生涯学習における「癒し」研究の展望 西村美東士 聖徳大学生涯学習研究所紀要『生涯学習研究9』(2011年3月)原稿 はじめに−本研究の目的 筆者は、生涯学習等の自己決定活動について、人びとを癒されない状態に追い込む「上下同質競争社会」において、癒しを提供する「水平異質交流」を生み出していると指摘した 。その視点から、偶発的学習による態度変容の支援や、空白のプログラムの設定の意義を論じた。 また、社会化支援については、支援理念の変遷を検討することによって、個人化と二項対立的にとらえることの問題点を指摘し、個人化支援と統合された社会化支援理念形成の必要性を論じた 。 しかし、生涯教育研究の観点からは、偶発的な癒しを期待するだけでなく、学習目標の設定とその達成のための癒しの提供を含めた効果的な支援のあり方を明らかにする必要がある。そのためには、「社会化」、「個人化」、「癒し」の三者の関連を明らかにする新たな視点が必要と考えたい。 本研究では、社会化を「社会的能力」の獲得過程、個人化を「個人的能力」の獲得過程としてとらえ、いずれもが、「癒し」を経て、もう一方の過程に移行するものと仮定し、その妥当性を確かめたい。 社会化を進めたのち、「社会との窓」を閉鎖する「癒し」による自己の原点への回帰を経て個人化に移行し、個人化を進めたのち、再び、心のふれあいなどの人間の素朴な原点への回帰を経て、社会との「窓」を開放する社会化に移行するものと考える。 生涯学習が個人の充実とともに、地域での学びあい、支えあいを進めるものであるとすれば、このように、両者の結節点として「癒し」が仲介していると考えることは、生涯教育実践の視点からは、当然のこととしてとらえられよう。 ここで、「癒し」とは、疲弊した心が回復して元に戻ることであり、「原点回帰」とは、人間がもともと持っている悲しみや喜びなどの、素朴で素直な人間の原点にふれ、自分自身の懐かしいオリジンに立ち戻ることと考える。 現代社会に生きていて忘れがちな自己の人間としての原点を取り戻し、人間でよかったと思える機会として、生涯学習のもつ癒し機能は重要と考える。 たとえば、子育てにおいては、親の個人としての充実や、社会性の伸長だけでなく、子とのふれあいや子育て仲間との心の交流による「原点回帰」が日常的に行われていると考える。また、青少年の交友関係においては、“「同一化によるピアコンセプト(同輩意識)の形成(社会化)→それとは異なる自己の発見によるピアコンセプトからの脱却(個人化)→シフトアップした社会化”といった「進展」と、その節々の時点で、彼ら一人一人の「心の居場所」での個人の自由時間(課題のない時間)等における「回帰」とが連続的に生じていると考える。 癒しの機能については、 “@エスケープ:ストレッサー からの緊急避難、Aオリジン:子ども心や原風景の回復等による自己確認、Bネットワーク:人的交流による心のふれあい”の3種類が考えられる 。@の癒しは「社会との窓の閉鎖」による個人化進展の契機に、Bの癒しは「社会との窓の開放」による社会化進展の契機になると考える。そして、Aの癒しについては、「社会との窓の開閉」のいずれにも関わると考えたい。本研究では、各機能のもつ「原点回帰」に関する特徴を明らかにしたい。なお、@のエスケープについては、嗜癖や集団への同化等によるものも含まれよう。 「癒し」については、生涯学習活動のなかに普通に見られるにもかかわらず、これまでほとんど研究の対象とされてこなかった。本研究によって、学習者の個人化、社会化の発展過程に対する癒しの効果について類型別に整理し、各類型に対応した支援方法を明らかにしたい。 本研究目的のため、本稿前半では、筆者のこれまでの主として社会化支援研究において得た視点を、「癒し」と結びつけて考察する。その視点とは、「社会化」の対概念として「個人化」を設定し、後者を「社会化」のための不可欠の要素としてとらえるものである。 「個人化」については、生涯教育学の周辺領域においては、次のような先行研究が挙げられる。 柴野昌山は、「積極的な個人本位」の可能性もあるが、「個性や個人差の強調」が、「情緒的で矮小化された私的自己本位的性格を帯びる」と述べている 。宮本みち子は、「(若者の職業の)自己選択・自己責任」については、「ライフコースの個人化と問題解決の私化」と同様の問題を抱えており、「何がやりたいことなのかを自問自答するなかからは、やりたいものをみつけることはむずかしい」と述べている 。坂口緑は、「自分が好きに決めればいい」、「他の人に迷惑をかけなければいい」という道徳律しか個人を縛るものがなくなり、その結果、さまざまな選択が容易に自分の好みの問題にすり替わってしまうと述べている 。 このように、「個人化」は、一般には、ギデンズ(Gidens, A.)の指摘した「個人化の進行が、個人のあり方を根本的な不安にさらす」 という指摘の延長上で議論されてきたといえよう。 これに対して、これまで教育が追求してきた「個性重視」などの成果と課題を的確に捉えるためには、「個人化」を「社会化」と一対のものとしてとらえる新たな視点が必要と考える。本稿前半では、これらの視点を「癒しによる原点回帰機能」と結びつけて検討することによって、個人の生涯における発展のプロセスモデルを設定する。 本稿後半では、前半で設定したプロセスモデルに基づいて、癒しの機能について類型の設定を試み、個人の癒しニーズのタイプに対応した社会化支援のあり方について検討する。 1 生涯教育学(主として社会化支援研究)の視点からのアプローチの方法 1.1 「持続可能な社会」の形成者として必要な能力と資質 経済協力開発機構(OECD)が1997年から組織したプロジェクトDeSeCo(デセコ、Definition and Selection of Competencies : Theoretical and Conceptual Foundations)は、キー・コンピテンシーについて、“@Use tools interactively(e.g. language,technology):個人が「道具」(言語を含む)を効果的に用いてその環境と相互作用する、AInteract in heterogeneous groups:他者との関係をうまくつくり、異質な集団で交流する、BAct autonomously:自分の生活や人生について責任をもって管理、運営するとともに、これを社会的背景の中に位置づけ、自律的に活動する”という趣旨の3つの広域カテゴリーを設定している。本稿では、同カテゴリーについて、社会的能力の育成の観点から、@資源活用、A異質交流、B自律参画と呼ぶことにした。DeSeCoも指摘するように、これらは「持続可能な社会」の形成のために必要な能力と考えられる。 しかし、その後の関連研究においても、各カテゴリーを形成する能力構造が必ずしも十分に明らかにされているとはいえない。また、それらの能力獲得の基礎となり、あるいは、各能力を使って3カテゴリーを実現するために必要な資質の内実についても明らかではない。 資質とは「生まれつきの性質や才能」であって、向上したり、ましてや「向上させたり」できるものではない。本研究でいう「原点」に匹敵するものである。しかし、社会的能力の育成の観点からいえば、関連する各能力を統合的に発揮するための能力、すなわち「メタ能力」の獲得があって、キー・コンピテンシーの3カテゴリーが実現するものと考える。そして、単に社会的能力を獲得し続けるだけでなく、「原点回帰」による自己のシフトアップを伴ってこそ、各能力を使いこなす「メタ能力」を獲得することができると考えるのである。 本研究では、個々の社会的・個人的能力獲得とともに、「癒し」による「原点回帰」を経て、「自己」そのものが充実し、メタ能力の獲得にいたるものと考える。このようなプロセスへの支援によって、「持続可能な社会」の形成者としての育成が可能になると考える。以上から、本研究では、キー・コンピンテンシーと原点回帰の関係を図1のようにとらえたい。 図1 キー・コンピテンシーと原点回帰の関係 1.2 個人化、社会化、原点回帰のプロセスモデルの設定 教育基本法では、教育の目的について、@「人格の完成を目指し」、A「平和で民主的な国家及び社会の形成者として必要な資質を備えた」、B「心身ともに健康な国民の育成」と定めている。生涯教育においても、@に関わって「個人の充実」が、Aに関わって「地域での学びあい、支えあい」が目的とされていると考えることができる。 本研究の観点からは、@を個人化、Aを社会化としてとらえたい。これらの過程と原点回帰の過程とを一体的に明らかにすることによって、その望ましい「促進」の方法を提示することができると考える。 先述の通り、「社会化」とは、社会形成者の一員として生きていくために必要な能力を身につける過程、「個人化」とは、個人として生きていくために必要な能力を身につける過程、「原点回帰」とは、人間としてもともと持っている感情や情緒を取り戻す過程とすると、図2のように、これらが個人のなかでは相互に関連して進行するものとしてとらえることができる。 図2 個人化・社会化・原点回帰のプロセスモデル 図2で、生涯学習における「個人の充実」に注目した場合、自己実現などの個人化の側面を見ることができる。地域における「学びあい、支えあい」に注目した場合、社会参画能力の獲得などの社会化の側面を見ることができる。そして、戦後の社会教育・公民館研究の時点から指摘され、現在も体験的に実感される「社会教育の娯楽性」や「住民の社交場」としての視点から見ると、そこに「癒し」の側面を見ることができる。 生涯学習における個人化、社会化、癒しの過程をそれぞれの視点からしか見ない場合、一面は追跡することができても、「遮断板」を越えたあとは見ることができない。次に見えるのは、最後の観察時点とは断絶したシフトアップされた時点からであると考える。そのため、断続的な観察しかできない。 これに対して、これらを一連のプロセスとして見るならば、図2の「俯瞰図」に示したように、原点回帰による「自己の充実」を含めて連続的に観察することができよう。 1.3 進展+回帰=促進 これまでの生涯教育学研究では、一般に、個性の伸長や社会性の涵養など、「進展=促進」が自明の前提として論じられてきた。そのため、図2円筒の右端や左端への「進展」のみが「個人化・社会化」を促進すると考えられ、プログラム化されていたが、これは加速のスピードを低下させていると考える。人々の「癒し」へのニーズの高まり、「居場所」の再認識などの動向を見ると、個人の成長プロセスにおける「原点への回帰」の効果の明確化が求められているといえる。 このことから、「進展=促進」ではなく、「進展+回帰=促進」ととらえる方が妥当な見解のように思える。そのような事実報告は広く見出すことができる。しかし、研究面では、「休憩効果」などの一部の調査結果は公表されているが、これを生涯教育学研究の視点から検討した例は見ることができない。 これと同様の方向性をもつ知見としては、道教の唱える「無為自然」、マズローが晩年に提唱した「自己超越」(「自己実現欲求」を超える次元のもの。達成できるのは、人口の約2%としている)などが挙げられる。いずれも、仮説モデルとして提起されていたが、妥当なモデルを提起していたのだと評価できる 。 本研究では、生涯学習の人的交流がもつ癒し効果に注目し、これによる個人の「原点回帰」を、「普遍的成長プロセス」の一環としてとらえ、2%の「自己超越」のようなレアケースとしてではなく、これを「普遍的個人化・社会化モデル」として設定したい。 1.4 これまでの研究の問題点 青少年教育においては、個人としての充実への支援とともに、望ましい社会化を支援するための方策が講じられてきた。しかし、筆者の研究成果からは、次の問題が導かれている 。 @ 社会の求める「社会化」と、青少年の求める「個人化」との間の矛盾が明らかになっているとはいえない。 A 「個性を尊重する教育」に関しては、「個人化支援」という視点からの検討がなされていなかったため、不十分な結果に終わっている。 また、親についても、社会性等の面において多様な問題点があり、それが学校教育、青少年教育等の青少年支援の実践における重大な阻害要因になっていることが指摘されている。しかし、親の社会化支援については、次の点で研究が進められなかったため、無力感やあきらめが支配的になりがちであったと考える。 @ 親の個人化と社会化の相互の関連が明らかになっていない。 A 子育て支援及び子育てまちづくりの研究において、親の個人化・社会化過程が十分には明らかになっていない。 B 「個人完結型子育て観」から「社会開放型子育て観」への発展過程 が十分には明らかになっていない。 これらの点については、前掲図に示したプロセスモデルに基づき、子育て活動における「癒し」の「原点回帰」としての機能をも含めた検討が必要であると考える 。 生涯教育がめざす社会化支援にとって、個人化の問題点を指摘する研究は多くあるが、個人化の正機能を分析した研究はほかにない。また、逆に、「居場所」研究などにおいては、社会化に関わる教育目標そのものまでをも否定的にとらえてしまう研究(田中治彦他『子ども・若者の居場所の構想−「教育」から「関わりの場」へ』学陽書房、2001年など)が散見される。 現在、社会的には、青少年の社会参画促進や親の参画による子育てまちづくり活動の重要性が指摘されている。そのためには、青少年と親の生涯学習活動における社会化、個人化及び原点回帰プロセスを踏まえた明確な教育目標に基づく効果的な支援の内容と方法を明らかにする必要があると考える。 1.5 教育的価値から見た個人化、社会化、癒し ここで、個人化とは、「たんに自己実現のことではないか」、または逆に「結局は孤立化につながるのではないか」という疑義が生じうる。社会化や癒しについても、マイナス面が指摘できよう。そこで、教育的価値から見た個人化、社会化、癒しのプラス面とマイナス面について、表1のとおり整理しておきたい。 表1 教育的価値から見た個人化、社会化、癒し 本研究で、「進展+回帰=促進」という場合、「進展」については、教育的価値から見ればマイナスの側面もあることに注意したい。「促進」の立場からは、当然、それぞれのプラス面を拡大し、マイナス面を縮小する必要がある。 青少年の個人化と社会化の進展と不全について整理した結果を図3に示す。 図3 青少年の個人化と社会化の進展と不全 教育的価値の視点からは、図3の右上に示した「自立して社会に参画する個人」が究極の人間像であると考える。そこでは、社会化と個人化がともに達成されるものと考える。本研究では、その人間像に至るまでの過程において、癒しによる「原点回帰」がどのような効果をもつかを明らかにしたい。 2 癒し志向の類型的理解 2.1 癒し志向の類型 癒し志向の類型によって、効果的な支援の内容、方法も異なるものと考えられる。そこで、癒し志向の尺度を設定するため、次の調査を実施した。 生涯教育文化学科在籍者の62名のうち46名から回答を得た(集合法、5件法、回収率77.4%、2010年12月)。分析対象項目については、欠損値はなかった。 分析は次の通り行った。 まず、当初の28項目の平均値、標準偏差を算出した。そのうち、フロア項目の見られた項目はなかったが、天井効果の見られた16項目に及び、これを以降の分析から除外した。 次に、残りの12項目について、主因子法による因子分析を行った。固定値の変化は、4.800、1.701、1.469、1.059、0.699、というものであり、項目の少なさから、3因子構造を仮定し、十分な因子負荷量を示さなかった3項目を分析から除外した。多くの項目の回答に偏りがあったため、採用した項目数が極端に減ってしまった。また、α係数は、因子1は0.89と十分だったが、因子3は0.59と低かった。 しかし、今回は、仮にこれを採用することとした。その結果を表2に示す。なお、回転前の3因子で9項目の全分散を示す説明する割合は、63.04%であった。 今回の調査では、本学科の学生の特性も原因して、回答の偏りが大きく、分析できる項目が限られてしまい、十分な検証には至らなかった。今後は、設問を工夫するとともに、調査対象を広く多様にすることによって、より適切な癒し志向の尺度を設定していきたい。 表2 癒し志向の因子分析結果 (バリマックス回転後の因子パターン、n=46) 項目 因子1 因子2 因子3 平均値 SD あるがままに生きることを求める。 .96 -.03 .00 3.96 0.88 自由奔放に生きることを求める。 .81 .14 .12 3.83 1.03 気ままに生きることを求める。 .77 .09 .08 3.93 1.05 マイペースで生きることを求める。 .68 .20 .06 3.98 0.92 理性で判断するよりも、五感で感じることが大切。 .65 .34 -.03 3.70 0.93 個人の力でも社会を変えることができる。 .19 .98 .08 3.26 1.28 自分の役割が流動するよりも、定位置を求める。 .13 .05 .74 3.28 1.23 学生のたまり場よりも、マイルームが大切。 .35 .16 .54 3.41 1.13 多人数よりも、少人数の交流を求める。 -.32 -.10 .53 3.67 1.16 第1因子は、5項目で構成されており、「あるがまま」、「自由奔放」、「気まま」、「マイペース」、「五感」といった各自の「原点」に関する項目が高い負荷量を示していた。そのため「原点因子」と名付けた。 第3因子は、3項目で構成されており、「定位置」、「マイルーム」、「少人数交流」というキーワードから、「閉鎖因子」と名付けた。 「原点因子」と「閉鎖因子」の回転後の因子負荷量を図4に示す。項目名は、表2においてゴチックで示したキーワードで示す。 図4 原点因子と閉鎖因子の因子負荷量 図4からは、癒しにおける「原点」と「閉鎖」のあいだに、第2因子の「個人の力でも社会を変えられる」が介在していることが読み取れる。このことから、本稿の冒頭に述べた「原点回帰」や「社会との窓の開閉」にあたって、「社会における個人の存在価値」が、もう一つの重要な因子となっていると推察する。この点については、第2因子に関する項目を充実することによって、今後、より詳しく確かめていきたい。 「原点」については「自己の発揮」、「閉鎖」については「社会との窓」に関する因子ととらえれば、その逆にそれぞれ「適応」と「開放」を対置することによって、癒し志向の類型に関して図5のような4象限を仮定することができる。 図5 癒し志向の類型 社会のなかで個人が存在するためには、個人化や社会化の進展とともに、「原点志向」の癒しも、「閉鎖志向」の癒しも、重要な要素になると考える。今後の生涯教育の推進においては、癒しの個人別及び過程別の各類型に対応した支援方法を開発する必要があると考える 。 2.2 癒し志向の類型の適用 筆者らは、現代都市青年の友人関係や自己意識などについて質問紙調査を行った。同調査により、2002年秋に東京都杉並区と神戸市の16歳から29歳までの青年から1100標本を得た。 同研究で、筆者は、友人関係に対する態度を横軸に、「自分らしさ」に対する考え方を縦軸にして4領域を設定し、それぞれの特徴を分析した 。 友人関係については「友達と意見が合わなかったときには,納得がいくまで話し合いをする」、「自分らしさ」については「どんな場面でも自分らしさを貫くことが大切」を取り上げ、それぞれの肯定/否定によって4分類した(いずれも4件法)。 「合意形成への態度」としては「非交渉」と「交渉」、「自分らしさの一貫性」としては「貫徹志向」と「状況対応」に分類し、表3のとおり4類型を設定した。 表3 4類型の設定(実数) 合意形成への態度 非交渉 交渉 自分らしさ の一貫性 貫徹志向 263 335 状況対応 272 205 各類型について、他のすべての類型を合わせたものと比較し、その差をχ二乗検定によって分析したところ、それぞれの類型の特徴が次のとおり明らかになった。 「貫徹志向交渉型」は運動部系部活歴、音楽活動、友人関係など活発で自己肯定感が強い。勉強や仕事にも真剣に取り組み、日本の将来にも関心があるという。 「貫徹志向非交渉型」は、本人は「どんな場面でも自分らしさを貫くことが大切」と考えているのに、友達と意見が合わなかったときでも、納得がいくまで話し合いをするということはないという者たちである。 音楽活動、携帯電話やインターネット等のメディア利用があまり盛んではなく、親友や友人とも深入りしない。自己同一感、自己肯定感が弱く、日本の将来にもあまり関心がない。 「状況対応非交渉型」も同様に携帯電話の利用を含め、全般的に不活発である。携帯電話をあまり使わないから、そのかわり、フェース・トゥー・フェースのコミュニケーションが盛んになる、あるいは親友や友達との信頼関係が深まるということではないのである。 「状況対応交渉型」は、親友・友人関係については活発である。場面によっては自分らしさを貫かないときもある。しかし、「納得がいくまで話し合う」という。 これに加えて、本研究の視点から癒し志向の類型に関すると思われる項目を詳しく検討すれば、各タイプの状況や特徴に応じた社会化支援のあり方を明らかにすることができよう。 たとえば、1%レベルの有意差を示した項目だけ取り上げても、「貫徹志向交渉型」については、「音楽は自分のライフスタイル」、「録音よりも生演奏が本物」、「親友に弱みさらけ出せる」、「うわべだけの演技はしない」、「将来に備えるより今」、「最も大きな出来事がある」などの「原点」に関連する事項が有意に高い。「状況対応交渉型」は、「友達は年齢が近くなくてもよい」、「損得や影響の計算は判断材料になる」など、社会への「開放」に関連する事項が有意に高い。逆に、「貫徹志向非交渉型」は「互いに深入りしない」、「状況対応非交渉型」は「一人の方が落ち着く」などの「閉鎖」に関連する事項が有意に高い。 これらを考慮して、各タイプのニーズや弱点に応じた「原点回帰」や「閉鎖」または「開放」に関わる癒しの機会を提供することによって、個人化、社会化は促進できるものと考える。 まとめ 本研究の前半では、個人化を社会化と一対のものとしてとらえるとともに、「癒しによる原点回帰機能」を両者の結節点として位置付けることによって、個人の社会化過程を全体的に俯瞰するプロセスモデルを設定した。 後半では、学生の癒しニーズの分析から、「原点志向」と「閉鎖志向」の2つの癒し因子を見出した。このことから、「癒し志向」の特性について、「自己の原点への回帰」と「社会との窓の開閉」の2軸で分けられる4類型が示唆された。 今後は、次のとおり研究を進めたい。 第一に、個人間の「癒し志向」の異なりについては、調査対象のバリエーションを拡大して、より詳しく確かめたい。 第二に、個人内の「癒しプロセス」については、実験及び効果測定を行って、本研究で設定したプロセスモデルの妥当性を検証したい。 第三に、個人の充実とともに、「学びあい、支えあい」による社会形成者の一員としての進展を図るため、学習者の「癒しプロセス」を含む特性に対応した生涯教育のあり方について、より詳しく検討したい。そのためには、生涯教育実践の場におけるアクションリサーチによるアプローチが必要と考える。 以上のように研究を進めることによって、個人のかけがえのない生涯をより充実させる方向での「社会化支援」としての生涯教育の内容と方法を明らかにすることができると考える。 -------------------------------------------------------------------------------------------  西村美東士『癒しの生涯学習−ネットワークのあじわい方とはぐくみ方』、学文社、p.9、1997年。  西村美東士『現代青少年に関わる諸問題とその支援理念の変遷−社会化をめぐる青少年問題文献分析』、科学研究費基盤研究(C)(課題番号17530588)研究成果報告書、2007年。  生理学において、ストレッサーとは、ストレスを生物に与える何らかの刺激のことであり、主に物質的な刺激を指す。心理的ストレッサーとしては、怒り、緊張、不安、喪失といったものがあるが、多義的であり、定義は一様ではない。生涯学習においては、学習には各種の緊張が伴うという意味でストレッサーになりうるとともに、失恋などの心理的ストレッサーを受けた女性が、習い事などの生涯学習活動に逃げ込むなどの「エスケープ効果」を指摘することができる。  西村美東士「癒しと生涯学習」、日本生涯教育学会『生涯学習研究e事典』、2008年。そこでは、オリジンを「原点復帰」として位置付けたが、本稿では「自己確認」と改め、エスケープとネットワークを合わせて、3類型ともに「原点回帰機能」をもつものとした。  柴野昌山『しつけの社会学−社会化と社会統制』、世界思想社、pp.15-16、1989年。柴野は、ブルーマーらの相互作用論について、その観点に基づくしつけにおいては、しつけ手は相互作用の一方の当事者としての作用主体であり、しつけの対象となる青少年も、しつけに対する反応主体またはネゴシエーションの一方の当事者であるとしている。同時に柴野は、「個性や個人差の強調」が、「積極的な個人本位」ではなく、「情緒的で矮小化された私的自己本位的性格を帯びる」と指摘する。彼は、著の最後で「近代化のジレンマと現代的アノミー」として、社会化にとっての「あまりにも大きな課題」としている。なぜならば、「望ましいしつけ方略やしつけ対策が科学的洞察によってあみ出されたとしても、所詮それらは社会統制の一端をになう作為として立ち現れる」からであるとしている。  宮本みち子『若者が≪社会的弱者≫に転落する』、洋泉社、p.81、2002年。  坂口緑「個人化のすすむ現代社会」、生涯学習研究e事典、2008年。  Giddens,A.,The Third Way:the Renewal of Social Democracy,Polity Press,1998. 佐和隆光訳『第三の道―効率と公正の新たな同盟』、日本経済新聞社、pp.67-71、1999年。ギデンズ(Gidens,A.)は、近代市民社会の成立による個人の解放とは別の意味での、新しい「個人化」の進行を指摘し、そこでは、個人が社会的帰属集団などとの関係においてではなく、個人それ自体としてとらえられるようになり、個人それ自体が社会や制度を構成する「制度化された個人主義」に至るとする。そして、個人の自己選択が再帰的に求められるこのような社会について、個人のあり方を根本的な不安にさらすことになると指摘した。  文献研究については、別途詳しく検討して、発表する予定である。  前掲『現代青少年に関わる諸問題とその支援理念の変遷−社会化をめぐる青少年問題文献分析』。  西村美東士「参画型子育てまちづくりから見た社会開放型子育て支援研究の展望」、私立大学学術研究高度化推進事業社会連携研究推進事業(研究代表者 松島鈞)『連鎖的参画による子育てのまちづくりに関する開発的研究平成17〜21年度研究集録』、2009年。  本調査は、本学科学生の「満足度調査」と並行して行った。その結果を組み合わせて分析することによって、大学教育の場においても、癒しの各類型に対応した学科教育の内容と方法を、より明確にすることができると考える。その検討結果については、本学FDの場において発表する予定である。  西村美東士「若者の友人関係の類型と社会化支援」、平成13・14・15年度科学研究費基盤研究(A)(研究課題番号13301011)研究成果報告書『都市的ライフスタイルの浸透と青年文化の変容に関する社会学的分析』(研究代表者高橋勇悦)、pp.148-159、2004年。神戸・杉並の約1000人の若者の回答から、友人関係に対する態度を横軸に、「自分らしさ」に対する考え方を縦軸にして4領域を設定して検討した結果、各類型に応じた社会化支援の必要が導き出された。しかし、社会的能動/受動との関連については、上のような鮮明な有為差が出なかったことから、個人として深まり充実する「個人化」と、「社会化」との統合的支援の課題を提示した。