青少年教育施設の活動・経営をめぐる問題 1 青少年教育施設の基本的性格 表1 青少年教育施設数 年 計 少年自然の家 青年の家(宿泊型) 青年の家(非宿泊型) 児童文化センター その他 1975年 601 75 205 110 40 171 1978年 696 103 221 109 39 224 1981年 940 171 253 177 56 283 1984年 1,031 206 255 169 72 329 1987年 1,053 246 267 160 45 335 1990年 1,154 278 254 168 61 393 1993年 1,225 294 249 162 71 449 1996年 1,319 304 248 161 99 507 1999年 1,264 311 229 176 75 473 県立 222 98 94 8 − 22 市立 699 154 88 122 64 271 町村立 328 53 40 46 11 178 組合立 15 6 7 − − 2 注1 国立の青年の家、少年自然の家及び私立の施設は含まれていない。 注2 「県立」以下の内訳は1999年のものである。 (出所)文部科学省『平成11年度社会教育調査報告書』2001および同ホームページより作成。  青少年教育施設の施設数は表1のとおりである(県立とは都道府県立。以下同じ)。他に公立より大規模な国立青年の家が13所、国立少年自然の家が14所と国立オリンピック記念青少年総合センターがある。  青少年教育施設の職員数は表2のとおりである。表1と照合すると、指導系職員は平均で少年自然の家1.9人、青年の家(宿泊型)1.7人、青年の家(非宿泊型)1.0人、児童文化センター1.8人、その他1.0人配置されていることがわかる。指導系職員が宿泊機能をともなう少年自然の家と青年の家に多く配置されていることに注目しておきたい。あとでみるように、これらの職員が施設の「宿泊機能」のなかでどのようにその専門性を生かせばよいかという課題が繰り返し議論されている。この点で社会教育主事や公民館主事と異なる独自の課題がみられる。 表2 青少年教育施設職員数 区分 計 少年自然の家 青年の家(宿泊型) 青年の家(非宿泊型) 児童文化センター その他 1975年 2,449 420 998 445 194 392 1978年 2,743 619 999 457 200 468 1981年 4,025 956 1,084 850 237 898 1984年 3,992 1,143 1,086 712 246 805 1987年 3,743 1,233 1,023 503 179 805 1990年 3,963 1,351 1,018 504 275 815 1993年 4,155 1,429 1,008 500 270 948 1996年 4,051 1,302 1,031 515 296 907 1999年 4,158 1,422 948 471 283 1,034 施設の長 479 175 108 65 30 101 指導系職員 1,731 594 380 170 137 450 その他の職員 1,948 653 460 236 116 483 注1 国立の青年の家、少年自然の家及び私立の施設は含まれていない。 注2 数字は専任職員のみで兼任職員は含まれていない。 注3 「施設の長」以下の内訳は1999年のものである。 (出所)文部科学省『平成11年度社会教育調査報告書』2001および同ホームページより作成。  国立青年の家は、自主性に満ちた健全な青年の育成をはかるため、団体宿泊訓練を通じて、次の各号に掲げる教育目標の達成に努めるものとされている。@規律、協同、友愛及び奉仕の精神をかん養すること。A自律性、責任感及び実行力を身につけること。B相互連帯意識を高め、郷土愛、祖国愛及び国際理解の精神を培うこと。C教養の向上、情操の純化及び体力の増強を図ること。1)  国立少年自然の家も、同じく自主性に満ちた健全な少年の育成をはかるため、少年を自然に親しませ団体宿泊訓練を通じて、次の各号に掲げる教育目標の達成に努めるものとされている。@自然の恩恵に触れ、自然に親しむ心や自然に対する敬けんの念を培うこと。A規律、協同、友愛及び奉仕の精神をかん養すること。B自然の中で心身を鍛錬し、自ら実践し、創造する態度を育てること。2)  以上から国立青年の家、国立少年自然の家に共通する特徴を指摘しておきたい。@青少年の健全育成を目的としている。A団体宿泊訓練を通じた規律、協同、友愛、奉仕の精神の涵養を目標としている。B広域交流や先導的な事業や運営により、その成果を広く公立青少年教育施設に及ぼし、水準向上に資することが求められている。C団体活動の助長および青少年教育指導者・関係者の研修のための事業が意図されている。D少年自然の家だけでなく青年の家も「引率責任者が定められ」「あらかじめ具体的な研修計画を定めている」いわば「しっかりした団体」の利用を想定している。  とくに上の@とAについては、1959(昭和34)年4月の初の国立青年の家の中央青年の家が設置された際に、すでに「団体宿泊訓練を通じて健全な青年の育成を図るための機関」と法律に明記されているとおり、国立青少年教育施設の一貫した基本的性格ということができる。3)  指導者養成事業については、国立施設ではボランティア養成事業が全施設で、青少年教育施設職員対象事業が8割強の施設で実施されているほか、野外教育指導者対象事業を7割強、学校教員対象事業を6割強の施設が実施している。公立施設では、ボランティア養成事業と集団宿泊担当者研修が多いが、それぞれ県立で5割弱、市町村立で3割5分弱の低率である。  青少年・親子対象事業については、自然生活体験事業が国立全施設、県立9割強、市町村立8割弱で実施されている。公立施設では次にはスポーツ・レクリエーション、クラフトが5割前後で続く。国立では冒険、環境学習、科学教室を半数以上が実施しているが、それらは公立では1〜3割程度の施設でしか実施されていない。4)  これは国立の公立に対する波及効果のあり方に関する課題とともに、公立施設側の施設・設備面および職員体制の課題を示すものといえる。  利用者層は宿泊型青年の家においても、青年の家創設期に最も多かった勤労青年の利用が少なくなり、在学青年とくに少年が最も高くなっている。青年の家においても、少年の積極的受け入れおよび自然体験活動の場として少年に対応するプログラムが充実してきたことが原因とされる。5) 2 青少年教育施設の歴史  かつて、国立中央青年の家所長足立浩は「青年の家の源流」として、わが国の漢学塾や塾風教育、欧米の組織キャンプのようなフォーマルな教育訓練の面と、若衆宿、ユースホステルのようなインフォーマルな面の2つの流れを指摘した。足立はとくに下村湖人の青年団講習所について、「昭和初頭の人間性を無視した強圧的な鍛錬主義の教育に反対して、良心をもった自主的人間の育成をめざした。そのために横の関係を緊密にする修練に重点をおき、温かな雰囲気の中で日常生活を深め高めることに努力した」とし、フォーマル、インフォーマルの両面を具備した教育として高く評価し、今後の青年の家のあり方と重ね合わせた。6)また、若衆宿との連続性の側面を認めつつ、「それとは区別されて青年倶楽部が位置づけられる」とする議論も出ている。7)  1955(昭和30)年を境にして青年学級が全国的に停滞の傾向を示していた。このため文部省は青年学級の振興に努めるとともに、従来の「青少年野外訓練施設」等の規模を大きくし、職業に関する実験実習の施設整備を進めた。これらの施設を1958(昭和33)年からは「青年の家」と称し、地方公共団体に対して助成を始めた。翌年には国立中央青年の家を設置したこともあり、青年の家の名称と役割は全国的なものになっていった。8)  1959(昭和34)年までは運輸省のユースホステル、労働省の勤労青少年ホームにも「青年の家」という名称が使われていたが、以降は「青年の家」の名称は文部省のみが使うことになった。ユースホステルの整備にともない「野外旅行の拠点」という性格は薄れていき、国立中央青年の家の設置にともない、公立青年の家の性格も「研修、野外活動、団体宿泊訓練」の方向へと向かった。9)  1960年代には青年の都市集中が進んだ。そのため「青年の日常生活圏内にあり、いつでも容易に利用できる青年教育施設」が要請され、1964(昭和39)年から宿泊機能のない都市型青年の家が設置されることになった。10)  1971(昭和46)年の約15万人をピークに国立中央青年の家の利用者は減少を始めたが、1972(昭和47)年自民党文教部会「社会教育振興5ヵ年計画」では「青年(15〜24歳)人口1727万人(1975年)の約70%が毎年1回、3泊4日の集団宿泊訓練をするのに必要な国立、公立青年の家の施設(12万床)」が目標とされ、県・市立で678ヵ所の整備計画が示された。全国青年の家協議会の文献では、これに対して「前途洋々」と評したうえで、1969(昭和44)年経済企画庁「全国総合開発計画」で広域施設として位置づけられた青年の家の「必要性がよく理解され、支持されなければならない」とし、投資効果を配慮した「青年の家の適正配置」の必要を説いている。11)これは、ときの青少年政策と団体宿泊訓練による教育機能との整合性を証明する事例といえよう。それとともに施設側の「広域施設」としての期待される機能発揮への戸惑いも示されているととらえられる。青年の家に関する補助金は1995(平成7)年度に廃止された。  公立少年自然の家については1970(昭和45)年に補助が始まった。1973(昭和48)年には文部省社会教育局長通知「公立少年自然の家について」が出された。そこでは「学校と少年自然の家とは相互の教育機能を補完しあう関係」が強調され、学社連携が強く意識されていたことがわかる。少年自然の家に関する補助金は1996(平成8)年度に廃止された。12)国立青年の家は1976(昭和51)年に設置を完了している。また、国立少年自然の家については1975(昭和50)年に初めて設置され、1991(平成3)年の設置をもって完了した。  2001(平成13)年4月には、行政改革の一環として全国の国立青年の家と少年自然の家がそれぞれ独立行政法人として再出発した。独立行政法人の設立は「事業のスリム化、効率の高まり、質の向上、透明性の高まり」をもめざすものであるが、このような状況のもと、「とくに近年の『生きる力』を育てるための学校外活動の充実が強調される動きのなかで重視され続けなければならず、事業の確実な継続が必要」と指摘されている。13)  さらには、都市部の自治体ではその前後に公立青年の家の移管・統廃合等が検討されている。埼玉県は「勤労青少年を含む青少年の利用が徐々に減少」などを課題として、2002(平成14)年度末を目途に青年の家を廃止し、翌年度から「新しいタイプの青少年教育施設」の検討を進める。東京都は新たな青少年社会教育施設として「ユースプラザ整備方針」を策定したことにともない、2002(平成14)年度には7カ所のうち2カ所だけ残して閉所した。神奈川県では県と市町村の役割分担を理由として、青少年施設を「青少年の身近な活動の場」とし、地元市町へ移譲等を進めた。名古屋市では現在の青年の家に代えて都心部に新青少年教育施設の整備を検討している。このように、団体宿泊訓練を基本的性格とするこれまでの青少年教育施設は、都市部の、しかも県立の施設から、時代や行政改革の波に洗われつつある。14)  これらの大きい変化以前の1995(平成7)年7月に、すでに国立青年の家・少年自然の家の在り方に関する調査研究協力者会議(主査坂本昇一)は、前年の総務庁の行政監察の勧告を踏まえ、「国立青年の家・少年自然の家の改善について−より魅力ある施設に生まれ変わるために」を報告(以下「協力者会議報告」と呼ぶ)している。同報告は、文部省組織令の「団体宿泊訓練を通じて健全な青少年の育成を図る」ための施設という規定について、「これまでの施設の運営は、ともすれば規則に基づいた、指導者が一方的、形式的、画一的に行う訓練的なものになってしまい、また、利用者のイメージとしても、楽しさよりも厳しさ、堅苦しさが先行している面があった」のでこれを改め、「団体宿泊訓練という言葉は、理念そのものではなく、あくまで手段・手法」とした。15)  しかし、「団体宿泊訓練」自体が否定されたわけではない。この言葉は、独立行政法人国立青年の家の2001(平成13)年度からの「中期計画」においても、基本方針冒頭に施設の目的として明記され、継続された。16) 3 宿泊型施設における指導性と専門性の困難  宿泊型青年の家独自の教育機能としては、たとえば朝夕の「つどい」等を含む生活時間のなかで、「規律正しい集団生活・訓練を体験させる」こととされてきた。そのことについて「今日の社会的風潮からすれば、利用者が『自由に使えて便利な施設』ほど良い施設であるように考えられがちであるが、青年の家はもとからこのような施設ではない」という記述がみられる。17)当時の宿泊型施設、とくに国立施設は、生活指導に関してはこのように確固たるアイデンティティを自負していた。  そこでの「生活指導」については、当時の次のような記述にその「教育性」を見いだすことができる。「青年の家の生活は、個人の目標と集団の目標を同時に達成していくことが必要であるが、究極は、個人がどのように生きていくかというものへのつながりを持たせる場である。このことから青年の家の生活指導は、ただ規律や規則を守らせるだけではなく、なぜ『きまり』が必要なのかを一人一人が納得するようなものでなくてはならない」。18)  このような生活指導に支えられたアイデンティティに対して、研修指導については、1970年代には、「一人の職員がフォークダンスを指導し、職員の人間関係を講義し、青年の生き方を話すなど、スーパーマン的活躍をして自己満足をしているものもいる」という指摘がみられる。19)指導依頼の内容は、レクリエーション、野外活動、スポーツをあわせると73.5%にのぼった。一般教養、青年団体活動等に関する「文化」は15.3%であった。20)  また、1979(昭和54)年の指導系職員の調査から、「青年の家は主催事業を主体とするか、受け入れ指導事業を主体とするかについて、指導系職員の意見は、宿泊型青年の家ではほぼ同じ割合で両論に分かれ、非宿泊型青年の家では主催事業主体が受け入れ指導事業主体の2倍になる」ことが報告された。そして、報告者は、青年の家が教育機関として存立するためにも主催事業を実施することが必要と主張している。21)  このように、宿泊型であっても、施設提供に終始することなく、教育機関としての専門性の発揮のために主催事業に力点をおこうとする議論があった。それは従来の団体宿泊訓練における生活指導機能が、研修指導を含めた体系化という困難な課題に直面して戸惑い、さらには時代の変遷のなかで生活指導自体も発揮しづらくなってきたという状況を示している。かといって主催事業だけに完全に乗り換えてしまうのでは、独自の教育機関としての展望を見失うのは明らかである。なぜならば宿泊施設提供事業のなかでの指導性のあり方も、時代に適した新たな形で、なおかつ主催事業のなかでの指導性と両立する形で見いださないかぎり、「団体宿泊訓練」を独自の役割とする青少年教育施設の存在価値を示すことはできないからである。  さらには、それに加えて宿泊型施設職員の勤務実態の厳しさも念頭におく必要がある。土・日曜日はもとより早朝や夜間にわたる勤務が恒常化し、そのうえ、多くの青年の家は、施設の性格上、市街地から遠く離れた山間や海浜に位置しているので、変則的勤務・交代制勤務の困難さは大きい。22)たとえば東京都青年の家の主催事業は、「国際青年年」であった1985(昭和60)年の記念事業を契機に、それ以降増えていったものである。青年の家開設当初の社会教育主事の役割は「受付から帰りまでのスローガンのもとにそれぞれの活動を助成」することであり、「利用団体への対応に追われ、主催事業の実施自体が困難だった」と指摘されている。23)  さらに1999(平成11)年の調査では、6〜7割の県立施設が、事業運営上の課題として「施設・設備の老朽化」、「予算が少なく期待する事業ができない」をあげている。しかし、大規模な施設・設備を誇る国立施設においても「活動分野ごとの専門性のある職員の不在」等が課題としてあげられている。24)  このことから、まずは、過去には意気込みをもって盛んにつくられ、職員も勤務の困難に耐えてきた多くの青少年教育施設、とくに宿泊型施設が、時代の変容のなかで老朽化すなわち「取り残され」「放置されている」問題が指摘される。しかし次に、たとえそれが改築され、デラックス化されたとしても、専門職員(指導系職員)がどのように配置され、どのように「専門性」「指導性」を発揮するかということが、より本質的な課題として残されている。  宿泊施設特有の勤務の困難さの中で、指導系職員の専門性をどのように確保すればよいのか。協力者会議のいう「人材の計画的養成」による専門職員の専門分野の多様化25)は重要な指摘である。しかし、専門分野の多様化という場合、そのように多岐にわたる「専門性」の底を流れる共通の「教育性」の基盤をどこにおくのか、明らかにする必要がある。その基盤として、個人化/社会化の統合的教育機能を検討してみよう。 4 青少年教育施設に求められる個人化/社会化機能  1973年、全国青年の家協議会『青年の家の現状と課題』創刊号は、青年の家の基本的性格を「集団を通じての教育機関である」と規定し、公立青年の家に共通する3要素として次の点をあげた。@個人利用ではなく、団体、グループによる利用。A日帰り研修ではなく、少なくとも1泊2日以上の宿泊による研修。B規律・協同・友愛・社会性・市民性等の涵養といった生活訓練。  そして、このような団体宿泊訓練の教育がもつ独自性として次の3点を主張している。@知識の伝達だけでなく、生きていくための意欲を高める生活指導。A職員と青年、青年と青年との全人的な接触を前提とした教育。B集団生活における秩序と責任を重視した教育。さらに、標準的な教育目標として次の3項目を列挙している。@規律ある生活と時間厳守。A信頼される言動と相互教育。B友の発見と友情。26)  今日盛んに叫ばれている「生きる力」やコミュニケーション能力の育成、「規範意識の形成」にも十分通じる考え方が、すでに当時示されたものととらえることができる。しかし、このような団体宿泊訓練のもつ従来からの教育性を今日に生かすためには、それをどのように新しいかたちで展開するかということが重要になる。  1974(昭和49)年、『青年の家の現状と課題』第2集は、当時の青年について「自己主張が強すぎる」「国家・社会に関する意識が薄い」などの特性を指摘し、「青少年の自律性を高め、自己啓発を援助する作用」としての生活指導の重要性を訴えた。そして「自発的集団活動の意思決定に基づく集団規範の樹立と、その実践を促す場や時間の設定が位置づけられていない」と青年の家での生活時間の問題点を指摘した。27)  これら、青少年の社会化に向けた主張が、個人が集団や社会に埋没することを促そうとするものではなく、むしろ個人が自己の体験によって気づきや深まりを自発的に獲得することを重視している点に注意しておきたい。それは前出論文「生活指導と研修指導」における「(生活指導の)究極は、個人がどのように生きていくかというものへのつながりを持たせる場」との主張と軌を一にするものである。28)  しかし、そういう努力にもかかわらず青少年の団体活動は衰退していく。そのなか、1979(昭和54)年総理府の青少年問題審議会「青少年と社会参加」(意見具申)は青少年の社会参加・団体活動への参加は「孤独・不安・不信・無力感・混迷などというマイナスの側面を克服するためにも必要な営み」とした。これを受け、青年の家は、これらの団体・グループ活動に関して、@既成青少年団体への施設提供、A青少年団体結成・助長、B青年の家利用者への団体紹介等を通した役割を果たそうとした。29)  しかし、その後、今度は逆に個人化重視の風が吹くことになる。  1985(昭和60)年6月、臨時教育審議会「教育改革に関する第1次答申」は、欧米へのキャッチアップを実現したわが国の教育改革の基本的考え方として、個性重視の原則をあげ、生涯学習体系への移行を訴えた。「個性重視」はその後の審議でも中心課題であり、1987(昭和62)年の最終答申では、教育の基本的在り方と視点として、@個性重視、A生涯学習、B変化への対応を提示した。これ以降、青少年教育施設は、この考え方に大きな影響を受けながら展開する。  1993(平成5)年の「全国青年の家実態調査」では公立青年の家ではボランティアを導入していない施設が半数を超えたが、国立施設においては逆に8割以上が活用していた。しかし、登録ボランティア数については「不足している」に比べ「余っている」という回答が多かった。そこで、調査結果としては「志願者は多いのに、施設によっては十分に活用しきれていない」と結論づけられている。30)  さらに、このようなボランティア導入について、「なぜ本人の自発的意思に基づいて自由に行われるはずのボランティア活動を、『育成する』とか『活用する』とかいうことになるのか。本旨に立ち戻って考えると、支援とか助長とかいう表現の方がふさわしいと思われる」という指摘もされた。31)  ボランティア活動は若者自身の社会参加欲求の表れとみることができる。しかも、それは本質的には個人的な行為である。このような活動を青少年教育施設がどう扱うかは、まさに新しい社会化機能のあり方が問われる事例といえる。  1995(平成7)年1月の阪神大震災以降のボランティア志向の高まりのなか、青少年教育施設においてもボランティア導入が盛んにおこなわれたが、「施設の側も何のためにボランティアを受け入れ、養成事業を実施しなければならないのか施設職員間での共通理解もできないまま、ただ忙しくなっただけという不満が残るだけ」、「ボランティアの側も、体よく施設のお手伝いをさせられているだけという憤懣を抱くだけ」という状況が生じた。32)  これについて青少年教育施設ボランティア研究会(加藤雅晴座長)報告書は、「ボランティア個々の特性を的確に把握し、活動を通して自己実現・自己開発ができるよう支援する」コーディネータの配置と養成などを提起し、さらに、「ボランティアと施設職員とのコミュニケーションの深化」として、「施設がボランティアに対応する際、ともすれば登録された集団とみなし画一的になりがちであるが、ボランティアを『個』としてとらえて、それぞれのボランティアの考え方や特性を把握し、個別に対応する」よう提起している。33)  このように、施設ボランティアの導入は、不可避的に施設自身にボランタリズムの指導という困難な課題を持ち込み、団体宿泊訓練に象徴される従来のアイデンティティを、ボランティアに代表される個人化傾向という時の流れとどう整合させるかということが問われる結果をもたらした。  そして、青少年教育施設におけるボランティア導入の結果が、職員の多忙感やボランティアの「やらせられ感」につながらないようにするためには、職員個人とボランティア個人との「対話」が必要ということが示唆された。  また、個人の出会いの支援も主張された。前出「協力者会議報告」は、従来、学校や青少年団体などによる利用が中心となっていた施設利用について、これからは、施設を「青少年の出会いとコミュニケーションの場」と考え、少人数のグループや個人での利用についても受け入れていくよう提言した。34) このように、出会いやコミュニケーションの体験はたとえ「個人的」ではあっても、同時に欠かせない重要な「社会化」の行為といえる。  前述の1979(昭和54)年の青少年問題審議会意見具申以降、青少年の個人化傾向に対処することが青年の家の諸事業でも課題になり始めた。ただし、理論面では社会化機能の究極のところに「個の重視」をみてきたが、実践面では、青少年の個人化傾向の否定的側面だけとらえて、団体活動の意義を単純に対置させるものが多かった。  逆に、1984(昭和59)年の臨時教育審議会発足以来、個性重視が叫ばれてきたが、実践面では、それが社会化と有効に結びついて展開されることは難しかったようだ。そのため、前述のように現状を批判する議論が多かった。青少年が引き起こす「問題」が社会を大きく揺るがすたびに、個人化を否定し、規範意識の形成等による社会化等を説く議論が蒸し返されてきたといえる。  このような個人化/社会化の二項対立と無限循環の問題は根が深い。この二項対立は個人にも深刻な影を落としている。他者との同質化というある種の社会化過程が、自己の異質性等をかなぐり捨ててでも実現しなければならない重荷として意識されている。  しかし、このような状況だからこそ、青少年教育施設特有の教育機能は重要である。前述のような究極的には「個人がどのように生きていくか」につながるような「他者との出会い」を通して、結果的には社会化を促すというその教育機能は、青少年およびそれを取り巻く社会が直面する個人化/社会化の二項対立を実践的に乗り越える可能性をもっているからである。 5 団体宿泊訓練への新たな理解  1996(平成8)年、中央教育審議会答申は、子どもたちの「生きる力」の育成を求めるとともに、「教育は子どもたちの『自分探しの旅』をたすける営み」と述べた。これを受け、当時の国立中央青年の家所長内田忠平は、「共に食べる・寝る・遊ぶ・風呂に入る・仕事をする」といった活動を、青年の家特有の「人と人との絆を作る上で最も基本的な要素」とし、「青年の家は『生きる力』をはぐくむための重要な基地」とした。35)  そして、次のように「たまり場」の意義を提唱している。以前ならば「厳しい研修のイメージ」が先行し、「もう二度と行きたくない」という意識が利用者に先立ったが、「たまり場機能」を提供することによって、「あの研修はつらかったけれど、青年の家には素敵な場所がいっぱいある。今度は個人として自由に使ってみたい」というイメージを残すことが可能になる。36) これは学校側や企業主に「連れてこられる」青少年教育施設の、社会教育施設としての矛盾と苦悩をよく表していると同時に、それを乗り越えて徹底的に個人的ニーズに対応することによって、本来の「自主活動」を取り戻そうとする青年の家側の意思を示すものととらえられる。  現代青少年の個人化傾向を否定的にしかみないとすれば、それは施設側の自己否定にもつながる行為といえよう。むしろ内田のいうように、個人的ニーズにきちんと対応することによってこそ、施設特有の社会化機能につなげることができるのであろう。  さらに、吉永宏は青年の家のもつ「官性と私性を超える公性」を指摘し、次のように述べている。「官性と私性は対立、緊張、背反を招く異質の存在として表面化することが多い。それは『近頃の若者は社会性に乏しい』または『施設側は官僚的で頭が古い』という双方からの非難をもたらす。したがって、今後の課題は青年の家の目的・目標にそった運営管理と青年の成長体験に『私』の貢献と参加をどのように確保、発展させるかであろう」。37) 本稿の趣旨に添って言い換えれば、吉永は、青年の個人化と社会化の統合的発展の結節点として、「公性」という特性を指摘したものと考えられる。  自らが所属する「団体」という枠組みを越えたところに「社会」があり「公共」がある。「訓練」する者とされる者との分裂を埋めるものとして「対話」があり、さらには「参画」がある。そして、それらの究極的な主体はあくまでも個人であり、その個人化は、敬遠されるどころか、より望ましい社会化につながるものとして歓迎され、支援される。  青少年教育施設の伝統ともいえる「団体宿泊訓練」は、このような新たな展開によって、今日の時代に不可欠な独自の教育機能として蘇るのだと考えたい。 1)「国立青年の家の管理運営について」(文部省社会教育局長通知)1996. 2)「国立少年自然の家の管理運営について」(文部省社会教育局長通知)1996. 3)「文部省設置法の一部を改正する法律案」1959年2月3日、『衆議院内閣委員会議事録』第4号。宮本一「日本の青少年教育施設発展の歴史的研究」、『大正大学研究紀要』第85号、2000、p.351. 4)1999年青年の家・少年自然の家調査。澁谷健治・池田尚「青少年教育施設における社会教育事業の現状と運営改善」『国立オリンピック記念青少年総合センター研究紀要』第1号、2001、p.151-160. 5)「全国青年の家実態調査」全国青年の家協議会『青年の家の現状と課題』第22集、1994, p.140-141. 1993年度で、勤労青年12.1%、小・中学生34.4%。 6)足立浩「青年の家の源流」、『国立中央青年の家紀要第1号』1964。全国青年の家協議会『青年の家の現状と課題』第12集、1983に再掲、p.163-171. 7)上野景三「青年期施設の変遷と課題――倶楽部から公民館、青少年教育施設へ」日本社会教育学会『日本の社会教育』第46集、2002、p.38-50. 8)野村壽夫他「青年の家の発展と今日の基本的性格」、全国青年の家協議会『青年の家の現状と課題』第12集、1983、p.8-9. 9)宮本一、op.cit.、p.356-359. 10)野村壽夫他、op.cit.、p.11. 11)全国青年の家協議会『青年の家の現状と課題』第1集、1973、p.111-113. 12)宮本一、op.cit.、p.347-349. 13)松下倶子「国立青少年教育施設独立行政法人化へ」『青少年育成研究紀要』第1号、日本青少年育成学会、2001、p.79-81. 14)全国青年の家協議会『青年の家の現状と課題』第30集、2002のうち、「都道府県・政令指定都市における青少年教育施設への行政の取組み」p.5-50. 15)国立青年の家・少年自然の家の在り方に関する調査研究協力者会議「国立青年の家・少年自然の家の改善について――より魅力ある施設に生まれ変わるために」報告、1995、p.6. 16)独立行政法人国立青年の家「中期計画」2001. 17)野村壽夫他、op.cit.、p.27-29. 18)「生活指導と研修指導」全国青年の家協議会『青年の家の現状と課題』第3集、1975、p.29. 19)「振興への具体的方策をさぐる」全国青年の家協議会『青年の家の現状と課題』第2集、1974、p.151-153. 20)Ibid.、p.144-149. 21)吉川弘「主催事業の意義」全国青年の家協議会『青年の家の現状と課題』第13集、1985、p.10-11. 22)野村壽夫他、op.cit.、p.29 23)「資料から見た青年の家」『東京都青年の家紀要』vol.16、2001、p.16. 24)澁谷健治・池田尚「青少年教育施設における社会教育事業の現状と運営改善」、『国立オリンピック記念青少年総合センター研究紀要』第1号、2001、p.158-159. 25)国立青年の家・少年自然の家の在り方に関する調査研究協力者会議、op.cit.、p.12. 26)全国青年の家協議会『青年の家の現状と課題』第1集、1973、p.4-5. 27)「振興への具体的方策をさぐる」、全国青年の家協議会『青年の家の現状と課題』第2集、1974、p.142-144. 28)全国青年の家協議会、1975、op.cit.、p.29. 29)野村壽夫他、op.cit.、p.23-25. 30)「全国青年の家実態調査」全国青年の家協議会『青年の家の現状と課題』第22集、1994、p.154-155. 31)坂本登「4つの課題と青年の家」全国青年の家協議会『青年の家の現状と課題』第23集、1995、p.11. 32)青少年教育施設ボランティア研究会(加藤雅晴座長)『青少年教育施設ボランティア養成プログラム開発に関する調査研究報告書』1998. 事務局:国立信州高遠少年自然の家「はじめに」 33)Ibid.、p.58-59. 34)国立青年の家・少年自然の家の在り方に関する調査研究協力者会議、op.cit.、p.6. 35)国立中央青年の家所長内田忠平「青年の家将来考」全国青年の家協議会『青年の家の現状と課題』第25集、1997、p.90-91. 36)Ibid.、p.100. 37)吉永宏「地域に根ざす青少年教育施設の在り方」全国青年の家協議会『青年の家の現状と課題』第25集、1997、p.13-14.