個人化の進展に対応した新しい社会形成者の育成−キャリア教育及び青年教育研究の視点から−
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若者文化研究所 西村美東士
個人化の進展に対応した新しい社会形成者の育成
−キャリア教育及び青年教育研究の視点から−
2012年11月日本生涯教育学会年報
聖徳大学文学科教授 西村美東士
はじめに
―社会化の対語としての個人化―
教育は従来の価値を伝え、新しい価値を生み出そうとする行為である。しかし、そこで求めようとしている価値が問題である。教育や親の一般的現状は、若者が共感し、かつ、目指そうとできる価値を示していない。価値伝達の目標を隠すのでもなく、かといって、むやみに同化や社会適応を迫るのではなく、個人の癒しによる原点回帰及び時空間の充実と、他者との出会いから始まる社会形成とが、連続するものであることを示す必要があると考える。
それはすなわち、若者の個人としての深まりと原点回帰を支持することである。そのことによって、結果的には、到達目標を明確にして効果的に彼らの社会的能力を育てることができるだろう。その上で、地域意識、職業意識、結婚・子育て意識など、彼ら自身が社会形成者の一員としての価値観を「自分らしく」(つまり「新しい価値」として)持つことができるように支援することが、次代の価値創造につながると考える。
これまでの教育は、個性尊重を標榜しながらも、これを「社会化」の対語としての「個人化」として明確かつ積極的に位置づけなかったため、その多くは「社会化」の阻害要因としての「個人化」に目が奪われる結果になっていたものと考える。
このことから、筆者は、「社会化」を「社会の中でより充実して生きるための能力(知識・技能・態度)の獲得過程」として設定し、また、「個人化」を、それと対比させて「個人としてより充実して生きるための能力の獲得過程」として設定して研究を進めてきた1。
同研究では、社会化を個人化と関連づけて検討するため、次の具体的視点に基づいて検討を行った。第一に、社会からの要請の視点だけでなく、個人の側面の視点からも、社会化を捉え直した。第二に、社会化過程における個人化の積極的側面に着目した。第三に、社会化過程を構造的に把握し、構造モデルの類型化を図った。第四に、他者や社会への関与や参画の促進と、自問自答や自己内対話の促進の両側面から検討した。第五に、社会化における獲得能力に着目し、これを個人化と関連づけて検討し、能力ラダーとしての理解を図ろうとした。
そのため、@青少年研究関連文献におけるキーワード出現率の量的分析、A文献における「社会性」に関する論旨の量的分析、B「文献における支援理念の変遷に関する質的分析、C1,100人の若者の質問紙調査結果をもとにした若者の友人関係の類型的理解と各類型に応じた社会化支援方法に関する検討、D大学授業におけるアクションリサーチによる青少年個人の社会化の段階及び類型の理解に基づく支援方法の検討などを行った。
その結果、@社会化支援理念変遷過程に見られる「個人化」と「社会化」の分離及び青少年からの視点の縮小傾向、A個人化と社会化の一体的支援という視点の有効性、B多様な社会化過程とその構造的理解に基づく個人化と社会化の一体的支援の方法論2、C個人化と社会化の一体的支援理念を実現する政策決定・政策実施の方法論3について指摘することができた。
同研究では、本提言の主題と関連して、次の点が示唆された。
現実に、青少年自身の社会化過程や、それを支援するための政策決定過程を見ると、いろいろなパターンをたどりながらも、青少年自身の自己との対話や他者との対話、その振り返りというサイクルが必ず表れている。他者や現実社会との接点の中で、自己を客観視し、自己を位置づけることによって、個人としてより充実して生きるための能力の獲得も進むと考えられる。そのためには、個人化と社会化の双方の多様性を認め、構造的把握によって連続体として理解することと、流動性を認め、ラダーや循環を動態的に把握することが重要である。
個人と社会の流動と多様の中で、青少年の社会化支援は「普遍」と「共有」を見失ってきた。現代社会の政治・経済面での不正や格差、不透明さを見るとき、普遍的な目標や、青少年と共有できる価値を見出すことは、たしかに容易ではないといえる。社会の成員としての能力や、さらには社会参画能力についての達成目標を社会の側が設定したとしても、青少年だけでなく、支援者自身が、それを懐疑の念をもって受け止めざるをえない状況とさえいえるからである。しかし、このような状況の打開のためにこそ、個人化と社会化の相互関係を充実させることが重要であると考えたい。目標設定や共有すべき価値の根拠を見出さない限り、教育そのものが存立し得ないと考える。
本提言では、以上の観点に立ち、キャリア教育及び青年教育研究の視点から、個人化の進展に対応した新しい社会形成者の育成4のあり方を検討したい。
1 キャリア教育の視点から
社会形成者の育成を考える場合、まずは、経済社会の形成者としての「望ましい職業人」をどう育てるかということが重要になる。しかし、一部の先進的な企業内教育や職業能力開発の場を除く多くの教育の場では、展望も方法も見えずに無力感に支配されている現実を見ることが多い。
たとえば、大学におけるキャリア教育に関する否定的議論が指摘する「問題」について、筆者は次のように整理した5。
@ 業種についての理解はできても、各企業における具体的な仕事内容にそのままつながるものではない。
A 職業知識の付与は、大学では、各学科の専門性によって限定される。企業は、それを採用基準にはできない。
B 企業の側が具体的に要求する資質・能力のイメージがきわめて曖昧なままであれば、学生自身の能力の自己判断も曖昧にならざるを得ない。
C 職業に対する「構え」は、学生が職業知識に則して自らの振る舞いを制限したり、発現したりすることによって獲得できる。そのため、個々の学生のとらえ方そのものに規定されてしまう。
D コミュニケーション能力や論理的な思考は、生得的、あるいは幼児期から形成されてきたものであり、大学教育によってどのように形成されるかを具体的に示すことはできない。
E コンピテンシー(ここでは、コミュニケーション能力や論理的な思考)というのは抽象的な概念である。個々の具体的なコンテクストにおいて意味を変えるものともみることができる。
上に示したそれぞれの「問題」について、本提言の観点から、表1のとおりキャリア教育の「課題」を設定したい6。
表1 キャリア教育の課題
項目
番号
課題
職業の理解
1
具体的な仕事内容の理解促進
2必要な職業知識の明確化
自己の理解
3
具体的必要能力の明確化
4
個人の「職業への構え」の育成
自己と職業の調和
5
職業上必要な交信力と論理力の育成
6
社会対応型能力活用力の育成
これらの課題は、社会化と個人化の両側面からのアプローチを行うことなくしては達成できないものと考える。
キャリア形成において、これまでの集団主義が反省され、「個性の発現」が多くの企業や若者自身から求められていることはいうまでもない7。一方で、現在のニートの問題などから、「若者のライフコースの個人化」を批判する議論もある8。
これらのいわば「混迷」の状態において、生涯教育が、雇用流動化時代における職業生涯支援の立場を明確にし、キャリア形成に必要な社会性と個人性をともに育成するためのプロセス分析及び教育目標設定を行うことの意義は大きい。
これまでのキャリア教育に関する研究では、社会性と個人性の育成の両側面からの視点が明確でなかったため、直接的な職業能力よりも学力に、そして個人性よりも社会性に重点が偏り、上の状況に十分に応える結果を出せなかったものと考える。
コンピテンシーについては、教育界ではDeSeCoの社会参画論が一般化してしまい、一般の経済社会でいわれている「高業績者の行動特性」9などの意味が希薄化している傾向が見られるが、筆者は、まずは、「職業コンピテンシー」として、キャリア教育の視点から捉えるべきであると考える。
だが、いずれの「コンピテンシー論」においても、「分解された必要能力」が明らかになっておらず、それゆえ構造化もできていないといわざるをえない。そのため、教育側は、DeSeCoの論と日々の教育活動における目標設定をつなげられないままだし、企業の採用側は、経験知的に尺度を決めているだけといえる。
この超氷河期に、若者が自らの職業生涯に対して夢がもてるようにするためには、コンピテンシー獲得のための達成目標を「見える化」して提示すべきである。
2 青年教育の視点から
生涯教育の場では、青年教育の不毛がいわれて久しい。そこには、個人化する若者たちにマッチしていない事実がある。
「軽やかなおしゃべり」については、現在の情報通信技術によって、若者たちはわざわざ公民館に足を運んだり、青年団体に参加したりしなくても、その欲求が満たされるようになっている。しかし、その「おしゃべり」の内実は、生涯教育が提供してきた「相互教育」の場とは程遠いものといわざるを得ない。
また、個人の情報通信ツールは発達してきているが、そのため逆に、個人の自己内対話が深まらず、SNS(ソーシャル・ネットワーク・サービス)などでの他者との相互関与も浅いものになりつつあることを体験的に感じるところである。
このような状況下において、生涯教育は、個人化する若者たちに対して、「個人ツールとしての相互教育」を実現すべきであると考える。
東日本大震災の影響もあって、若者たちは、「人々の支え合い」を重視する傾向にあるといえる。生涯学習は、個人の充実とともに、地域での人々の学び合い、支え合いを進めるものである。それは現代社会が強く求めている価値である。
このことは、個人(仲間内)完結型の価値観を、社会開放型の価値観に転換させることにつながる。逆にいえば、社会開放型への転換が、個人化で行き詰まった若者を救うことになると考える。このようにして、社会形成者、地域社会の形成者としての誇りと自信をもった若者を育成したい。
その場合、個人化の支援において、とくに注目しておきたいのは、ワークショップ(WS)型学習である。筆者は、WS型授業において、「あれっ、どうなんだろうと思って、もっと考えてみたかったのに、グループは次の話題に移ってしまった」という学生の訴えを聞いた。このような自己内対話を保障できるのが「カード書き」の時間であると考える。実際に、発言時間分析をしたところ、その時間だけが極端に発言時間が少ないことがわかった10。また、「ふりかえり」と「わかちあい」においても、合意を急ごうとする学習者に対して、揺さぶりや新規課題提示などの指導行為により、自己内対話を深めさせ、それによって他者との相互関与及びプロダクツの質も高まるという経験をさせる必要があるといえよう。
指導者は、WSにおいては、学習集団全体の成果に目が奪われがちで、個人に対しても、交流への積極度や成果物への貢献度を重視することになりがちであると思われる。しかし、生涯教育においては、WSのもつ自己内対話促進機能にもっと注目し、それが協同の質を高める結果につながるということを認識すべきであると考える。
まとめ
筆者は、共生とは「共存+共有」であると考えている。個人化が進展し、「共存の作法」を習得した若者は増えているという実感はある。しかし、それは「軽やかなおしゃべり」程度のものであって、感情・価値観の共有や、準拠枠組みの異なる他者と共感するまでには至らないところに物足りなさを感じている若者も多いと他方では感じている。
後者の「共有」については、従来の社会教育ならできていたことである。ただし、それは「個人化支援」という意図はもたないままに進められてきた。今後の生涯教育では、社会化支援、個人化支援の両側面からのアプローチを目的的に行いながら、共生社会の形成者を育成する必要があると考える。
今日、教育においても、メディアから流される音楽やメッセージにおいても、「ナンバーワンよりオンリーワン」などのキャッチフレーズに象徴される「自己肯定感」(self-esteem)を重視する傾向が強まっている。
しかし、異なる他者と共存はできても共有はできないという若者が、「ナンバーワンよりオンリーワン」と言って満足してしまった場合、彼らの個人完結型の閉鎖状況はますます悪化してしまうのではないか。
このような現在の状況に対して、同調できないときには「同調できない」と言える支持的風土の集団においては、個人化の進展による「自己への関心」が契機となって、自己受容、自己成長、他者受容を経て、「社会に開かれた自己」への関心にシフトアップすることができるはずである。それは、本人の社会化の進展レベルでいえば、「共存レベル」から「共有レベル」にシフトアップすることにほかならない。
そもそも、「個人化の進展に対応した新しい社会形成者の育成」というテーマは、一見、自己矛盾した課題のように捉えられよう。しかし、図1に示した個人内のスパイラル過程の理解が、その解決策となると考える11。
図1 個人化・社会化のスパイラル
ここで「即自」とは、自分自身で感じたまま対処する状態である。個人は、ここから出発し、「対自」において、自分自身を見つめて、問題をどう解決するかを考えるようになり、やがて、「対他」において、他者との関わりを考えるようになり、対社会に発展する。そのことが、社会における自己の適正な位置づけにつながり、社会形成者として必要な能力を獲得することになる。
このスパイラル自体は連続的なプロセスであるが、本図を右の個人化支援の視点のみから見た場合は、ついたての裏は見えず、個人化プロセスに戻ってきたときだけ、その成長を「自己の充実」(人格の完成)の側面から見ることができる。左の社会化支援の視点のみから見た場合は、逆に、個人の自己への関心と自己受容のレベルアップの様子を見ることはできず、共存から共有への社会形成者としてのレベルアップの側面から見ることができる。これらのいわば「断続的観察」が、図に示したようなスパイラルとしての理解により、「連続的観察」ができるようになると考えたい。
1 科学研究費C「現代青少年に関わる諸問題とその支援理念の変遷−社会化をめぐる青少年問題文献分析」(研究代表者 西村美東士)、科学研究費基盤研究(C)一般課題番号17530588、2005年度〜2006年度。
2 同研究では、自己内対話の促進による個人の充実が、他者の自己内対話結果と交流させることによってさらに充実することを、ワークショップ型授業におけるアクションリサーチの結果から明らかにした。
3 同研究では、たとえば、個人化と社会化の統合的支援の課題に直面してきた宿泊型青少年教育施設を取り上げ、青少年の個人化傾向の否定的側面だけとらえて、団体活動の意義を単純に対置させることの問題を指摘し、個人化傾向の積極的側面を評価することによってこそ、効果的な社会化支援が可能になると結論付けた。
4 本稿では、教育の目的について、教育基本法第1条の規定から、「個人としての人格の完成」と「社会の形成者としての育成」の2側面からとらえるものとする。
5 西村美東士、長江曜子、清水英男、斉藤豊、齋藤ゆか、林史典「生涯教育文化学科におけるキャリア教育体系化の試み」、聖徳大学FD紀要『聖徳の教え育む技法』6号、pp.104-105、2012年2月。同研究では、おもに次の論文から問題点を導き出した。金子元久「キャリア教育−小道具と本筋」、IDE大学協会『現代の高等教育』No521、pp.4-10、2010年6月。同稿で指摘されている「問題点」は、フォーマル・エデュケーションのもつ、もっぱら演繹法に基づく方法論によるキャリア教育の弱点を示すものととらえられる。その点で、学習者個人の問題から発して、帰納的に問題解決を図り、社会形成者としての育成を図る生涯教育の方法論をキャリア教育に適用することは、有益であると考えた。
6 表1では、D.E.Superの職業的発達理論における「自己概念」を参考に、カッコ内に示した本研究の視点に基づいて、キャリア教育の課題を、「職業の理解」(対社会の気づき)、「自己の理解」(対自己の気づき)、「自己と職業の調和」(社会における自己の位置決め)の3項目に整理した。
7 たとえば川端大二『キャリア形成−個人・企業・教育の視点から』、中央経済社、2005年9月。
8 宮本みち子『若者が「社会的弱者」に転落する』、洋泉社、2002年11月。宮本は、「(若者の職業の)自己選択・自己責任」については、「ライフコースの個人化と問題解決の私化」と同様の問題を抱えており、「何がやりたいことなのかを自問自答するなかからは、やりたいものをみつけることはむずかしい」と述べている。
9 Harry F. Evarts, (1987) "The Competency Programme of the American Management Association", Industrial and Commercial Training, Vol.19, pp.3-7
10 西村美東士「出産・子育ての自己決定能力を育む大学授業の方法と効果−女子学生(未来の母親)の社会化を支援する技法」、聖徳大学FD紀要『聖徳の教え育む技法』1号、pp.31-49、2006年12月。同研究では、2006年度前期児童学科生涯学習指導者コース専門科目「学習情報の提供と相談」(受講学生7名)における教師の指導行為を分析した。その一環として、「(子育て支援における)学習相談に必要な能力」リスト図を作成させる授業を録画し、発言ごとに発言文字数と実際の秒数を算出し、5文字1秒と想定して発言にかかったと思われる時間を仮に割り出し、これを実際の秒数から差し引いたものが5秒を越える場合に、「空白時間」として記録した。「空白時間」は、学生個人の「自己内対話」のための時間である場合と、学生同士の協同のための「自己内対話」の時間である場合と、が考えられる。両方の意味から、空白時間も重視して分析した。その結果を下図に示す。
11 初出は西村美東士「生涯教育における『癒し』研究の展望」、聖徳大学生涯学習研究所紀要『生涯学習研究』9号、pp.29-35、2011年3月。同研究の前半では、個人化を社会化と一対のものとしてとらえるとともに、「癒しによる原点回帰機能」を両者の結節点として位置付けることによって、個人の社会化過程を全体的に俯瞰するプロセスモデルを設定した。後半では、学生の癒しニーズに関するアンケート調査の分析から、「原点志向」と「閉鎖志向」の2つの癒し因子を見出した。このことから、「癒し志向」の特性について、「自己の原点への回帰」(個人化・社会化する以前の人間としてのあるがままの状態への回帰)人間らしい前の発達前の人間らしい)と「社会との窓の開閉」(「開くことによる癒し」と「閉じることによる癒し」)の2軸で分けられる4類型が示唆された。本研究では、これをキャリア教育及び青年教育の視点から、共有と社会開放型自己の形成をゴールとするプロセスとして捉え直して本図を作成した。
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