若者文化研究所 西村美東士
東急クリエイティブライフセミナー渋谷BE
今はなき渋谷東急百貨店東横店の民間教育産業東急BE
1988年3月西村美東士「個としての主張を援助するコミュニティ志向の新しい民間教育事業−東急クリエイティブライフセミナー渋谷BE」
全日本社会教育連合会『社会教育』43巻3号、pp.28-31
個としての主張を援助する「コミュニティ」志向の新しい民間教育事業
〜東急クリエイティブライフセミナー渋谷BE〜
1 BEすなわち個の存在の主張
BEは、その名のとおり、個人の人間としての「存在」に関わって、その創造、確認、さらには地域コミュニティレベルでの活動などを援助することを目指している。
渋谷駅南口を降りると、すぐ目の前に渋谷東急プラザがある。その7階と8階に東急クリエイティブライフセミナー渋谷BEがある。
7階の受け付けカウンターの向かいは、ゆったりとしたロビーである。そのテーブルといすは、暖かみを感じさせる木製のものである。まわりの壁などの全体の色も、淡いピンクを基調としている。そのため、フロアー全体が親しみやすい感じをもっている。
モダンな雰囲気もあるが、それ以上に暖かでアットホームなムードがだいじにされている。このムードづくりの基本方針は、あとで説明するようにBEが「おとな」の女性を主要なターゲットにしていることにも関係している。
このような「暖かな」雰囲気の中で、会員自らの手作りのさまざまな「作品」が陳列されている。各教室の前の壁や廊下に、絵画やクラフトなどが展示されているのである。
その一つに会員の「ラッピングコーディネーション」の作品を展示している小さなコーナーがある。今の世の中、贈り物といってもその品物はお店にお金をはらって買うだけ。せめて、包装やリボンなどには贈り手の演出をという穏やかではあるが確かな自己主張志向の表れである。
普通のビンを和紙で上手にくるむなどという作業の中に、会員の意思とアイデアが存分に発揮されている。柄杓(ひしゃく)の柄をラッピングしたりなど、とても斬新な発想である。
BEのパンフレットには次のようにある。
「BEとはbe動詞のBE。『ある』『存在する』『〜になる』という意味を持つ言葉であり、個としての存在を証明し、主張する言葉でもあります。I think,therefore I am.−−−−−『われ思う、ゆえにわれあり。』人間のすべての行動の原点として文化をとらえ、自分自身の存在確認を行う場所。そして、それぞれの人々が、それぞれの生き方を創造し、確認する空間となることを願って、この新しい空間を『BE』と名付けました。」
「教養」としての知識の向上より、むしろ存在確認としての「文化創造」をアピールしようとする姿勢である。
今回の取材で、BEの副総支配人の櫻井さんに、お忙しい中、インタビューに応じていただいたが、櫻井さんは「今まで絵画などばかりでなく、教養面の講座でも『つくる』ことに力を入れてきた。今後もそうしたい。」と言っているのである。
ファッションとしての教養ではなく、人間存在に肉薄する文化創造に民間教育事業がアプローチしようとしている。しかも、そのやり方は「民間教育事業」らしく、スマートかつファッショナブルなのである。
2 若者の街、渋谷の中で
渋谷は新しいタイプの町である。通りが、店が、そして電話ボックスまでもがしゃれている。
渋谷の街づくりのこの明らかな成功のカギとなったのが、西武パルコである。駅からちょっと歩かねばならず、決して立地条件がいいとは言えない所、「公園通り」を若者のメッカにしてしまった。
他にこの通りには若者の「文化拠点」として「ジァンジァン」がある。これは、教会の地下にある劇場で、最先端の文化活動が行われている。
そして、東急系のデパートとして「ハンズ」がある。これはクリエィティブライフストアーと銘打ち、「手づくり」のブームを生み出した店である。最近は、その近くに、西武系の「雑貨屋」イメージのデパート、ロフトがオープンしている。
たとえば、ハンズはデパート会社の系列ではなく、東急不動産の子会社としてオープンした。そして、それまでの流通業の人たちの常識では考えられないデパート経営をした。店子(たなこ)に場所を貸すのではなく、いいものを探して買い取って来て自らが売るのである。
若者に受けている店は、表面的には従来どおりモノを売っていて、それがよく売れているだけにしか見えないのだが、このように本質的には何かしらの「情報」を売りものにしている。どこも若者に誇れるような情報のアンテナを持っていて、それによって得た新鮮な情報を売場での「品揃え」の形などでアピールするのである。「なぜ渋谷だけが」と他の街が歯噛みをするほどの勢いの差も、その情報の魅力の差から生まれる。
それでは、渋谷BEの存在する「渋谷東急プラザ」もこの「波」の中にあるか。実はそうではない。駅前ではあるのだが、国道などによって分断された立地である。そして、駅から少し離れた公園通りより、かえって波に乗りにくいのである。それゆえ、「プラザ」の店の品揃えは、むしろアダルトの特に女性重視である。BEも「プラザ」の階上にあるのだから、当然その影響を受けている。
しかし、それでもBEは常にこの公園通りの「渋谷」を別物ではなくライバルとして意識している。櫻井さんの言葉のはしばしにその意識が表れているのである。若者の意識をひきつけるものは何なのか。逆に若者がそっぽを向かないようにするためのコツはないのか。情報やノウハウは、どのように手に入れたらよいか。若者のニーズへのこのような鋭い感受性がないと、誰を相手にする商売でも成功しない。情報ソフトが肝心なのである。
学習機会も同じであろう。たとえば、若者に魅力があるネーミングは、基本的には中高年にも心地よいのではないか。このように、BEはもっと年上の「おとな」の学習にも、うまく渋谷の「若者センス」にあふれた情報力を活かしながらアプローチしていると言える。
3 地域レベルの学習の場をめざす
BEは東急電鉄の生活情報事業部の一事業として行われている。だから、櫻井さんも電鉄マンの一人だ。
東急電鉄は、田園調布や田園都市線などに代表されるような沿線の地域開発、しかも大都市サラリーマンの高級ベッドタウンとしての開発を手がけてきた会社である。電車やバスなどの足の確保はもちろん、宅地造成、駅ビル、流通などもやってきたのである。
そして、BEもこの地域開発の視点から発想されて誕生した。櫻井さんは言う。「地域開発が一段落して、物的な充足がなされると、次には健康、さらには文化に人々の目が向けられるはず。そこで、これらのニーズへの対応として、まずは拠点である渋谷に本拠地としてのBEをおいたのです。」
東急がこの事業に参入した昭和58年の当初のパンフレットの「あいさつ」にもすでに、「(BEは)『人間の豊かさを求める』東急グループが展開している文化事業の一翼を担うと共に、総合的な街づくりの一環としての地域コミュニティ活動の面でも重要なファクターとなるものと位置付けております。」と書かれている。
つまり、東急沿線の地域レベルで文化的な活動を充実させることが、BEの第一義的役割と言えそうである。
実際にもたとえば「ジョイガーデン英会話サークル」をやっている。「ジョイガーデン」というのは、同じ生活情報事業部の持っているファミリーレストランである。
その鷺沼店とたまプラーザ店という所で、朝の仕込みの空き時間を利用して英会話教室を行っているのである。コーヒー・教材費を含めて全十回で一万七千五百円。チラシには、これらの講座の企画・運営について「BEが責任を持って担当いたします。」と明記されている。
名称はあくまで「サークル」である。櫻井さんは「教室形式ではなく、自宅のリビングルームのような雰囲気をねらっている。」と言う。プログラムの内容も「教科書英語」ではなくいわば実際の状況に応じた「会話センス」を主眼にしている。
さらには「地域コミュニティ活動」の場として、各主要沿線駅ごとにBEを作っていくという。年内に池上線雪谷大塚駅の駅ビルができるので、そこにまずは4教室でオープンする予定である。
民間教育事業に「地域コミュニティ活動」そのものを考えるようなメタな学習は無いとしても、それ以外の「地域コミュニティ活動」の一部としてのこのような学習ならば、たとえば健康や文化に関する活動などに、民間が積極的に取り組んでいく意義と可能性は今後充分に考えられるであろう。
なぜなら、たとえばファミリーレストランなどは今やいたるところに「配置」されていて、考えようによっては、それらは「下駄ばきで行ける」現代的学習施設に充分なりうるのであるから。
4 新しい時代の要請にこたえる内容とネーミング
最後に、櫻井さんに最近の特徴的な講座を御紹介いただいた。一つは「まったく初めての人のために」というシリーズであるという。
まだ一年も経過していない試みであるが、人気があるそうだ。たとえば、このうちの「絵画入門」の前半の3カ月は各種の絵画についてのレクチャーだ。後半の3カ月は実技中心だが、道具は買い揃えなくても貸してもらえる。このようにして、学習層の底辺の拡大までも成功裏に行われているのである。
これは、他でよく見かける「初心者入門講座」と、大きな差がある。「まったく初めての人のために」なら、「昔から関心があった」という人ではなくても、退職などに際して「まったく初めてだが、この際、生涯計画に位置づけて始めてみたい。」となりうる。そして系統的に学習していくうちに、その中でも何が特に自分に合っているかがわかってくる仕組みである。
その他、「もう一度学ぶ人のために」というシリーズがある。たとえば日本史の「ポイントだけをスピーディーに」高校の先生が教えてくれる。
ひと昔前ならば、ある芸術部門の系統的な把握や、学校時代に習ったことの「復習」のための教育事業などは、一般の学習者にとって直接の利益になるわけでもないので魅力に乏しく、商売として成立する条件にはなかった。
しかし、そんな新しい学習ニーズが、生涯教育時代の中で表れ始めている。BEは、その端緒を素早くとらえて、企画内容においてもネーミングにおいてもさっそくそれに対応している。
以上のようにBEの文化創造、地域コミュニティ活動、系統的学習、学習層の拡大などを見てくると、そのコンセプトに大いに学ぶ点があると同時に、特に都市部における公的事業の役割についてはもう一度見直す必要を感じさせる。
もちろん、公民館などでも「地域での学習」や学習層の拡大のための「入門講座」をやっている。しかし、それだけでは民間との差がなくなりつつある。やはり、次には、「地域で」だけでなく「地域を」学習するなどの学習課題論に立ち入らない限り、成人教育事業の提供体としての「公」と「民」の「棲み分け」の説明はできなくなってきそうなのである。
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