狛江プータロー教室(狛江市中央公民館脊年数主)記録誌『2003年度いなほ』原稿 社会化支援としての青年教育 狛プー元年問講師(聖徳大学数授) 西村美東士 1 狛プーと共生 ぼくは、以前、狛プーの若者たちとの活助のなかで触発され、「癒しのサンマ」のあり方を示した.サンマとは、時聞、空間、仲間のSつのマ(問〕を指す‘(西村美東士『琢しの生涯学習ーネットワークのあじわい方とはぐくみ方」増補版、学文社、1999年) 狛プーのような「庫しのサンマ」においては、あるがままの自分が両手を広げて歓迎される.このようにして行われる相互承認や自他受容が、成長や自立につながることを指摘した. 学歴低重社会のような「上下問質競争」(司じ価慎観の者が争いあうこと)によつて現代青年を成長させよう、自立させようとしても、皮肉にも、被らはますます偏ついていくだけである.これに対して、生涯学習社会における「水平異質共生」(異なる価恒観の者が承認しあうこと)の居心地のよさを教えることは、「上下同質競争」の刷り込みを受けた被らの「目から鱗をはがす」効果を与える, この、いわば「共生のためのトレーニング」によって被らは自他への信頼感を回復し、成長や自立をすることができるのである. 2 本当の居場所を求めて 表1 「居場所」の分覇 種頭 例 無意図の暦場所 対自 自分の部屋、ひきこもり、黙想、音楽、散歩 対他 友達の部屋、街頭、インターネット通信、(家族) 対社会 地域活動、ボランテイア活動、市民活動、(学校・職掲) 意図された居場所 対自他・対社会 行政活動、青少年覧設、地城施設、青少年育成活動等 ―般的呼称 ー次的目的 集まり方 主催事業 特定の事業目的 特定の事業目的にひかれて集まる. 活動拠点 特定の活動目的 集まることによって、ある目的を異現しようとする, たまり場 偶発的な目的 集まっているうちに何かをやろうとする. 居場所(狭義) 即目的 居場所であること自体が主要な目的である. 35 ぼくの「癒しのサンマ」の提起と前後して、わが国の青年教育の実践・研究においても 「居揚所Iの重要性が指摘されるようになった.そこで、ぼくは、居楊所の稽頭を表1のように示した。(西村美東士「若者の居揚所ー行政が「つくる」数育的意図は何かー」、兵庫県自治研櫨所『研修」No218. 2001年) 表1での屠場所とは、「自分らしくいられる場所」である. その第1は、他者による居揚所づくりの意図が働いていない居揚所である。学生に「自分らしくいられるところ」を聞くと、真っ先に「自分の部屋」という答えが返ってくる. 自分の部屋では、他者に気兼ねなく過どすことができるため、自分らしくいられるというわけである.これは、対自(自分に向き合う)の居揚所として重要である.自分の郎屋にとじこもって外界との接触を断つ「ひきこもり」も、そのことによって「本当の自分」を守ろうとし、自分と対面する.長期・短期の差はあるにしても、だれにでもこのようにー 人になる時問は必要であろう.また、まわりに他人がいても、黙想,音楽、数歩などは、 ―人で自分と向き合っている時間といえる。これら「対自」の場面においては、一人のときでも安心して自分らしくいられることが、居場所成立の条件といえる. 第2は、対他(他者に関わる)の居揚所である.友達の部屋や放課後の教生、部主、街頭、コンビニの前などが考えられる.ニこでも、本人が「自分らしくいられる」と感じる場合に居揚所になる.仲間への気兼ねや対面への気後れなどから、「自分らしさ」を出していないと感じる人にとっては、そこは居場所に女りえない.しかし、そういう人でも、インターネット通信女ら、対面ではないので「本当の自分」のままで発信していると感じるかもしれ女い.そうだとすれば、仮想的な電子空間がその人の居柵所になる, 第3は、対社会(社会に関わる)の居場所である.たとえば、若者が地域でイベントを行ったり、地域や公共に関わる活動をしたりナるとき、その仲問開保に「自分らしくいられる」雰囲気を感じ取る可能性が大いにありうる.活動の目的は自分たちの居場所をつくることではないのに、「自分にとっての居場所のーつだから」という理由でそれに参加する若者も多いだろう. 従来の青年教青のうち、公共的意義を重視するものが、第3の対社会殿能に重点を置し、 てきたとすれば、狛プーは「公共的意義を重視するからこそ」、第2の対他機能に重点を置き、青年の成長と自立を目指してきた,それは、対他の相互承認や自他受容なくして、対社会のために必要な勇気や元気をもつことなどありえないという問題意議に基づいたものといえる, 3 限定された居揚所から無限定世界への巣立ち しかし、サンマにしても居場所にしても、ある重要女間馴が生ずる。それは、これらが 「限られた時空間」であり、「仕組まれた参画」であるということである。現実に、あるメンパーは「狛プーは居心地がよすぎて、自分が現実社会に適応できなくなるのが怖い」と 36 言って、オーストラリアのワーキングホりデーに行ってしまった.そのほか、せっかく狛プーの居心地のよさがわかってきたのに、青年海外協力隊で中南米に行ってしまった人などの多くの事例がある.青年は、サンマや居場所から外の世界に巣立ってしまうのである. 青年数育の側は、この事態をどうとらえればよいのか.青年は、「社会の一員として(よりよく)生きられるように女る」ことを自ら望んでいる。これを青年自身のもつ社会化欲求として認臓し、重点的に支捜すべきであるといえよう.サンマや居場所は、青年をそこにとどまらせるためにつくるものではない. もちろん、サンマや居場所以前の青年牧育においても、青年の社会化支援機能の発揮を目指していた.しかし、それは次の2つの理由から、不十分な結果に終わっていたと考えられる.第1に、「一人でも(よりよく)生きられるようになる」ニとを望む「個人化欲求」 を「社会化」とはニ須対立的にとらえたため、社会化を個人化と調和的に支援することができをかった.第2に、「仲間と(よりよく)生きられるようになる」ことを望む萌芽的な 「社会化欲求」に対して、魅力的な新たな展望を示ナことができ女かった.「自分らしく生きる」という「個人化欲求」をも統合的に実現する可能性を示す必要があった. 以上のことから、現在の青年教育に求められている課題は、個人化と社会化とを統合的に突現できるよう青年を支援することであり、しかも、その「統合」とは、究極的には、 限定され女い現実社会に「一匹」で飛び出して行われるものなのである. 4 入り口から仕上げまでの社会化支援 先日、ぼくは、杉並区と神戸市の青年の友人関係や自己意餓などについて質間紙馴査の結果をまとめた.(平成13年度〜】5年度科学研究費基盤研究(A) I都市的ライフスタイルの浸透と青年文化の変容に関する社会学的分析」) 「友だちと意見が合わ女かったときには、納得がいくまで話し合いをする」という交友関係における「能動/受動」などによって、その特徴を調べたところ、類型ごとに明瞭な差を見いだした。しかし、「個人の力だけで社会を変えることはできないJ.「みん女で力を合わせても社会を変えることはでき女い」の回答により、「社会的能動/受動」に分類して踊べたところ、ほとんど差は見られなかった. これは、「社会的能動/受動」が、、身近な人間との交友関係ほどにはリアル女認臓にはなってい女いことが原因と推察された. 現代青年のこの「社会化実態Jのなかで、先述の狛プーメンパーの「海外転出」などの事例は貴重な価値をもつものと考えられる.狛プーがサンマや居場所を提供できたからこそ、被らはそれを踏み台として飛び立っていけたのだろう,狛プーは、「巣立ち」のための 「巣」の役書●を果たしたといえる. しかし、「あるがままの自分が両手を広げて歓迎される」時空問と仲間から、「一匹」として現実社会に飛び出していったとき、そこでの彼らは「対他」、「対社会」での気づきを 37 どのように成長や自立につかげていくことができるのカ、 また、「社会化の仕上げ」を行うことができるのか.狛プーに所属していたときの「共生トレーニング」の成果として、その効果が確認できるようなメルクマールを、今後の青年教育は自II出していかなければならない, 多くの青年が「社会への主体的参画」以前に、社会化への入りロとしての友人関係の場面ですでに立ちすくんでいる現状において、青年教育の社会化機能はより目的的、構造的に発揮される必要がある.そのための、実践と研究の役割は大きい. 38