中高生の居場所の条件と新しい支援 〜第3の支援を考える〜  西村美東士(板橋区大原生涯教育センター・社会教育指導員) <発表要旨> 私は30数年ぶりにユースワークの現場に戻り、公的な中学生の居場所づくりに関わっている。そこで得たことは、人間にとっての居場所の「不変」な重要性への確信と、萩原の言う「生の回復」を実現するための新しい支援の必要性への予感である。居場所で、若者たちは生きる意味や実感を取り戻す。効率から離れて、存在を実感し、自己の能力・感性を発揮することによって「生きる意味」を見いだし、個人に与えられた時間の流れを味わい、共有することによって「生きる実感」を感じる。これらを満たすためには、個の原点に立ち戻り、「虫かご」で飼われているような状態から解放させる必要がある。中高生の居場所においてこれを実現するための条件とは何か。ここでは、次の2側面から整理しておきたい。 第1は「学校や家庭が本来やってほしいことだが満たされていない」ことである。以下列挙した「条件」については、今後、学校の多様性が保障されればそれでもよいかもしれないのだが、今はそうではない。「認める」(意見を言える、意見を受け止める、否定しない)、「助けてくれる」(追い詰めずに逃げさせる、警察から引き取る)、「参加できる」「相談できる」「自らを育める」「好きなようにできる」などが必要だ。 第2は、「仲間が機能するのだが、 満たされていない」ことである。「いると落ち着く」(心のよりどころになる)、「自分が力になっていると感じる」(必要とされている、自分の仕事がある)、「誰かが待っている」(知っている人がいる、知らない人がいない)などが必要である。 「仲間」の問題については、「閉鎖性」という問題が生ずる。実際、学校や家庭に普通に居場所を持っている若者でも、「知っている人ばかりである」ことを求める者が多いことに驚く。だが、われわれの公的な居場所では、好むと好まざるにかかわらず、多様な若者と出会うことになる。そのときに、「困った子」と呼ばれていた若者が、異質の他者となんとか共存していく姿を見ることができる。このようにして、他者の存在を認め、相互に承認しあうことによってこそ自分の存在が認められるということを体験した若者たちが、今後の社会の多様な場、すなわち家庭、地域、職場で、居場所を創り出す担い手になるものと考える。 ここで、私は、第1の社会化支援(社会の一員としての充実)、第2の個人化支援(個人としての充実)に加えて、「第3の支援」を提唱したい。それは、「未来の充実」に向けた発達ではなく、次のようにして、「いまの充実」をめざすものである。 肩を押してくれる。見守ってくれる。話を聞いてくれる。多様な機会を提供してくれる。自由にやらせてもらいたいという若者の気分にマッチしている。自由の浪費から意味ある時間へと転換させてくれる。動けないときに押してくれる。行き過ぎを是正してくれる。許してくれる。「ちょっと違う」と言ってくれる。方法、広がりが限定されず「何でもあり」である。ウォッチして、プラスがマイナスかを判断する。個人の変化に対応する。ラベリングしない。癒しによる「原点リセット」機会を提供してくれる。プッシュもせず、プルもしない待ちの教育である。 このような「第3の支援を含めた3本立ての支援」こそ生涯の発達を支援する教育といいたい。「第3の支援」では、その性格上、具体的な内容に絞り込めないし、一義的な定義はできない。よって、能力獲得目標及びその到達度評価にはなじまないものと考える。しかし、総括目標と個々人への効果測定及び事業評価については、教育を行う者の責任として追求すべきものと考えている。