菊池 省三 (著) 甦る教室−学級崩壊立て直し請負人 新潮文庫 出版社: 新潮社 (2015/10/28) ¥ 529  本書は、2013年に刊行された図書を、改題して文庫版として新たに発行したものである。若き教師の菊池氏を「怒るととんでもなく怖かった」と当時感じていた教え子の吉崎エイジーニョが、構成と巻末のインタビューを担当している。  菊池氏は、全国平均と比べて、学力テストの平均点が低く、少年の犯罪率が高く、暴力団の抗争が絶えない北九州市において、現役教師として、学級崩壊を立て直してきた。氏は、「一時期、学校や地域が荒れていたという話を聞くが、北九州は代々、慢性的に荒れている」と述べている。そこで、菊池氏は、独自の方法で、子どもたちが言葉で自分の考えを伝え、相手の考えを聞けるようになるためのコミュニケーション教育を実践してきた。本書からは、そこでの子ども個人の成長のリアリティが伝わってくる。また、このような視点から、ゆとり教育については、自分で課題を見つけて、自分で調べて学ぶという意義を、受験勉強については、地道に目標を達成するという意義を主張する。  「ほめ言葉のシャワー」では、その日の日直のいいところを、クラスの子たちが思い思いに褒める。「成長ノート」では、子どもが自分自身の成長を知るために、教師と一対一で対話する。一年間成長を続けていけば、子どもは抽象的な難しいテーマにも答えられるようになり、それが学級でも認められることによって、学級が安心できる集団になり、自分らしさを発揮でき、個が強い集団を作り、「公=大人」を目指せると言う。  どんな子でも、4月のスタートの時点では「よくなりたい」と考えており、それを確認し、成長を約束させ、悪かった自分をリセットさせる。問題を抱えていた子どもたちがすぐに変わることはないから、我慢して「眺めること」を続けながら、考え方や行動をプラスに導く「価値語」が浸透するよう方向付けする。教師のほうは、子どもの1年後のゴールをイメージして、見通しを立てる。  親の気を引く学校バッシングの報道があふれるなか、菊池氏は、「教室は社会の縮図」として、学校教育、家庭教育、社会教育の全体に対して、問題を指摘する。親は学校へのリスペクトを子に伝えず、また、学校=公に対する意見の出し方について知らない。地域は、負担やリスクを負ってでも「子ども会」などを運営したり、気になる家庭に「大丈夫ですか」と声掛けしたりする人が少なくなった。子どもたちは、「よくなりたい」という感情は素では一致しているものの、その先の感情はバラバラ。社会の厳しい変化のなかで、学級単位で「皆が一緒」と考える時代は終わった。そのなかで、氏は「ひとりが美しい」「群れるな、集団になれ」として、「列を作って移動する」「行きたいときに、一人でもトイレに行く」などの行動の仕方を子どもたちに示す。  菊池氏は、師範学校世代の引退のなかで、親だけでなく、学校も「公」を失っていると言う。「当たらず、障らず」の「横並び関係」になってしまい、そのためコミュニケーション能力も欠如してしまった。これに対して、「ほめ言葉のシャワー」により、安心して自問自答ができるようになり、自分を知り、戦い抜く「強い言葉」と意思と徳を持つことができると言うのだ。  また、本書では、家庭での子育てに対しても、「どんな子に育てるか」(「これだけは譲らない」という徳目)を考える、「子ども性悪説」に立ってみる、いじめは全滅しないと覚悟する、大人も子ども心を発揮する、達成が確認できる目標に修正させる、反省よりも内省をさせるなどの貴重な示唆が提示されている。  評者は、次のように考える。個人化、流動化が進行する今日において、「公」の従来の価値を伝え、新たな価値を創り出す教育の役割が、信頼を失いつつあるのではないか。そのような状況において、個人の成長に焦点を当て、目標を立てさせ、自問自答させ、「強い言葉」を持たせ、それを見守り、さらには「価値語」(菊池氏の造語)を浸透させようとするこのような営みは、社会的に大きな価値をもつ活動だと言えよう。