広田照幸 教育は何をなすべきか −能力・職業・市民− 出版社: 岩波書店 発売日: 2015/3/25 ¥ 2,592  実証的な知見を積み上げて言える範囲で考察をとどめる教育社会学と、特定のテキストかや人物の考察から言える範囲で考察をとどめる教育哲学。その両方からはみ出した地点で、もっと別の視点から原理レベルの問題を考察できないか。広田氏は、この問題意識に基づき、「○○力」ブームの現代日本において、「能力による選抜」の何があやしいのか、「職業のための教育」だけでよいのか、公教育は未来の社会に向けて何をしていけばよいのか、市民形成の役割をめぐって教育改革の方向を論じる。  「教育市場は規制がないので、怪しげな学校とウェブサイトがしきりに現れて、ぼろもうけをしては消えていく。公共の教育機関は、(このような競争者と張り合い、)准専門職の狭い技能教育に追われる」(グラブら、2004年)。広田氏は、この論を引いたうえで、次のサイクルを指摘する。よりよい職業へのパスポートとしての「職業教育主義」において、個々人は競争の主体として個人化され、他者への関心や広い世界とのつながりを失っていく。そして、民主主義、市民社会が空洞化する。  これに対して、これまでの適応重視の「社会参加」から、「地域における多様な担い手の育成」など、社会の能動的形成者となるための支援を掲げた2010年「子ども・若者ビジョン」(内閣府)を、彼は支持する。  評者は、次のように考えた。キャリア教育は、職業の場だけでなく、個人、家庭、地域での暮らし方の充実という視点をもち、個人完結型から社会開放型へと転換することが必要である。実際の職場では、競争よりコラボ、会社より顧客、そして地域社会の一員として貢献する企業活動が求められる。それを、抽象的にではなく、職業のリアルな課題と状況から体得させる必要がある。その意味でなら、「職業教育主義」も悪くない。生徒からも社会からも、ニーズが大きいのだから。