まちづくり推進における青少年と親の社会化支援方策 −佐野市生涯学習推進基本構想作成過程からの検討− 西村美東士 聖徳大学生涯学習研究所紀要『生涯学習研究5』(2007年3月)原稿 1 問題意識 1-1 公的課題学習優先の根拠  筆者は1991年に「公的課題の優先」という概念を提案した*1 。  この概念は、次の問題意識から発している。行政の行う学習プログラム提供は、自由な生涯学習を支援するためのものである。それなのに、なぜ、何を根拠に、学習課題を取捨選択するのか。これは、公的社会教育の存在理由を問う問題でもあった。その論旨は次のとおりである。  生涯学習のネットワークは自治というよりも「個治」であり、どの学習課題も差別されない。それに対して、行政が行うべき問題提起は、ネットワーク型といえども性格を異にする。行政職員の個人の意図によってではなく、行政課題の遂行という責務のもとに行動を決定する。  そこでは、たとえ市民の自由な生涯学習のネットワークに対する援助や問題提起であっても、その学習課題に優先順位がつけられていく。まずは、行政として考える「公的学習課題」、またはそれにつながる課題の学習を優先すべきである。  ただし、私的課題と公的課題は、現実の世の中では混沌としている。だが、これを操作概念として使用することによって、行政が援助・提起すべき課題に優先順位がつけられる。  本論旨によれば、「公的課題の優先」はあくまでも行政社会教育における「優先順位付け」(プライオリティ)の問題であって、市民の自由な生涯学習に対して「望ましい方向」を示すものではなかった。 1-2 個人からは「遠い問題」としての公的課題  翌1992年7月、生涯学習審議会答申「今後の社会の動向に対応した生涯学習の振興方策について」は「現代的課題の学習」の必要性を提起した。そこでは「人々の学習への関心の現状を見ると、人々の身近な問題や実益を伴う問題についての関心が高く、比較的自分と空間的・時間的に遠い問題には、余り関心を示さない傾向が見られる」(下線引用者)として、次のように述べている。  これからの我が国においては、人々がこのような現代的課題の重要性を認識し、これに関心を持って適切に対応していくことにより、自己の確立を図るとともに、活力ある社会を築いていく必要がある。そのためには、生涯学習の中で、現代的課題について自ら学習する意欲と能力を培い、課題解決に取り組む主体的な態度を養っていくことが大切である。  そのため、「人々に学習機会を提供する機関は多様である」が、行政の果たすべき役割としては「特に現代的課題に関する学習機会の提供」が重要としている。  これは、「現代的課題」(本稿では「公的課題」)の学習が、その重要性にもかかわらず、個人からは「遠い問題」であることを指摘し、生涯学習推進による解決を訴えたものと理解される。  本稿では、これを「自己形成と社会形成の一体化」の課題としてとらえる。そして、現在に至るまで、その課題は十分には解決することなく、「遠い問題」の一般市民にとっての距離感はむしろ大きくなっているとさえ考えられる。この課題解決は、「望ましい方向」どころか、「持続可能な開発」*2 にとって「必要不可欠な方向」というべきだろう。 1-3 公的課題の学習としての「まちづくり」と、青少年と親の社会化課題  1999年6月、生涯学習審議会答申「学習の成果を幅広く生かす−生涯学習の成果を生かすための方策について」は、「生涯学習のまちづくり」を提起し、「生涯学習のためのまちづくり」から「生涯学習によるまちづくり」への意識の 転換が必要と述べた。  そこでは、「現代的課題の学習」の必要性について、「現在、各都道府県・市町村が抱える、ごみ処理、自然環境の保全、介護・福祉等の様々な現代的課題は、住民自らが学習し、理解し、主体的に関わろうとするときに初めて最も効果的な対処が可能となる問題であり、それだけに生涯学習の役割が大きい」と述べている。  しかし、このような公的課題は、個人の自己形成の課題と切り離して実現することはできない。とくに青少年においては、1990年代に「仲間以外はみな風景」、すなわち、「仲間さえ大切にしていれば、外の世界はどうでもいい」(宮台真司)と分析された*3 。その親についても、同様のことがいえよう。 1-4 研究の背景と目的  われわれは、文部科学省「私立大学学術研究高度化推進事業」の「社会連携研究推進事業」の補助を受け、平成17年度から「連鎖的参画による子育てのまちづくりに関する開発的研究」を進めている。そこでは、この課題について次のようにとらえている*4 。  現代社会において、青少年だけ、ましてや、学生だけが、望ましい社会化を達成したり、社会参画能力を身につけたりすることはできない。  自分の子どものことだけしか視野になく、あとは「専門機関任せ」の親たちばかり、まちづくりに無関心の市民や産業ばかりだとしたら、その地域で学生だけが自己形成と社会形成を一体化して進めることは困難である。  公的課題の学習や、さらには、まちづくりという社会参画活動は、多くの青少年や親にとって「遠い問題」といえる。これを個人にとって「自らの課題」とするためには、「個人の社会的課題」の視点からとらえ直さなければならない。筆者は次のように考える*5 。  子育て学習の構造を理解しようとする場合、一つのラダーを設定して、すべての学習の発展段階をそれに当てはめるということはできない。個人の子育て学習の局面ごとに、さまざまな循環とねじれを経て社会的視野が拡大していく状況をより詳細に検討しなければならない。子育て支援者においても、「子育て学習の構造的理解」に基づいて行動する必要があると考える。このような子育て学習の構造的理解のためには、「個人の社会的課題」の理解が重要である。なぜならば、社会参画に至る以前に、現代の若い親たちにとっては、「公園デビュー」などの、原初的ではあるが多難な社会的課題が自覚、無自覚のうちに山積し、その達成なしには、「子育てまちづくり」への参画、親の会などでの「仲間づくり」が危ぶまれる状況と考えるからである。  以上のことから、「個人の社会的課題」の達成、すなわち「社会化」は、青少年や親の自己形成と、公的課題の学習としての「まちづくり」による社会形成をつなぐ重要な環であると考える。本研究では、この視点から、「公的課題学習推進」のあり方を検討したい。  平成17年2月28日、一市二町が合併して、人口約12万7千人の新佐野市が発足した。そこで、同年8月30日、岡部正英市長から佐野市生涯学習推進協議会に対して、新佐野市における生涯学習社会の構築を図るための新しい佐野市生涯学習推進基本構想について諮問があった。  佐野市は、現在、第1次佐野市総合計画策定基本方針を示し、将来像を「育み支え合うひとびと、水と緑と万葉の地に広がる交流拠点都市」として、市民参加を基本方針に掲げて「総合的なまちづくり」に取り組もうとしている。  筆者は、答申の原案作成者として、次のように考えた。市民一人一人の個人としての充実とともに、その個人が新佐野市のまちづくりのなかで市民としての役割を発揮することによって、ますます個人としても新佐野市としても充実するという「自己形成と社会形成の一体化」を実現する生涯学習推進の展望を示したい。  旧佐野市においては、平成5年4月に「佐野市生涯学習推進基本構想」を策定し、同年10月2日には「楽習のまち佐野」都市宣言を行い、「私らしさ咲かせます 楽習のまち佐野」をキャッチフレーズとして、「私」という個人をキーワードとした生涯学習のまちづくりを全市全庁的に進めてきた。それは、地域住民一人一人の「私」を最上段において、「生涯学習のまちづくり」を実現しようとしたものである。  この成果をさらに発展させるため、中間答申作成に当たり、「私らしさ このまちに 咲かせます」というコンセプトを設定することとした。それは、「旧佐野市生涯学習推進基本構想」でいう「私」が、学びを通してまちづくりに関わり、まちづくりを通して学ぶことによる「自己形成と社会形成の一体化」の実現の方向でもある。  以上から、本答申の作成過程は、まちづくりという「公的課題」の学習を、いかに「私らしさ」の充実という個人的課題と結びつけて推進するかという課題に直面しながら進められたということができる(資料1「中間答申作成スケジュール」、資料2「専門部会の設置」、資料3「中間答申の構成」参照)。  そこで、本研究では、以下の3点について明らかにしようとした。 研究目的@ 青少年と親の社会化状況に関する生涯学習推 進関係者の認識 研究目的A 生涯学習推進関係者が重視する青少年と親の 社会化促進要因 研究目的B 各促進要因と「まちづくり」及びそれに伴う 「公的課題の学習」の推進方策策定結果との 関連  このことによって、青少年と親の社会化を効果的に進める「公的課題の学習」や「まちづくり」の推進のあり方を検討したい。 2 研究方法 研究目的@、Aのため、中間答申作成過程における委員の青少年育成及び子育てのまちづくりに関する発言(全50件)の内容を分析した。分析にあたって、以下のように「社会化促進要因」を仮説的に設定して、その妥当性を確かめようとした。 A 居場所 B 参画 C 仲間づくり D 文化や労働の伝承 E 地域の教育力 F 自然の教育力 G 教育機関の教育力 H 家庭の教育力  第1回協議会で、筆者は、「生涯学習を個人の充実だけでなく、田中正造のような社会正義の視点から提言していきたい」、「一人一人がいつからでも始め、学びの仲間をつくって生きていくという生涯学習社会を目指す」、「市民の自主性を尊重した推進が重要」などの方向付けをした。  その後の、青少年及び子育てまちづくりに関する各委員の発言内容は資料4のとおりである。  資料4で、各委員については、関係団体代表者は1〜10、学識経験者は11〜17(内、公募委員は11〜15、)、学校関係者、事務局等は18〜20の番号を振った。なお、筆者自身(17)の発言は除いた。  研究目的Bのためには、以上の研究で見出された社会化促進要因と、中間答申の起草結果を対照して、提言との関連を検討した。  なお、本研究への協議会としての協力、及び、そのために審議内容を記録して分析対象とすることについて、協議会の席上で委員から快諾を得た。また、その発言については、筆者による記録とともに、佐野市生涯学習課事務局の多大なご努力による記録を照らし合わせて、より正確な研究データを整備することができた。ここに、協議会委員及び事務局職員の皆さんに深く感謝の意を表しておきたい。 3 研究結果 @青少年と親の社会化状況に関する生涯学習推進関係者の認識  審議の最初から多く出された意見は、青少年や親の社会化不全に関するものであった。  0504「(教育熱心なお母さんのため)、有名な遠い所に通う。親も子どもも地域との交流がまったくなくなっている」、0513「自分自身だけの考えで行動している。人との関わりが希薄になり、事件につながる要素がある」、0704「私らしさを取り違えると、自由奔放に何でもしていいということとなる。子どもにしつけることはもちろんだが、しつけをする若い親にしつけ方を教えるといった、世代に応じたしつけが、まちの中で必要」、1002「民主主義は、基本的に必ず責任を伴う。そういったことを、戦後教育ではあまり教えてこなかったことが、自分が自由にやればいいという環境を引き起こしている」、1203「今の若い子は何で子ども産まないのって、もう親の責任じゃないけど、社会情勢が悪いから生まないとか、今の自分たちの生活が楽しいから生まないとか、自分たちの心の貧しさがそういうことを物語っている」。  これに関して、1003では、「子どもというのは、叱らなければ人間にならない。どうやって叱ってあげるかが問題」として、「他人のことなんかどうでもいい」という風潮に対して、「叱られて、叱られて、ぎゅっと抱きしめられることが子どもの真の幸せ」という旧佐野市「こどもの街宣言」(資料5)が掲げるしつけのあり方を支持している。 A生涯学習推進関係者が重視する青少年と親の社会化促進要因  各回の委員の発言に表れた社会化促進要因の分布は表1のとおりであった。  各委員の発言に表れた社会化促進要因の分布は表2のとおりであった。  なお、本表の数字は、「青少年育成」と「子育てまちづくり」に関する発言のみ取り上げて計上したものであり、各委員の発言の活発、不活発を示すものではないことを付記しておきたい。 表1 各回の発言に表れた社会化促進要因の分布 回 A B C D E F G H 実数 03 1 1 2 05 1 1 2 6 1 1 13 07 1 3 3 3 9 09 1 1 2 10 1 1 3 3 12 1 2 1 2 4 3 13 13 4 2 1 2 1 1 2 8 計 7 4 4 6 13 1 9 12 50 注 最右列のみ発言件数(実数n=50)。他の列は各要因に関する発言の延べ出現回数(n=56)。○は起草委員会。 表2 各委員の発言に表れた社会化促進要因の分布 委員 A B C D E F G H 実数 01 1 1 1 1 5 02 1 1 1 3 03 1 1 2 04 0 05 0 06 1 3 07 1 1 1 1 2 2 4 8 08 2 1 2 09 0 10 0 11 1 1 12 1 1 13 1 1 14 1 1 2 15 2 1 1 3 16 2 1 1 1 2 6 18 3 1 2 2 4 1 9 19 1 1 3 20 1 計 7 4 4 6 13 1 9 12 50 注 最右列のみ発言件数(実数)。他の列は各要因に関する発言の延べ出現回数。○は起草委員。 図1 委員の発言に表れた社会化促進要因の出現回数 B 各要因活性化のための「まちづくり」及びそれに伴う「公的課題の学習」の推進方策  生涯学習推進協議会の中間答申起草結果のうち、青少年と親に関わる部分は、資料6のとおりである。そのうち、社会化促進要因に関連する記述の出現回数は表3のとおりであった。 表3 起草結果に表れた社会化促進要因の分布 項目 A B C D E F G H 計 1 4 4 2 2 2 3 3 4 1 8 4 3 1 4 5 13 5 5 3 1 1 10 計 5 13 6 0 8 0 0 5 37 注 各要因に関する記述の延べ出現回数。 4 考察 @青少年と親の社会化状況に関する生涯学習推進関係者の認識  3の@の結果から、審議で指摘された「社会化不全」の要素としては、@親子の交流不足、A地域の希薄化、Bしつけの不在、C自由と民主主義のはきちがえ、D自己中心主義と個人的快楽志向、E心の貧しさなどが挙げられる。  とくに1003の発言は、「こどもの街宣言」が子どもを甘やかす結果になるという危惧に対してなされたものであり、社会化不全に対して、一方的に糾弾するのではなく、何らかの生産的な対応を考えようとしたものと考えられる。  以上のことから、生涯学習推進関係者は、現在の青少年や親に関して「社会化不全」という認識を強く持っているといえる。それは、当然ながら社会化としての「しつけ復活への期待」につながる。しかし、それを繰り返し述べていても、先に示した「社会化不全要素」を解決するための展望は見えてこない。危機感だけに終始すれば、現在の青少年や親に対する不信感と可能性の否定に陥りかねない。  ここに、「まちづくり」及びそれに伴う「公的課題の学習」の推進における青少年と親の社会化支援方策を検討することの重要性が示されていると考える。 A生涯学習推進関係者が重視する青少年と親の社会化促進要因  3のAの結果から、地域教育力およびこれを支える家庭教育、さらに、これらの教育力を専門的に支援する学校教育、社会教育等の教育機関への期待が大きかったといえる。  また、起草委員会に移ってから、「居場所づくり」、「参画促進」などの育成活動の具体的な展望が活発に論じられたことがわかる。 B 各促進要因と「まちづくり」及びそれに伴う「公的課題の学習」の推進方策策定結果との関連  3のAで示された青少年と親の社会化促進要因に関する委員の発言と、3のBで示された中間答申の起草結果における「まちづくり」及びそれに伴う「公的課題の学習」の推進方策に関する記述とを対照して考察したい。 A 居場所  居場所については、1210「考えているけど友達としてそういう話はできない居場所づくりが必要だなと感じますね。僕は自分の家を居場所にして、若者が何人か来ます」、1307「私の居場所の子どもたちは、私がついていけないくらいおしゃべりが多くて、鬱積して溜まっているものが多いんだなとつくづく感じます。そういう意味で、居場所は何らかの形で作る必要があるだろうと思う。公民館は子どもたちで借りるなんて見たことがない」という委員発言に対して、5−01「現在、多くの青少年が『自分らしさ』を大切に思い、『自分らしくいられる居場所』を必要と感じている」という起草結果になっている。  青少年の「自己吐露要求」に対して「あるがまま」でいられる居場所の提供を提言したととらえられる。今後は、指導者のカウンセリングマインドなど、しゃべりたくなるような働きかけのあり方を具体的に明らかにする必要があると考える。  1306「子どもが活動する場所、その確保は大人の最低の義務。さわやか指導員の若い子が来ていたので、ちょっとバスケットをやってみないかとバスケットを月1回その子に頼んだら、仲間を連れてきて子どもと遊んでくれる」、1308「どなたが考えても居場所は同じ。みんな同じなのです。基本的には、一緒にやる経験やっぱり一緒にいると楽しい、何かのときは助けてくれるとか、虫にかまれたら大丈夫と心配してくれる」、0512「子どもを育てる地域の活動地域の交流の場づくりへの子どもの参加の配慮を」という委員発言に対して、5−04「それ(居場所)は、青少年も大人も、ともに参画する『まちづくり活動』の一環として位置付けられる」という起草結果になっている。  青少年同士の交流を図るため、居場所を「青少年も大人も、ともに参画する『まちづくり活動』の一環」として推進するよう提言したととらえられる。今後は、「まちづくり活動への参画」に至るまでの青少年同士の交流の困難について、より詳しく検討し、居場所における交流促進の働きかけについて、具体的に明らかにする必要があると考える。  0512「子どもの居場所づくりでは、『大人のすごさ』を見せる場づくりを」という委員発言に対して、起草結果では、5−03「まちづくりに参画する大人たちが、仲間づくりをして、互いの違いを認め合いながら、それぞれの『自分らしさ』を社会に発揮する姿を(青少年の居場所において)示す」、5−05「彼らを地域に囲い込もうとするのではなく、社会に羽ばたいていく巣立ちのための巣として、居場所を提供したい」、5−07「現代は、親、大人、中高年自身が、青少年と同じように『自分らしくいられる居場所』を求めている時代とも考えられる。今まで述べてきた『子育てのまちづくり』を含む『まちづくり』の観点からは、それらの願いに対する端的な解答は『仲間との参画』と言うことができるだろう」としている。  居場所において、大人自身が「仲間との参画」の姿を示すことによって、青少年にとっての「モデリング」の対象となるよう提言したととらえられる。居場所において、青少年に対して、「放任する」というのでもなく、「強制する」というのでもなくして、彼らの社会化を効果的に支援するためには、このような配慮は不可欠と考える。  それでは、居場所の指導者は自らの姿を青少年にどう伝えればよいのか。今後は、指導者自身が「仲間との参画」の姿を青少年に示すための、いわば「居場所における指導者の自己アピール」のあり方を実践的に明らかにする必要があると考える。 B 参画  子どもの参画の意義と必要については、1201「子どもたちの意見を取り入れる学校経営があってほしい」、1202「小学4年生から中学生中心で、『子ども白書』というのを作った。自分たちが遊ぶ当事者だから、そういうものは子どもの意見を直接聞いたほうが、本当に子どもが喜ぶようなものができる」、1301「中学生が中心になって子ども市民憲章を作っています。これから高浜市の中心になっていくのは中学生である。これをはっきり謳っている。まちづくりに参加させている」などの委員発言があった。  これに対して、起草結果は、1−03「世代を越えた参画の中での合意形成が重要になる」、1−06「子どもの参画によって、子どもたち自身の意見も聞きながら『子育てのまちづくり』を進めていくことが重要である」となっている。  年金制度の健全な運営など、重要な公的課題の解決のため、インタージェネレーション*6 による合意形成の「鍵」として、「子育てまちづくり」への子どもの参画の意義を位置づけたものととらえられる。  「子育てまちづくり」への参画活動については、起草結果では、ほかにも次のように述べている。1−05「親が支援 される立場だけでなく、自分のできる範囲で、子育てしやすいまち、子育てしていて楽しいまちにするために力を合わせることが重要である」、3−04「わが子のことから出発して『あなた任せ』にしない子育てまちづくりへの参画」、3−06「自らが仲間をつくって、自分たちのできる範囲で支え合い、実践的な学習を通してまちづくりに参画し、その『福祉』をつくりだす主体にもなる」、3−07「親たちが仲間づくりを通して互いの子育てを支え合い、地域もそれを支えること、さらには、生涯学習やまちづくり活動を通して『子育て環境の改善のための市民参画』を行う」。  この起草結果は、「あなたまかせ」の状態から、「わが子の子育て」をとおして「子育てまちづくり」への参画に至る親の社会化過程の概要を示したものととらえられる。そこで重要になる要素は、4-07「PTA、保護者会、子ども会、町会などの仲間との活動」と考える。これは次に述べる社会化促進要因C「仲間づくり」につながるものである。  委員発言1306「子どもが活動する場所、その確保は大人の最低の義務。さわやか指導員の若い子が来ていたので、ちょっとバスケットをやってみないかと、バスケットを月1回その子に頼んだら、仲間を連れてきて子どもと遊んでくれる」に対して、起草結果では、1−09「現代の若者たちの一人一人に適した形での『まちづくり活動』を開発し、その活動への参画を促進するようにしたい」と述べている。  1980年代にすでに、「青少年が地域社会のゲストから、大人とともに主体的に役割参加を進められるメンバーになることのできるコミュニティ形成」が提起されている 。しかし、その後の青少年施策のなかで必ずしもこれが実現しているとはいえない。「コミュニティ形成に対する若者の主体的な役割参加」のための実効性のある展開の一方策として、起草結果が述べているような「子育てまちづくり」への若者の参画が考えられる。  その場合、「子育てまちづくり」の範疇を広げ、委員発言1306「仲間を連れてきて子どもと遊んでくれる」というような活動も、重要な参画活動として認識する必要があるといえよう。また、1−09「現代の若者たちの一人一人に適した形」を実現するためには、現代青年の社会化過程に関するより詳細な検討が必要と考える。  さらに、起草結果では、次のように親教育における「達成目標」の必要性を強調している。4−09「達成目標(できれば各回ごとの)を設定し、それを明示して学習者側の理解を求め、目的意識的な学習を促進することは、むしろ『学習者主体』の考え方に基づくものだと私たちは考える」、4−10「獲得能力目標の明示された親学習プログラムとして編成する手法を開発したい。このことによって、親学習プログラムの作成における親自身の参画が可能になると考えられる」。このように、「達成目標を設定し、これを学習者に明示し、さらにはその達成目標の設定自体に学習者側の参画を取り入れていく」よう提言しているのである。  先述の青少年と親の社会化不全の実態からいえば、このような教育側の「指導性」は不可欠といえよう。ここに「参画教育」の意義と必要性が示されていると考える。  今後は、目標設定から、実施後の達成度の測定・評価に至るまでの手法について、具体的に明らかにする必要があると考える。 C 仲間づくり  仲間づくりについての委員発言は、0502「わからないから学校に行く、わからないから同じ仲間と意見交換するということが大事」、1208「消防団活動、PTAの時にもそうでした集団で楽しんでいくことが、地域を愛するというふうに変わっていくような気がします」、1308「基本的には、一緒にやる経験。やっぱり一緒にいると楽しい、何かのときは助けてくれるとか、虫にかまれたら大丈夫と心配してくれる」などであった。  これに対して、起草結果は、3−02「親の会や地域社会における『仲間』との出会いを得た場合、実践的な『集団学習』が効果的に展開される可能性がある」、3−06「自らが仲間をつくって、自分たちのできる範囲で支え合い、実践的な学習を通してまちづくりに参画」、3−07「親たちが仲間づくりを通して互いの子育てを支え合い、地域もそれを支える」などである。「まちづくり」のなかでの「仲間」の意義を強調したものになっている。  現在の青少年と親の交友関係の延長線上で、望ましい「仲間関係」に発展するような展望を求めようとしても限界がある。これに対して、起草結果は、「まちづくり」に参画する「仲間」に、日常の交友関係とは異なる可能性を見出そうとしたものととらえることができる。  今後は、参画活動における仲間関係の特徴と、交流発展のための方法について、より詳しく検討する必要があると考える。 D 文化や労働の伝承  文化や労働の伝承については、0505「働くところを見学し、感じることは非常に重要」、0902「子どもたちは働きたいと思っている。昔は子どもは手伝いや仕事をよくしていた」、1211「いわゆる匠のおじさんはどれなのか、子どもからみてこのおじさんはすごいぞと」、1212「昔ながらのものをなくさないように、次世代につなげていくことが大事。そこで連帯感が生まれて、郷土愛が生まれて、付随するものがいろいろ出てきてつながっていく」などの委員発言があった。  これに対して、起草結果では、青少年と親に関する記述としては直接にはふれていないが、伝承活動をまちづくりの一環としてとらえ、たとえば「鐙塚宮比講神楽(あぶつかみやびこうかぐら)保存会」の活動について、「活動事例」として次のように紹介している。  会員は12名で、月3回の稽古がある。保存会は、犬伏東小学校宮比講クラブで年間15回、高萩保育園で年間3回の活動をしている。(中略)  月3回行われている練習日に訪問してみた。駐車場に着くと、お囃子の音色が響き、別世界に来たような気がする。部屋の中では、幼児から小学生、大人まで、いっぱいで、お年寄りが指導に励んでいる。子どもたちは一生懸命で、その眼差しは強く心に感じさせるものがある。また、庭いっぱいに衣装の虫干しをしており、その衣装の古さが貴重な伝統文化であることを物語っている。  このように鐙塚町では、町内の人々が、神楽を後世まで伝えるために一体となって、生活の一部として伝統文化を守っていこうとしている。そこには至誠、この上なく誠実なまごころを、ひしひしと感じさせるものがある。  子どもに対する文化や労働の伝承については、まずは、大人たち自身の労働観、「匠」や郷土の文化を大切にする意識が問われると考える。そのうえでこそ、子どもの家事手伝いの復活や、職業意識や郷土意識の向上、文化伝承に関する態度変容などが期待できるといえよう。  このことから、「町内の人々が一体となって、生活の一部として伝統文化を守っていこうとする」などの活動には、大人と子どもの両者の社会化を効果的に促進するための重要な要素が数多く含まれていると考える。 E 地域の教育力  「ふるさと」については、0301「子どもとふるさとづくり、子どもとまちづくりという観点からの働きかけが必要」などの委員発言があった。  これに対して、起草結果では、筆頭章に「郷土愛をはぐくみ、ふるさとを守るために」を置き、次のように述べている。  「ふるさと」は、「他国を排斥しない愛国心」、「自然への畏敬の念」、「宗派を問わない宗教心」、「自分を育ててくれた自然、地域、人々への感謝の念」、そして、「社会の中で生きる力」につながるための「始まり」として、個人にとって格段に重要な意味をもっている。しかし、時代変化の中、とりわけ「平成の大合併」の影響を受けて、郷土、郷土愛が少しでも失われるとすれば、これは深刻な社会問題というべきである。  市民全般にとっての「ふるさと」の重要性とともに、「平成の大合併」によって、「ふるさと意識」が衰退することのないよう提言したものととらえられる。  そのため、起草結果では、「市民がふるさとに能動的に関わり、ふるさとを守り再生させる営み」として「まちづくりや生涯学習の活動」の意義を重視したものになっている。  青少年と親の社会化不全および課題解決のための地域教育力への期待については、0504「小さい時から地域との交流がないと難しい」、0510「昔は町内にガキ大将がいて、親分がいて、子どもたちのなかにルールができていた」、0513「幼児期から親と子ども、親と地域との交流がなくなる。自分自身だけの考えで行動している。人との関わりが希薄になり、事件につながる要素がある」、0704「しつけを学ぶおじいちゃん、おばあちゃんの存在もいない。しつけをする若い親にしつけ方を教えるといった、世代に応じたしつけが、まちの中で必要」、0703「しつけといって抑えつけるよりも、子どもには愛情が必要。親が抱きしめれば、その暖かさから何かを学ぶ。家族愛とか子どもへの愛情が大切。愛を含めた学習を楽しむことを、まちとして何ができるか。若い方に是非考えてほしい」、1002「地域ぐるみ、まちぐるみでしつけを考える核になるのは家庭」、1303「私たちは家庭教育の中で教わった。それが地域社会に生きるための術」などの委員発言が多数あった。  これに対して、起草結果では、4−03「今の家庭、今の大人自身のあり方に危機を感じる。私たち自身が、今の生き方を見直さなければならないと考える」とし、次のようにその方策を提言している。「親が子に、地域の店で買うことを教えることによって、地域の人々が支え合う姿勢を伝える」、2−05「アウトレットに来たお客様を、『家庭・地域に支えられる商店街』に誘導して、アウトレットの魅力とともに、佐野のまちづくりの良さを味わってもらう」。  これは、「子育てまちづくり」が、地元商店街の活性化などの公的課題としての地域振興とともに進められるよう提言したものととらえられる。  しかし、委員発言のなかには、0707「妻が地元の人間ではない。周りをみるとそういった方は結構いるが、地元の コミュニティに参加しづらい」などと、ある層の市民のなかには、地域にとけ込みづらい者もいることを指摘する発言もあった。  地域と交流しようとしない親を責めるのではなく、現在のコミュニティをどのようにしたらそういう親たちがとけ込めるようになるのか、検討を進める必要があると考える。とくに「参画」と「仲間づくり」によるまちづくり推進の観点から、その方法について検討することが重要であるといえよう。 F 自然の教育力  自然の教育力については、0302「佐野市は合併により自然豊かな広大な地域となった」などの委員発言があった。  これに対して、起草結果では、「河川、山林、農地等に関する学びと山村振興活動」という章を設け、まちづくりへの参画が目指すものの重要な一環として「持続可能な開発」を挙げている。そして、次のように委員発言を紹介している。  関東平野に向かって日光連山はモミジの手のように広がっています。それで奥まっている所が、たまたま飛駒とか秋山だったり、松田のダムの地区だったりとなっています。この付け根には、前日光基幹林道という道が通っています。これは作られたものじゃなくて、まさしく自然のものなのです。その端々には、地域の人たちが頑張ってログハウスを作ったり、釣り堀を作ったり、手打ち蕎麦を作ったりしている集団がポツンポツンとあります。曲がりくねった道だけど、これが全部つながっているのですよ。自然を愛する人は必ずいます。一過性で人が集まって、テレビで流れて人気が過熱化するというのとは違った世界というものが、必ずあるのだと思います。  そういった意味で、私は秋山という地域に力を入れてきたつもりなのです。これからの考えとしては、商店街振興だけに力点を置くのではなくて、地域の隠れた財産というものを私は大事にしたい。それを生涯学習推進やまちづくりの中で、どういった位置付けをするのか考えていきたいと思います。  このような委員発言があったため、起草結果は、「人々が生活していける、しかも自然環境をこれ以上悪化させない山村振興」を求めるものとなっている。  このような「山村振興活動」のプロセスと、その結果としての「守られた自然」が、青少年と親にどのような「教育力」を発揮しうるのか。また、そこで発揮される社会化機能はどのようなものか。以上の検討を進める必要があると考える。 G 教育機関の教育力  教育機関に関しては、委員からは次のように数多く期待が述べられた。0502「(親は)わからないから学校に行くということが大事」、0706「昔の家族・学校制度の方が良かったが、今の世の中にあった形で親に受け入れてもらえるようにしたら良いのでは」、0708「身近な公民館を中心として展開していきたい」、1204「公共の施設の場所を広げていく」、1307「公民館は子どもたちで借りるなんて見たことがない」、1201「子どもたちの意見を取り入れる学校経営があってほしい」、1205「これから親になる中・高校生から親育てをしてもらう学習プログラムを提言する『親育て学習プログラム』を考えてワークショップなりを授業の一環の中に入れてもらう」。  以上のことから教育機関への期待としては、「教育機関に実施してもらう」、「教育機関と連携して実施する」、「教育機関を拠点として(市民が)実施する」という3種類があるといえる。  これに対して、起草結果では、「わたしたちからの呼びかけ」の章のなかの「市民の仲間たちへ」において、「追いつめられた子どもたちを出さないまちをつくろう。支持的風土と人権尊重のまちづくりの中で、若者のあこがれる大人になろう」と提言し、市民主体のまちづくりを呼びかけている。その上で、「佐野市行政へ」においては次のように提言している。  既存施設については、「まちづくりへの市民参画」と「市民としての生涯学習」の往復運動の観点から、新たな活性化を図ってください。たとえば、旧田沼地区の地区公民館などについては、その観点から、組織変更、人員配置を含めて、「貸し施設」から「活動拠点施設」への抜本的転回を図ってください。  職員、とりわけ専門職員に関して、市民の求める職能を分析し、それに応えることのできる資質・能力をもった職員を適正配置してください。  公的施設の夜間ボランティア館長の導入、広報の「まちづくり」、「生涯学習」関連ページにおける市民の企画・編集など、公的部門への市民参画の機会を拡大してください。  以上から、起草結果は、市民参画の原則に立った施設運 営と、専門職員等の指導者の必要の両者を提言したものととらえられる。さらに、「生涯学習推進構想への提言」としては、次のように述べている。  これまで、多くの自治体の推進構想では、あくまで行政としてすべきことを計画化し、表明することを主眼としていて、市民に対する露骨な注文はややもすると抑制されてきたように感じます。しかし、佐野市生涯学習推進協議会としては「協働」の観点から次のように逆注文しておきたいと思います。  行政として、市民の協力なしにはできないこと、市民でなければできないととらえていることは遠慮なく、はっきり示してください。まちづくり、生涯学習推進における、行政の課題、市民の課題、協働の課題のそれぞれを、官民協働で互いに検討しましょう。これが、今後の各自治体の生涯学習推進構想の本来のあり方になると私たちは考えます。  この起草結果は、まちづくり等の公的課題の学習に対して、行政側が市民主体の姿勢を鮮明にし、なおかつ公的課題の「提起者」の一員として、行政としての主体的役割を積極的に果たすよう求めたものととらえられる。  教育機関においても、青少年や親などの学習者側の社会化不全の実態を嘆くことにとどまらずに、まちづくり等の公的課題の提起によって、社会参画活動の推進に努める必要があると考える。  その場合、教育機関による公的課題の提起、参画活動との連携、参画活動の拠点機能の発揮、活動支援などの方法について、より詳しい検討を進める必要があると考える。また、一般行政とは異なる独自の機能としての「教育力」を実現するためには、集団の参画活動過程における個人の社会化過程の構造を明らかにし、効果的な社会化支援の方法を実践的に明らかにする必要があるといえよう。 H 家庭の教育力  家庭の教育力についても、次のように、委員から多くの発言があった。0507「社会を形成しているのは家庭」、0703「しつけといって抑えつけるよりも、子どもには愛情が必要。親が抱きしめれば、その暖かさから何かを学ぶ。家族愛とか子どもへの愛情が大切。愛を含めた学習を楽しむことを、まちとして何ができるか。若い方に是非考えてほしい」、0704「しつけを学ぶおじいちゃん、おばあちゃんの存在もいない。しつけをする若い親にしつけ方を教えるといった、世代に応じたしつけが、まちの中で必要になってくるのではないか」、1001「中高生が中心になって自分たちで子どものまち条例を作っているしつけを、家庭・地域・職場でやっているか、日本では疑問」、1003「わが子のことを真剣に考えているかいないかわからない親が多い中で、ましてや他人のことなんかどうでもいいやっていうのが現実」、1203「『今の自分たちの生活が楽しいから生まないんだ』とか、いろんな人が言いますが、私は、自分たちの心の貧しさがそういうことを物語ってくるのかなと感じています」、1206「家庭教育をどのように勉強し直すか、ということから入っていっていただきたい」、1303「私たちは家庭教育の中で教わった。それが地域社会に生きるための術」、0706「昔の家族・学校制度の方が良かったが、今の世の中にあった形で親に受け入れてもらえるようにしたら良いのでは」、1002「地域ぐるみ、まちぐるみでしつけを考える核になるのは家庭」、1302「居場所であるべき家庭が居場所ではなくなってきている子たちが多くなってきている。家庭はどういうふうに夫婦で築いていくものなのかということを、しっかり今の子どもたちから考えて」。  これに対して、起草結果は、4−01「家庭教育の回復を挙げたい。親子の交流、共有、感動、絆、そして感謝の気持ち、このような大切なことが、今、失われつつある」、4−03「今の家庭、今の大人自身のあり方に危機を感じる。私たち自身が、今の生き方を見直さなければならない」と、家庭の教育力に対して委員のもつ大きな期待を反映する結果となっている。  その上で、起草結果では、一方策として、次のように「親教育」の意義と方法について述べている。4−04「親の不安や悩みに的確に応える親学習プログラムを提供することの重要な意義が示されている」、4−10「獲得能力目標の明示された親学習プログラムとして編成する手法を開発したい。このことによって、親学習プログラムの作成における親自身の参画が可能になると考えられる」。  従来から、青少年教育関係者のあいだでは、「子どもの問題以上に、それを育てる親に問題がある」、「社会教育で親のための学習プログラムを実施しても、学校教育のように義務教育ではないので、本当に学ぶ必要があると思われる問題のある親は参加しようとしない」ということがよく言われてきた。  今回の起草結果は、その「閉塞状況」に転回をもたらす要素として、「子育てまちづくりへの参画」およびそれに伴う「仲間づくり」の重要性を指摘したものととらえられる。親教育も、このような公的課題への参画活動推進の一環として位置づけられているととらえることができる。  この点については、今後、さらに検討を進め、親の社会 化過程の実態と基本的構造に的確に対応した支援の内容と方法のあり方を明らかにする必要があると考える。 4 結論  以上の佐野市生涯学習推進基本構想作成過程の検討結果から、次の点が明らかになったと考える。 @ 「まちづくり推進」という公的課題の学習において、生涯学習推進関係者のあいだでは、青少年と親の社会化不全の状況が問題視された。 A 社会化不全状況の解決のためには、先述の「社会化促進要因」が重要であると委員に認識された。 B 「まちづくり推進」において、これらの「社会化促進要因」を活性化するための方策については、委員発言および起草結果から、「居場所」、「参画」、「仲間づくり」などに関して、実践的で有益な一定の提言が行われた。 C しかし、「地域教育力」、「家庭教育力」などに関しては、現在の「衰退」「閉塞」等の状況に対する憂慮がややもすると強く表れ、実効性のある現実的な支援方法を十分に具体的に明らかにするまでには至らなかった。  Cに述べた問題の解決のためには、「子育てまちづくり」等の「まちづくり推進」における青少年と親の社会化過程に関する構造的理解のもとに、その支援方策を明らかにする必要があるといえよう。 5 討論−社会化過程の構造的理解  佐野市のまちづくり推進のような公的課題学習の推進にあたって、青少年・親の社会化を効果的に支援するためには、さらに次の課題について検討する必要があると考える。  子育てまちづくりに至るまでの学習の発展の構造は次のように考えられる(図2)。「問題解決のための個人学習」→「自分の子育て行動に対する気づき」→「親の会や地域社会における『仲間』との出会いを基礎にした集団学習」→「親の子育てまちづくりへの参画行動」。これは、親の社会化過程の構造に他ならない。  また、青少年の社会参画活動に至るまでの学習の発展の構造も、「自分への関心」→「自己への気づき」→「他者への気づき」→「社会への参画」という同様の社会化過程が考えられる(図3)。 レベル4 子育てまちづくりへの参画    契機(親の会や地域社会での活動) レベル3 自分自身や家族関係に対する気づき    契機(家族の問題解決の取り組み) レベル2 自分の子育て行動に対する気づき    契機(わが子の問題解決の取り組み) レベル1 わが子のことをよく見る 図2 親の能力開発ラダー レベル4 社会への参画    契機(仲間づくり活動) レベル3 他者への気づき    契機(他者との交流) レベル2 自己への気づき    契機(他者との出会い) レベル1 自分への関心 図3 青少年の社会参画能力開発ラダー  しかし、これらの構造は単純な一方向的なものではない。@集団学習によって、個人学習による自己への気づき効果がより高まる、A主体的、客観的条件が整った場合は、地域社会における「仲間」との活動自体が、学習活動にとどまらずに、まちづくりへの参画活動そのものとして行われる、B仲間との参画活動が個人の気づきを深め、集団学習の質をレベルアップさせる、などの「連鎖」や「循環」が想定される。そのため、一つのモデルをすべての学習の発展段階や社会化過程に当てはめることはできない。個人の学習の局面ごとに、さまざまな循環とねじれを経て発展していく状況をより詳細に検討しなければならない。  さらに、現実には、社会参画能力の獲得という「高度な社会化」に至る以前の社会化困難の状況が控えている。現代の若い親たちにとっては、「公園デビュー」などの多難な社会化課題が山積し、青少年にとっては仲間との過剰な同一化等の社会化不全による阻害要因が立ちふさがっていると考えられるのである。  生涯学習推進施策において公的課題の学習を効果的に促進するためには、研究面では、「まちづくりへの参画」に至るまでの彼らの社会化過程を、より実態に即したかたちで構造的に理解するための研究を進める必要があると考える。 [資料1]中間答申作成スケジュール 回 内    容 01 平成17年度第1回佐野市生涯学習推進協議会 02 佐野市生涯学習推進協議会に伴う専門部会説明会 03 専門部会A「新佐野市まちづくり部会」第1回会議 04 専門部会C「わがまち発見交流部会」第1回会議 05 専門部会B「異世代の共生と参画部会」第1回会議 06 専門部会C「わがまち発見交流部会」第2回会議 07 専門部会@「推進基盤・支援体制部会」第1回会議 08 専門部会A「新佐野市まちづくり部会」第2回会議 09 専門部会C「わがまち発見交流部会」第3回会議 10 平成17年第2回佐野市生涯学習推進協議会 11 平成18年度第1回佐野市生涯学習推進協議会 12 中間答申起草委員会第1回会議 13 中間答申起草委員会第2回会議 14 中間答申起草委員会第3回会議 15 平成18年度第2回佐野市生涯学習推進協議会 注 ○は青少年育成及び子育てまちづくりに関する審議のあった回 [資料2]専門部会の設置  資料1の02「佐野市生涯学習推進協議会に伴う専門部会説明会」において次のとおり専門部会を設置し、それぞれの柱に沿って審議を行った。同資料1の10「平成17年第2回佐野市生涯学習推進協議会」において、この専門部会は解散し、起草委員会の審議に引き継がれた。 部 会 名 基本的な柱 1 推進基盤・支援体制部会 @ 各旧市町の優れている点を、細かなことまで洗いざらい出し合って、共有する。 A 市民が「私らしさ」を社会の中でよりよく咲かせるための展望を示す。 B 市民が学び、まちづくりの主人公になるために、行政は何ができるのかという展望を示す。 C 新佐野市のすべての部署が生涯学習推進のために効果的に役割を果たすための仕組みをつくる。 D 既存の人的・物的資源を生涯学習推進のために有効に活用する仕組みをつくる。 2 新佐野市まちづくり部会 @ 各旧市町の優れている活動を、細かなことまで洗いざらい出し合って、共有する。 A 地域のすみずみの諸活動を、生涯学習及びまちづくり活動と結び付けて整理し、体系化する。 B 「あなた任せ」の市民がいなくなる市民主体の「まちづくり活動」の枠組みを示す。 C 「知らん顔」の部署がまったくなくなる「生涯学習支援」によるまちづくりの道筋を示す。 D 「『まちづくり活動』が、市民一人一人の『自分づくり』と『地球や人類の未来を守ること』につながる」ということをわが国全体にアピールする。 3 異世代の共生と参画部会 @ 各旧市町の優れている活動や施策を、細かなことまで洗いざらい出し合って、共有する。 A とくに、青少年の社会参加、成人の自分探しや社会貢献、異世代交流等については、実現可能な具体的方策を示す。 B 生涯学習推進のために、学校教育とより一層有機的に連携するための方策を示す。 C 子育て支援と家庭教育の充実のため、地域全体の子育て、青少年育成機能を活性化するための方策を示す。 D 生涯学習推進がわが国の少子高齢化ダメージの縮小につながるということをわが国に全体にアピールする。 4 わがまち発見交流部会 @ 各旧市町の人材、文化、自然、施設、設備等の「宝物」を、細かなことまで洗いざらい出し合って、共有する。 A 青少年の参画も得て、新佐野市「地域の宝物マップ」を作成・配布し、協議会の活動の成果が市民全体に共有されるようにする。 B 多地域の多様な活動が、地域ごとにますます発展するように努めるとともに、テーマごとに旧市町の枠を越えてつながり、交流できる仕組みをつくる。 C 当部会で進行中の研究の成果は、当部会の判断および他部会の要請により、随時、他部会に報告し、全体の協議研究成果のまとめに生かすようにする。 D 発見された「宝物」を全国にアピールすることによって、よその地域の人々にもっと訪れてもらえるようにする。 [資料3]中間答申の構成  資料1及び2に示した審議の結果、中間答申の構成は最終的には次に示す構成に基づく中間答申が起草された。 資料3-1 中間答申全体の構成 見出し 頁 T はじめに 1 本中間答申までの経緯 1 2 本中間答申の背景 1 U 中間答申の趣旨 1 中間答申の趣旨 5 2 専門部会の構成と検討の基本的な柱 7 3 答申の構成 8 V 中間答申 1 まちづくりへの参画 9 (1)郷土愛をはぐくみ、ふるさとを守るために 9 (2)田中正造などの郷土の偉人の整理と提示 9 (3)少子高齢社会の問題解決 10 (4)男女共同参画によるまちづくり活動 11 (5)河川、山林、農地等に関する学びと山村振興活動 12 (6)家庭・地域に支えられる「中心市街地活性化」 14 2 子育てのまちづくり (1)支え合う仲間との活動の重要性 15 (2)家庭教育の回復と親学習プログラムの開発 16 (3)子どもや若者の居場所をつくろう 17 (4)地域子育て宝物マップづくり 18 3 幅広い生涯学習活動の活性化 18 (1)趣味・教養分野の市民研究成果の社会還元と  大学による支援 18 (2)健康づくりと仲間づくり 19 W わたしたちからの呼びかけ 1 市民の仲間たちへ 21 2 佐野市行政へ 21 3 生涯学習推進構想への提言 21 −資料編− 【活動事例】 (1)鐙塚宮比講神楽の伝承 23 (2)地域女性会の活動と課題 23 (3)子ども会を通した青少年健全育成の活動 24 (4)葛生における「原人祭り」等の地域おこしの活動 25 (5)老人クラブによる三世代交流事業  「グラウンドゴルフ」の活動 27 (6)市民による「佐野市まちづくり研究会」の活動 28 (7)不登校、ひきこもりなどの子どもの  居場所づくりの活動 29 【関連事業】 (1)青年が参画する佐野市青年団体活動促進事業  (ちゃいるどりーむ) 31 (2)子どもの居場所づくり事業 31 (3)親学習プログラムを活用した家庭教育支援事業 32 (4)地域の子育て支援者として活動する  家庭教育オピニオンリーダーの養成 33 (5)協働による生涯学習の推進活動「楽習出前講座」 33 (6)自然体験活動の活性化と  インタージェネレーションによるまちづくり 34 (7)社会体育の基本方針  「総合型地域スポーツクラブの育成」 35 【参考資料】 36 (1)平成17年度「市政に関するアンケート調査結果」  から 36 (2)「こどもの街宣言」(旧佐野市)(平成5年) 40 (3)「佐野市協働のまちづくり推進会議」報告から 41 (4)専門部会C「わがまち発見交流部会」の作業結果 42 (5)地域立脚型から地域一体型を目指す大学  ・短期大学の役割 43 (6)「まちづくり」を通した住民参画の先進地事例  −「福祉でまちづくり」の愛知県高浜市と「有償ボランティアによる市民力でまちづくり」の埼玉県志木市の事例から 44 (7)市民会議を中心とした生涯学習の推進  −埼玉県所沢市の事例から− 48 資料3-2 中間答申本体部分のキーワード 基本理念 : 私らしさ このまちに 咲かせます 番号 項目 キーワード 1-1    まちづくりへの参画 郷土愛 ふるさと 再発見 合併後の地域間 相互理解 1-2 郷土の 偉人 ボランテ ィアの心 社会正義と参画 活動 1-3 少子高齢 社会 青少年の 社会参画 世代を超えた 合意形成 1-4 男女共同 参画 市民参画 と協働 支持的風土の 仲間づくり 1-5 山村振興 環境学習 持続可能 な開発 地域の特色を生 かした観光開発 1-6 中心市街 地活性化 土と風 家庭・地域に支 えられる商店街 「開かれた心」による学習と実践の往復運動 2-1    子育てのまちづくり 支え合う 仲間 親同士の 交流 (PTA、 育成会) 「あなた任せ」 から「子育てま ちづくりへの参 画」へ 2-2 親学習プ ログラム 参加型 学習 達成目標の設定 と明示 2-3 家庭教育 の回復 親子の交 流、共有、 感動、絆 勤労観の醸成 2-4 青少年の 居場所 自立 ・巣立ち 自己の存在を認 める他者・社会 2-5 宝物マッ プづくり 地域の子 育て資源 子どもや親の 「心の居場所」 親も子も若者も、支え合う仲間と出会って参画する 3-1 活動の活性化 幅広い生涯学習 趣味・教 養の学習 大学によ る支援 多数派 生涯学習 ボランテ ィア活動 市民研究者の 成果公開 市民研究者への 大学の支援 3-2 健康と仲 間づくり 心の交流 コミュニティの 連帯感 個人的行為としての生涯学習からまちづくりへ [資料4]関連発言の内容 回No 委員 発言内容と社会化促進要因(注) 0301 13-1 子どもとふるさとづくり、子どもとまちづくりという観点からの働きかけが必要。今までの基本構想の中にも、学校や地域、まちづくり、町会を通じての働きかけがあったが、はたしてどこまで具現化できているか。 E 0302 12-1 佐野市は合併により自然豊かな広大な地域となったことで、生涯学習の考え方も変わっていくと思う。子どもたちを主役としたふるさとづくりなど、合併という新しい情勢に答えた生涯学習活動も良いと思う。 F 0501 18-1 「こどもの街」ということは、豊かな大人の街でもある。 E 0502 18-2 子育ての段階では、それぞれの段階で必要なことがある。わからないから学校に行く、わからないから同じ仲間と意見交換するということが大事。 G、C 0503 06-1 話さない子どもは、大人が子どもに話しかけなかった。コミュニケーションがない。 0504 06-2 最近、幼稚園児からどこの幼稚園に通わせようか、教育熱心なお母さんがいる。有名な遠い所に通う。親も子どもも地域との交流がまったくなくなっている。小さい時から地域との交流がないと難しい。 E 0505 18-3 昔の人は親の姿をみじかに見られた。今は、離れてすぎていて親の存在感じられない。働くところを見学し、感じることは非常に重要。 D 0506 06-3 共有するものがない。感動することがない。ばらばら。親子で共有するものがあるといい。 0507 19-1 社会を形成しているのは家庭。家庭が集まって町内、町内が集まって、佐野ができている。1つの単位ごとに家庭教育を。 H 0508 18-4 子どもの街推進のための生涯学習としての取り組みを入れていけば、異世代の共生と参画につながるのではないか。子どもを大事にすれば、いずれ子どもは大人になり高齢者も大事にすることにつながる。立派な自立した社会人を育てるために「こどもの街宣言」の精神を入れてほしい。 0509 19-2 「こどもの街宣言」を続けることは、時代を担う21世紀、次々、継続的に担っていく、そして、成長した人が発展させていく、また、次に期待を込めて発展させるための土台作りをしていく。 0510 19-3 地域の子どもたちを育てていくとするならば、それは町内で行うべき。昔は町内にガキ大将がいて、親分がいて、子どもたちのなかにルールができていた。 E 0511 18-5 市民像の実現に向けたすべての活動は、市民参加の生涯学習。大人が子どもの成長にかかわる街・互いの幸せづくりにかかわる街。 E 0512 18-6 育成会の役割は、子どもを育てる地域の活動が中心、市子連活動は情報交換の場である。地域の交流の場づくりへの子どもの参加の配慮を。子どもの居場所づくり、子どもの安全保持活動。「大人のすごさ」を見せる場づくりを。 E、A、D 0513 18-7 遊びの質は、大人たちが環境配慮をしていかないと確保できない。「こどもの街宣言」を推進していけば、豊かな子どもを育てる。豊かな子どもを育てることは自立した大人を育てることと同じである。幼児期から親と子ども、親と地域との交流がなくなる。自分自身だけの考えで行動している。人とのかかわりが希薄になり、事件につながる要素がある。昔は、バランスがよかった。自然とかかわり人とかかわり、だから空き地があるといい。子どもの群れる場所があるといい。 E 0701 02-1 生涯学習というのは、産まれてから死ぬまでの学習だが、学齢期はどこかがやっている、中高年になると生涯学習は非常に盛んである。一番抜けているのが、子どもにしつけをする年代、学齢を終えたばかりの年代である。母親になったばかりの女性は、本当に学ぶ気にならないと学べないし、その時間もない。そういった人たちにしつけを、ただほったらかして委ねて良いのか。そうではないと思う。子どもが小学校に入る頃になると、PTAとか、母親学級とか学習の機会は結構ある。では、学齢に達するまでの若い親をどのように生涯学習に取り込んでいくのか。非常に大事な課題と思っている。子育てで忙しいなかにあって家庭に閉じこもりがちの方をどうするか。 G 0702 02-2 旧佐野市では、学習を楽習にした。学ぶことは楽しいということを実感できる生涯学習であってほしい、まず自分が楽しみ、それが佐野市の社会づくりへとつながっていくというのが旧佐野市のコンセプト。楽しくなければならない。その楽しみと「ハート」“愛”を入れたい。しつけというと、押さえつけて教えていくようだが、そうでなく、自分で学んでいく中にさらに「愛」を入れていく、今度の生涯学習の計画の中に位置付けられないだろうか。 0703 02-3 小学校に入った孫がいるが、それをきっかけに、世の中の子どもと、小さい子を持つお母さんに目がいくようになった。お母さんは、携帯をやって、1歳くらいの子がよちよち後をついてくる。昔の母親は必ず手をつないだ。今の母親は片方は荷物、片方は携帯のメールで手をつながない。それで子どもが遅れると、早く来いと手を上げる。しつけといって抑えつけるよりも、子どもには愛情が必要。親が抱きしめれば、その暖かさから何かを学ぶ。その中でしつけが必要なときはそうすれば良い。子どもが小学校に上がるまでの学習機会が少ないと前述したが、その間こそ、家族愛とか子どもへの愛情が大切。愛を含めた学習を楽しむことを、まちとして何ができるか。若い方に是非考えてほしい。 H、E 0704 08-1 今の若者を見ていて、しつけの崩壊が1番の問題になっていると感じる。若いお父さん・お母さんが家庭でしつけができない、学校の中でもしつけができない、ではどこでしつけを行えば良いのかという問題がある。若い親にしつけを教える場所もない。核家族化が進み、しつけを学ぶおじいちゃん、おばあちゃんの存在もいない。今後ますますしつけがなくなり、私らしさを取り違えると、自由奔放に何でもしていいということとなる。私らしさというのは、しつけをきちんと受けたなかで、個性を磨いていくというものが良いと思う。子どもにしつけることはもちろんだが、しつけをする若い親にしつけ方を教えるといった、世代に応じたしつけが、まちの中で必要になってくるのではないか。このような取り組みは、個人レベルではなかなか構築できないので、まちぐるみで構築する必要がある。 H、E 0705 14-1 旧佐野市においても、コミュニケーション・しつけの問題は情報発信をしていたが、飛びついて来ない。忙しい年代、仕事が忙しくて、休みがない、プラスアルファの勉強・活動ができない。決してやっていなかった訳ではなく、どうやって母親も含めて参加してもらえるかが問題。 0706 14-2 子どもの教育の基本は、家庭と学校。怖いけどやさしい親・おじいちゃんがいなくなった。昔の家族・学校制度の方が良かったが、今の世の中にあった形で親に受け入れてもらえるようにしたら良いのでは。 G、H 0707 08-2 1歳と4歳の子ども抱えているが、妻が地元の人間ではない、周りをみるとそういった方は結構いるが、地元のコミュニティに参加しづらいという問題がある。青年会議所で親業を学ぶ機会もあり、こういったものが広がっていけば、しつけるというだけでなく、本当のコミュニケーションの取り方といったような形から考えると入りやすいのではと思う。 E 0708 03-1 身近な公民館を中心として展開していきたい。子どもを面倒みてくれる人の存在が必要。または、保育園・幼稚園などに子どもが行っている間にお母さん同士集まってみるとか。 G 0709 03-2 会沢地区のコミュニティセンターには常に誰かいると聞いた。子どもの居場所づくりを始めた。交代で地区の方が詰めているようだ。 A 0901 07-1 先日の中学生の集まりのこと。中学生全員(10人)「私、住んでいるところが好き」「自然がなくなるのはいや」と言っていた。「この自然のままで、多くの情報が来ればいい」。「都会には住みたくない」。中学生同士で交流の場がないから、意見を言う場がない。以前あった中学生サミット。一日ではなくて続けてやればもっといろいろな意見が出たのではないか。子どもたちもこれからもやりたいと言っていた。「参加」ではなく「参画」。 C 0902 15-1 子どもたちは働きたいと思っている。昔は子どもは手伝いや仕事をよくしていたが、働いていたのではなく遊びの一種としてやっていた。高校生のアルバイトは、学業専念の考えから好ましくないという考えが主流だったが、容認に変化している。社会でなければ学べないこともある。お金をもらうがゆえに我慢しなければならないことがある。 D 1001 16-1 愛知県高浜市は、中高生が中心になって自分たちで子どものまち条例を作っている。子どものまち宣言も、子どもたちが中心になって考えなければいけないと思う。しつけの問題でも、ヨーロッパ等では地下鉄にお年寄りが乗ってくると、子どもたちが黙っていても席を譲る。しつけを、家庭・地域・職場でやっているか、日本では疑問。戦後の民主主義は良い面もあったが、確実なしつけをしてこなかった。 H、D 1002 16-2 民主主義は、基本的に必ず責任を伴う。そういったことを、戦後教育ではあまり教えてこなかったことが、自分が自由にやればいいという環境を引き起こしている。そこを、地域ぐるみ、まちぐるみでしつけを考えることは大切であり、その際、核になるのは家庭であろう。 E、H 1003 11-1 子どもというのは、叱らなければ人間にならない。どうやって叱ってあげるかが問題。「叱られて、叱られて、ぎゅっと抱きしめられることが子どもの真の幸せ」と言っている宣言は、決して甘やかすような表現はない。世間の大人たちも、わが子のことを真剣に考えているかいないかわからない親が多い中で、ましてや他人のことなんかどうでもいいやっていうのが現実ですから。 H 1201 07-2 子どもたちの意見を取り入れる学校経営があってほしいし、それをやってみようという先生方であってほしい。お互いに意見を言った、入れてくれた、じゃあなんとかしよう、そこから信頼関係が生まれる。よく言われる学校の図書館が、従来型のではなくてごろっと横になれて読める机なんかいらない図書館であってほしい。我々の目から思うですけど、やはりいつも暗いよう図書館です。子どもたちが学校の中でどうしてほしいかと意見を聞く場、児童会とか何か、小学校の内から自分の学校をどうしたら良いのか、愛校心を育てるにはそれかな。空き教室に物置のように物を置く。いけないですよね。第三者が行くと目につく。言っていいのか悪いのか思いながら、一から十までとはいわないけれど、そのようなものの聞く場、それも専門職ではないですが、聞いてくれる職員、窓口を設けてほしい。やはり生涯学習なんかに係わっていたりすると、異動があって、退職するまでに全部の課を回れるから、非常に職員にとってはいいが、自分が生かせる場で職員が働くことによって、それが市民に還元される。義務的に異動するのではなく、適材適所で職員を配置していただきたい。 B、G 1202 16-3 高浜市の場合、小学4年生から中学生中心で、「子ども白書」というのを作ったのですよ。先進的に子どもが中心になって、自分たちが考えるまちづくりはこうだよって。ことばづかいだけは調整して、子どもたちが言ったもの、その声をまちづくりにするような「子ども白書」を作っている。佐野も、市役所の職員、大人の目線だと、杓子定規に考えちゃう、公園など全部同じようなワンセット主義でね。子どもは場所によって、ここは野球をやりたいから他の施設・遊具はいらない。この遊び場には、どういうものが似合っているかどうか、子どもの目線のほうが確かだ。自分たちが遊ぶ当事者だから、そういうものは子どもの意見を直接聞いたほうが、本当に子どもが喜ぶようなものができる。 B 1203 01-1 今の若い子は何で子ども産まないのって、もう親の責任じゃないけど、「社会情勢が悪いから生まない」とか、「今の自分たちの生活が楽しいから生まないんだ」とか、いろんな人が言いますが、私は、自分たちの心の貧しさがそういうことを物語ってくるのかなと感じています。 H 1204 01-2 市の生涯学習の基本の中に、こういうプログラムが組まれているとすると、例えば公民館活動って言うんでしょうか、そういうところで提案して公共の施設の場所を広げていくということでしょうか。 G 1205 07-3 これから親になる中・高校生から親育てをしてもらう学習プログラムを提言すると、子どもたちが強くなる。そういった幅広い学習をしていくことによって、自分たちが親になった時に、何かできるのではないかって考えられるのではないか。親が育てられないなら、「親育て学習プログラム」を考えてワークショップなりを授業の一環の中に入れてもらう。 H、G 1206 07-4 今だからこそ、子育てを一生懸命やっていかないと、日本はダメになってしまうと思っています。家庭教育が本当に今ズタズタです。ですからその家庭教育をどのように勉強し直すか、ということから入っていっていただきたいと思っています。「こどもの街宣言」も、合併したからなくなるのではなく、あれは生かしてほしいと思っています。 H 1207 01-3 義務教育というと窮屈、嫌なことを押し付けられる感じですが、生涯学習は一生涯、生きている以上は何事も学習なんですという考え方かな。自分は何でもやってること全部そう思う。 1208 01-4 確固たるレールのようなものがなくとも、消防団活動、PTAの時にもそうでしたが、子どもを見つめたとき、わが子ばかりじゃなくて、それを通じての親の役目、どう活性化すべきか、そういう導き方をしながら、集団で楽しんでいくことが、地域を愛するというふうに変わっていくような気がします。私が原人まつりで全くその通りのことをやったつもりですけども、こういうことで、郷土愛の「ズタズタ」という言葉、なかなか使えない言葉ですけども。 C 1209 16-4 子育てに関しては、愛知県の高浜市はコンセプトがはっきりしていて、福祉でまちづくりをやっています。市長さんが「福祉特区」って言っています。その中で「子育てのまちづくり」というのを謳っている。日本のまちづくりで一番先進的な所だと思いますね。階層別にいろんなまちづくりの施策が作られてあり、例えばまだ小学校に行ってない子どもの場合は、かつて保育園の先生や、幼稚園の先生をやられた方が、有償ボランティアみたいな形で各地区3、4人にいます。お母さん方が子育てに悩んでいる場合、自分と子どもの弁当を持って、9時時頃から午後3時頃まで一緒に過ごすことによって、そういう人たちの面倒をみて、子育て支援をやってるんです。小学校、学童関係ですと、学童保育というのがありますが、各地区に「子ども館」というのがあって、そこに行くとリタイアされた高齢者が、夏休みだったらば夏休みの宿題をみてあげたり、いろんな遊びを教えてあげたりとか、各年代に分かれた形での子育てプログラムが、全部できています。 G 1210 15-2 最近の子どもは、15歳位で、「昔は」という言葉を使う。子どもは人生を長く感じている。そういう世の中に自分たちは生まれていることを、言葉ではなく感覚で肌で感じている。彼らが友情は大切だとか、友達がいて有難かったとか言いますが、社会人になっていろいろ揉まれてから、少なくとも30歳過ぎて、友達が大切だと思うのならわかるんだけども、もう15歳未満でこういうことを真剣に本当に考えてしまう。考えているけど友達としてそういう話はできない。だれがその話を聴いてくれるかというと、親では照れ臭くて言えない。昔は身近にいる先輩が話を聴いてくれたものですけど、先輩ですら自分のことで精一杯。じゃあ本当に聴いてくれるのは誰なのかという世論調査とかアンケートなんか取ると、本当の相談相手はいない。幸か不幸か僕の場合はうちに来ている生徒は個々にみんな話をしてくれるから、ある程度ストレス解消になっているかもしれない。僕のほうも自分の話をしているからストレス解消になっています。だから、居場所づくりが必要だなと感じますね。僕は自分の家を居場所にして、若者が何人か来ますけども、好きなこと喋っています。そういう場、昔は隣の家によく遊びに行ったものですけど、それができない世の中。僕の地区はちょっとおかしいのかも知れないけども、私の家が、その居場所として必要なんだと考えています。何らかの形を取っていきたい。そういう活動が僕が言っている普段の市民活動です。市民大学とか生涯教育の中で生かせていけたらいい。 A 1211 01-5 私たちの街は鉱山だから、昔名前があった山がどんどん削られて崩れてしまう。各地域の資源じゃないけども、今から15年ぐらい前から、子どもの目線でものを考えるという中に、これと同じ項目があったんですよ。いわゆる匠のおじさんはどれなのか、子どもからみてこのおじさんはすごいぞと。例えば普段の生活は厳しい生活をしていても、子どもからみるとこの人は宝物に見えたりする。 D 1212 07-5 旧佐野市では遊び場の冊子を作ってあります。それを全部探検して、遊び場マニュアルみたいのがあって。田沼も確か作っています。郷土芸能の伝承、太鼓、笛、そういったものが伝承されなくなってきている。今やっている地域は郷土芸能があるんですけど、だんだんそのなり手がいなくなって、廃れていってしまう。ついにはなくなってしまうのではないかと思うぐらいの状態にあります。小学校単位で色々、八木節や、オカリナとかはやっているんですが、郷土の芸能を伝承するスクールみたいなのを、作っていくのもひとつかなと思います。佐野に伝わるものでも何でも構わない。とにかく、昔ながらのものをなくさないように、次世代につなげていくことが大事。そこで連帯感が生まれて、郷土愛が生まれて、付随するものが色々出てきてつながっていくと思います。 D 1213 20-1 皆さんのおっしゃる通りで、今話題になっております「家庭の日」とか、そういうような活用もあるし、伝統芸能ですね、本当に大事にしなくちゃならない。 1301 16-5 高浜市の「子どもの権利部会」では中学生が中心になって子ども市民憲章を作っています。「たかはま子ども市民憲章」は中学生が中心になって作っています。これから高浜市の中心になっていくのは中学生である。これをはっきり謳っている。まちづくりに参加させている。 B 1302 07-6 居場所、いちばん子どもたち、親もほっとする、ああ、うちへ帰ってきてよかったという、あの居場所。居場所であるべき家庭が居場所ではなくなってきている子たちが多くなってきている。この現実を思うと、やはり家庭はどういうふうに夫婦で築いていくものなのかということを、しっかり今の子どもたちから考えてやっていかないと、これからの子どもたちが、今度、次世代の親になった時に何も考えられない。だから、基本が抜けていて居場所をつくりましょう、何しましょうではなくて、次の子たちのための家庭教育の実践プログラムとか、そういったものが答申の中に入ってきているという感じです。 A、H 1303 07-7 昔親が教えていたことを、道路の端っこに寄って停まってなさいとか、それから、回覧版を持っていきなさいとか、ありきたりになったものが、今は教えてられなくて、ちょっとそこを避けなさいよって言ったら、きれてブスッとやられちゃったとかね。そういったものを、私たちは家庭教育の中で教わった。だけど今の人たちには教えられていない子が今は目に付く。そういうものの、それが地域社会に生きるための術ですよね、端っこによるとか、ご近所さんと仲良くするとか、そういったものが全部含まれてた家庭という社会の中でね、それができてたものが今そうではなくて、みんなよそ様に目が行って、教育はみんな学校にお任せして、みんな学習塾にお任せしてっていうものになってきている。 H、E 1304 16-6 高浜市の子育て、子育ち政策への住民参画の取組み。ここに住民を参画させていまして、子どもの出生率もここはあがっている地区です。なぜいうと、ここは子育てが非常にしやすい。1歳、2、3歳とか階級保育ではなくて、家庭保育、グループ保育活動が中心で、かつて幼稚園、保育園の先生だった人とかを、有償ボランティアみたいな形でやっている、その地区ごとにそのお母さんたちも弁当をもってそこに行くとそこで面倒をみてくれる。子どもを一人でなく2人3人と産む。非常に子育てがしやすい仕組みを作っている。 1305 07-8 佐野地区子連としては、地区10町内の単位の子ども会の、佐野地区としてやっているものが3つあります。単位子ども会として各町内でやっているものも、事業はたくさんあります。特徴的なものがたくさんありますけど、子どもたちは80〜90%、ほとんど全員参加です。それがやらされているとか、出なくちゃいけないというものではないのですけど、自然に、子どもたちが親と一緒に活動していくというものが定着しているものですから。佐野小学校の中で通学している1〜6年生までの子どもたちの中で、全員が一緒に何かをやるというものが地区子連の事業なのです。ぐにゃぐにゃたこのデザインコンテストだとか、キャンプファイヤーとか、かるた取りとかがそれに入ります。これが30年近くやっています。他の地区がやっているものもありますが、佐野地区としてはこれがずっと途切れることなくやってきているものです。私で会長は4代目ですが、前の会長さんたちは一生懸命やってきたものを受け継いで、今私が6年継続しています。町内には子ども会長と育成会長がいます。その人たちと会議をしながら、事業を展開しているのがこの子ども会です。最後のほうに書きましたが、このような新聞を出しています。年に2回ですけど。1号目からやっていくと、手書きのガリ板刷りから始まったという歴史があります。ここに登場している子どもたちが、当時こうだったなということがわかりますので、歴史の良さ、代々受け継がれてきた伝統というものの中で、子ども会がずっと発展してきたということを訴えたいです。子ども会が果たす役割というのが大変大きくて、大きくなった子たちがこれに遊びに来たり、今30代、ちょうど小学校に上がった子どもたちの親が、「私もこれをやっていたんです。あの当時はこうでしたよね」とか話しかけてくる。それの繰り返しが、重みを感じるのです。これはなくしてはいけないものだのだなぁと。今全国ネットで子ども会が衰退しているという話は聞きますけど、私はこれをずっと続けていきたいと思っています。 E 1306 18-8 学校で子どもの居場所づくり、今は国の事業となっていますが、その前に犬伏東の子どもを育てる会というのがあって、結局子どもの安全な場所がない、安全な場所がないと子どもは育たないと思っています。放課後の件、ここずっと10年くらい考えていることですが、やはり子どもが活動する場所、その確保は大人の最低の義務だと考えています。そんなことを考えていたものですから、4年前佐野市で不審者の情報があった時にこれは地域で守らなくてはだめだということで、町会長や関係者を呼んで状況を説明して、安全確保を図ろうと、安全確保だけではつまらない、マイナスのイメージの活動になるものですからそれ同時に、能動的に子どもを育てていく、そういう中から守っていくということから始めていいと思って、遊び場所を確保しませんか、何とか地区ごとにどこか一箇所くらいあるでしょうということで、2地区出てきて、たまたま国の居場所づくり予算が来たものですから、これ幸いと始めたものです。実際活動をやって、面白い例ですが、さわやか指導員の若い子が来ていたので、ちょっとバスケットをやってみないかとバスケットを月1回その子に頼んだら、仲間を連れてきて子どもと遊んでくれる。肩車をしてくれる、じゃれ付く、活動になって、最近は中学2年生になって、「来ていい先生?」と。「あたりまえじゃない」と答える。だんだん先ほどの「好循環」になりつつあります。これが例えば小学校単位で一つずつできれば28箇所できるではないか、2箇所ならば56箇所、それがやっていけば子育ての面で誰もが子育てに参加できる。ましてや遊びの中から学ぶことができるのではということです。 A、B 1307 15-3 さっき小学校単位にして考えた地区子ども会、もちろん必要ですけども、外側から眺めてみると、参加している子どもたちというのは一体何割いるかというと、僕がみるにそんなに多くは感じない。夏祭りとか秋祭りとかに子どもたちが行けば、なんとなく多くの人に触れ合う機会を持っていることになります。そういうことも必要でしょうけれど、大人とふれあい、じいちゃんとふれあい、ばあちゃんとふれあい、近所の子どもたち・仲間とふれあう機会・話す機会、腹・頭の中にあるもの、考えているものをしゃべりたいというか。私の居場所の子どもたちは、私がついていけないくらいおしゃべりが多くて、鬱積して溜まっているものが多いんだなとつくづく感じます。そういう意味で、居場所は何らかの形で作る必要があるだろうと思う。実際は、栃木県の会議では、このような居場所はこの数年の間に3倍に増えてきました。簡単に言えば、自分の家を開放しただけですよ。これも必要なのでしょう。一時的なものにしかならない場合もある。条件が整わないとできない。賑やかになっちゃいますから近所迷惑になることもある。しかし、それはそれで良い所もある。条件環境を整えるとなると、本当はコミュニティセンターや学校の一部を開放するとか、公民館とかが望ましい。でも、大体、公民館は子どもたちで借りるなんて見たことがない。責任者がもちろん必要でしょうけど、責任者がいてそこに集まる子どもたちが何かをする。趣味のものでもいいです。スポーツ、スポーツとよく言われますけど、スポーツのできない子もいるわけですから。そういう子たちは折り紙でもいい。漫画を読む機会でもいい。今流行りのDVDでもいい。そういうものをみんなで観る機会、小映画館みたいなスペースを作ったりということも考えられるんじゃないか。 A、G 1308 18-9 どなたが考えても居場所は同じ。みんな同じなのです。基本的には、一緒にやる経験。例えば、まず、子どもの世界は命令されてやるものではないじゃないですか。今親がしゃべり過ぎだし、過保護の世代・家庭・本人というのがあるけれど、いかに問題が多岐にわたるのかがよくわかる。基本的にはしつけはすべきですね。でも、あとは自由にするべきことがなければ子どもはわからない。コントロールしすぎたら子どもは叱られるように育つ。僕は基本的には、子どもが安全で、テレビゲームとかじゃなくて、人と関われる場所が必要なんです。そして今までのように感情のやりとりの中で、これやろう、あれやろう、ダメだよ、みたいな経験があって、やっぱり一緒にいると楽しい、何かのときは助けてくれるとか、虫にかまれたら大丈夫と心配してくれる。つまりは人間同士なんだという、原初的体験が今できていない。みんなバーチャルな世界だから。それから人との言葉のやりとりを面倒くさがったりしますので。まずは、その場の確保。ある意味それだけでもいい。余り活動を作っちゃうと、「やれ」というと逆に窮屈になってしまう。 A、C 注 社会化促進要因の種類=A居場所、B参画、C仲間づくり、D文化や労働の伝承、E地域の教育力、F自然の教育力、G教育機関の教育力、H家庭の教育力 [資料5]「こどもの街宣言」(旧佐野市)(1993年) 城山の桜のように明るく  出流原の泉のように清く 三毳山の小楢のようにみずみずしく 唐沢山の松のように雄々しく  秋山川の流れのように 尽きることなく こどもは伸びる こどもは 佐野の宝 水と緑と万葉のまち佐野市は このこどもたちの未来を力強く支え見守ります  こどものまちをつくろう  本当の意味で こども愛するまちをつくろう 本気で こどものことを考える大人のいるまち  毎日 こどものことを話題にするまち 遊んでいるこどもにひと声かけてくれる大人  声かけられたら はい と素直にきけるこどものいるまち 叱られて 叱られて ぐっと抱きしめられることが こどもの真の幸せってことがわかる大人と こどものいるまち 人に親切 人の傷みをわかりあえるまち こどもは毎日伸びている  抑えるのでなく 伸ばす指導の出来るまち 苦しみ・悩みのある人に  温かい手をそっとさしのべる勇気を出せるまち 誰か 市民が 立派なことをやったとき  共に喜びあえるまち 受けた恩に 報いる気持ちを育てるまち   先人の業績をしのび 祖先に感謝するまち 自然を愛し 美しいまま  次世代にわたせるように心掛ける人の住むまち きょうの努力が やがて報われるまち  将来の夢を 一緒に語りあえるまち こんなまちを つくりたい  それは 日本一のこどもの街 佐野市です あすの佐野市を担い支えるこどもを 親が 家庭が 学校が 地域が 社会が 見守り育て 大切にする   日本一の「こどもの街」を宣言します。 [資料6]青少年と親の社会化に関わる中間答申起草結果 1 少子高齢社会の問題解決 1−01 わが国は、現在、少子高齢社会の問題に直面している。この点について、若手労働力人口の減少がおもに問題にされているが、私たちは、まちづくりの観点から、それとは別の次の三つの「社会問題」について指摘しておきたい。 1−02 第一に、若い世代とそれより上の世代との間に利害対立の問題がある。これが世界的にも問題になりつつあり、異世代間交流(インタージェネレーション)の重要性が叫ばれている。この問題をどうするか。佐野市では、どのような手法で、世代を越えた合意形成をしていくのか。 1−03 この点については、私たちは、まちづくりについて、世代を越えた参画の中での合意形成が重要になると考えた。たとえば、子どもから高齢者までが、地域の公園づくり計画に参加する。高齢者が「子どもが遊んでいてうるさい」と言い、若いお母さんが「年寄りがゲートボールをしていて邪魔」などと言って互いにいがみ合うのではなく、互いに納得して受け入れることのできる公園づくりを行う。このことによって世代間の利害対立を乗り越える可能性が生まれると考えられる。 B 1−04 第二に、子育て支援のあり方の問題がある。出生率向上のための出産補助金等の諸施策は悪いことではない。しかし、まちづくりへの市民参画推進の観点から言えば、これがもし、若い親たちの子育てのための主体的な意欲と能力を損ない、行政や関連専門機関等への「あなた任せ」的な態度を助長する結果に陥るとしたら、これは重大な社会的損失と言わざるをえない。 1−05 この点については、親が支援される立場だけでなく、自分のできる範囲で、子育てしやすいまち、子育てしていて楽しいまちにするために力を合わせることが重要である。たとえば、PTAや保育園の保護者会など、全国的にはかなり弱体化し、親の関心が薄くなってきている。わが子のことだけで頭がいっぱいになっている。わが子のことをよく見るということは大事なことではあるが、今回の答申では、それがさらに発展し、親たちが力を合わせて「子育てのまちづくり」に参画する方向を提案したい。 B 1−06 その場合でも、子どもの参画によって、子どもたち自身の意見も聞きながら「子育てのまちづくり」を進めていくことが重要である。「子育てのまちづくり」については、次章で改めて提言したい。 B 1−07 第三に、若者の社会意識の問題がある。出生率を高めるだけでは少子高齢社会の本質的な問題解決にはつながらない。社会的意識、社会的責任感など、社会の側から見た若い世代の質の高さが問われるのである。しかし、現実には、1990年代にすでに「仲間以外はみな風景」という若者の特徴が指摘されている。いつも一緒にいる数人の仲間だけが重要であり、それに一生懸命協調したり同化したりしようとする割には、ややもすると、社会どころか、仲間以外の他者に対してさえ無関心という傾向が見られる。 1−08 労働力人口の減少の問題だけならば、外国人労働者の受け入れ拡大などで、ある程度は解決できるかもしれない。しかし、次代の社会を支えるべきわが国の若者が、その社会に関心がないという状態が続くとすれば、これはわが国の少子高齢社会の致命的問題になりかねない。若い世代の人口比率だけが問題なのではなく、彼らがどのように社会に関心をもち、責任をもち、支えようとしてくれるのかということこそが重要といえる。 1−09 この点については、現代の若者たちの一人一人に適した形での「まちづくり活動」を開発し、その活動への参画を促進するようにしたい。そこで、社会貢献、社会参画の楽しさと、自己を社会的にうまく位置付けることができた場合の自己充実の喜びを感じさせたい。これは、少子高齢社会における抜本的な問題解決策の一つと言ってもよいだろう。 B 2 家庭・地域に支えられる「中心市街地活性化」(抜粋) 2−04 その今までの結論は、「家庭・地域に支えられる商店街」である。親が子に、地域の店で買うことを教えることによって、地域の人々が支え合う姿勢を伝える。さらには、地域の人々が消費者として、地域の店で購買行動をするというだけでなく、参画の観点からいえば、生産や流通、地域規模の商品開発にまで関わって意見を述べたり、参加・協力したりする。 E 2−05 アウトレットのような劇的な商業施設をまねようとすることよりも、私たちは、このように「家庭・地域に支えられる商店街」を目指すことのほうが、「佐野市らしい商店街振興」だと考える。そして、アウトレットとはむしろ有機的な連携を図り、アウトレットに来たお客様を、「家庭・地域に支えられる商店街」に誘導して、アウトレットの魅力とともに、佐野のまちづくりの良さを味わってもらうようにしたい。 E 3 支え合う仲間との活動の重要性 3−01 現在、少子化が進む中で、多くの若い親たちは周りや地域に支えてくれる人もいないままに、メディアや本などから得た知識を頼りに、「子ども・子育て商品」を受動的に受け取りながら子育てをしている。そのため、親の主体的、自発的な子育て意欲も萎え、子どもはその影響をまともに受けてしまっている。このままでは、少子化によるわが国のダメージは計り知れないものになる。 3−02 わが国においては、多くの親たちの子育てに関する関心事はわが子のことだけであり、そのほかのことは専門家任せ、ましてや「子育てまちづくり」などはほとんど「あなた任せ」の現状であるといえよう。しかし、「わが子の問題」が生ずると、その問題解決のための子育て学習が行われる。当初の学習は、メディアや本などからの知識を受動的に受け取る「個人学習」が中心になるだろう。その学習が効果的に行われた場合、対症療法的な問題解決方法の発見にとどまらずに、自分の子育て行動に対する気付き、さらには、自分自身や家族関係に対する気付きに発展する可能性がある。そのとき、親の会や地域社会における「仲間」との出会いを得た場合、実践的な「集団学習」が効果的に展開される可能性がある。この学習が、親の子育てまちづくりへの参画のための意欲と能力を高めることが期待できる。 C 3−03 このように想定した過程を「親学習の発展過程」として図2に示した(略)。もちろん、この過程は一方向的なものではなく、循環して発展していくことが予想される。 3−04 この想定における、「わが子」のことから出発して「あなた任せ」にしない「子育てまちづくりへの参画」に至る過程は、自己の充実のための生涯学習が、まちづくりへの参画という実践との往復運動によって発展する過程と一致するものといえよう。 B 3−05 そして、ここでも重要な要素となっているのが「仲間づくり」である。PTA、保護者会、子ども会を通した親同士の交流、さらには町会などの地域のまちづくり団体の参加、協力を得て、「あなた任せ」から脱却して、支え合う仲間を持つことが重要である。特に若い母親が、核家族化した家にわが子だけと引きこもり、「公園デビュー」におののかなければならない状況を考えると、その意義は大きいと言えよう。 C 3−06 そして、子育て支援のあり方を社会的視点からとらえた場合、PTA、保護者会、子ども会、町会などの活動を通した「子育てまちづくりへの参画」のもう一つの大きな意義が浮かび上がってくる。それは、出産補助金、駅前保育園などの福祉的施策により「支援される」だけの対象であった親たちが、自らが仲間をつくって、自分たちのできる範囲で支え合い、実践的な学習を通してまちづくりに参画し、その「福祉」をつくりだす主体にもなるということである。 B、C 3−07 もちろん、少子高齢社会においては、出生率向上のためのさまざまな福祉的諸施策が今まで以上に必要であることはいうまでもない。しかし、子育て支援の目指すべきこととして、親たちが仲間づくりを通して互いの子育てを支え合い、地域もそれを支えること、さらには、生涯学習やまちづくり活動を通して「子育て環境の改善のための市民参画」を行うことを、もう一つの重要な支援方向として指摘しておきたい。 B、C、E 4 家庭教育の回復と親学習プログラムの開発 4−01 ここでは、「子育てのまちづくり」が目指すものとして、家庭教育の回復を挙げたい。親子の交流、共有、感動、絆、そして感謝の気持ち、このような大切なことが、今、失われつつあるのではないか。 H 4−02 先に、「ふるさと」は、「他国を排斥しない愛国心」、「自然への畏敬の念」、「宗派を問わない宗教心」、「自分を育ててくれた自然、地域、人々への感謝の念」、そして、「社会の中で生きる力」につながるための「始まり」として、個人にとって格段に重要な意味をもっていると述べた。同様に、「家庭」は、それらの「始まりの始まり」だと言える。これが現代社会のなかで「ズタズタにされる」危険性を私たちは感じている。 E 4−03 他者の痛みを感じる気持ちはどうか。人に迷惑をかけないようにするという規範意識はどうか。働くということを大切にするという態度はどうか。私たちは、このような点について、子どもたちだけでなく、今の家庭、今の大人自身のあり方に危機を感じる。私たち自身が、今の生き方を見直さなければならないと考える。 E、H 4−04 しかし、このような個人の範疇に属する事柄は、押し付けや強制によって解決すべきものではない。まさに、個人の自発的意思に基づく生涯学習の中で、一人一人が自律的に考えていくべきことである。ここに、親の不安や悩みに的確に応える親学習プログラムを提供することの重要な意義が示されている。 E、H 4−05 すでに栃木県では『親学習プログラム集』を作成、配布するなどの普及に努めている。佐野市でも、そのプログラム集に基づく指導者研修に家庭教育オピニオンリーダーを派遣し、市民への普及活動に努めている。 E、H 4−06 私たちは、その一層の普及・活用を期待するとともに、次の点について提言しておきたい。 4−07 第一に、先に述べた観点から、「わが子のこと」から出発して、PTA、保護者会、子ども会、町会などの仲間との活動を通して「子育てまちづくりへの参画」に発展できるような配慮をすることである。その点で、『親学習プログラム集』において、参加型学習の手法が多く取り入れられていることなどは、高い評価に値すると考える。 B、C 4−08 第二に、学習目標の設定と提示である。これは、到達目標の達成に対して、プログラム提供者側と学習者側が相互に責任をもつという態度によるものであり、「教育の視点」とも言うことができよう。「到達目標」や「教育」と言うと、一部には、押し付けや強制という誤解に基づく反発もあるかもしれない。 4−09 しかし、達成目標(できれば各回ごとの)を設定し、それを明示して学習者側の理解を求め、目的意識的な学習を促進することは、むしろ「学習者主体」の考え方に基づくものだと私たちは考える。「子育てまちづくり」を含めて「まちづくりへの参画」における学習は、問題解決のための市民の目的意識的な学習であり、学習プログラムにおいて、その課題を実現するための目標設定が明確であることは必須条件といえる。 B 4−10 私たち生涯学習推進協議会としては、親が必要と思っている親能力を構造化して、これを獲得能力目標の明示された親学習プログラムとして編成する手法を開発したい。このことによって、親学習プログラムの作成における親自身の参画が可能になると考えられる。 B、H 5 子どもや若者の居場所をつくろう 5−01 現在、多くの青少年が「自分らしさ」を大切に思い、「自分らしくいられる居場所」を必要と感じていると言える。そして、その居場所とは、まずは「自分の部屋」であったりする。しかし、その部屋を出たときに重要なのは数人の「仲間」である。「仲間以外はみな風景」という現象については、すでに述べた。しかし、その仲間同士の関係自体も、必ずしも「居場所」と言えるものではない。「みんな、みんな」と言って同調しているように見えて、じつは「ひとりぼっち」という孤独感を感じている、すなわち「みんなぼっち状態」であるという指摘もある。また、この点については、メディア環境の影響も検討する必要があるだろう。しかし、その場合、各メディアについて一概に是非を論ずることよりも、各メディアの適性に応じたコミュニケーションのあり方を検討することのほうが生産的と言えよう。 A 5−02 ただし、現在の青少年の交友関係やメディア利用の影響によって、「いろいろな人間関係を経験しておく」という体験が欠如したまま大人になるとすれば、これは決定的な問題と言わざるを得ない。 5−03 このような青少年に対して、まちづくりに参画する大人たちが、仲間づくりをして、互いの違いを認め合いながら、それぞれの「自分らしさ」を社会に発揮する姿を(青少年の居場所において)示すことは、重要な意義をもっている。PTA、保護者会等に関わる親たちはもちろん、それ以外のまちづくりに関わる市民も、わがまちの子どもや若者たちに目を向けてほしい。 A、B 5−04 ここでは、その代表的活動として、「子どもや若者の居場所づくり」を提言したい。それ(居場所)は、青少年も大人も、ともに参画する「まちづくり活動」の一環として位置付けられる。居場所を求める青少年にとって、まず大切な居場所の条件は、「あるがままの自分でいられる」、「無条件で歓迎される」ということである。 A、B 5−05 しかし、私たちは、それを大切にした上で、まちづくりに参画する自らの姿、そこでの多様な仲間関係の魅力、社会参画の手応えを伝えていきたい。そして、彼らを地域に囲い込もうとするのではなく、社会に羽ばたいていく巣立ちのための巣として、居場所を提供したい。「自分の部屋」のたんなる延長ではなく、最終的には自立して社会に出ていくための拠点として「居場所づくり」を位置付けたい。 A、E 5−06 このことは、青少年にとって、「同化を迫る他者や社会」という認識から、「自己の存在価値を認める他者や社会」という認識に転換する貴重な機会になるだろう。また、まちづくり活動にとって、青少年は旅人と同様の「新しい風」を吹き込んでくれる存在になってくれるであろう。 5−07 現代は、親、大人、中高年自身が、青少年と同じように「自分らしくいられる居場所」を求めている時代とも考えられる。今まで述べてきた「子育てのまちづくり」を含む「まちづくり」の観点からは、それらの願いに対する端的な解答は「仲間との参画」と言うことができるだろう。 A、B、C ------------------------------------------------------------------------------ *1 西村美東士『生涯学習か・く・ろ・ん−主体・情報・迷路を遊ぶ』,学文社,pp.198-202,1991.4. *2 2002年8月の国連・ヨハネスブルグ・サミットで、日本政府と日本のNGOが共同で「国連・持続可能な開発のための教育の10年(2005年〜2014年)」を提案し、同年12月、国連総会で採択・宣言された。ユネスコによれば、「持続可能な開発のための教育(ESD)」とは、次のとおりである。  地球温暖化や酸性雨などの「環境問題」、人権侵害や異文化間の衝突といった「社会的問題」、貧富格差をはじめとする「経済的な問題」など、わたしたちは互いに関連し合うさまざまな課題に直面し、現代社会はこのままでは持続不可能であることが明らかになっています。それらの課題を解決し、「世界中の人々や将来の世代までもが安心して暮らせる社会」を実現するには、わたしたち一人一人が、互いに協力し合いながら、さまざまな課題に力を合わせて取り組んでいくことが必要です。そうした未来へ向けた取組みに必要な力や考え方を人々が学び育んでいくことを指し、近年その必要性が強く叫ばれています。 *3  宮台真司『世紀末の作法』,リクルート社,1997.8. *4  西村美東士「学生の社会化支援の観点に立った『子育て支援』教育の研究−『連鎖的参画による子育てまちづくり」研究の一環として』,聖徳大学生涯学習研究所『生涯学習研究』4号, p.49,1996.3. *5 西村美東士「構造的理解に基づく子育て学習の支援のために−子育て支援学習における学生の社会的視野拡大の事例からの検討」,『日本生涯教育学会論集』27号,p.52,1996.7. *6  草野篤子他『インタージェネレーション−コミュニティを育てる世代間交流』,至文堂, 2004.7 *7  東京都青少年問題協議会「東京都における青少年健全育成のための行動計画策定にあたっての基本的考え方と施策の方向について−自立と参加のユースコミュニティを(答申)」,東京都,1984.1.