村尾泰弘『家裁調査官は見た―家族のしがらみ』 新潮新書、2016/7/14 778円  この本は、見捨てられるという不安、最悪な夫と別れない妻、肥大する「いい母」願望、「自分が変われば」という落とし穴などの事例から家族の問題を説き、「人生最凶の人は家族だった」と訴える。  とりわけ村尾氏が「駆け出し」の頃の失敗談が示唆に富む。覚せい剤乱用少女のサヤカは、家庭の状態が悲惨なため、少年院送致が妥当と思われた。しかし、氏はサヤカの「社会で立ち直りたい」と懇願し続ける気持ちに賭け、民間団体に身柄を預ける措置をとった。その後失踪し、頬がこけ、ぼろ雑巾のようになって警察に保護されたサヤカが氏に小声でこう言う。「先生、ヤクザってすごいよ。シャブやってる女の子がいるって聞いたら、そこにさっと集まって来るんだよ。本当にすごいよ」。結局少年院に送られたサヤカだが、半年後に再会したとき、氏は胸が熱くなる。サヤカは幼い少女に戻っていたのだ。学校においても、学校だけで生徒を守り切ろうとするのではなく、社会の教育的諸機能と連携して対応することが大切だと評者は痛感した。  終章では、子どもや若者のより一般的な問題について論じている。ギャングエイジにおいて仲間との関係が重要になってくると、母親と自分の関係をめぐる逡巡や葛藤が生じ、それは社会性を身に付けることにもつながる。ところが遊び方の変化や塾通いなどの生活の変化から、このギャングエイジを経ない子どもが増えてきた。これでは、お互い腹を割って話をする場がなくなり、深い対人関係を体験できなくなってしまう。いわば深い人間関係が扱えない、人間関係が切れやすいという点では児童から若者まで共通しているという。  凶悪な事件には厳罰に処そう、取締を強化しようということになるが、必要なのは、対人接触の仕方をしらないことや、対人交渉ができないことへの手当て、つまり、ソーシャルスキルやコミュニケーション技能についての手当てだという。  そのうえで、村尾氏は三つの方向のケアを提唱する。第一に深い人間関係を樹立する指導だ。第二に社会性を身につけさせる指導、第三に自分の気持ちや考えを言葉で表現させる表現教育だ。氏は言葉による思考を通して自分の情動をコントロールできる場合も多いという。  また、暴力が問題になっている子どもは、殆どが家庭内で我から暴力を受けている子どもたちだ。体罰やそれに近い対応を受け続けると、人間は暴力で問題解決をすることを学習してしまうのだ。予防策は、親も言葉を大切にすることだ。子どもが暴力的になっている時は、「今怒っている」「腹が立っている」と言葉で表現するように導いてみよう。そして、話し合う。感情を言葉に換えて、その言葉をコントロールすることによって、感情を制御するのである。  また、暴力とともに嘘をつく子の問題がよく取りざたされる。嘘をつく子の多くは、言葉そのものに信頼を置いていない。こういう子どもたちの大半は、親から言葉によって守られてこなかった子どもたちだ。日常的に、親や周囲が約束を破ったり、嘘をついたりしてきたのだろう。だから、平気で嘘をつく。他者に嘘をつくだけではない。自分自身にも嘘をついているのだ。このような子どもへの対応でも言葉を重視し、「言葉で守ってやる」ことが重要である。言葉で欺かないこと。言葉でねぎらい、言葉でほめ、言葉で一緒に考えていくことだ。大事なことは、家庭内の良好な言語コミュニケーションを活性化させることだという。  しがらみという言葉は、通常、まとわりつくものというネガティブな意味で使われるが、元来、「しがらみ」は、川の勢いをゆるめて我々の生活を守るものだった。その意味で、家族はまさに本来の意味でのしがらみでなければならない。今まで見たくないと思っていた自分自身や家族と向かい合う勇気を持とうと氏は訴える。