない日もあり寂しいかぎり」と7人全員がパソコン操作を中心とした記述を行っている。  偶発的交流を進める場合、先に述べた「個人文章表現による振り返り」の成果の読み上げ・応答以上に、講師の機能が問われると考えられる。そこでは、「ライブ感覚」や「参与感覚」を損なわずにいかにして意図的な機能を発揮するかが要点になるといえる。 図7 各人の各回振り返りの文章表現に表れた気づき過程 (数字は回) 人 1 2 3 4 5 6 1 2 3 4 5 6 A 社会的 ○ ○ ○ 客体 ○ ○ 個別的 ○ ○ ○ ○ 主体 ○ ○ ○ ○ B 社会的 ○ ○ 客体 ○ ○ ○ 個別的 ○ ○ ○ ○ 主体 ○ ○ ○ C 社会的 ○ ○ ○ ○ ○ ○ 客体 ○ ○ 個別的 主体 ○ ○ ○ ○ D 社会的 ○ 客体 ○ ○ ○ 個別的 ○ ○ ○ ○ ○ 主体 ○ ○ ○ E 社会的 ○ ○ ○ ○ ○ ○ 客体 ○ ○ ○ ○ 個別的 主体 ○ ○ 4-5. 気づき過程の往復とその支援  各回の個人振り返りの文章表現の分析結果を集約して検討し、その結果を図7に示した。社会的/個別的については個人によっては固定化傾向を破れないケースが見出された。しかし、客体としての気づきと主体としての気づきについては、往復しながら主体としての気づきを深めていく過程が明らかになった。  さらに、気づき支援の分析をとおして、次の「往復」の効果が認められたと考える。  第1に、気づきの過程において、「悩んでいるのは私だけではない」、「皆が同じ思いをもっている」という社会的な気づきが、個人の安心や集団による共同解決につながっていった。反面、「結局は自分の生き方について考えること」、「みんなと一緒とか、普通って、どんなことなのか」という個別的な気づきが、社会的な気づきと往復して深まっていった。  第2に、気づきの過程において、講師や他の学習者から影響を受ける客体としての気づきと、影響を与えている主体としての気づきが往復していた。講師からの知識提供では、紹介された本を読もうと思ったり、学習者間の相互関与では、「私の話を皆が聞いてくれた」、「相手が話してくれた」ということから自己内対話を深めたりする過程が見られた。  第3に、気づき支援において、講師によって意図的に構成された学習機会のなかで、学習者主体の偶発的な交流が行われた。そして、その成果に基づいて、次の学習機会がより意図的、効果的に構成された。  第4に、気づき支援において、講義やワークショップ等をとおして子育ての知識・態度に関する概念の提供が行われるとともに、他者の異なる受け止め方を紹介することによって、その概念の「打破」が試みられた。そのために、「自分のためのショッピング」という合意に対して、翌週には「それが私にはストレスになる」という発言を取り上げるなどの指導行為が行われた。  これを図8に示した。上下は学習者の気づきの諸側面、左右は支援の諸側面を表している。 図8 気づき過程とその支援の往復 社会的気づき 客体として 意図的支援 偶発的支援 概念の提供 概念の打破 個別的気づき 主体として  本研究をとおして、安心感と緊張感、他者への気づきと自己への気づき、学習集団内の共通性と一人一人の個別性、個人の悩みの共同解決と自己解決等の往復が見られた。これらのペアを二項対立的にとらえるならば、どの気づきにはどの支援が効果的かという発想がなされよう。しかし、実際には、本研究では、現実の気づき過程は上下を往復しながら深まることが明らかになった。これに伴って、効果的な支援方策のためには、個人や集団の気づき過程を把握して、必要に応じて左右の二項を往復させ、気づき過程と交差させることが適切と考えたい。 5. 結論  親が、子育てに関する自他の差異や、世間でいわれる「理想の子育て」と自己の子育てとのギャップに気づいて自己否定に陥った場合、対自、対他の気づきを経るよりも、直接的に問題解決の答やストーリーを求めようとすると考えられる。  これに対して、本講座で行われたような「他の親との相互受容のなかでの悩みの交流」は、他者や自己への気づきを循環、深化させ、その過程のなかから自らの答を見出すための一定の効果をもつことが明らかになったといえよう。  本研究では、学習集団に受容的雰囲気が形成され、互いに安心して自己開示を交換することによって、対自・対他の気づきが促されるという仮説は、部分的には検証された。また、講師がいくつかのワークショップの手法を活用することにより、同じ悩みを抱えた学習者のなかでは、受容的雰囲気は比較的容易に形成されることがわかった。  しかし、本研究では同時に、「わかる」とか「同じ」などの受容をしあうことによって、逆に対自や対家族、対社会への気づきを阻害してしまう傾向を見出した。  子育て学習において真に「自分なりの答を見つけた」と実感するためには、他者の子育てとの差異に関する個人の気づきを明確化し、学習集団のなかで組織化することによって、学習者の自他受容をより深いものにすることが重要であるといえる。 別表1 各回振り返りの個人文章表現と講師の応答内容 回 人 個人振り返りの内容 講師の応答内容 1 A ゲームが楽しかった。パッと見てすぐ考えるほうにいってしまう。「頭をからっぽにして自分を信じること」ができるようになりたい。遅参して申し訳ない。 個人の事情でかまわない。不在時のフォローもする。 B ゲームは今までと違った自分を表現できる方法。おもしろかった。自分の思いを言葉に出すのは緊張して苦手だが、今回はあまりそれもなかった。 言葉の背後には思いがある。氷山モデルを説明。 C 楽しかった。皆の子育てに関する話を聞くのが楽しみ。 知恵の交流の意義。 D 自分の心のなかにある気持ちが自然に出てくるよう。素直な自分が表現できそう。 ピアコンセプトではない安心のポイント。 E 子どもの学年、性別など知りたい。現在及び過去に働いているか、いつからか、働いていないならその理由と働く予定を知りたい。 このような個人的リクエストを自由に出してほしい。 2 A 他者の幸せなときが家族のなかにあるのに対して、私の幸せは自分中心で、家庭の外にあるかなと思った。私は変わった人かなと感じつつ、楽しい時間を過ごした。 母親、妻、社会人としての自己の存在。個人としての自由時間の意義 B 他者の話にあれこれ考えているあいだに、次の方や先生の話になり、ときどきいい話を聞き逃してしまっているように思う。何にしてもそうだが、気になることがあるとそればかりが気になり、気持ちの切り替えがうまくいかない。 個人の事情で全体の学習にストップをかけることの意義(個人の受け止め方は他者にとっても関心がある) C 幸せの瞬間は、ほんとにそうだねー、わかるわかるー、という感じでおもしろかった。そこからどんどん交わりが深くなっていけそうな気がした。 エンカウンターグループの意味(出会いと社交辞令との違い) D 人それぞれ幸福感があると思った。強弱はあるけれど納得するものがほとんどだった。一つだけ、「それが私にはストレスになる」と思うものもあり、とてもおもしろかった。 自己受容トレーニングの意義(アンビバレンツの受容) E 5人中4人の人に小学2年生の子どもがいるのでびっくりした。皆の幸せの瞬間の話には共感できることがあり、おもしろかった。 同じ立場からの同感と、異なる他者への共感の差異 3 A 子どもとともに何をするでもなく、同じ空間に身をゆだねているときがいい、に同感。「何か話さなければ」「何か伝えなければ」という空気の中からは何も伝わらないし、できあがってこない。互いに自由な空気のなかで本音がいえる関係づくりが大切。 沈黙の意味、居心地のよさ B 幼稚園生活について同じ体験をしてきたので、その気持ちがわかった。ただ、私の場合、子どもを追いつめたり比較したりすることがとてもいけないことだと十分わかっているのに、子どもが小学校になってもまだ改まらない。そのたびにかわいそうなことをしているなと思ったり、現実に学校から持って帰るテストを見てきつく言ってみたり。自己反省もしたが、みなさんの話はおもしろかった。 「自己改造」のコツ=自己否定せずに、1週間に何回という具体的目標を立てる。 悪い叱り方ワースト3=引き合い叱り、ついで叱り、感情叱り C 「子育ての楽しみ」のコーナーは、子育てのだいご味とでもいうべきものだと思う。みなさんそれぞれに子育て=生き様という感じがした。 大人自身が「自分を知る」ことの大切さ D 子どもとのふれあいのなかで、大人が感じること、学ぶことが、数知れずある。子どもってなんてかわいい宝物なんだろう。いつもは子どもってイライラする存在のときも多い。家に帰ったらそういうことも忘れて、また、子どもを怒っていると思う。 反省のコツ=いつもの笑顔で反省する E 絵、説明、文章、人それぞれだったが、共通するのは我が子への愛情だと思う。 共生社会=共存+共有 親と子にとっての生きやすさ 4 A 「子どもってなんてかわいい宝物なんだろう」(3-A-04)という感じ方を、私もついこのあいだまでしていた。とてもよくわかる。「あなたたちは、パパとママの大切な大切な宝物よ」とつねに伝えてきた。でも最近は、宝物ではなく、神様からの預かり物かなと思うようになり、ふとさびしく思ったり、せつなくなったりする。宝物=いつまでも変わらない存在。神様からの預かり物=少しずつ変化し、成長していく存在。子育ての悩みはどの方の話も共感できるものがあり、自分だけじゃないと思え、少し肩の荷が軽くなったような気がする。 アンビバレンツ(子どもの自立のうれしさとさびしさ) B 先生の子育てについてくわしく聞かせてほしい。いま自分が一番気になっている子どものことが、少しだが外に出せてよかった。 自己開示、ジョハリの窓 C 子育てのなやみのコーナーは、盛り上がっておもしろかった。これを言いたい、これが聞きたいばっかりに、この講座に参加したという感じ。来週も引き続きこの話題をふくらませるということなので楽しみにしている。 公園デビューとの違い D 私の意見としては、子どもはどっちにしろ親の背中を見て、親と同じようにしゃべって話して怒っているような感じがする。まず自分が楽しくすごして毎日きげんよくありたい。なかなかむずかしいけれど。 親の不機嫌は子どもへの暴力 E 「何がいいのかやってみなければわからない。生きやすい生き方をしよう」(4aでの講師の発言「人間万事塞翁が馬」)というところが一番印象に残った。 ポイントは「いやな気持ちが残るか」 5 A 出席するたびに、私だけではないんだと思え、心がほだされる気がする。他者といろいろな気持ちを共感できる心地よさを感じた。自分の話を外でできたことで、少し気持ちが軽くなった。 自己開示=開きたい心を開きたいところで開く B とても充実した時間だった。講座では思っていることをありのまま伝えられたと思うが、皆が話しやすい雰囲気で聞いてくれてよかった。同じような思いを皆がもっていることに安心した。 受容と許容との違い C 本音の話を聞くことができて、とても興味深かった。また、私の話を耳を傾けて聞いてもらえたことで、気持ちがすーっとした。 D やはり子どもの存在は大きいと思うし、今の生活のなかではとても大きな位置を占めていることは事実。将来主人と二人きりになるとき、どうやって自分のなかでそれを乗り越えられるかなと思うとこわい感じがする。 いつまでたっても親は親だが・・・ E 前回に続いて今回もワークのなかでいろいろな話があり、楽しかった。 6 A 子育ての悩みを文章にしたり、言葉でしゃべったりしていくうちに、私の悩みは子育てにではなく、自分自身のなかにあったと気づいた。今まで自分を神(家族にとって)と信じていたことがとてもおろかしく思える反面、私も普通の人なんだと思い切ることのできない自分がある。みんなと一緒とか、普通って、本当はどんなことなのか。目に見えたらどんなに楽か。とりあえず神ではなくても「強い人」(やさしさも悲しさもわかる人)になりたいと感じた。よき母、よき妻より、楽しく、自分らしく生きていける「わたし」になりたい。 B 今日はいろいろ考えているうちに、自分が本当に考えていることがかえってうまくまとまらなくなってきた。子育てとは自分の内面を今までと違った角度で考えることなのかとも思う。 C 子育ての悩みについて話をすることは、結局は自分の生き方について考えることなのだなとつくづく思った。少人数の講座だったので、それがかえって活発に発言できて親密さが増した。人の話を聞くのも、自分の話を聞いてもらえるのもとても有意義で、火曜日を楽しみにしていた。 D 自分にもこうありたいという像があり、子どもに対してもこうあってほしいという像があり、私はそのどこからわいたかわからない自分の勝手な像に常に突き動かされていたように思う。実像に少し近づいていくか、近づいてもらうかによってずいぶん考え方が変わるような気がした。 E 一方的に話を聞くだけではなく、ワークショップ形式で楽しかった。子育てのなかの私には有意義な時間だった。 別表2 「幸せの瞬間」の分類 2-4表札 2-4幸せの瞬間(カード) 抱きついてくれた A子どもが「ママ、抱っこしてあげる」といって、ギュッと抱きしめてくれたとき C子どもが「お母さん大好き」といって、首に抱きついてきたとき 子どものうれしい顔 E子どもがとてもうれしい顔をしたとき 家族に喜ばれた C夕食のとき、私が作った料理を家族が「おいしい」といって食べてくれたとき ほのぼのしている Dまだ片言の子どもが、おもしろい言葉を発して、長女や主人と一緒になって大笑いしたとき 他愛ないおしゃべり B(いつもの小言などではなく)家族で他愛ない話が楽しくできたとき 同じだなあ B主人や友人と話をしていて、同じ考えをもっているなあと思えたとき フフフン A家族のなかで朝一番早く目がさめて行動し、「フフフン、私ってやったらできるじゃない」と思ったとき 見つけた A素敵な食器を見つけたとき はまってしまって 満足 D読書やマンガをときどき読むが、好きな本を読んで、とてもおもしろく読み終えた後の爽快感で幸せを感じるとき 知ること E講座などを受けて、知識が増えるというよりは、自分の知らないことを知ったとき 一人でゆったり A一人でさめていない紅茶を飲むとき 自分のことだけ 考えていてよい C自分の服をあれこれ迷いながら買い物しているとき 自分ひとりの時間 B夜、みんなが寝静まったあと、コーヒーを飲んでいるとき D朝、子どもを送り出し、一人で家のなかでコーヒーを飲みながら、誰にも邪魔されずに、新聞を読んだり、本を読んだりしているとき E子どもが小さくて毎日毎日24時間子どもと過ごしていたときに、子どもを預けて自分ひとりの時間がもてたとき 別表3 子育ての楽しみ(自己の絵画表現の文章化) 3-@子育ての楽しみ(自己の絵画表現の文章化) A 親子ともに忙しい時間のなかで、家族4人がそろってお茶(食事ではなく!)をしている時間。そのとき、季節の花は欠かせません。テレビを消して、マンガを置いて、私の手作りのおやつをわれ先にとほおばっている子どもたちの笑顔が大好き。主人は日曜日が休みではなく、私もばたばたと毎日を過ごしているので、4人で同じ時を共有することにすごく安らぎを感じる。ふだんとは違った会話も飛び出したりして、「へーえ、子どもたちも大変なんだ」と思ったり、主人や私の仕事の話を、子どもたちが「でも、こうなんじゃない?」とか「じゃあ、こうすれば」とか受け止めてくれたりすることに、子どもをほったらかしにしている分、子どもたちは成長してきてるんだなと、うれしさとせつなさを感じます。外からはいってくる風が心地よく、楽しさだけを残してくれるような気がする。 B 家族といえば、思い浮かぶのは、居間で過ごすみんなの姿です。家にいるときはみんながこの部屋で過ごします。食事をするときも、子どもが勉強するのも、テレビを見るのも、本を読むのも、手紙を書くのも、それぞれの部屋があるのに全部この居間ですませています。怒るのも、泣くのも、笑うのも、全部この部屋であったできごとのように思います。最近、中学生になった長女が自分の部屋で過ごす時間が多くなり、4人いた部屋が3人になりました。これも成長かなと思います。 C 子どもが私に対して心のうちをそのままに話してくれたとき、子どもの気持ちにふれられたような気がするときがあります。話しても大丈夫だと信頼してくれているのだと思い、ちゃんと聞こうと思います。 D 3年間送り迎えのある幼稚園に通っていました。お迎えであるため、園の中に入って、他の親や子どもが自然に目に入るし、つきあいもするようになります。そうするうちに、自分自身や子どもと他の人とを比較して、子どもや自分自身を追いつめていく自分に気がつき始めました。子どもに「なんでこれができんの?」とか「もっといろんな子と遊びや!」とかいう自分がありました。そのうち「何か、これ違うな」「楽しくないな」と自分でも気づき始め、長女の素直な気持ち、自分の率直な気持ちをいつわってきたんだなあと、つくづく思うようになり、長女に本当に申し訳ないと思うと同時に、それを気づかせてくれた長女や、3年間の幼稚園生活がしみじみとしたものになり、子どもっていいなあとも思いました。 E 旅行に行ったとき、鯉がたくさん泳いでいる池があった。子どもがエサを与えると、鯉がたくさん寄ってきて、彼はめちゃくちゃ喜んだ。次々に「エサを買って」と要求し、こんなに喜んだ姿を見るのは初めてではないかというぐらいうれしそうな顔をしていた。今から4、5年くらい前のできごとだったが、彼のうれしそうな顔は一生忘れないと思う。 別表4 子育てのなやみ 表札 回-表現者-内容 ( )は口頭説明) →は他者の発言 これ以上どうしようもない 4-A子どもがテストの成績表をもらってきて、自分が吐きそうになった。(がんばっていたのに、それでもこんなひどい成績なんて) →子どもに「それもあなたの人生」といいつつ、順位という現実が厳しい。 →頭ではわかっていても、心は「成績優秀でいてほしい」 4-A子どもに「自分の子どもを何様だと思っているの? 勝手に期待されても困る」と言われた。 →でも、子どもが努力すればできるものをしないのはいや。 4-D前は「いい子」だった子どもに、「生まれ変われるのなら、いい子だった時代に戻って、そのときからもっとチャランポランに生き直したい」と言われた。 子どもがまわりに気を使いすぎる 4-Bまだ7歳なのに、まわりの人たちにとても気を使うし、傷つきやすい。表面ではわからないけれど、心の中ではいろいろたまっていないか。 →うちの子も、7歳どころか幼稚園時代にそういうことがあった。「そんなこともあったね」といえる日が来るのでは。 これって不登校? 4-C子どもが学校に行き渋るときがあり、「不登校」の文字が頭に点滅し、不安になる。(母親失格と感じてしまう。保育所に通わせていたから?という罪悪感も) 子育てのあと、自分に何が残るの? 4-B子どもが生きがいというわけではないが、子どもが巣立ったあとの自分には何が残るのか。もっと自然でいいんだろうけど不安になるときも。 →ご主人とどう違うか?→「(将棋など)没頭するものがない」。 4-D子どもに「ぼくはしたいことがいっぱいあるから、死にたくない」と言われた。 心を開いてくれない 4-E学校でのことを聞いてもほとんどしゃべってくれないので、学校の様子がわからない。 ぐうたらしている 5-C中3の子が勉強しない。自分の将来に対して投げやりな態度なのが心配。無気力をどうにかしたい。(「まじめにコツコツ」がダサいと思っている。)(「これでもせいいっぱいがまんして授業を受けている、部活もやっている」というが、親にはただぐうたらしているようにしかみえない。) ぐずぐずしている 5-Eいつもグズグズしていて、注意しても同じで、毎日が同じことの繰り返しでいやになることがある。(無力感) 期待してしまう 5-C自分がどうしても「優秀な子」を追い求めてしまうことが、子どもを追いつめているとわかっていながら、その価値観を捨てきれない。 →子どもが「コックになりたい」というがミーハー的に聞こえ、「心底なりたいの?」と疑問に思う。期待があった分、もったいないと感じる。 →「とりあえず」という子どもの口癖は正しいのではないか。 →でも野心は大切。 肩に力が入りすぎる 5-B子どものことをいちいち気にしたり、口出ししたりしてきたが、それに疲れを感じてきたし、子どもにとってもいけないことかなと思う。 →あまり子どもに聞くのもどうか。子どもへの手紙にしてみたらどうか。 規範を示す。でも待つ。 →最近の17歳の事件について、夫は「社会の規範が大切。親も規範を示すべき」といっている。私もそうかなと思う。 →子どもも親も血を流す子育てが必要だと思う。私も子をたたくが、たたいた親だって痛い。いっしょになって苦しんであげることが必要だと思う。 →心配していた子どもが、自分から「高校には行きたい」と言い出した。待ってあげることも必要だと思った。 よき母、よき妻としてがんばりすぎる 5-A吐くまでがんばってしまう自分がいやになる。(起きれなかった時期がある。「せねばならない」がいやになる。でも、家族はそんな自分を受け入れてくれた。ありがとう。ただ、外では出せない。受け止めてもらえないだろうから。一方、子どもにはさせてはいけない心配だったとも思う。) 5-A私はサービス満点のホテルマンのようだ。(手抜きできないし、手抜きをしたらしたでストレスになる。) 5-Aいいところを見せようとして、むきになって弁当づくりをしてしまう。(ありがた迷惑かも。夫にはかえって負担に感じられる。) →それが原因でカリカリすると、夫としては「火の粉が飛んできた」と思ってしまう。 本当の自分の気持ちで生きていない 5-Dつねに「〜しなければならない」という思いで行動している自分がいやになるときがある。 親密も距離もどちらもほしい 5-B同年代の女性(とくに子どもの友達のお母さんたち)とうまくつきあえない。 →この講座やお稽古事でのつきあいに転換したらよい。 →子どもの友達のお母さんたちとのつきあいはどうしてもつきまとう。 あの子がどこかに行っちゃう 5-Cこれから役に立つであろうと思って私が選んだ塾を、子どもがほんとうに自分に必要なのかと言い出した。(ほかの塾に自分で聞きに行った。それを認めるべきか迷う。) →子どもが小さい頃はいつも一緒だったのだが、小学校後半から子どもが自分で友達を選ぶようになったことに不快を感じてしまう。 5-E今は子どもが私を必要としているけれど、将来私の手から離れると思うととてもさびしい。 外側はあるけれど中身は何もない 5-A自分は運動会のダルマだと感じるときがある。(強そうだけど中身が空っぽ) →子どもが私の身長を抜いたとき、「もうお母さんなんか恐くないよ」と言われた。 →ところで男親はなんで平気なんだろう? 私だけのものではないんだ 5-A子どもは私の宝物ではなく、神様からの預かり物だと気づいた。子どもは成長していっている。(社会に出るまで預かっているだけ。) →でも、子離れできない・・・。 夫が聞いてくれない 5-B子どものことで父親に相談しても、話を聞いてくれない。(とるにたらないつまらないことだと思われてしまう。) →夫のことはわかる。子どもも私には言ってくれる。でも、私は自分の気持ちを発信していない。 やさしいから頼ってしまう 5-D子どもや主人に依存している自分がいやになるときがある。(自分で解決していないという感じ。) →「ありがとう」といって甘えてもよいのではないか。 →夫の手のひらの上にいる感じがする。私の勝手にさせてよと思うときがある。 うちの経済、先行き不安 5-C子どもが3人もいて、将来までうちの経済、続くかしら。(コツコツ貯めていくタイプではないし) 別表5 「子育ての悩み=期待と実像」(表札のみ掲載) 期待 実像 母親が期待していた「子ども像」と子どもの実像 成績は今よりいい 自分の子どもを何様だと思っているの? そのままの自分をそのままに受け止めてほしい。 自分で考える 期待してしまう でもこどもの可能性を信じたい 「お母さん、私はトマト(相田みつを「トマトとメロン」より)なのよ」 努力できる範囲では努力する子 ぐうたらしている どこまで努力すればいいの? でも、がり勉ではない。 いい子でいるのはつらい おおらかに自己主張できる子 学校を元気に楽しむ子 したいことならいっぱいある 迷惑をかけない子 よそのどこの人が迷惑だといったの? いろんなことを母親にしゃべってくれる子 自分から言い出したことについては、きちんと聞いてくれるとうれしい いつまでたっても家族と喜んで外出してくれる子 親といっしょを見られるのはいや 母親の弁当に期待してくれる子 学食で食べたい 母親が期待していた「夫(父親)像」と夫の実像 親身になって相談にのってくれる夫 自分(夫)の意見を妻に尊重してほしい やりすごしてきた→「器が大きい」という声あり→それでは娘のモデルになれない 子ども心も大人心も親心も兼ね備えた夫 ぜいたくはいえない 母親がなりたかった「自分(母親)像」と自分の実像 子どもを理想的に育てる私 家族を包み込むような私 よき母、よき妻としてがんばりすぎる 子どもをどんどん改善させていく母親 無力感を感じる おおらかにものごとを見て、ポイントをおさえた母親 ささいなことも気になり口出しする 肩に力が入りすぎる マリア様から家族を支えあう一人への転換 一方的にサービスする私に酔う私 子どものために親同士のおつきあいを上手にこなす母親 親密も距離もどちらもほしい 「規範」を示すことのできる私 「せねばならぬこと」をきちんとできる母親 「本当の自分の気持ち」で生きていない 子どもの自立を育む母親 「あの子がどこかに行っちゃう」 夫に頼らず自己解決できる私 自分から発信できる母親 私は受信だけの人 子どもの巣立ち後も自分らしく 幸せに生きる自分 うちの経済、先行き不安 子育てのあと、自分に何が残るの? 外側はあるけれど中身は何もない・・・私は運動会のダルマ 「私、ここにいてもいいの?」 自分自身が一人で生きていく意味はない? 注 (1) 西村美東士「ワークショップ型授業の構成要素とその効果−学生の自己決定能力を高 める授業方法」,大学教育学会『大学教育学会誌』22巻2号研究報告,pp.120-128,2000. (2) 坂口順治『実践・教育訓練ゲーム』,日本生産性本部,pp.35-41,1989. (3) 西村美東士『癒しの生涯学習−ネットワークのあじわい方とはぐくみ方』,学文社, p.136,1997. (4) 川喜田二郎『続・発想法−KJ法の展開と応用−』,中公新書,1970. (5) 池見陽『心のメッセージを聴く−実感が語る心理学』,講談社,p.122,1995. (6) 同上,pp.164-192