「就活」と日本社会―平等幻想を超えて (NHKブックス No.1227) 2015/1/22 常見 陽平(著) 1242円  常見氏は、先行研究や関連データに基づき、就活における「自由競争」や「公平・平等」の幻想により、学生が「就活うつ」、新卒無業者に追い込まれる実態を示す。現実には、学歴差別については、中卒・高卒・大卒・大学院卒などの「タテの学歴」のほかに、学校名などの「ヨコの学歴」による「学歴フィルター」の存在がある。ただし、ここの卒業生は良い、悪いなどの、個人差を無視した経験知的なラベリングも行われる。いずれも、集団間の競争になってしまっている。これに対して、今や大多数の学生が登録するマイナビ、リクナビなどの就職情報会社は、自由かつ大量の応募による個人間の競争を実現する。前者は努力しても報われない競争であり、後者は努力して報われる可能性がある競争ではあるが、熾烈化して学生も企業も疲弊していると言う。さらに、後者であっても、採用側にとっては、人材を判定することは容易ではなく、ラベリングに頼る実態がある。このようなことから、常見氏は、「スキルもないのに採用してもらえる新卒の就活の異常なまでの平等主義」を揶揄する。  このような実態のなか、常見氏は、スカウト型の求人サイトや、カウンセリングによって採用可能性の高い企業を学生に紹介する人材ビジネス企業に期待する。そして、競争が平等ではないことに気づき、弱者は弱者なりの生存戦略を考えようと提唱する。さらには、締めくくりの言葉として、「偽装された自由や平等は暴力であり、民衆を希望の奴隷にする」とまで述べている。  われわれは、キャリア教育のなかで、マッチングのことばかり注力してきた。確かに、それ以上の具体的職業能力は、企業でさえ、応募者に示せていない。しかし、そのままでは、学校も企業も、責任を持った職業人の計画的育成は困難である。ある会社の、ある部門にとっての「特殊解」であってもいいから、その構造化、暗黙知の可視化を図るべきではないか。これまでの「一般解」ではあいまい過ぎて、個人の職業能力評価の尺度にはなりえない。「公平・平等」の幻想を超えて、個人にマッチした職業能力獲得の現実的展望と手段を示したいものである。  評者は考える。若者に希望を与えない教育など存立しえない。しかし、不平等の現実のなかで、多くの若者が苦しんでいる。われわれは有名企業への就職願望に代表されるような「希望」の質自体を考え直す必要があるのではないか。小学校でも起業家教育が始まった。また、職業、家庭、地域、社会生活という視野の広がりなくして、生涯の充実はない。その基礎づくりこそ、学歴社会から生涯学習社会への転換期における学校教育の役割に他ならない。 内容紹介 不透明化する採用基準と 偽装化された平等性 大学間の格差拡大、「就活うつ」、新卒無業者……毎年、様々な問題を生み出し続ける「就活」。その原因はいったいどこにあるのか。「就活」100年の歴史を踏まえながら、企業の選考モデル・大学の役割・学生の気質などの変化を分析、偽りの「平等幻想」に支配された「就活」の実態を描く力作。 内容(「BOOK」データベースより) 偽りの「自由競争」と就活格差の実態!不透明な採用基準と選考プロセス、学歴差別の実態など、日本の「就活」の論点をデータ・ファクトから再検証、「平等幻想」からの解放を説く。 ・・・就活というものを研究して可視化されるのは、日本社会における「平等」という概念に対する「幻想」である。 皆、うすうす、平等でないと気づいているのに、それを期待してしまう。何か不平等なことがあると、それに対する怒りが露わになり、それこそネット炎上などを誘発するのだが、とはいえ、冷静に考えると、その平等幻想というものこそ、子供じみていることに気づく。 そこで常見さんは言います。 ・・・しかし、むしろこの学歴差別・区別は可視化された方が、人を幸せにするのではないかとさえ感じてしまう。いや、幸せという曖昧な表現は良くない。少なくとも、入社する難易度が高い企業、入ることができる可能性がきわめて低い企業を受け続け、落ち続け、疲れるということは回避できる。・・・  ただし、こう言われて反発する人も多いことだろう。少なくとも感情的に、否定的になってしまう人も多いだろう。だが、平等であるという幻想、より高い地位を獲得できるのではないかという希望が人々を苦しめるのである。  この平等幻想のもとをたどっていくと、それこそ近代日本史を全部総ざらえするような大仕事になるのですが、なんにせよ、今日の雇用労働問題の矛盾の原因を探っていくと、他の諸国では差があって当たり前のところに差を認めたがらない平等主義と、それとバランスをとるかのように、他の諸国では許されない差別だと糾弾されるようなことが、当たり前じゃん!と平然とまかり通ったりするところにあることがわかります。  スキルもないのに採用してもらえる新卒の就活の異常なまでの平等主義の裏側にあるものこそ、きちんと見つめていく必要があるのでしょう。