ユーザーニーズの把握に基づく子育て商品開発の授業実践 −シミュレーション型授業の実践を中心として− 西村美東士 聖徳大学生涯学習研究所紀要『生涯学習研究8』(2010年3月)原稿 1 研究目的 本研究は、文部科学省私立大学学術研究高度化推進事業(社会連携研究推進事業)「連鎖的参画による子育てのまちづくりに関する開発的研究」(研究期間:平成17年度〜平成21年度、研究代表者:松島鈞副学長)の一環として行われた。同研究は、地域のすべての構成員の連鎖的参画による地域活性化と関連産業の振興に結びつけて子育て支援を実践し、子育てのまちづくりのための開発的研究を行おうとするものである。その鍵概念は「個人完結型から社会開放型への子育て観の転換」である。 同研究において、子育て商品(サービスを含む)の開発に参画する学生(女子)が、世の親の商品ニーズに直面して、「子育て商品はむしろ市場にあふれている」などの実態を認識し、当初の自己の開発仮説を改善して、市場での供給可能性にあらためてアプローチし直すというプロセスが観察された。 商品開発体験がもつこのような認識の深化への効果を確かめることができれば、親としての市場への適正な関与や、効果的な子育て支援サービスのあり方を明らかにするために有益な示唆を与えるものと考えた。 本研究では、上のプロセスがもつ、ユーザーニーズに関する認識の深化に及ぼす効果を確かめようとした。そのため、次のとおり仮説を設定した。 〔仮説:商品企画のプロセスを体験させることによって、親の商品ニーズ(需要予測)と子育て商品開発(供給可能性)に関する認識が深まる。〕 2 研究方法 本研究は、平成20年度後期の大学授業のうち、Aグループ「児童学の基礎としての社会学」(児童学科幼稚園保育士コース学生、94人)、Bグループ「青少年指導者のための社会学」(生涯教育文化学科学生1年、10人)を対象とした。Aグループは、大人数で、シミュレーション的に同時期に展開したもので、ここではシミュレーション型授業と呼ぶ。Bグループを、少人数で、パイロット的に現実化を中心に進めた。ここではこれをリアル型授業と呼ぶことにした。 2-1 研究1 シミュレーション型授業の実践 授業の目標は、@子ども・子育て支援者、未来の母親として、生涯にわたって研究を続けることができる、Aまちづくりや社会全体の観点から、子ども支援や子育て支援のあり方を説明できる、B親の子育ての悩みや喜びを理解し、親のニーズに基づいた子育て支援ができる、の3点である。受講学生は、保育士、幼稚園教諭を目指している。彼女らは、未来の母親や子育て支援者として、子育て関連市場の需要と供給を担うことになる。そのときに、「個人完結型」の発想のままでは担い手としては不十分であるといえる。そのため、同授業では、6人程度のチームで、「市場で成立する」という条件のもとで、希望する子育て商品の企画を行わせた。そのプロセスは以下の通りである。 企画→仮説設定→改善→設問・調査→分析→企画発表 @         A        B 各回のテーマは、次のとおりである。 @ 第1回授業=研究内容の決定、第2回授業=開発テーマ設定、第3回授業=仮説設定 A 04質問項目、05新仮説、06仮説軸、07設問、08回答 B 09分析、10発表準備、11研究説明、12振り返り、13発表(第14〜15回は「まとめ」のため省略) Aにおいて、本授業の受講学生を調査対象として、その検証のためのアンケート調査を行わせた。その際、@で設定した仮説を、アンケート調査で検証できるものに改善するよう求めた。同調査は、学生が「未来の母親」として、「自分が母親になったらどう考えるか」を想像して回答するよう求めたものである。しかし、それは、親の現実のニーズを対象としたリアルな調査ではなく、受講仲間を調査対象としたいわば「自己調査」である。 同時に、@大人数授業の場合、統計的処理の演習に足りうる標本数を容易に確保できる、A学生が「未来の母親」として回答することによって、子育て支援者としての支援と研究の対象である「現在の母親」への想像を促すことができる、などの利点が指摘できる。 本研究では、各回の課題に関する気づきを学生に短文で記述させ、これを次の2通りで分類した。 @記述の視点(需要側か、供給側か) A記述の内容(能動的肯定、肯定、否定、能動的否定) @については、母親の実態やニーズに関する記述を「需要視点」とし、商品提供や社会からの支援に関する記述を「供給視点」とした。だが、その量的変化は、各回の記述課題の設定によって影響を受ける。そのため、Aについては、表1に示した基準に基づき質的評価を行った。質問紙調査では、このような差は発見できないと考える。 表1 記述内容の質的評価 質的評価 評価基準 能動的肯定 方法論を伴う展望を含む。 肯定 実態及びその対応可能性に対して肯定的。 否定 実態及びその対応可能性に対して否定的。 能動的否定 市場の問題点をチャンスとしてとらえ、その解決の方針または展望を含む。 戦略計画手法SWOT(アルバート・ハンフリー、1965)における「機会」(Opportunities:目標達成に貢献する外部の特質)の考え方に着目し、学生が商品企画体験において見出した需要や供給における問題点を、商品開発の「機会」としてとらえ直す記述をした場合、これを「能動的否定」に分類した。それぞれの代表的記述例については、資料を参照されたい。 2-2 研究2:リアル型授業の実践 3 結果と考察 3-1 研究1:シミュレーション型授業の実践 記述総数は953件で、その内、需要視点の記述は268件、供給視点の記述は278件であった。全集計結果を表2に示す。 それぞれの出現率の変化は図1の通りであった。 「@企画→仮説」においては、学生が初めて体験する子育て商品の供給側の視点の高まりが見られた。「A→改善→設問」においては、逆に、供給視点の記述が次第に減り、需要に関する関心の高まりが見られた。「B→分析→発表」においては、それらの需要に応える商品供給に関心が移行した。 次に、需要視点の質的評価については、図2の通り分布の変化を示した。 図2から、需要に関しては、能動的肯定が激減する傾向が見られた。「調査設計」の段階で、需要側の問題点や需要把握の難しさが認識され、子育て商品需要に関する学生の楽観的な見通しが減少した結果と考える。 一般的に、学生が実体験をすることによって現実に戻ることは当然といえるが、このような劇的な落ち方を見せたことは、参画型教育の特徴ということができよう。 図1 授業プロセスと学生の記述の視点 図2 需要視点の質的変化 さらに、「調査設計」、「分析発表」と進むにしたがって、能動的否定が増加する傾向が見られた。これは、楽観論がいったん否定された後に、一部の学生が、それらの問題点を商品開発チャンスとしてとらえ、需要の問題点に対応する供給の方針や展望を述べるようになったことによるものと考える。 同じく、供給視点の質の分布は、図3の通りである。 図3から、供給に関しても、能動的肯定が減少しており、楽観的見通しの減少傾向が指摘できる。逆に、方法論を伴わない単純な肯定は「調査設計」の段階で大幅に増加している。これは、企画商品検証のためのアンケートを設計する過程において、自分たちのチームが企画する子育て商品が、現実の市場でも通用するという自信をもったことによるものと推察される。ただし、そのときの自信は、初めての体験によって「初めて」もったものであり、現実的な方法論を伴ったものではないことに注意したい。 図3 供給視点の質的変化 図2と図3を通して変化の大きさについて比較すると、供給視点においては、「能動肯定」の減り方が需要視点ほど著しくない。また、「能動否定」も増加していない。このことから、学生の楽観的見通しの落ち込みは、供給視点においては需要視点ほど劇的ではなかったといえる。Bグループの場合、シミュレーションとしての需要調査が中心で、供給調査については十分ではなく、また、教師から各チームへの「揺さぶり」も大人数のため行き届かなかったことが原因と推察される。 なお、単純な肯定的記述については、需要視点、供給視点ともに、「分析発表」の段階で「調査設計」のときよりも減少している。この点についてはあとで述べる。 3-2 研究2:現実化中心授業の実践 4 結論・課題・展望 本研究の仮説のテーマである「需要予測と供給可能性に関する認識」については、当初の学生の単純な楽観的見通しからの脱皮と、需要の問題点のチャンスとしてのとらえ直しという意味では一定の深まりを見せた。 このことから子育て商品の企画を通した参画授業の中には、自己の需給の認識が現実の子育て商品市場にそぐわないことに気づき、これを修正する過程があったと考える。学生の根拠のない自信や現状肯定志向を改めさせ、現実社会に位置付けられたセルフ・エスティーム(自尊感情)を育てるためには、参画型教育には、講義型では得られない効果があったといえよう。 Aグループにおいては、実際の商品化を前提として授業を展開した。そこでは、現実の母親を対象として希望する子育て商品に関するアンケート調査を行い、おおよそ、「(価格を別とすれば)必要な子育て商品は、すでに市場に出回っている」という結果を得た。この結果は、子育て商品を企画しようとする学生に対して大きな衝撃を与えた。学生記述のサンプル数は少ないが、そのデータから見ても、Bグループの結果に関する上の解釈は成り立つものと考える。 しかし、Bグループの場合、需給のリアルな実態と問題点にある程度気づいたところで、半期の授業が終わってしまったという側面も認めざるを得ない。 本授業のような「教育の場」においては、通常はシミュレーションとしての参画にとどまらざるを得ない。このことから、肯定的記述については、需要、供給ともに、「分析発表」の段階で減少し、そのまま終了してしまったものと考える。仮説の改善などの指示は教育の場で行えるとしても、企画商品を、現実の市場で開発、販売することによってこそ、彼女たちが設定した仮説の妥当性は検証できるものと考える。 前掲「連鎖的参画による子育てのまちづくりに関する開発的研究」においては、「子育て小売店研究」の一環として、有志の親や「未来の母親」としての学生の参画を得て、実際に子育て商品開発を行ってきた。そこでは、図4のような「子育ての源流」と市場との社会環流の展望が見出された。 図4 子育ての源流から市場へ、市場から源流へ 商品開発を通した参画型教育では、需給が統合された市場のダイナミックな実体に気づかせることができる。このことは、未来の保育士にとって、親、地域と子育てサービスの現実の姿を把握するために必要不可欠な条件といえよう。 このような参画型教育によって、未来の子育て支援者としての保育士に対して、社会に開かれた視野を育むことができるものと考える。