703字から670字へ 宇佐美寛、池田久美子 対話の害 2015/7/7 出版社:さくら社(2015/7/7)  宇佐美氏は、「ハーバード白熱教室」におけるマイケル・サンデル氏の対話方法を批判し、これに問題意識を感じない教育学界を憂え、本書で教育学の存在意義を示そうとする。発問とは「この問い以外の問いは考えるな」と指示することであり、その正当性はあるのかと言うのだ。他方、「一方的に、予め用意した内容を音声化する」講義という方法についても、「不合理で無意義な教育方法」と言う。「話して聞かせるくらいならば、その内容を各自に読ませればいい」と言う。「なぜ、この目標なのか」、「この目標だと、なぜこの教材、方法なのか」という自覚と文章化を、氏は教師に求めている。  池田氏は、サンデル氏の対話方法を、@口頭でのやりとりに限定されている、A学生には質問させない、B学生に考える時間を与えない、C何を考え、何を考えないかの制約条件は氏が一方的に決めるとして、「まるで尋問」と批判する。そして、@紙に書いて示す、A質問させる、B考える時間を十分に与える、C説明責任さえ果たせばあとは自由、という自己の授業方法を対峙させる。  評者は、次のように考える。対話はソクラテス以来の教育の原点である。しかし、それは「やらせ」による賑やかな見せ物としてではなく、生徒間協働を進め、ものの見方、考え方の枠組みを拡大させるためにある。そこでは、生徒の学習と省察を尊重し、教師の教育意図と対等に立ち向かわせることが重要になる。また、たとえばワークショップのなかでも、個人のカード書き作業のなかに沈思黙考の自己内対話機能が見出される。これらを目標と方法の設定、到達度評価に沿って組み合わせることによって、教育は新しい価値を生み出すことができるのだろう。