Appleのデジタル教育 ジョン・カウチ (著), ジェイソン・タウン (著), 花塚 恵 (翻訳) 2019/3/18 出版社: かんき出版 発売日: 2019/3/18  筆者は、小学校で周りと違うことをすれば創造性があると思われたが、中学校で同じことをすれば、はみ出し者とみなされ、たまたま出会った大学の講義で、教育は何かを覚えることではない、考え方を学ぶことだとようやく気づいた経験をもとに、「昨日教えたように今日も教えたら、子供たちの明日を奪うことになる」というジョン・デューイの言葉を引き、リワイヤリング(配線のやり直し)による教育改革を提唱する。  筆者は、「教育は覚えることではない、考え方を学ぶこと」、「コンピュータは思考にとっての自転車」、「子どもがデジタルネイティブであることを意識する」、「標準的な生徒というものは存在しない」、「標準的な教室で学習させ、標準的な教科書を読ませ、標準テストを受ける、といったことを生徒に強要すべきではない」、「デジタルネイティブは、自分の人生にかかわることに取り組んで交流を広げ、何かを生みだして他人と共有したいと思っている」などと述べる。また、プロジェクト型学習をリワイヤリングして、テクノロジーを組み込み、生徒の裁量を一層に推し進めたチャレンジ型学習を提唱し、その「感じて想像し、行動を起こして共有する」という効果を強調する。モチベーションを高めるためには、生徒に選ばせる、現実的であろうとしない、失取して学ぶ、グリット(目標を追い求め続ける粘り強さ)を大切にするなどを挙げる。  「学習する」とはどういうことかについては、暗記は所定の情報を脳内に保存することだが、学習はその情報が何を意味し、その情報の状況に応じた最善の生かし方を理解することだと言う。これからの教育は、子供たちに事実を本当の意味で理解させると同時に、批判的にものごとを考えるクリティカルシンキングや自由にアイデアを広げるクリエイティブシンキングを教え、子供が自ら新しいことを発見し、理解し、生みだせるように導くものであるべきだと言う。また、学生が社会に出て現実世界の問題に直面することを思えば、積極的に現実世界に置き換えさせること以上に優れた教育法はない、練習を重ねるうちに、子供の脳は社会に出る何年も前から現実のビジネスの場を想定できるようになるだろうと言う。  OECDによる国際学習到達度調査(PISA)については、「世論調査」に近いことや、教育の過去の枠組みから発想されていることなどから、その弊害を指摘する。そして、2016年に実施された北京の調査では、ネットの静的なウェブサイトを使ってできることと、その後のVRのように多面的で相互のやりとりが可能なテクノロジーを使ってできることの比較が行われたとする。  本書は、最後に、「幸い、いまの時代、あなたにできることはたくさんある」とまとめて、次のように言う。たとえば、賛同者を集めるキャンペーンができるウェブサイト、ツイッターやフェイスブックなどのSNSといった無料で利用できるものを使えば、あなた個人で本物の変化に向けて行動を起こせる。地域レベルや学校レベルだけでなく、州レベル、国レベルで変化を起こすことだって可能だ。インターネットとSNSの爆発的な広がりにより、(かつては一般人と呼ばれていた)まったくの個人が持つ力はかつてないほど強大になった。たったひとりの親、教師、活動家がオンラインで嘆願する、あるいはツイッターやフェイスブック、インスタグラムに思いを投稿することから次々にさまざまな活動が生まれ、いずれ本物の変化が生まれる可能性は十分にある。ただし、誰かが始めなければ何も変わらない。そのうえで筆者は、マハトマ・ガンジーの言を引き、「世界を自分が見たいと望むものに変える存在になりなさい」と言う。  筆者は、優秀な教師がテクノロジーに取って代わられることは絶対にありえないと言う。テクノロジーは、優れた教師による授業を補完する立場でしかその効果を発揮できない。世界一のテクノロジーであっても、優秀な教師ができることに比べたら、その能力は足元にもおよばない。教育にテクノロジーを導入する目的は、先生に取って代わることではない。教師の指導をより効果的かつ効率的にすることだ。世界一の人工知能であっても、優秀な教師が持つ「心」だけは、今後も決して持てるようにはならない。そのうえで、テクノロジーの誤用の現状に対して、次のように警告する。「気をつけていないと、ジョブズが唱えた『思考にとっての自転車』構想は、アメリカの教育機関の手で『訓練を繰り返すだけの自転車』にされてしまう。そうなっては、退屈なだけで先がない」。  評者は、心なき一部の教師が、テクノロジーを先行させて「訓練の繰り返しツール」にしてしまったり、テクノロジーに苦手意識を持つ一部の教師が導入を妨げたりして、結局、今後の社会に希望を与える教育の可能性を台無しにしてしまうことを恐れる。プロジェクト型学習をリワイヤリングして、テクノロジーを組み込むことによって、本書が言うような生徒の裁量を一層に推し進めたより自由なチャレンジ型学習を実現したいと考える。