二十一世紀の若者論 曖昧な不安を生きる 小谷敏編 出版社: 世界思想社 発売日: 2017/2/25 2700円  この本は、一九九〇年代からに二〇一〇年代までの若者について書かれた代表的な書物や言説を取り上げ、それらが書かれた当時の若者たちの姿と、そうした言説を産出した時代状況を抉り出す。  第1部においては、経済の停滞と社会不安の九十年代について、代表的若者論者である宮台真司を論じる。また、酒鬼薔薇事件等については、少年犯罪の急増凶悪化は幻想に過ぎないとしつつ、死にゆく者の苦しみへの想像力を欠き、「汝殺すなかれ」という規範を簡単に踏み越える「脱社会的存在」の出現の衝撃を説く。  二〇〇一年の小泉首相の新自由主義的改革については、「自己責任」というキーワードについて、「困難な状況に置かれたのは自分の責任なのだから、人を頼らずに自力でそれを克服しろ」という意味であるとし、弱者は同情ではなく非難と攻撃の的になったとして、次のように当時の「若者論」批判する。若者たたきは、小泉時代に猛威をふるっていた。高名な社会学者は就職しても家を出ない若者(パラサイト・シングル)の急増が、不況と非婚・晩婚化の原因となっていると断じた。学校にも通わず就職もしない、無気力な若者を指す「ニート」ということばが流行したのもこの時代のことである。「ゲーム脳」「携帯をもったサル」等のことばが示すように、ゲームや携帯電話に耽溺した結果、いまの若者は人間として劣化してしまったという疑似科学的な議論がこの時代には横行していたという。  第2部においては、社会問題の原因を若者たちの依存的な心理に帰着させる一連の言説を「心理主義的若者論」と呼び、それらの論者が科学的方法というよりはむしろ「ライフコース規範」とも呼ぶべき「常識的知識」に依拠していたとする。  小谷氏は、自己責任論が支配する社会において、社会的弱者は声を上げることが困難であったとしつつ、二〇〇〇年代の後半になると若者たち自身がこのジャンルに参入するようになったとする。それまでの沈黙を強いられてきた不安定就労の若者たちが、「生きさせろ!」という「声」を上げ始めたというのだ。  第3部においては、クールジャパンについて、「ポピュラー文化の豊饒」とし、八〇年代末の幼女連続殺害事件の記憶とともに語られ、おぞましいオーラに包まれていたオタク文化が、二〇〇〇年代の半ば以降には、日本のソフトパワー(その国の魅力)の源泉とみなされるようになったという。そして、ポピュラー文化は、困難な状況に置かれた若者たちにとって生きる希望とさえなっているとする。また、中高生たちの人間関係は、アニメやマンガやテレビドラマから借用してきた「キャラ」を演じることによって成り立っているとし、ポピュラー文化は、若者たちの日常生活のあり方を規定する実在性を帯びたものになってきていると指摘する。世代とジェンダーと国籍をも超えて広がり続けるであろうオタク文化の多様性を視野に収めた研究こそが望まれるという。  小谷氏は述べる。一九九〇年代の「ロスジェネ」世代の場合、運よく正規雇用の仕事に就くことのできた者も、厳しい経済環境のなかで過大な量の業務に苦しむことになる。司法試験改革や大学院重点化によって弁護士の資格をとり、博士号をとっても生計を立てることのできない「超高学歴ワーキングプア」が多数生みたされていった。このように、自分たちは時代の犠牲者だという感覚を抱いていた。これに対して、二〇一〇年代の若者たちは、少子化のなかで大切に育てられてきた。詰め込み教育を否定する「ゆとり教育」の申し子でもある。世代の全体が苦汁をなめた「ロスジェネ」とは異なり、恵まれた若者とそうではない若者の分断がこの世代では顕著になってきている。  最終章において小谷敏は、二〇一〇年の若者論の「スター」となった古市憲寿を俎上に載せ、生き方は新しいが言説は保守的で古臭いという二面性がエリート中高年男性に歓迎され、彼を時代の寵児の地位に押し上げたと分析している。  評者は考える。このように、新自由主義→規制緩和→自己決定→自己責任という個人化の流れについて、社会学からの批判は多い。そして「クールジャパン」以外はおしなべて暗い。これに対して、教育は、生徒に自己決定能力を身につけさせることによって個人と社会にとっての明るい展望を見出そうとする。それはいかにすれば可能なのか。小谷氏は、古市のシニシズム(傍観・皮肉)を批判し、若者文化に希望を見出そうとする。その希望を生み出すのは、若者と出会う社会のさまざまな教育機能にほかならないと評者は考える。