野中郁次郎 西原文乃 著 イノベーションを起こす組織 革新的サービス成功の本質 2017年7月31日 1,944円  本書は、イノベーションを起こすためには、「知識の創造と実践」が必要であり、そのために、横の関係(現場リーダーの善い目的や思いを起点とした共創の場づくり)と縦の関係(目的や思いを実現する集合的な実践力)の組み合わせが、組織をつくり動かしていくキーコンセプトになると言う。従来の経営学でいわれてきたような、市場や業界でのポジション取りによる差別化や、組織資源の最大活用に基づく効率化というようなアプローチでは、イノベーションは起こせないとし、対立や葛藤を「あれかこれか」の二項対立ではなく、状況に応じて「あれもこれも」の二項動態のチャンスととらえて乗り越えるよう提唱する。  第1章は、イノベーションを起こす組織について、キーコンセプトのベースとなる組織的知識創造理論を中心に説明する。第2章は、代表的な事例を紹介しながらキーコンセプトについて解説する。事例編(第3章ー第10章)では、実際に思いをかなえてイノベーションを実現した人たちの「物語り」と、その成功要因を見い出す「解説」で構成する。イノベーションを後から客観的にとらえて因果関係を分析するのではなく、当事者目線での主観的な「物語り」に客観的な「解説」を試みることにより、総合的な価値共創の具体的なプロセスを示している。  筆者は、イノベーションとは知識を新たに創り出すプロセスそのものだと言う。ここで「知識」とは、西洋哲学の知識の定義「正当化された真なる信念(justified true belief)」に基づきつつ、「個人の信念を真善美に向かって社会的に正当化していくダイナミック・プロセス(dynamic social process of justifying personal belief towards truth, goodness, and beauty)」とする。また「プロセス」とは「(1)SECIモデル」で表される組織的な知識創造のプロセスであり、それは「(2)場」で起き、「(3)知創リーダーシップの6つの能力」がそのプロセスを機動的に進める動力である。そして、イノベーションを起こす方法は、一つは「(4)現場リーダーの善い目的や思いを起点とした共創の場づくり(横の関係)」であり、もうーつは「(5)目的や思いを実現する集合的な実践力(縦の関係)」である。  「(1)SECIモデル」とは、この二つのタイプの知ー形式知と暗黙知ーの相互変換をモデル化し、組織的な知識創造のプロセスを示すものである。4つの象限と、それぞれの象限に描かれた円によって構成される。4つの象限は、それぞれ暗黙知と形式知の相互変換のフェーズとなっている。共感を通して個人の暗黙知を他者の暗黙知に変換して新たな暗黙知を生成する共同化(Socialization)、対話によって個人の暗黙知を複数の他者との間で形式知に変換して概念や仮説にする表出化(Externalization)、関連づけによってグループの形式知を組織の形式知に変換して理論モデル化する共同化(Combination)、モデルの実践を通して組織の形式知を個人の暗黙知に変換して蓄積する内面化(Internalization)の4つである。  筆者は、誰もが、ただ気がついていないだけで、膨大な暗黙知をすでに持っていて、その暗黙知を解き放つことによって形式知を創ることができること、そして、新たな経験を通して豊かな暗黙知を得ることによってさらに新たな暗黙知と形式知を創ることができる、つまり、 暗黙知と形式知の相互変換のプロセスを無限に続けていくことで、次々と新たな知を創ることができると強調する。  哲学の定義と比べて、個人の信念を起点にする点は同じなのだが、正当化を正当化するプロセスととらえて、そこにダイナミックな動きと人や社会、環境との関係を取り入れている点が異なっている。また、哲学では真という普遍的価値を追求するが、我々は、知識は真善美のすべてに向かうプロセスだとしている。なぜなら、真の表現が美(美学)であり、真の実践が善(倫理学)であるからである。したがって、知識と図は、永遠に変わらない固定されたモノではなく、時代や状況の変化、人や環境との関係の変化につれて変わっていく動的なコトだという。  それぞれのフェーズにはいくつかの円が示されている。個人(I:Individual)、グループ(G:Group)、組織(O:Organization)、環境(E:Environment)である。また、このSECIモデルは、一周すればよいというモデルではなく、何度も回転させて次元を上げていくことで、より広い視点でより深い知を得ることができる。このプロセスを「SECIスパイラルを回す」と表現している。  基本的には、情報を体系化することで知識になる。情報の前段階はデータであり、データ・情報・知識・知恵という4段階があるという見方もできる。この4段階は、形式知についていわれることが多いのだが、SECIモデルに当てはめることもできる。データは、共同化の段階で得られる感覚的な身体知に相当する。この段階では、まだ暗黙知はありのままの状態で身体化されており、まさに生データなのである。この生データに対話を通して理解可能な形式知に変換してコンセプトにするのが次の表出化のフェーズで、ここでデータは意味情報に変換される。そして次の連結化のフェーズでは、意味情報を組み合わせることで理論化し、情報は知識に変換される。そして、モデルを個別具体の状況で実践するなかで、適時絶妙に知識を使うことによって知識は知恵に変換されていくのである。  「(2)場」については次のように述べている。このSECIスパイラルはどこで起きるのだろうか。この問いに答えられれば、イノベーションがどこで起きるのかが明らかになる。本書のタイトルにあるように、組織で、という答えでも間違ってはいないけれども、組織は抽象的な概念上の形なので、必ずしも具体的ではない。ここで示したいのは、「場」というコンセプトである。「場」とは、場所(place・fiejd)から出てきたコンセプトではあるが、単なる物理的な空間のことをいうのではない。場とは、人と人とがコンテクスト(文脈)を共有し、相互にありのままの他者をそのまま丸ごと受け容れ合う関係ができているところのことである。つまり、場とは、人と人とがコンテクストと社会関係資本(人間存在の根底にあるケア、愛、連帯、安心などの共感の知:Social Capital)を共有して、相互に受容する関係性ーこれを相互主観性の関係というーの存在しているところである。したがって、場とは、リアルな場だけでなく、時空間を超えて関係性が続くソーシャルメディアのような場、バーチャルな場もある。通常業務を行う部署でも、あるいはその時々の課題に取り組むプロジェクトチームも、また、有志の集まる非公式な勉強会も、すべて場になり得る。その条件としては、次の6つを挙げる@ 参加メンバーがその場にコミツトしていること。ただ人が集まっただけでは、場はできない。A その場が、目的をもって自発的にできていること。目的がなかったり、強制されて集まっていたりするのでは、やらされ感があるので、新しい知は創られにくい。B メンバー間で、感性、感覚、感情が共有されていること。メンバーそれぞれが持っている暗黙知を解放することで新しい知が創られる。C メンバー間の関係のなかで、自分を認識できること。自分が他のメンバーから受け容れられているという安心感や信頼感があることで、暗黙知が解放される。D 多様な知が存在していること。新しい知を創るには、多様な知が必要となる。同じ知を掛け合わせても同じ知しか出てこない。E 場の境界は開閉自在で常に動いていること。境界がいつも閉じていると、メンバーだけの知識で閉じてしまうことになり、多様性が失われてしまう。境界を開くことで、多様な知を新たに取り入れることができる。  「(3)知創リーダーシップ」については次のように述べている。では、イノベーションを起こすのは誰だろうか。また、誰がSECIスパイラルを回したり、場をつくったりするのだろうか。そして、誰が知創コミュニティを発展させていくのだろうか。それをするのが、知創リーダーであり、実践知によって判断し行動するリーダーである。実践知とは、共通善(common good)や徳(virtue)の価値基準をもって、個別のその都度の文脈のただなかで、最善の判断ができる実践的な知性のことである。より具体的にいえば、個別具体の文脈でちょうどいい(just right)解を見つけること、動きながら考え抜くこと、文脈に即した判断(contextual judgement)と適時絶妙なバランス(timely balancing)ができること、などである。そのためには、次の6つの能力が必要だと言う。@善い目的をつくる能力 共通善や徳の価値基準に基づいて「何が善いことなのか」を見極めた目的をつくることができる能力。達成不可能な目的や強制的な目的、金銭的な目的ではなく、夢や理想の実現に向かう目的、卓越性を追求する目的であること。A直観する能力 現実をありのままに観る能力。人には、見たいものしか見ない、見たくないものは見ない、という傾向があるが、そういう傾向があることを知ったうえで、先入観や思い込みを排除して、五感を駆使しながら、1回しか起きない現場・現物・現実をありのままに観ること。B場をつくる能力 新たな知を創る場をつくること。適材適所の人材をタイムリーに見い出し配置し、共感・共振・共鳴の場をつくること。C本質を物語る能力 起承転結や英雄物語の流れに沿って、他者の記憶に残り、他者の行動を変容させるようなストーリーを語ること。たとえやレトリックを使って、ビジョンやコンセプトを他者のコンテクストに合うように伝える能力。D影響力を使い分ける能力 ビジョンやコンセプトを実現するために、他者への影響力を使い分けて他者を動かす能力。状況や文脈に合わせて、ハードな力(外的な動機で他者を従わせる力)、ソフトな力(内的な動機で他者を従わせる力)とスマートな力(従っているという意識を持たせずに従わせる力)を使い分けること。E組織する能力 @からDの能力を伝承し、人財を育成する能力。 あらゆる人がこれらの能力を持つようにして、すべてのレベルに自律分散しているフラクタル型(相似形)の組織をつくること。  「(4)現場リーダーの善い目的や思いを起点とした共創の場づくり」については、次のように述べている。(1)から(3)までは、組織的知識創造理論の基本的なフレームワークと同じであるが、特にイノベーションを起こすには、リーダーの善い目的や思いを起点とした共創の場づくりが重要となる。先に場の項目で述べたように、知を創るための場には、メンバーのコミツトメント、目的の共有、そして、メンバー間の信頼関係が欠かせない。また、開かれた場にして多様な知を取り入れることも共創を進めるためには必要である。最近の流行りのコンセプトでいえば、オープン・イノベーションである。ただし、これまでのオープン・イノベーションの考え方は、開発効率の向上を目的としており、技術・知財(モノ)が中心で、企業と企業、企業と研究機関のように一対一の関係が多く、トップダウン型で進められてきた。これまでのオープン・イノベーションを1.0だとすると、これからのオープン・イノベーション2.0は社会的価値の創造を目的とし、多様な相互関係性(コト)が中心となり、産官学民に市民を加えた多層的な共創の関係が増え、現場リーダーが中心となるミドル・アップ・ダウン型となっていくと考えられている。  ミドル・アップ・ダウン型の組織とは、プロジェクトリーダーなども含むミドル層が、現場フロント層とトップ層をつなぐ役割を果たす自律分散組織である。トップ層と現場フロント層の思いや見ている現実が一致していれば、ミドル層など必要はない。しかしながら実際には、トップの描く理想とフロントが直面する現実は、矛盾している。しかも動いていく状況のなかで、次々とコンフリクトが発生する。したがって、ミドルの役割は、図1-4に示すように、トップのビジョンを現場が実践できるようにかみ砕き、また、現場の情報や状況をトップに伝え、時には教育することによって、トップと現場の対立や矛盾をタテ・ヨコの動的関係のただなかで、適時適切に解決することである。最近は、どの組織もフラットになってきているうえに、社外の組織の人たちとの共創が進んできているが、この場合も、図1-5に示すようにマクロとミクロの間に立って矛盾や対立を調整する「メソ」レベルの人たちが新たな知を創るカギとなる。  「(5)目的や思いを実現する集合的な実践カ」については次のように述べている。これまで説明してきたフレームワークで触れてこなかったのが、スピードと持続性である。イノベーションはただ起こせばいいということではなく、イノベーションを新しいビジネスや商品、サービスへと展開する必要があるし、イノベーションを起こし続けなければ、真似をされて、優位性を失ってしまう。最近、目にするコンセプトとして、レジリエンス(強靭さ)やアジャイル(迅速さ)がある。知創リーダーシップによってSECIスパイラルを高速に回転させることにより、これらを創造性や生産性と両立させるのが集合的な実践力である。  型破りという言葉があるが、イノベーションとは、 一般的・常識的な型や方法にはまらないことややり方である。したがって、型を破るには、まず、型を知ることが基盤となる。「創造的な型(creative routine)」と呼んでいるが、日本の武芸でよくいわれる「守破離の型」である。そもそも型とは、物事のやり方の真髄を示す規範となる動作・方式のことである。守(典型的な型を学ぶ)、破(改善、改良する)、離(新しく創る)という3つの段階で示される。これは、継続的な自己更新プロセスであり、良い型は動きや思考の自由を広げる創造的習慣として機能する。この守破離のサイクルを速く回すことによって、アジャイルでレジリエントな人財を育成し、組織をつくることができる。  旭川市旭山動物園の事例については、「思いや目的の共有が生む現場力の凄み」として、横の関係を「動物たちの命の輝き」を伝えたいという共有された思いを実現する行動・共生展示、縦の関係を「動物たちの命の輝き」を来園者の五感に伝える飼育員の試行錯誤と創意工夫をやり続ける現場力とする。「より自然な状態を再現する」ため、飼育員はサルに気づかれにくいところにエサを置く。するとサルは野生さながらに、エサを求めてあちこちを探し回る。さらには、「動物たちも自己実現したい」という気づきに至る。 では、行動展示の本質は何か。それは、「動物たちも自己実現したい」という気づきである。それはすなわち、動物たちが彼ら自身の持っている能力や性質を強制されることなく発揮できている状態である。  株式会社リブネットの学校図書館運営サボートについては、「強い思いと大胆な行動力が、追随されない組織をつくる」として、横の関係をより良い読書経験の提供を通じて子供たちの考える力や感じる力を育み、次世代人材を育成したいという強い思いによって形成された多様な人間関係、縦の関係をあらゆる関係者を動員して学校図書館運営をシステム化し、それを継続して発展させる合理的かつ大胆な行動力とする。筆者は、谷口とよ美という合理的かつ大胆で繊細な、子供たちに対してのサーバント型リーダーの熱意によって創り出されたものだと言う。谷口が同社を立ち上げたのは、49歳のときだった。27年間続けた三重県職員を辞しての決断だった。谷口は、民間の企業が学校にきちんと入り込めば、図書館の業務をサポートできるのではないかと考えた。これまで、司書の資格は持たずとも自分がしてきたような仕事を、民間として受けるのだ。さらに、一般企業では当たり前の業務管理という概念を持ち込みたいとも考えた。仮に民間人が学校の図書館へ入っていっても、一人でこなせる業務には限りがあるのは身をもってよく知っている。しかし、システムの支援があれば、業務の効率化が図れ、その分、児童・生徒と接する時間をしっかり確保できる。それが、本を読み、それを通じて世のなかを広く知る児童・生徒の数を増やすことになるのではないか。今でこそ公立図書館の運営を民間に委託するケースは珍しくないが、学校図書館では前例がなかった。誰が自分に仕事を依頼してくれるか、見当も付かない。ただ、他業界で進む民間への業務委託の流れを見て、学校図書館にもいずれそういう時代がやってくると谷口は確信していた。その実績が報道され、地元で広く知られるようになると、リブネットに運営を委託する学校は翌年度には72校に急増した。図書館の現状に問題意識を抱えていた学校は多かったのだ。ただ、前例がないために民間への委託に足踏みしていた。創業時、6%だった三重県内の小中学校への学校司書配置率は、2015年には82%にまで増えている。また、同社が共同開発した「ライブラリークエスト」という、小中学生向けのワークシートを活用した学校では、学カテストの国語Aの平均正答率が前年の46.2点から66.7点に上がったケースもある。筆者は、「手をかければ、それだけの効果が得られる」という谷口の言葉に注目している。  同書は、革新的サービスの共通点として次のようにまとめる。@現場・現物・現実のただなかで、客観的な観察と主観的な共感をベースにした新しい視点での新たな気づきをサービス価値の起点にしている。現場・現物・現実のただなかに、いわゆる「よそ者、若者、ばか者」と言われる視点を持ち込む。同時に、サービスの受け手やサービスを提供する仲間との共感を創り、それをベースに新たなアイデアや発想を得て、それを感覚的・情緒的価値に変換することが重要になる。A何が善いサービスなのかについて、現実の矛盾を乗り越えて徹底した共感のなかから、仮説・実践・検証のアブダクションを繰り返すことで、考え抜いている。アブダクションとは、あらゆる知を総動員して飛躍した仮説を創り出す創造的な思考法で、 実践的推論ともいう。具体的には、達成したい目的や日標に対して、それに到達するための仮説を考えて、実践、検証していくプロセスになる。組織的に試行錯誤を繰り返すことが重要になる。Bサービスの提供者は受け手の期待を超える機能的価値と感覚的・情緒的価値を創意工夫して提供している。あらゆるイノベーションは、我々の感覚的・情緒的価値、つまり感覚質(クオリア)や意味に基づいている。感覚的・情緒的価値は、主観がベースとなる。これを普遍的な価値に変換していくところに創意工夫が必要で、外から見る(アウトサイドイン= outside in)のではなく、内から湧き出してくる(インサイドアウト= inside out)の価値の本質を見抜くことが重要になる。Cサービスを提供する現場での自律的な判断と行動を重視する自律分散型の組織運営が行われている。現実は一期一会で、その時その場でしか存在しない生き生きとしたありのままの経験から本質を取り出し、それを普遍化し、アートからサイエンスに変換する。自律分散型の組織を創り、現場の最前線で共感し、現場とミドルとトップの間の矛盾を解決していくことが大切である。Dアナログとデジタルを徹底的に総合することによって新たなビジネスシステムを創り出している。アナログとデジタルの矛盾を機動的に総合していくことが新たなサービスを提供する際の最大の課題である。言い換えれば、アナログとデジタル、暗黙知と形式知の総合、あるいは共創(コラボレーション)によってイノベーションが起き、新たな価値を創り出すことができている。  評者は次のように考える。同書には、これまでほかで述べられていたことも混在しているが、貴重な新しい提案も目立つ。とくに、「善い」目的や思いを起点とした共創の場づくりというリーダーシップのあり方は、教育的価値としても、最近の若者の志向性としてもなじみがよいと考えられる。ただし、これをリーダーシップとして、異なる価値観をもつメンバーが共存する「縦の関係」すなわち組織・集団で目的を共有し、実現させるための意欲や能力はどう養えばよいのか。「管理職になりたくない」という若者や壮年が増えているなかで、組織的イノベーションのための協働を自己決定する「個人」の育成を、今後の「社会形成者」育成の重要課題と考えたい。