参画能力獲得から参画目標達成へ  〜青少年の社会化支援研究の視点から〜       聖徳大学生涯教育文化学科教授 西村美東士 一 パフォーマンスとメンテナンス  私は前年度の本誌で、狛プーの運営について「社会参画能力獲得目標の明示と目的化」を提言した。そこでは、「居場所づくり論」において「社会参画能力獲得目標」を明確に位置づけるよう提言すると同時に、次のようにも述べた。  ただし、今までの「明るく、楽しく、刺激的」という狛プーの特徴を失ってしまってはいけない。主体的な目標達成は基本的に楽しいことであり、従来の狛プーの活動プログラムを、参加動機の明確な、よりやる気の出るおもしろいものにするということはあっても、しかめ面をしたつまらないプログラムになるという結果にはつながらないはずである。  今回は、この考え方をさらに進め、「よりやる気の出るおもしろいものにする」ために、パフォーマンス重視の運営について提言したい。 パフォーマンス(課題達成)とメンテナンス(集団維持)という言葉がある。三隅ニ不二が、リーダーシップ論として「PM理論」(一九八四年)を打ち出したときに、この言葉が使われた。  「PM理論」を図に示すと次のとおりである。  狛プーは本来、後述するように、「癒しのサンマ」であり、「若者の居場所」の先駆けであった。その本質を失うことなく、しかもパフォーマンスを向上させて、「よりやる気の出るおもしろいものにする」ための提案をしたい。 二 「癒しのサンマ」のもつメンテナンス効果  サンマとは時間、空間、仲間(または人間)の3つのマ(間)のことで、本来は、子ども会関係者などが、子どもにとって「遊びのサンマ」が欠けていると提起したときの言葉である。今でも、子どもたちにとっては、与えられた課題をこなす時間の過密化による自由時間(時間)の不足、冒険できる場(空間)の不足、群れて遊ぶ友達(仲間)の不足が指摘できよう。しかし、青年や大人たちはどうだろうか。子どもたちと同様にサンマの不足にあえいでいるではないか。ゆっくりしたい、自分らしさを取り戻したい、本当の友達がほしい。そこで、私は現代人が求めているものを「癒しのサンマ」と呼ぶことにした。 サンマであるから、日常の家庭、学校、職場のすべての時間を癒しの時間に当てようというわけではない。せめて1週間に1回くらいはサンマがあって、「ああ、木曜が近づいてきたな」と思えるだけでも、その一週間を元気に暮らせるだろう。このようなことから、私は狛プーを「癒しのサンマ」と呼び、下図のように運営したいと考えた。  メンバー一人ひとりの自己成長の側面から、狛プーの特徴を表わすならば、次のようなことになるだろう。それは、「癒しと成長」あるいは「受容と変容」ということである。 競争社会におけるキャッチアップ型(追い付け、追い越せ)の教育は、学習者の成長・発達だけを重視してきた。しかし、本人が個人として生きているときの意味としては、癒し・安らぎという要素も重要なのである。生涯学習時代の社会からの援助は、これを重視して行なう必要がある。 癒しのときが訪れるのならば、そのつぎには自信にあふれた成長も期待できよう。社会的に認知されてこそ、他者から愛されてこそ、自己実現は成立するのだ。自己や他者の弱い部分や醜い部分をあるがままを受け入れる(受容)ことによって初めて、自己の現状の枠組みを自己嫌悪に陥らずに少しずつ改善する(変容)勇気をもつことができる。  開きたい心を安心して開くことのできる狛プーのサンマ(時間・空間・仲間)は、癒しと受容を創り出し、そのことによって、大きなメンテナンス効果を発揮してきたといえる。 三 「ネットワーク型集団」における仲間関係  「社会」から遠ざかっている今日の一部の若者たちにとって、「仲間以外はみな風景」という状況が指摘される。そういう状況では、充実した「自己」や「仲間」にはならないことは明白と言えよう。「つながり」を求めて仲間にぶら下がろうとしても、十分には安心できないだろうし、「つながり」の手応えも薄い。 狛プーの仲間関係が、このような仲間関係を越えるものであることは当然といえる。危うい「つながり」とは異なり、「癒しと成長」あるいは「受容と変容」を保障する「サンマ」だからである。 そして、狛プーの仲間関係のもう一つの重要な要素として、「ネットワーク型集団」であることを挙げたい。 ネットワーク型集団とは、ある目的のために個人同士がゆるやかにつながり、個人の自由意思に基づいて参加や撤退を繰り返す集団といえる。これを図に示すと次のとおりである。  狛プーでも、「月替わりのメニュー」というかたちでの「目的」に応じて、「積極的メンバー」が自由意思で参加したり、しなかったりしており、そのことが左に示すヒエラルキー型集団とは異なる「仲間関係」を形成しているといえる。  ヒエラルキー型集団は、同質化された者同士の上下関係の要素が大きい。これに対して、狛プーのようなネットワーク型集団は、価値観も考え方も異なる者同士が、水平に交流する。ヒエラルキー型の「同質上下交流」に対して、「異質水平交流」と呼ぶことができる。 このネットワーク型集団における仲間関係は、狛プーが「サンマ」であるための基本的条件であるといえよう。 四 「同心円型集団」による参画パフォーマンスの提案  以上述べたことから、狛プーの仲間関係がもつメンテナンス効果は、若者の社会化(社会的に充実して生きていく能力の獲得)にとって特有の効果をもっているといえよう。  しかし、本稿では、それ以上に「やる気の出るおもしろいものにする」ため、狛プーの運営に対して次の提案をしたい。  それは、自分の力で、みんなの力で、地域や社会をよりよいものにするため、狛プー仲間で企画し、運営する、すなわち社会参画するということである。しかも、実際に社会に対して目に見えるかたちで成果を挙げるために、目標を立てて、その課題を達成する(パフォーマンス)ということである。  たとえば次のようなことが考えられる。「講師のいない料理教室」をもとに、「子ども料理大会」を開いて子どもたちと交流する。「紙芝居教室」をもとに、地域の若者に呼びかけて「紙芝居コンテスト」を開き、若者の交流を図る。「社交ダンス教室」をもとに、「初めての人のためのダンスパーティ」を開き、インタージェネレーション(異世代)の交流を図る。これらの活動は「まちづくり参画活動」として位置づけることができる。  このようなことが、「イベントのためのイベント」に終わってしまっては空しい。メンバー間でしっかりと社会的意義を確認し、期待できる社会的効果を明確にして、その目標達成のために「企画」、「実施」する必要がある。そして、どの目標については達成し、どの目標については達成できなかったか、それはなぜかを「評価」するのである。そのことによって、狛プーで過ごす時間は、より濃密な充実した時間になると考える。  これらのいわば「目的的な活動」を、狛プー従来の良さである「癒しのサンマ」と、どう「一体化」するか。  私は、下図のような「同心円型集団」による運営を提起したい。この集団は、上下関係に基づくヒエラルキーとはまったく異なるのはもちろんだが、個人が思い思いに参加するが、求心力にやや欠けるというネットワーク型集団とも異なる。なぜなら、「同心円型集団」の場合は、一人一人のもつ集団への距離感の差は大いにありえるし、それは受容されるのだが、中心にある目的は明示され、共有されると考えられるからである。  すなわち、「同心円型集団」においては、時間、空間、仲間関係が、中心にある共通の目的を実現するために共有さ れるといえる。「無関心層」についても、「関心のある部分に、一歩だけ足を踏み入れる」などの参加形態があってもよいだろう。ただし、その場合でも、何らかの目標については、「達成したい」という共通の気持ちがなければ、意味がない。メンテナンスよりも、パフォーマンスのために時間を費やそうとするからである。  最後に、このような参画パフォーマンス活動が、どんな意味をもっているのか、私の考えを述べておきたい。  私は、居場所を参画拠点とした「まちづくり活動」には、 上の図のような「対自己」「対他者」「対社会」の気づきの循環過程があると考えている。これが左図のように、「居場所における仲間との出会いをとおした自己形成」と、「連鎖的参画による社会形成」の一体化を可能にすると考える。  一人一人がばらばらに生きていて、社会については、遠い存在、不満を言うだけで、あとは専門機関任せ。この悲しい構図を少しでも改善し、参画パフォーマンス活動による「自己形成と社会形成の一体化」を提案する次第である。