青少年教育施策の進展に対応する施設経営の動向 −90年代の関連文献の分析から− 西村 美東士 (徳島大学) 【要旨】  本研究では、[ときの青少年教育施策が次々と迫ってくるため、青少年教育施設はその対応と成果の開示に追われ、施策の理念に現代青年の価値観を反映させた実践の展開がおろそかになっている]という仮説を設定し、青少年教育施設に関する90年代の文献を分析した。その結果、青少年教育施策の進行と若干のタイムラグがあり、むしろ「あとになってから追い回され、成果を公開する余裕もない状態」と考察された。とくに公立施設については青少年教育施策への関与の低さが推察された。また、「生きる力」育成については、最近の傾向として、「自然体験活動への傾倒」と「総花化」を見出した。これらの結果から、本研究では、@受け身の自己都合の発想からの脱却、A公立施設の青少年教育施策との相互疎外の解消、B国立青少年教育施設の先導性の保持、C実践・研究の充実とその成果の開示・流通を討論として提起した。 はじめに  青少年問題に関する90年代の文献からは、対策からサービスへ、サービスから教育(自己成長の援助)へ、という施策の大きな展開を見出すことができる1)。しかし、一方、施策、教育、研究、さらには世論やマスメディアの論調において、青少年問題が発生するたびに、当面の対応方法について互いに相容れない主張が繰り返されてきた。対策から教育へという青少年教育再評価に向けた重要な流れも、この繰り返しのなかでは実効性を大きく損なっていると考える。  そのなかで、青少年教育職員を有する青少年教育施設の先導的・開発的役割は大きいと考えられる。しかし、青少年教育施設の設置推進、小中学校の「自然教室推進事業」等の取組にも関わらず、生活体験や自然体験の不足は十分には改善されていないという指摘もある2)。さらには、多くの自治体で、青少年教育施設の撤退という事態が進行しているのが現状である。  本研究では、青少年教育施設に関する90年代の文献の分析から、施策の進展に対応した施設経営の動向を検討し、そこに見出される視点及び課題を明らかにしようとした。 1. 研究の目的  上記の施設においては、多くの青少年教育職員が配置され、現代青少年と対面しながら日常の職務を遂行している。このような実践現場でこそ、青少年の本音に触れ、時代の価値観を敏感に察することができると考えられる。そして、そのことによって、わが国の教育改革実現の筋道を実践的に明らかにすることが期待される。  しかし、実際には、青少年教育施設への社会的評価はいまだ十分とはいえない。その理由の一つとして、時々のめまぐるしく移り変わる施策に追随して仕事をしているような感覚に陥っている職員が多いからと考えた。  このように想定して、次の仮説を設定した。[ときの青少年教育施策が次々と迫ってくるため、青少年教育施設はその対応と成果の開示に追われている。そのため、施策の理念に現代青年の価値観を反映させて実践を展開するという施設職員として最も大切なことがおろそかになっている]ということである。  本研究の目的は、どのような青少年教育施設がどのように実践と研究の成果を公開しているかを検討し、青少年教育施策やひいては広く青少年施策、教育施策にどう関与してきたかを明らかにしようとするものである。 2. 研究の方法  1989年度分から現在に至るまで総務庁青少年対策本部「青少年問題ドキュメンテーション研究会委員」(平成9・10年度分は研究協力者、11年度分から文部科学省所管)として、次の研究を進めてきた。担当分野「社会」と「文化」に関わる文献の解題。解題の項目は題名、筆者、出版社、誌紙名、巻号、ページ、出版年月、400字〜800字(12年度分のみ350字程度)の要旨である。  文献資料の依頼先は関係省庁、都道府県・政令指定都市等で、市町村には直接は依頼していない。また、ニュースやたんなる感想文集等は収集していない。  本研究では、その中から青少年教育施設に関する文献を抽出し、キーワード分析などの実証的検討を通して研究した。また、必要に応じて他の全文献と比較検討した。ちなみに2001年3月は国立青少年教育施設が独立行政法人に移行する直前の月である。スポーツ施設、私立施設、児童相談所等福祉施設、2000年度から急増した事業中心の子どもセンターは除いた。施設所管の事業は含めたが、他部署主催のたんなる施設提供だけの関わりについては除いた。年毎の文献数を第1表に示す。 第1表 研究対象文献数 年 1990 1991 1992 1993 1994 1995 1996 1997 1998 1999 2000 2001 計 対 11 9 18 16 24 47 55 72 75 57 70 45 500 全 102 168 178 172 213 221 255 287 335 364 469 216 2980 % 10.8 5.4 10.1 9.3 11.3 21.3 21.6 25.1 22.4 15.7 14.9 20.8  ※1 対=研究対象文献数、全=全文献数。  ※2 2001年は3月まで。 3. 結果と考察 (1) 国立とその他の公立施設との量的比較  対象文献のうち、筆者、筆者の所属、発行元のいずれかが国立青年の家・国立少年自然の家(以下「国立施設」という)であったものを、第2表に示した。国立施設による協議会等の成果は、内容として公立施設を含めていても「国立」として集計した。 第2表 国立施設関連文献の数 年 1990 1991 1992 1993 1994 1995 1996 1997 1998 1999 2000 計 数 7 4 12 12 16 33 44 57 57 42 49 333 % 63.6 44.4 66.7 75.0 66.7 70.2 80.0 79.2 76.0 73.7 70.0  国立青年の家13・少年自然の家14を、宿泊型の都道府県立青年の家99・少年自然の家97の施設数3)と比較すると、資料収集の不備等は考慮にいれなければならないが、国立施設関連文献が公立を大きく上回っており、文献数と施設数の逆転現象が指摘できる。ちなみに国立オリンピック記念青少年総合センターのホームページで提供している青少年情報で1998年から2000年までの「行政資料」を調べると、国立307件、公立157件となり、国立の占める割合は本研究よりは低い率(66.2%)を示すものの国立優位には変わりがない。宿泊型施設に限らず多くの公立施設が設置されているにもかかわらず、その実践や研究の成果公表は30に満たない国立施設に頼っている。公立施設の事業開発や成果開示の機能の停滞を指摘せざるを得ない。  また、その国立施設からの収集文献の占める割合も96〜97年をピークに漸減傾向にある点に注意を払っておきたい。公立施設からの発信が十分に活性化するまでは、国立施設の先導・開発の機能を衰退させることがあってはならないと考える。 (2) 公立施設の青少年教育施策への関与の低さ 第3表 青少年教育施策のヒット数 アドベンチャー 生涯学習ボランティア 少年少女サークル 子どもプラン 年 全文献 公立 国立 全文献 公立 国立 全文献 公立 国立 全文献 公立 国立 1990 4 1 2 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1991 13 1 2 1 0 0 0 0 0 0 0 0 1992 14 2 4 5 0 0 0 0 0 0 0 0 1993 11 1 1 6 0 1 7 0 0 0 0 0 1994 11 1 3 7 0 0 13 0 0 0 0 0 1995 10 0 7 8 1 0 10 0 0 0 0 0 1996 3 0 2 6 0 0 8 1 0 0 0 0 1997 5 1 4 6 1 0 2 0 0 0 0 0 1998 3 0 2 4 0 0 1 0 0 2 0 0 1999 6 1 1 2 0 0 0 0 0 13 0 1 2000 5 1 3 3 0 0 0 0 0 18 0 2 計 85 9 31 48 3 1 41 1 0 33 0 3  ※1 「全文献」は全文献(n=2,530)におけるヒット数である(以下同じ)。  ※2 「公立」と「国立」は「全文献」の内数である(以下同じ)。  ※3 2000年は3月まで(以下同じ)。  前述のとおり、2000年4月分から要旨の文字数を削減したため、本項より以降の分析対象は比較対照のため2000年3月までの発行の文献とした。  全国的に推進された青少年教育施策として、「自然生活へのチャレンジ推進事業−フロンティア・アドベンチャー」(1988)、「生涯学習ボランティア活動総合推進事業」(1991)、「地域少年少女サークル活動促進事業」(1992)、「地域で子どもを育てよう緊急3カ年戦略(全国子どもプラン)」(1999)(カッコ内はいずれも開始年度)を取り上げ、それぞれのキーワードで、題名、要旨のいずれかにおけるヒット数を調べた。青少年教育施設こそ、これらの施策を地域の実情にあわせて個性的、具体的に推進できると考えたからである。その結果を第3表に示した。  「全文献」のデータからは、青少年教育施策が時の流れとともに地方に普及していく様子が確認できる。しかし、ほとんどの施設では、その施策推進に関わったとしても委員の派遣程度で、所管や参画には至っていない。これらの施策は施設を含めた教育委員会全体で取り組むことを前提にしていたものの、教育改革の流れの中で行政全体の重要な課題となり、反面、施設の役割は、専ら自然体験活動等に限定されてしまったと考えられる。 (3) 「生きる力」の育成への関与  題名・要旨に「生きる力」という語を含む文献数を調べ、その結果を第4表に示した。 第4表 「生きる力」の文献数 年 全文献 % 公立 % 国立 % 1990 1 1.0% 0 0.0% 0 0.0% 1991 6 3.6% 0 0.0% 1 25.0% 1992 0 0.0% 0 0.0% 0 0.0% 1993 3 1.7% 0 0.0% 0 0.0% 1994 3 1.4% 0 0.0% 0 0.0% 1995 2 0.9% 0 0.0% 1 3.0% 1996 8 3.1% 1 1.9% 2 4.5% 1997 28 9.8% 2 3.4% 14 24.6% 1998 22 6.6% 1 1.4% 6 10.5% 1999 31 8.5% 1 2.1% 10 23.8% 2000 31 13.2% 6 13.0% 10 27.0% 計 135 5.3% 11 9.2% 44 13.7%  中央教育審議会が「ゆとり」の中で子どもたちに「生きる力」を育むため、学校・家庭・地域社会が相互に連携しつつ、社会全体でこれに取り組むよう答申したのは1996年7月(審議は前年度から)であるから、それ以前のものはこれに先行した文献である。その中には県社会教育課等実施の資料が多くあり、ここでも青少年教育施策推進と施設経営とのタイムラグが見出される。また、2000年(3月まで)にまで至っても、全文献の中での該当文献の比重より公立施設のほうが僅かとはいえ低い。  次に該当文献のキーワードを分析した。紹介・列挙以外については、それがもっとも「生きる力」の重点とする項目毎に分類した。項目は、生活体験、自然体験、その他の体験活動、厳しさ、科学的態度、自己決定、自信回復、問題解決、障害児者との共生、家学社連携、対社会、学校観の転換、総合的な学習の時間の13項目とし、項目ごとの経年変化を第1図に示した。 第1図 「生きる力」の項目ごとの経年変化 紹介列挙 生活体験 自然体験 体験活動 厳しさ 科学的態度 自己決定 自信回復 問題解決 共生 家学社連携 対社会 学校観転換 総合学習 1991 ○ 1995 ○ 1996 ○ ○ ● 1997 ○ ○ ○ ○ ○ ○ ◎ ○ ○ ○ ● ○ ○ ○ ● ○ 1998 ○ ○ ○ ◎ ○ ◎ ● 1999 ○ ○ ○ ○ ○ ◎ ○ ○ ○ ◎ ● 2000 ○ ○ ○ ○ ● ○ ○ ○ ○ ● ○ ○ ● ● ● ● ※○は国立施設、◎は国立施設のうち講演・寄稿、●は公立施設。公立施設の講演・寄稿分については該当するものがなかった。  この図によると下記の諸点が指摘できる。  第1に、1996年の中教審答申の翌年には、「生きる力」への関心が多様な方向に広がった。青少年の科学への興味の尊重、利用団体のプログラムの尊重や生活時間の弾力的運営、さらには「いま一人の自分」との出会いまでもが「生きる力」と関連付けられ、のびのびと語られた様子が示されている。  第2に、「問題解決能力」や「学校観の転換」等の、「生きる力」の政策的根拠にあたる事項については、それを重点とした言及が少ない。数少ない言及も研究者等の講演や寄稿によるものであった。政策の本質を議論するよりも、目の前にいる青少年や差し迫った「生きる力」関連事業にどう対応するかということに施設は追われていたと推察される。  第3に、「生きる力」と「総合的な学習の時間」との関連付けにタイムラグがあることと、絶対数も少ないことである。「総合的な学習の時間」について答申では繰り返し触れているが、答申文の「地域社会における様々な学習機会の提供」の項目にはたまたま直接的な記述はない。それも原因となっているとしたら、施策と現場との乖離に関する施設側の主体的問題として再点検する必要があるといえる。  第4に、1999年から2000年にかけての自然体験活動への集中である。99年に生涯学習審議会が青少年の「生きる力」をはぐくむ地域社会の環境の充実方策について答申し、これに機敏に反応した結果と考えられる。  しかし、生涯学習審議会はこれを大きく「地域社会の環境づくり」ととらえている。施設それぞれが今まで持ってきた野外教育の路線から外れてでも、これにどう主体的に関与して独自の「自然体験活動」を展開するかということが問われると考える。  また、1996年の「青少年の野外教育の振興に関する調査協力者会議」報告は、野外教育の役割を「生きる力」の育成においたが、報告のいうそれは知的好奇心、自己発見などを含む概念である4)。このような意味での「生きる力」の育成に効果があったかどうかという面から、「自然体験」の指導についての自己評価がなされなければならないと考える。  第5に、2000年に入ってからの列挙型の増加である。これは「生きる力」の項目を、当該事業からみた優先順位を付けずに並列したととらえられるものである。この種の文献の増加は、公立施設の該当文献の増加に負っているといえる。総合的な取組によって「生きる力」の育成が目指されているという積極的側面もあるだろうが、ねらいを焦点化できていないという不十分な側面も指摘される。そのいくつかは、多くのねらいを抱え込みすぎており、実際に到達するためには、繁忙や消化不良、到達度評価の困難などが推察される。  第4の傾向は端的に言えば「自然体験活動への傾倒」であり、第5の傾向は「総花化」であると考えられる。これらの90年代末からの傾向の功罪を検討する必要がある。 4. 討論 (1) 受け身の自己都合の発想からの脱却  青少年教育施設が時々の施策への対応に追い回されていては、施策が期待する教育改革による「生きる力」育成の役割を発揮することはできない。施設の中で、「仕事が増える」、「人が減らされる」などの理由から教育改革が「邪魔者扱い」されるような事態を招くことがあるとすれば、それは国家的損失ともいえる。また、施設の側も、地域やわが国の青少年教育施策に向け、施設だからこそできる大胆で個性的な実践を発信し続けることが求められている。  「ときの青少年教育施策が次々と迫ってくるため、青少年教育施設はその対応と成果の開示に追われている」という仮説は、部分的には確かめられた。「生きる力」の育成への関与では、答申等の文面の言葉にキーワードが偏るなどの傾向が見られた。また、盛りだくさんのねらいが羅列された文献も散見された。  しかし、本研究ではそれよりも、時の施策への対応が遅れる、成果の開示が少ないなどの事例を多く見出した。青少年教育施策の進行と若干のタイムラグがあり、むしろ「あとになってから追い回されている」、そして「成果を公開する余裕もない」と推察されよう。  「ときの施策が次々と迫ってくる」というよりも、施設職員自らが繁忙を避ける等の自己の理由から施策との距離を置こうとし、しかしながらタイムラグの後、その施策の影響を受けることがあるということから、青少年教育施策に主体的に取り組む意欲がそがれたと考える。あとになってから「やらされる」のでは、本気にはなれないだろう。今後は他のデータベースも参照しながら、より正確な実態把握に努めたい。 (2) 公立青少年教育施設と青少年教育施策との相互疎外の解消  本研究から、青少年教育施策が各自治体の教育行政全体の重要な課題となった反面、多くの公立青少年教育施設の役割は自然体験活動の拠点等に限定され、施策に直接的に関わる事業の実施には至らなかったと推察される。  また、本研究で取り上げたそれぞれの施策についても、次のように阻害要因が考えられる。@アドベンチャーについては、無人島など、施設・設備の整っていない場所での実施が初期の前提であった。A生涯学習ボランティアは、総合行政としての性格を有する。B少年少女サークル活動は、各地域に対する働きかけが必要である。C子どもプランは1999年度が初年度で、当時は本庁止まりの段階であった。  しかし、これらの阻害要因はそのまま、公立青少年教育施設と青少年教育施策との相互疎外状況を表しているともいえる。「施策推進は本庁で」という固定概念が、施設・本庁の双方において支配的であったと推察される。  上記の阻害要因については、それぞれ次のように考えるべきではないか。@つねに自前の施設を使用するという前提は、公立施設の教育機能を萎縮させている。その自縛を解く必要がある。A公立施設が生涯学習推進に寄与するためには、総合行政としての機能の発揮が必要である。B公立施設が設置されている近隣の地域への働きかけも重要だが、今後はそれとともに自治体の守備範囲である「わが町」全体への役割発揮が求められる。C「子どもプラン」など、各種の新しい青少年教育施策を「本庁から下ろされた」という形で受けとめるのではなく、その意義を主体的に吟味し、施設にあった事業展開を能動的に提案する必要がある。そこにこそ施設のアイデンティティが生じよう。  施設には青少年教育職員が配置されている。地方の青少年教育施策の推進において、それは貴重な専門的人材であり、自律的、積極的な活用が図られなければならないと考える。 (3) 国立青少年教育施設の先導性の保持  本研究から、実践・研究成果の公表、「生きる力」の開発的取組など、国立青少年施設の先導的役割の重要性が明らかになった。  たとえば、1990年にはすでに「長期にわたる少年の自然体験活動に関する調査研究U」(国立那須甲子少年自然の家)が公開された5)。これは事業前後のアンケート調査等により、長期にわたる自然体験活動が参加者の意識や行動に与えた教育効果を明らかにしたものである。そこでは標準化された検査を用いて自主性の変化が数量化された。  前述の「生活体験や自然体験の不足が改善されていない」という問題についても、これらの先行研究を効果的に活用することが必要といえよう。また、国立青少年教育施設は、独立行政法人化以降も実践的研究・開発やその公開・普及の機能を維持・発展させることが期待されると考える。 (4) 実践・研究の充実とその成果の開示・流通  本研究から、とくに1990年代の公立青少年教育施設の実践・研究の成果開示の停滞が示唆された。青少年教育施策実施の報告書は、主に教育委員会事務局の社会教育主事を中心として編まれていたと考えられる。しかし、本庁だけでなく、青少年教育施設にも専門職員を配置しているところは多い。青少年と対面しながら実践と研究を進めている青少年教育施設職員、とりわけ専門職員の青少年教育施策推進における役割は重要といえよう。  もちろん、小さな施設でも現在の教育改革の先を行くような実践をしているところは多いと思われる。広く目にはとまらなくても、報告書等も作成しているのかもしれない。このような検討においては、前述のように『青少年問題に関する文献集』をはじめとするデータベースにおける資料収集の不備や限界を念頭におかなければならないだろう。  しかし、少なくとも、その職員は、実践の成果を目に見える形にして、より広くわが国の施策にフィードバックする責務をもあわせもっていると考える。また、内容面においても、「成果」と「課題」は事業主体の責任として報告書に明記するなどの質的向上が必要と考える。主観的・義務的な報告ではなく、より適正な自己評価に基づいた科学的な事業評価及び研究成果の公表と流通を求めたい。  そのためには、次の条件整備が緊急に求められていると考える。第1には、青少年教育施設の職員体制を充実する必要がある。時々の施策に追われてやっているだけの施設には、青少年教育施策や大きく教育改革への提言力は期待できない。第2には、施設職員が現代青年の意識や行動を的確に把握し、教育改革理念に基づく主体的な施設経営ができるよう、その研修体制の確立を急ぐ必要がある。事例の発表にとどまったり、逆に理論の承りで終わったりするのでは、教育改革が求める青少年教育施設職員としての専門性を獲得するには至らないだろう。実践と研究を継続的、計画的に往復する研修制度の確立が重要である。 注記・引用文献 1) 西村美東士「青少年問題の文献の動向−社会・文化」(総務庁青少年対策本部『青少年  問題に関する文献集』22-31、1992-2001) 2) 結城光夫「青少年教育施設で『生きる力』を育む」(全国青年の家協議会『青年の家の  現状と課題』28、pp.1-5、2000)p.3   結城は「子どもの体験活動等に関するアンケート調査」(青少年教育活動研究会:代表  平野吉直、1999)を引き、これまでの自然体験活動の施策にも関わらず「体験不足」の  結果が出たことについて、「体験があっても根付いていない」と推察した。 3) 総務庁青少年対策本部『青少年問題の現状と課題』、2000、p.563 4) 青少年の野外教育の振興に関する調査研究協力者会議「青少年の野外教育の充実につ  いて(報告)」、1996 5) 国立那須甲子少年自然の家『長期にわたる少年の自然体験活動に関する調査研究U』、  1990