土井 隆義(著) つながりを煽られる子どもたち −ネット依存といじめ問題を考える− 岩波ブックレット 発売日: 2014/6/21 670円  「人間関係の常時接続」により、リアルとネットが地続きの世界になった。本書は、各種データを駆使し、その自由さが満足感を上昇させるとともに、「安定した基盤がないため不安感も募る」という負のスパイラルを呼び起こすという。日本の女子中高生は、中年サラリーマンよりも日常的に疲れやストレスを感じている。そのストレス源は、先輩や後輩とのタテ関係ではなく、同級生とのヨコ関係にある。そのための同調圧力がいじめにもつながるという。  土井氏は、快楽ではなく不安からのスマホ依存、イツメン(いつも一緒にいるメンバー)同士のしがらみによる親友を作れない状況、承認願望(「いいね!」を押してもらうこと)の肥大化などを指摘する。その社会的背景としては、二〇〇一年の小泉内閣の新自由主義を特筆する。不確実性が可能性ではなくリスクとしてとらえられ、新しい出会いよりも目先の確実な人間関係を求めるようになったというのだ。  終章「常時接続を超えて」では、「学校や地域の『みんなで』という場の倫理が、個の倫理を圧殺しかねない」と指摘する。その上で、「自分が求められ、頼りにされれば、異質な相手ともつながり、そこに自分の存在価値を見出す」とし、学級内の閉じた強固な一致団結ではなく、ゆるやかに外部に開かれたつながりにするよう提唱する。  評者は、学校のもう一つの役割を感じる。授業は一人の世界に埋没させて、自己内対話を行わせる時間ではないか。それは、彼らをつながり依存から解放させて自立させる貴重な時間になると考える。「みんな」への負の同調圧力を助長するようなことがあってはならない。  本書でネット依存とは、情報取得やゲームに関してではなく、身近な友達とのつながりの維持のための依存を意味する。そして、その維持のためになら、いじめにも同調するという。  「人間関係の常時接続」により、リアルとネットが地続きの世界になった。土井氏は、各種データに基づき、このような「人間関係の自由化」が「満足感が上昇しながらも、関係を保証してくれる安定した基盤がないために不安感も募る」という不安のスパイラルを呼び起こしたとする。たとえば、日本の女子中高生は、中年サラリーマンよりも日常的に疲れやストレスを感じている。そのストレス源は、先輩や後輩とのタテの関係ではなく、同級生とのヨコの関係にあり、それは友達化する親子関係にも共通する。  この認識のもとで、氏は、LINE疲れ、快楽ではなく不安からのスマホ依存、イツメン(いつも一緒にいるメンバー)同士のしがらみにより親友を作れない状況、大人も含めた承認願望(「いいね!」を押してもらうこと)の肥大化などを指摘する。その社会的背景としては、二〇〇一年の小泉内閣の新自由主義を特筆する。不確実性が可能性ではなく、リスクとしてとらえられたため、新しい出会いではなく、目先の確実な人間関係を重んじ、自分のポジションを守るために必死になるというのである。  終章「常時接続を超えて」では、「客観的な自分の姿は他者の反応という鏡を通してしかモニターできない」、「学校や地域の(みんなでという)『場の倫理』が、『個の倫理』を圧殺しかねない」、「モバイル機器の機能制限は対処療法にすぎない。本質は日常の人間関係の築かれ方にある」と指摘する。その上で、「自分が求められ、頼りにされれば、異質な相手ともつながり、そこに自分の存在価値を見出す」とし、学級内の内部で閉じた強固な一致団結ではなく、緩やかに外部に開かれたつながりを提唱する。  評者は、学校のもう一つの役割を感じる。授業は一人の世界に埋没させて、自己内対話を行わせる時間ではないか。それは、彼らをつながり依存から解放させて自立させる貴重な時間になると考える。「みんな」への負の同調圧力を助長するようなことがあってはならない。