学術大会への新構想 その3 −HCC(Health Care Counseling)学の学際性の在り方− 西村美東士*             本号に掲載された通り、前回の学術大会で、筆者は次のように指摘した。 人権としてのヘルスケアとそのためのカウンセリングを地球規模でとらえるための「学際性」が求められよう。これまでの心理学、社会学、教育学においては、個人に視点を限定したり、逆に個人化を敵視したりして、個人化と社会化の一体的支援の展望を見出すことが難しかった。今後は、われわれは、第一に、自己決定権の尊重ポリシーを崩さないこと、第二に、そのうえでの学びによる自己決定力の向上とともに、その発展に伴う社会的・国際的視野の拡大の展望を、多様な実践との往復から明らかにしていく必要があると考える。  われわれの目指す「ヘルスケア・カウンセリング(HCC=Health Care Counseling)学」の学際性の実現のためには、個人化と社会化の一体的支援が重要であり、そのことによって「社会的・国際的視野の拡大」を展望したいと考える。  最初に、本学会の事業について、ホームページから、引いておきたい 。 本会は人権、自由を基調とし、学術、教育、又は心理職、ヘルスケア、カウンセリングにおける学際領域において、 人間の尊厳のために価値を創造することを目的とする。この目的を達成するために、法令、人間の幸福及び生活の質(Quality of Life:QOL)の探求、研究、情報技術の活用に基づき、本会の事業を行う。 このように「人間の幸福及び生活の質(Quality of Life:QOL)」という課題を探求するためには、本稿でテーマとする「学際性の追求」が重要になる。なぜならば、この課題は、単一の学問領域では、カバーしきれないからである。このことについて、同ホームページでは、次のように述べている。 QOLの問題は,医療,保健,看護,福祉,心理,教育・発達,企業(職場),司法・矯正,家庭(家族), 災害復旧など数多くの領域において,その重要性が指摘されている。 しかし,わが国ではどちらかといえば主に医療,保健,看護,福祉分野における研究・実践が中心となっており, その他の領域では,QOLの問題は重要視されてはいるものの,実際には学会の専門誌に掲載されている論文数や 報告数は比較的少ないのが現状である。現代人のQOLの問題をより深く,学際的視点から究明する必要性が極めて高いといえよう。 現在、QOLと深い関連のあるウェルビーイング(Well-being)について、議論が盛んになっている。ウェルビーイングとは、身体的・精神的・社会的に満たされ、幸せを感じている良好な状態を指し、単なる病気でない状態(Health)よりも広範で、持続的な幸福感を含む概念である。世界保健機関(WHO)が健康の定義に用いた言葉であるが、そこでは、身体的健康だけでなく、精神的、さらには社会的にも満たされた状態であることが求められている。 2023 年 6 月、政府において新たな「教育振興基本計画」が閣議決定された。その審議内容について廣田貢(文部科学省総合教育政策局政策課企画官)は、次のように報告している 。 不登校やいじめ、貧困などこどもたちの抱える課題が多様化・複雑化する一方、将来の予測が困難な「VUCA」と言われる時代において、未来に向けて自らが社会の創り手となり、持続可能な社会を維持・発展させていくこと、また、一人一人のウェルビーイングを高め、社会全体のウェルビーイングの向上を目指すことの重要性が議論され、同計画の総括的なコンセプトとして、「持続可能な社会の創り手の育成」と「日本社会に根差したウェルビーイングの向上」が位置づけられることとなった。  同審議において、教育が目指すべき課題として「一人一人のウェルビーイング」とともに、「社会全体のウェルビーイングの向上」が挙げられていることに注目したい。教育において、個人的課題と社会的課題の双方が追求されるという点に注目したい。さらに、個人のウェルビーイングに関しても、次のような議論が行われている。 計画では、ウェルビーイングの側面として、自尊感情や自己効力感などの「個人が獲得・達成する能力や状態に基づくウェルビーイング」(獲得的要素)に加え、日本を含むアジアの文化圏で重視される利他性や協働性、社会貢献意識などの「人とのつながり・関係性に基づくウェルビーイング」(協調的要素)の重要性に言及した上で、両者を調和的・一体的に育む「調和と協調(Balance and Harmony)」に基づくウェルビーイングを「日本社会に根差したウェルビーイング」として実現を目指すこととされた。 個人としての能力等の獲得とともに社会性獲得の側面でも、「人とのつながり・関係性に基づくウェルビーイング」(協調的要素)として実現を目指すということが、わが国の教育のあり方として重要であることが指摘されたのである。 本学会においても、「ヘルスケア」と「カウンセリング」をキーワードとして研究を進めている。「ヘルスケア」については、身体的・精神的健康だけでなく、「社会的健康」も含めて追求する必要がある。そこでは、多分野の視点からの検討が必要になる。そして、「カウンセリング」についても、自己治癒力、自己教育力の重視を基底に置きつつも、教育的な働きかけによる社会性獲得への支援という視点が求められるといえよう。 そのための支援のあり方として、本稿では、筆者の専攻する社会教育の視点から検討を進めたい。そこでは、教育目標を掲げて、その達成のための方法を試み、その成果を評価するという教育の基本的活動が求められる。そして、その活動には、「よりよい社会」を目指して、価値の伝承と創造を行うという社会教育の基本ともいうべき役割の遂行が期待される。 この役割について、そこでは、相手の自主性、主体性を尊重しつつ、相手と相互にコミュニケーションし、ときには「教育的介入」(例えばワークショップなどで)を行うという活動が求められる。これは、本号の「巻頭言」で松浦広明が述べている「介入科学」としてのQOL研究への提言と通底するものと考える。松浦は次のように言う 。 このような課題に応えるには、社会科学のもう一つの側面である「介入科学」としてのQOL研究の深化が不可欠です。近年、社会科学では因果推論の手法に注目が集まり、代替的な介入策を特定・評価し、最適な政策選択に資するエビデンスを提供することが、重要な使命として位置づけられています。今回の誌名変更は、本誌がそのような介入科学的アプローチに重心を移していく契機となることを期待しています。 社会変動が世界各国で加速する中、人々は自らの未来を外的要因や歴史の偶発的なプロセスに委ねるのではなく、積極的に介入し、より望ましい社会の構築を目指す傾向を強めています。そのような社会において、「介入科学としての社会科学」の意義はますます高まっています。しかし、個別の介入を科学的に評価し、より有効な方策を選択するためのエビデンスは、いまだ十分とはいえません。本誌が、そうしたエビデンス構築に貢献する場となることを願っております。  社会教育の目標設定→実施→評価→改善というPDCAサイクルの実践が、松浦の言うエビデンス構築につながると考えたい。  今回の学術大会では、発表後に、次のような有益な質問があり、筆者は以下のようにより深く回答する機会を与えられた。 質問1 「個人化と社会化の一体的支援」に関して Q 大変貴重な研究発表を拝聴し、ヘルスケア・カウンセリング学会、また学術大会の構想・課題を改めて学ぶとともに、最後のスライドの3つの支援の中で、社会の一員としての充実、個人としての充実を片方からの視点だけではなくく、両方の側面から捉えていくことの重要性、また第3の支援を加えたアプローチのお話が特に印象的で、大変勉強になりました。  先生の提言の中で、「個人化と社会化の一体的支援に関しての方向性の難しさ」のお話がありましたが、一保育者として私も日々感じている課題の一つであります。  そこで、素人質問で大変恐縮ですが西村先生のお考えをお伺いししたく、2点質問させていただきます。 1. 先生の提言の中で「自己決定力の伸張」を教育の中で支援する必要性に関してのお話がありましたが、具体的な方法について先生のお考えをお聞きしたいです。 2. また、「主体的学びによる社会的・国際的視野の拡大」についてですが、主に教育現場での国際的視野の拡大にはどのような実践が有効だとお考えでしょうか。 A 貴重なご質問、ありがとうございました。保育の世界でも、社会化の重要性が見直される動きが出てきているように私には感じられます。それは次のような状況に、保育の側も、小学校の側も、気づき始めているからだと思います。  保育園で「のびのびと自由に」過ごしてきた子どもたちが、小学校に入学して、さっそくいわゆる(子どもにとっての)「小1の壁」に突き当たる。そのときどうなるのか。子ども本人は今まで通り、授業中でも自由に歩き回ってしまう。多くの小学校教諭の力量では、コンプライアンスに抵触せずにこれを阻止するということができず、結局、「誰一人取り残さない(Leave no one behind)」(SDGsの持続可能な開発目標)どころか、歩き回るのを放置し、「学び」から意図的に排除されているのが現状ではないでしょうか。  このことについては、本会のメンバーである黒米聖さんが実践家として、強い問題意識をもって取り組んでいる研究課題ですので、交流してみるのもいいと思います。  充実した個人によって、充実した組織や社会が形成される。同時に、組織に帰属することによって、個人はより充実する。そのような好循環を私は期待したいと思います。これはもちろん、強制や体罰を伴うような「社会化」ではなく、子どもたちに寄り添って行われる「社会化支援」です。保育士ならたとえば「けんかの仲裁」など、これに即した多くのスキルを持っているはずです。 また、「主体的学びによる社会的・国際的視野の拡大」については、本学会においても、たとえば、松浦広明さんが、「グローバルヘルス−MDGS、SDGSを経て、その次へ」というテーマで、個人的視野にとどまりがちな「健康問題」を社会的・国際的な視野からとらえることの重要性と課題について力説しています。健康問題に限らず、人々のQOL向上のための支援を国際的な視点でとらえ、現地の人々の喜怒哀楽と寄り添い、共感的理解を深めるためには、なんといってもフィールドワークが効果的だと思います。  しかし、学生や市民などにとっては、そのための金銭的、時間的余裕はないことが多いでしょう。その場合、国内でのワークショップによるいわば「シミュレーション」が成果をあげられると思います。そして、今日の全地球的なネット環境を考えた場合、われわれが過去のパソコン通信時代に夢見てわくわくした「国境を越える交信」も可能になってきています。そこでの対話によって、国際的視野の拡大を実現することができると思います。  現在、ICT環境は驚異的な発展を遂げています。地球の裏側の人とのリアルタイムのワークショップを、個人ベースで無料、または安価でできるようになっています。そして、これらの「知的生産」のための技術面での支援が求められていると考えます。 質問2 「自己決定力の伸張支援」に関して Q 先生の提言の中で「自己決定力の伸張」を教育の中で支援する必要性に関してのお話がありましたが、具体的な方法について先生のお考えをお聞きしたいです。 A 私は、高等教育の視点から、「ワークショップ型授業の構成要素とその効果−学生の自己決定能力を高める授業方法」という論文を発表しました(大学教育学会『大学教育学会誌』22巻2号、pp.194-202、2000年)。そこでは、2日間の「生涯学習概論」の授業で、学生がどのように自己や他者に対する気づきを得たのか、その変容の過程を解明することによって、学生の自己決定能力を高める授業の構成要素とその効果を明らかにしました。第1に、ワークショップ型授業によって、即自から対自へ、対自から対他者へと学生の気づきが促され、対他者から再び対自や即自のより深い気づきへと循環する過程を明らかにしました。第2に、学生の自己決定能力の到達段階の把握に基づく戦略的な指導内容と授業構成の必要性を提起しました。  そこでは、指導者としての私の行為として、課題提示(問いかけ)、紹介(読み上げ)、回答(レスポンス)、指示(ワークの進め方)が頻繁に行なわれました。そのことによって、役割提供機能(ワーク)、表現支援機能(文章、話し合い、発表)、受容機能(学生の表現への評価)、課題解決機能(気づきの促進)、揺さぶり機能(固定概念の打破)を発揮することができたと考察しています。しかし、それとともに、「学生の自己決定能力を高める授業方法」としては、学生記述やワーク成果の分析から、ワークショップ及びそこでの対話と自己内対話がポイントになると結論付けました。 質問3 「情報技術の活用」及び「社会教育のコア」について Q 非常にセンスが良く、簡潔にまとめられて、学びになりました。以下、二点、教えてください。@近年の学びや資格認証で、情報化は飛躍的に重視されていますが、これを活用して情報技術を取り入れる上で、特に大事なことは何でしょうか? A西村先生の幅広い社会教育で、もっとも大切にされていること、そのコア(核や哲学)は何でしょうか? A 大切なご質問をいただき、感謝しております。情報環境の驚異的な発展は、個人発信型のインタラクティブなコミュニケーションを可能にしています。これまでの「教える人→学ぶ人」という一方通行の学びではなく、1対N、N対Nの「学びあい、支えあい」という相互関与の学びの可能性が広がっているのです。これは、HAVE(資格や財産を持つ)からBE(人間らしく存在する)へ、BEからWITH(共に生きる)への生涯学習の発展を支えます。  そして、情報技術の発展はわれわれにわくわくするような楽しさを与えてくれます。梅棹忠夫が過去に追求し、普及を目指した「知的生産の技術」が、今日の情報技術によって誰でもコスパ良く、タイパ良く使えるようになっているのです。情報技術の上手な活用は人々のQOLを高めることにつながります。そのとき大切なことは、QOL支援者のほうも、わくわくしながらこのような楽しさを味わうということです。そのためには、情報技術を物神化せずに、いわば楽しんで「使い倒す」というアマチュア精神が必要だと思います。  また,私が大切にしている幅広い社会教育のコア(核や哲学)についてですが、社会教育は「何でもあり」の世界です。そこでは、行政の行う講座も含めて人々の主体性が核になります。今や学校教育においてさえ、「主体的学習」の大切さがあらためて評価されるようになってきました。押しつけでは人も文化もまちも育たないのです。  さて、この原則の上で、社会教育において個人化(個人として充実するための能力を獲得する過程)と社会化(社会の一員として充実するための能力を獲得する過程)が一体的、断続的に行われると私は考えているのですが、もう一つ、社会教育は重要な機能を果たしています。それが「癒し」です。「癒し」とは原点回帰のことで、生まれたままの喜怒哀楽の状態を取り戻すことだと私は考えています。それは、QOLにとっては欠かせない機能だと考えます。そして「癒し」による原点回帰は、多くの場合、「個人化」や「社会化」に向かう節目のところで行われていると感じています(西村美東士「個人化の進展に対応した新しい社会形成者の育成―キャリア教育及び青年教育研究の視点から」日本生涯教育学会年報33号、pp.145-154、2012年11月)。  戦後、寺中作雄は、社会教育の代表的存在の一つである公民館を「社会教育機関」「社交娯楽機関」「町村自治振興の機関」「産業振興の機関」「新しい時代に処すべき青年の養成に最も関心を持つ機関」と謳いました。社会教育は、そもそも、人とまちが育つ場であるとともに、癒される「社交娯楽」の場なのです。現在、各地で行われているワークショップも、「笑い」が絶えないという特徴がありますが、それは過去の社会教育の「社交娯楽」の「ネオトラ版」といえるでしょう。そこでは、「優越した者が劣等な者を嗤うような笑い」ではなく、異なる価値観を認めたうえで、ともに生きようとする者同士の「共感の笑い」ということができるでしょう。私は、これを、癒しによる「原点リセット」としてとらえたいと思います。  本稿の趣旨は、本文で述べたとおりであるが、今回の質問への回答において、いわばその趣旨の私なりの背景について、断片的にではあるが具体的に詳述することができたと考える。  先に述べた松浦の言う「介入科学」としてのエビデンス構築のために、「社会教育の目標設定→実施→評価→改善というPDCAサイクルの実践」が、いささかではあるが具体例として貢献することができるのではないかと考える次第である。 ?