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若者文化研究所は若者の文化・キャリア・支援を専門とする研究所です。

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昔の若者CONCEPT

昔の若者のトレンド

    若者文化研究所 西村美東士


70年代ディスコ



■ セクシーバスストップ ■
1 右足から右に4歩
2
3
4 手を叩く
5 左足から左に4歩
6
7
8 手を叩く
1 右足から4歩で右回転しながら右に動く
2
3
4 手を叩く
5 左足から4歩で左回転しながら左に動く
6
7
8 手を叩く
1 両足を飛んで開く
2 両足を飛んで閉じて揃える
3 右足を蹴る
4 右足を蹴る
5 右足を4回蹴りながら右90度ターン
6
7
8

■ ウルトラバスストップ ■
ラブマシーン
1 休み
2 右足を蹴る
3 休み
4 左足を蹴る
5 右足を蹴る
6 左足を蹴る
7 左足を一歩前に出すと同時に腰を前に出す
8 腰を後ろに引く
1 腰を前に出す
2 腰を後ろに引く
3 腰を前に出す
4 右足を一歩出すと同時に床を2回鳴らす
5 右足を蹴る
6 左足を蹴る
7 左足を右足の前にクロスさせる
8 左足・右足の順で前に一歩出す
1 右足・左足の順で後ろに一歩戻す
2 右足を右に出す
3 両足ともに左に90度ターン
4 右足を蹴る
5 右足を元に戻す
6 左足を大きく一歩前に出す
7 右足も大きく前に出す
8 右足を右に出す
1 右足を左足の真後ろに戻す
2 左足を右手でタッチする
3 左足を元に戻す
4 右足の踵を右手でタッチする
5 右足を元に戻す
6 2歩目(左足)で左に90度ターン
7 後ろに2歩
8
1 左足から前に一歩
2 右足で右に90度ターン
3 左に2歩
4
5 右足から右に4歩
6
7
8
(結果として90度左に向いている)

■ ロックチャチャ No1 ■
レディーバンプ

1 BOXを3回
2
3
4
5
6
7
8
1
2
3
4
5 右足つま先を左に向けて前に出し、腰も前に出す
6 腰を後ろに引いて、左足を軸に180度ターン
7 右足つま先を左に向けて前に出し、腰も前に出す
8 腰を後ろに引いて、左足を軸に180度ターン
1 右足を前に一歩出す
2 ためる
3 左足も前に一歩出し両足を揃える
4 ためる
5 左足を後ろに一歩引く
6 ためる
7 右足も後ろに一歩引き両足を揃える
8 ためる
1 右足を右に一歩出す
2 ためる
3 左足も右に一歩出し両足を揃える
4 ためる
5 左足を左に一歩出す
6 ためる
7 右足も左に一歩出し両足を揃える
8 ためる

■ ロックチャチャ No2 ■
恋のショック ベビーシッター
1 右足を前に一歩
2 左足を右足の前に一歩
3 右足を右後ろに一歩引く
4 左足を後ろに引いて両足を揃える (以上BOX)
5 BOXをもう1回
6
7
8
−−ボックス始め
1 右足つま先を左に向けて前に出し、腰も前に出す
2 腰を後ろに引いて、左足を軸に180度ターン
3 右足つま先を左に向けて前に出し、腰も前に出す
4 腰を後ろに引いて、左足を軸に180度ターン
−−ボックス終り
5 右足つま先を左に向けて前に出し、腰も前に出す
6 腰を後ろに引く
7 腰を前に出す
8 腰を後ろに引く
1 右足を後ろに引いて両足を揃える
2 左足を蹴ると同時に手を叩く
3 左足を後ろに引いて両足を揃える
4 右足を蹴ると同時に手を叩く
5 左足を蹴る
6 右足を蹴る
7 左足を蹴る
8 右足を蹴る
1 BOXを3回 以下省略

■ 恋のブギー ■
恋のブギ ソウルドラキュラ

1 右手を右に動かす
2 ためる
3 左手を左に動かす
4 ためる
5 両手を下に動かす
6 ためる
7 右手を前に動かす
8 ためる
1 左手を前に動かす
2 ためる
3 両手を下に動かす
4 ためる
5 右足つま先を左に向けて前に出し、腰も前に出す
6 腰を後ろに引いて、左足を軸に180度ターン
7 右足つま先を左に向けて前に出し、腰も前に出す
8 腰を後ろに引いて、左足を軸に180度ターン
1 右足を前に一歩出す
2 ためる
3 左足も前に一歩出し両足を揃える
4 ためる
5 左足を後ろに一歩引く
6 ためる
7 右足も後ろに一歩引き両足を揃える
8 ためる
1 右足を右に一歩出す
2 左足も右に出して両足を揃える
3 左足を左に一歩出す
4 右足も左に出して両足を揃える
5 飛んで両足を開く
6 飛んで右足を前に、左足を後ろに引く
7 両足を軸に飛んで180度左ターン(反時計回り)
8 飛んで両足を閉じ、手を叩く

■昭和53年9月30日 東京都府中青年の家所報『けやき』第14号
自主事業のひとこま
―ダンスフェスティバル進行中―
去年、十二月十日、私が初めて持つ主催事業、「ダンスフェスティバル」が行なわれた。一泊二日で、最初の夜を、新宿のディスコの店の人を講師とした「ディスコタイム」、次の日を、フォータダンス連盟の人を講師とした「フォータダンス・レクダンスタイム」とした。ディスコについては、社会教育事業の中では、いまだ市民権をもっていないが、ディスコを社会教育に位置づけることもこの時のねらいであった。ディスコを踊るのは、楽しい。一昔前のゴーゴーも楽しいが、法則性をもったステップを皆で合わせて踊るのもさらに楽しい。しかし、ディスコの店の中で、青年たちは、意外なことに、ひとりぼっちである。ステップを合せた瞬間の連帯感は、ひどくたよりない。そして、うまく踊れなくて隅で、ちぢこまっている連中は「カッコ悪い」連中。それが、かわいい女の子でもない限り、教えてやろうなどとは夢にも思わない。今回の「ダンスフェスティパル」は、ディスコを踊る楽しさを味わうこともさることながら、そういう「踊れたくてもついてゆけない」仲間を、フロアにひっぱり出して楽しく踊れるよう心がけた。このような「あたたかい」ディスコは、お店では、なかなかできないと思う。その後、実行委員会を組織し、今年に入って、「ジルパフェスティパル」を行なった。今度は「ミニダンスフェスティパル」を行なう。いずれも五十人程度の「ミニ」だが、後者では、参加者が、客としてではなく、「講師」として参加する。東京のいろいろなサークル、特にレクリエーションサークルが得意のダンスを教えあい、交流する機会になればと思っている。(社会教育主事)

■「ダンスフェスティバル−サークルリーダーレクリエーション研修会」報告
54.12.17
青ブロ・レポート 東京都府中青年の家 西村美東士
T 経過
(52年)
4月上旬
 係会にて自主事業検討。その際、前任者の「サークルリーダーレクリエーション研修会」をひきつぐ。その後、府レク(府中レクリエーション研究会)に入会。今回の「ダンスフェス」への協力をとりつける
12月10日〜11日
 ・「ダンスフェスティバル」講師はディスコ店長及び、高田恭男。他に分散会。
(53年)
2月
実行委員会発足(54年12月現在で、計25回開催)
4月15日〜16日
五日市青年の家へ、交流及び自然観察ハイク。五青ボラの真剣さと、自然の深さに感激
6月3日〜4日
・「ジルバフェスティバル」―ロックンロールでジルバを踊ろう―
8月21日
合宿実行委員会「みずたき風ぶた肉スープ」
9月30日〜10月1日
・「ミニダンスフェスティバル」―みんなで教えて、みんなで踊ろう―
11月3日〜5日
・「ダンスフェスティバル」(類型別レクダンス(丸山)、ディスコ(「GET」)、みんなで教えるコーナー(RD、ディスコ、SD、テニス)キャンドルサービス、分散会(自己紹介))
12月23日〜24日
・「Xマスパーティー」キャンドル、ダンス、ゲーム、そして全員参加でフリータイムのフリートーキング(30名程)
(54年)
2月11日〜12日
・「ぶっちゃけディスカッション」1、生きがいについて、2、これからの「ダンスフェス」
9月15日〜16日
・「ダンスフェスティバル」FD・RDの交流(港区ブルースリー、府レク、府中FD、都水道局)、ディスコタイム、FD(奥野)
12月22日〜23日
・「Xマスパーティー」パーティー、新年会、ダンス
U目的
1、「青年の家的」でない青年たちの獲得
2、レクサークル(閉鎖的?)の「カラ」を破る。交流の契機。
※なんといっても、踊る楽しさを知ること
V 成果
1、ふれあい…知りあえた、いっしょうけんめいやっている仲間に感動した、異性との会話、自分を覚えていてくれた、「青年の会」への偏見をなくしてくれた、若者が一つになって何かをやった、未知の人に対して心が開けるようになった
2、実行委員の成長…人や「ものごと」とのめぐりあい。とくに、「めだちたい、自分も楽しみたい」との ”かっとう”。
3、レクサークルの交流…ただし個人的つながり
4、青年層の「拡大」…ディスコボーイが「ステップ指導」をした
W課題など
1、ディスコについて
「青年の家でやるディスコは、わからない時、きがるに教えてもらったりできるから楽しい」「踊りが大好きな人たちがホントに踊りを楽しむ場所であってほしい。ディスコは体育館みたいなもんです」
しかし…民営ディスコの問題、踊りの無法則性、脱集団性…
2、実行委員会について…青年の家の職員としてのかかわりかた、実行委員に何を要求するか(「ウラカタ」をやらせるかどうか)
3、学習・話し合いへの要求はあるのか、どうあるのか、
4、「リーダー研修」の可能性
5、「仲間づくり」は都の役割か
6、今の青年の「やさしさ」「個人主義」をどうするのか
【当時の社会教育主事には、このような研究発表と交流のための研修の場があった。】








■青少年施設とそのリーダー
S56.2.1/ユースワーカー能力開発協会
ユースワーカー
ルポ 青少年施設とそのリーダー Vol.10
東京都立武蔵野青年の家
―西村 美東士さんの巻―
レポーター田中治彦
青年の家でディスコを
西村美東士さんの府中青年の家での最初の仕事は「サークルリーダー・レクリェーション研修会」である。今から四年前、彼が動労青少年指導者大学講座を第一期生として卒業した年の四月であった。
西村さんはまずこの「まじめな」タイトルにこだわった。「レク研修会」のイメージはフォータダンスや室内ゲームであり、これではいつものまじめな「青年の家」的青年しか集まるまい。この際今までの青年の家ではつかみきれなかった「普通の」青年たちにアプローチしてみたい。それにはどうすればよいのか?また一般的に閉鎖的で「内弁慶」なレクサークルの巾を広げ、お互いの交流を深めてもみたい。それにはどうしたらよいのか?
彼の一つの回答は、ディスコを青年の家にもちこむことであった。不安はあった。青年たちはついてきてくれるだろうか?まわりから変な目で見られはしまいか?しかしともかくもやってみたい。看板をレク研修会から「ダンスフェスティバル」に書き改めた。彼はさっそく府中レクリェーション研究会(府レク)に入会する。そして初回のみ府レクがフェスティバルに協力してもらえるよう了解をとる。
第一回のダンスフェスティバルの日が来た。一九七七年十二月十日である。オリエンテーションをし、タ食をとった後さっそくディスコタイム。踊りの指導はその道のプロ、新宿のディスコクラプ「GET」のマスターだ。やさしいステップから離しいステップへ。生まれて初めてという人も、毎週ディスコに通いつめているものも、いっしょになってステップを踏む。最初はどきまぎしていた人たちも次第にステップを楽しめるようになる。ディスコのステップは、ディスコ好きの友人でもいない限りなかなか教えてもらう機会もない。そんなことからディスコに反発を感じる青年もいるだろう。そんな青年もディスコ好きになる。
講習の時間が終っても延々とディスコは続く。ここで現われたのが「ディスコボーイ。」卸売センターに勤める「いかした」若者で、なかなかの人気者。難しいステップは彼の独壇場だ。皆はまわりを囲んで見とれている。そのうちに夜も更けてゆき、第一回のディスコパーティも無事成功裏に終る。

ニ回目からは青年が運営
翌年からは実行委員会が運営に当り、西村さんや府レタは裏方に回った。その間二度ほど「ミニレク研究会」の形でジルバやレクダンスの集いが持たれる。二回目のダンスフェスティバルには「都のおしらせ」などで知って個人的に来た人が多く「青年の家」のワクもちょっぴり広がった。しかし、ふとんを敷きっぱなしなので、「お客様」的な人が多く運営の方はてんてこまい。
参加者の声を聞いてみよう。―去年の人が覚えていてくれた!(Aさん)、いわゆる『青年のつどい」のようなものに対する偏見がなくなりました。(T君)、未知の人に対して心が開けるようになった(S君)、いっしょうけんめいやっている仲間に感動(Hさん)。
一方でウラカタさんの実行委員の声――私もめだちたい、オレも踊りたい!――葛藤があるようです。
そして三年目。西村さんに言わせると「画期的」なことが起こる。毎年皆の前でかっこよくワンマンショウを演じていた例の「ディスコボーイ君」。つかつかと皆の前に出てゆき、ステップの指導を始めたのである。これには一同やんやのかっさい。

ディスコは不良ですか
紅余曲折はあるものの「青年の家」にディスコが定着してゆく。上の人とあつれきはありませんでしたか、とお聞きしたところ、「夜の時間の延長、予算等、実務的な間題はあったものの、ディスコをすることそのものの反対はなかった。」とのお返事。都立青年の家の、「革新的」部分であろうか。もっとも若者たちは気軽にディスコに出かけていく。あたり前の若者文化なのだから当然といえば当然なのだが。
しかし、若者文化からきらにかけ離れた所があるという。それは――学校。この三月に東京都の主催で高校生の洋上セミナーがある。それに班長として乗船する西村さんがディスコを提案したところ、学校の先生方から猛烈な反対を受けたという。西村さんの「革新的」なアイディアも社会教育止まり、ということらしい。
西村さんは今は武蔵野青年の家の方に移っているが、今度は一転してマジメに青年の「生活課題」にとりくんでみたいという。その第一弾が一月下旬の『あなたの住宅問題を語るつどい』だそうである。こちらの方も成功を祈りたい。
(付記)なお西村さんはディスコのステップなどを直接教えてくださるそうです。連絡先は―東京都武蔵野青年の家 西村美東士

■「生涯学習 か・く・ろ・ん −主体・情報・迷路を遊ぶ−」
 1991年4月25日 第1版
視点1
あたたかいディスコダンス
 青年たちと久しぶりに新宿のディスコにでかけた。昔ほどの熱気はなかったが、それでもフロアは若者でいっぱいで、けっこう楽しめだ。しかし、昔よりおとなしい曲が多く、それに合わせてめいめいが各様の踊り方をしていた。
 実は私は、青年の家の職員だったころ、主催事業としてディスコダンスの合宿をやっていた。そのころ、まちではディスコが熱っぽくはやっていたが、社会教育の場でそんなことをした前例はどこにもなかった。実行委員の青年が踊り方をどこからか仕入れてきて、みんなに教えた。時にはディスコの店長を招いて教えてもらったこともある。
 当時はバスストップなどのステップダンスが多かった。これは、バスの停留所に並ぶような形でみんなでステップを合わせる踊り方である。そこでは生まれて初めてディスコをやるという人も、毎週ディスコに通いつめている人もいっしょになってステップを踏む。 青年たちの感想は「踊りが大好きな人たちがホントに踊りを楽しむ場所。ディスコは体育館みたいなもんです」とか、「青年の家でやるディスコは、わからない時、きがるに教えてもらったりできるから楽しい」などであった。「ヒトに教えるなどとんでもない。人の前でカッコ良く踊るのが生きがい」という様子のディスコボーイが次第に実行委員会にのめりこみ、三年目のフェスティバルでは、スッと前に進み出てマイクを握り、一歩一歩そのステップを説明してくれた時は、私も他の実行委員の連中も大喜びした。
 ディスコで汗をかくと、とにかく身も心もすっきりする。しかし、今も昔もお店のディスコでは青年は意外にひとりぼっち。相手がかわいい女の子でもない限り、踊れないで隅にいる他人を、じょうずな者が教えるなどといったことはありえない。その点、社会教育や青年団体活動の場では、もっと「あたたかい」ディスコができるのだと思う。
 そんなことを思う時、年のせいかもしれないが今のディスコにものたりなさを感じる。みんなで教え合い、初めての人でも簡単にリズムにのれるバスストップのような「古き良きディスコ」に愛着を感じる。今でもそのステップを教える機会が時々あり、そんな時は私自身が心から楽しんでしまっている。

■こ・こ・ろ 生涯学習
 −いばりたい人、いりません−
●1 こころを開いて交流できる仲間づくりの方法
 ぼくは二十代の六年間を東京都青年の家の職員として過ごした。これは、そこで出会った青年たちのあたたかい記憶を思い出しながら書いたものである。●(1) そういう事情から、本論はやや楽天的すぎる傾向があるが察してほしい。ここでは、現代人の抱えている山アラシジレンマの問題から逃げずに、それを受けとめ、乗り越える方法を具体的に考えてみたい。なお、後半はロール・プレイングの活用に絞って述べている。
●(1) あったかいディスコ
 今から十年ほど前、ぼくが青年の家の職員だった時、ディスコダンスを取り入れて「ダンスフェスティバル」を行っていた。そのころ、まちではディスコが熱っぽくはやっていたが、社会教育の場でそんなことをしたのはこれが初めだったと思う。
 地域のレクリエーション研究会や青年の家のボランティアグループのメンバーなどで実行委員会を結成して準備や運営に取り組んだ。新しいディスコのステップを実行委員が友達やディスコなどから仕入れてきて、実行委員会の例会で教え合ったりした。フェスティバルの本番ではディスコの店長を招いて教えてもらったこともある。
 当時は「バスストップ」などのステップダンスの全盛時代だった。これは、バスの停留所に並ぶような形でみんなでステップを合わせる踊り方である。今から思えば、いにしえのディスコということになるが、アップテンポのリズムで初めての人でもみんなとステップを合わせて簡単にノルことのできる「古き良きディスコ」は、技術を要する今のフリーダンスよりみんなで取り組みやすいダンスだった。青年の家のフェスティバルでは、生まれて初めてディスコをやるという人と、毎週ディスコに通いつめている人とがいっしょになってステップを踏んだ。
 参加者は次のように感想を書いてくれている。「踊りが大好きな人たちがホントに踊りを楽しむ場所。ディスコは体育館みたいなもんです」、「青年の家でやるディスコは、わからない時、きがるに教えてもらったりできるから楽しい」……。
 ディスコで汗をかくと、身も心もすっきりする。これはお店のディスコも同じである。しかし、お店のディスコでは青年は意外にひとりぼっちだ。ステップがわからずにフロアーで立っている人を、じょうずな者が教えるなどといったことはない。それに対して、青年の家ではもっとあたたかいディスコができたとぼくは自負している。なかでも、もっとも印象に残っているのは、ディスコボーイのA君がステップ指導をしてくれたことだ。「ステップを一歩一歩教えるなんてかっこ悪いことはしない。カッコ良く踊ってみせるのが生きがい」というのが、普通のディスコボーイのやり方である。A君もそうだった。
 彼は最初はたんなる参加者だった。しかし、A君のステップのかっこよさにしびれた実行委員は、さっそく彼を実行委員会に引きずり込んでしまった。彼は次第に実行委員会にのめりこんでいった。そして、三年目のフェスティバルでは、難しいステップの曲がかかった時に、スッと前に出てきてマイクを握り、百人以上の参加者の眼前で一歩一歩ステップを説明してくれたのである。
●(2) いっしょにつくりあげるから「あったかい」
 ここで、もう少し参加者の感想を拾ってみよう。「いろんな人と知り合えた」「汗を流し、おおいに笑えた」「心からバカになって、ほんとうの自分が出せた」「先日のミニフェスティバルに参加をした人達と再び会えたことが、そして、覚えていてくれたことが思いがけなくうれしかった」「若者達が一つになって何かをするということは、たいへんすばらしいことだと思う」「実行委員の人が一生懸命やってくださっているのがよくわかり、感激した」。このように、参加者は「あたたかさ」や「仲間の良さ」を味わうことができた。
 ところが、実行委員は、「めだちたい、楽しみたい気持ちとの葛藤がありました」などと感想を書いている。準備を重ねて、やっと迎えたフェスティバル本番では、照明係やレコード係をやっていて肝心の踊りを楽しむことができなかったし、食事や宿泊の心配などをしたりで地味な努力も多かったのである。しかし、それだけに「あたたかさ」、「仲間の良さ」への感動も別の大きなものがあった。ある実行委員は、一言だけ、「ひと・ものとのめぐりあい」と感想を書いてくれている。
 自分たちで企画して、自分たちでつくりあげていくのである。企画を実際に実現しようとすると、ささいなことから大きなことまで、さまざまなものごとやできごとと出会う。たとえば、ディスコクィーン、ディスコキング(コンテスト優勝者)への投げテープの代わりにトイレットペーパーを使おうと彼らは企画したが、職員のぼくに「もったいない。トイレットペーパーを作っている人の気持ちを裏切ることになるのではないか」と止められてしまったことがある。
 ものごととの出会いの中で、意見の違いも出てきた。仲間のいい性格も表れれば、あまり良くない性格も表れてしまう。けれども、そこに本当の「人とのめぐりあい」がある。「よそごと」「ひとごと」でない逃げのない人間関係、これが本当の「あたたかさ」につながるのだろう。
 何かをいっしょにつくりあげるからこそ、ひととの本物の出会いがある。だから「いっしょにつくりあげること」は仲間づくりの最大の秘訣である。いっしょに酒を飲むのだって、いっしょに汗した仲間だから楽しいのだ。ディスコボーイのA君がステップ指導をする気になったのも、ただたんに参加者として楽しんだからではなく、実行委員としてみんなとやってきたからなのである。
 何かいっしょにつくりあげようとするものをもつこと、そして、その何かをみんながつねに頭の中にはっきり描いていること、つまり「明確化」とある程度の「共有」をしていること、これこそが究極の仲間づくりの演出のねらいなのだ。これから述べるさまざまな演出も、すべてそのためにあるといっても言いすぎではないだろう。
●(3) 安心してしゃべれる会議 略

■生涯学習と文化の街づくり
              岩淵英之編著『生涯学習と学校5日制』エイデル研究所
               昭和音楽大学短期大学部助教授 西村美東士
1−3 それぞれの文化活動の価値には序列がつけられない
 私が東京都青年の家の職員だったころ、主催事業としてディスコダンスの合宿をやっていた。当時は社会教育の場でそんな前例はどこにもなかったが、実行委員の青年たちが踊り方をどこからか仕入れてきて、みんなに教えた。時にはディスコの店長を招いて教えてもらったこともある。この事業に対する私の自己評価はつぎのとおりである。
 青年たちの感想は「踊りが大好きな人たちがホントに踊りを楽しむ場所。ディスコは体育館みたいなもんです」とか、「青年の家でやるディスコは、わからない時、きがるに教えてもらったりできるから楽しい」などであった。「ヒトに教えるなどとんでもない。人の前でカッコ良く踊るのが生きがい」という様子のディスコボーイが次第に実行委員会にのめりこみ、三年目のフェスティバルでは、スッと前に進み出てマイクを握り、一歩一歩そのステップを説明してくれた時は、私も他の実行委員の連中も大喜びした。
 ディスコで汗をかくと、とにかく身も心もすっきりする。しかし、今も昔もお店のディスコでは青年は意外にひとりぼっち。相手がかわいい女の子でもない限り、踊れないで隅にいる他人を、じょうずな者が教えるなどといったことはありえない。その点、社会教育や青年団体活動の場では、もっと「あたたかい」ディスコができるのだと思う。
 現在では、社会教育施設でもディスコなんかふつうに行われているようだ。だが、十数年も前としてはかなりの冒険だったといえる。しかし、その当時でも現在でも、ディスコの音楽をたとえばクラシックの音楽と比べて価値の序列づけをしようとすることなどは無意味であろう。そういう価値判断は個人の勝手に任せればよいことである。
 それよりも、文化事業の評価の視点は、まず第一に人びとのニーズにマッチしていたかどうかである。そして、教育事業としては、どれだけ学習効果があがったか、という視点も大切である。マイクを持ってステップ指導してくれたディスコボーイは、実行委員などの仲間との3年間にわたるつきあいのなかで自己変容したのである。
 私は、学習とはみずからがみずからを変えることだと考えている。ある盲目の詩人が、テレビのインタビューで、「私はたまたま良い詩と出会っただけなんです。ほかのひとは、絵でもいいんです。音楽でもいいんです。そこでより深い自分と出会い、自分の人生をていねいに生きていくことが大切なんです」と答えていた。学問でも、詩でも、絵でも、お茶でも、お華でも、何でもよい。自分の好きな文化やそれにともなう新しい空間、時間、仲間に出会うことで、いろいろなことに気づきながら人生を大切に生きていくことが、生涯学習であり、文化の意味なのでもあろう。

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