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社会教育誌2021年4月号「社会教育士としての青少年教育のあり方」WEB版(作成中)CONCEPT

社会教育誌2021年4月号「社会教育士としての青少年教育のあり方」WEB版(作成中)

 これまで、社会教育主事という専門職は、「教育委員会事務局」に置かれ、「社会教育を行う者に専門的技術的な助言と指導を与える。ただし、命令及び監督をしてはならない」と規定されていた。市民の学習の自主性を尊重するこの規定は、社会教育の命綱というべきものである。だが、今や、「教育委員会事務局」から飛び出し、行政内部のみならず、地域学校協働活動推進員、NPO や企業等、多様な場に社会教育士が配置され、環境や福祉、まちづくりなど、多様な領域を駆け巡ることが期待されているのだ。


事業内容

社会教育士としての青少年教育のあり方

若者文化研究所代表 西村美東士

1. 多様な領域を駆け巡る
2018年12月の中央教育審議会答申「人口減少時代の新しい地域づくりに向けた社会教育の振興方策について」は、社会教育士について次のように期待する。「社会教育施設における活動のみならず、環境や福祉、まちづくり等の社会の多様な分野における学習活動の支援を通じて、人づくりや地域づくりに関する活動に積極的に携わっていくことが期待されるものであり、地域における課題解決の活動等に取り組む多様な人材が社会教育士を取得し、地域の様々な取組において活躍することが期待される」。
「社会教育士は首長部局においても広く活用され、教育委員会に置かれる社会教育主事を中心とした各部局間の連携体制の構築につながることが期待される。また、各社会教育士が持つノウハウや、住民のニーズや地域の課題等に関する情報の共有を図るため、行政内部のみならず、地域学校協働活動推進員、NPO や企業等、多様な場に社会教育士が存在し、相互の連携が図られることが重要である」。
 これまで、社会教育主事という専門職は、「教育委員会事務局」に置かれ、「社会教育を行う者に専門的技術的な助言と指導を与える。ただし、命令及び監督をしてはならない」と規定されていた。市民の学習の自主性を尊重するこの規定は、社会教育の命綱というべきものである。だが、今や、「教育委員会事務局」から飛び出し、行政内部のみならず、地域学校協働活動推進員、NPO や企業等、多様な場に社会教育士が配置され、環境や福祉、まちづくりなど、多様な領域を駆け巡ることが期待されているのだ。
 そこでは、第一に、多様な領域のそれぞれにおいて、「市民の暮しや仕事に関わる課題は何なのか」を察知し、各領域を横断する全体的視点から、それらの課題解決に向けた協働のあり方を提起する必要がある。過去には、社会教育主事の専門性について「学問の体系的理解のもとに」などと言われることもあったが、今は、多様な領域にわたる現場の課題から出発して行動(ファシリテーション・プレゼンテーション・コーディネート)するための専門性が求められている。
第二に、「多様な領域の駆け巡り」においてポイントとなるのは、「見知らぬ他者との出会い」だと筆者は思っている。これは社会教育士の醍醐味の一つといえよう。ワークショップ型授業でも、最初、一般の学生は「見知らぬ他者」との出会いを敬遠する傾向がある。また、「あなたにとっての心安らぐ居場所の条件」を聞くと、「知らない人が混じっていないこと」だと言う。ところが、ワークショップで、日頃の交流とは異なる他者との交流をするうちに、「見知らぬ他者との出会い」の魅力を感じるようになる。
「いつもの他者との交流」を超える交流が重要である。学生時代に、授業や部活ではなく、アルバイト先などで、「良好な友達づきあい」以上の「質の豊かな人間関係」による異質な者との出会いを経験した者が、卒業後、組織で成功していると言うのだ(溝上慎一『どんな高校生が大学、社会で成長するのか―「学校と社会をつなぐ調査」からわかった伸びる高校生のタイプ』、2015年7月)。
この点で、「秋田県行動人」のWEBサイトに注目したい。これは、去年までの8年間で1800件以上の行動人(学んだことを生かして行動し周囲を元気にする人)を紹介したものである。県の社会教育主事が、メディアや口コミをもとに取材に出向き、編集者として顔写真入りで紹介しているものである。今日の「個人情報保護」などによる没交流の世の中で、貴重な「自負できる個人情報」の宝庫である。上司と本人の了解を得て、ネットを活用して機動的に情報提供したいものである。そして、このとき、得るものが一番多いのは、編集者だと思って良い。


図 「秋田県行動人」のページ

2. 学校を青少年の味方にする
 社会教育法に次の規定が追加された。「教育委員会は、地域学校協働活動の円滑かつ効果的な実施を図るため、社会的信望があり、かつ、地域学校協働活動の推進に熱意と識見を有する者のうちから、地域学校協働活動推進員を委嘱することができる」。「地域学校協働活動推進員は、地域学校協働活動に関する事項につき、教育委員会の施策に協力して、地域住民等と学校との間の情報の共有を図るとともに、地域学校協働活動を行う地域住民等に対する助言その他の援助を行う」。社会教育士もこの「地域学校協働活動推進員」として活躍することが期待されている。
だが、筆者には次のような思い出がある。一つは、不登校を経てきた若者が、「球技で思い切りあばれ回りたい」と言うので、近くの小学校の校庭を借りようと提案したところ、強く拒否された。学校に対する拒否反応があるのだ。また、ある市の青年教室で、年度の半年くらい過ぎてから参加した若者がいたので、どうしていたのか聞いたところ、「学校の教室のようなところだったら嫌だな」と思って、ためらっていたと言う。
ここで、今後どのように学校を運営するべきかを論じようというのではない。そうではなく、社会教育として若者と接しようとする場合、学校に対するこのような拒否反応の存在を知っておくこと、そして、それとは異なる「社会教育の中での学校の姿」を実感してもらって、学校を青少年の味方にすることである。
「社会教育の中での学校」とは、地域の人々が教師や親よりも「ゆるい視線」で、青少年一人一人の存在を受け入れてくれる、役割を与えてくれるということである。また、学校に配置された社会教育士(としての教師)も、社会教育士である以上、学校教育の目的からは距離を置いて、一人一人の子どもたちに寄り添ってのびのびと活動することが効果的と考える。

3. 個人完結型から社会開放型への転換
不登校を経てきた若者に「君にとって社会とは」と問うたところ、「社会と言われてもわからない。世間ならわかる」と言われた。世間は、個人の主観内の世界であり、客観的な社会とは大きな隔たりがある。
青少年研究会では、1992年から10年ごとに「神戸・杉並青年意識調査」を行ってきた。前回の調査では、「みんなで力を合わせても社会を変えることはできない」に賛成しなかった者が74%もいた。ところが、その賛否で他の特徴(有意差)を調べたところ、「自分らしさ」や「合意形成への態度」などの回答の差で見られたような目立った特徴はほとんど見られなかった。主観的な「世間」を超えて、自己と社会を結びつけるようになるためには、大きな障壁があるといえよう。
現在、共同して社会的な責任を果たそうとする「共同エージェンシー」の育成が叫ばれているが、2022年に予定されている第4回調査においても、若者と社会との関わりに関する主体的な変化がない限り、その状況の変化は望めないのではないだろうか。
 「主体的な変化」というのは、次に述べることを意味している。前回の調査では、30代・40代の世代の調査を並行して行った。その神戸調査を阪神大震災前からの居住者と、その後の転入者に分けて、コミュニティやボランティアに対する意識の差を検討したところ、目立った特徴(有意差)はほとんど見られなかった。このことから、被災の当事者であったか、そうではなかったかということは、その後の「共同エージェンシー」の意識を規定するものではないということが推察される。それよりも、世間という主観的な枠組みを超えて、客観的な社会に「主体的に」参加する体験を経て、視野の拡大と意識の変化が見られるのではないか。「共同エージェンシー」を促進しようとする国際的なトレンドが、どの程度日本の若者に効果をもたらすのか、期待したい。
筆者は、「連鎖的参画による子育てのまちづくりに関する開発的研究」(平成17〜21年度)において、「個人完結型から社会開放型子育て観への転換」というキー概念を設定し、二つの子育て法について、次のとおり「操作的定義」を定めた。
〔個人完結型〕=母親(もしくは父母)が自己の子育てに関する問題を(自らの範囲内で)解決するスタイル。
〔社会開放型〕=地域社会の支援・協働のもとに母親(もしくは父母)が自己及び他者の子育てに関する問題を解決するスタイル。
そして、次のように述べた。「この二つの子育て法は、よく見ると、じつはつながっていることがわかる。どのようなプロセスをたどらせることによって、両者を統合した子育て観を育てることができるかということを明らかにする必要がある」(聖徳大学学術研究高度化推進事業社会連携研究推進事業『連鎖的参画による子育てのまちづくりに関する開発的研究平成17〜21年度研究集録』、pp.1-14、2010年3月)。
青少年の「共同エージェンシー」育成についても、同様のことがいえよう。個人内主観で外界は「世間」にとどまり、その「同化圧力」の中で、他者と出会っても狭く閉鎖していく「個人完結型」の生き方、考え方に対して、参画・協働による社会参加の中で、個人としての自立・充実、そして、社会での自己の位置決めを果たしていく「社会開放型」へのプロセスは、個人内主観についても、個性ある充実を実現するものと考えたい。
個人の自己決定を迫る「個人化」の一方で、同化圧力、個の抑圧を行う現代社会に対して、批判は強い。しかし、「個人化」が社会の必然だとすれば、その流れを手をこまねいて傍観するのではなく、自己決定で社会に関与する若者を育てる必要がある。


図 個人完結型から社会開放型への転換

4. 多様な個人に伴走する
社会教育主事が情報提供・相談事業以外は、主に団体に対して対応することになるのに対して、社会教育士は「個人に伴走」する機会が増えるだろう。例えば居場所においては、個人としてのまたは社会人としての未来に向けた充実のためのこれまでの社会教育の集団学習プログラムとは別の、「第3の支援」が存在すると筆者は考えている。自然発生的な居場所と異なり、社会教育士が介在する「居場所」においては、他のプログラムのような能力獲得目標の設定及びその到達度評価は行われないだろう。だが、教育である以上、目標設定と、計画的・組織的な目標追求活動、個々人への効果測定及び事業評価は行われるべきだろう。肩を押してくれる、見守ってくれる、話を聞いてくれるなどの居場所的な支援が、社会教育士の「教育的配慮」によってどのように行われているか。その内容と方法をきちんと評価し、交流・蓄積することこそ、求められていると考えたい。
そして、当然ながら、若者一人一人のタイプに応じて、これらの目標設定は異なるものでなければならない。佐野市では市民アンケート結果の因子分析から、地域活動の動因を次の4つに分類した(第2次佐野市生涯学習推進基本構想・前期基本計画、2019年3月)。

図 佐野市民地域活動の動因

この「構想」では、地域×能動の「地域で自分を生かしたい」に対しては「まちづくり活動メニューの提供、自分×能動の「自分を打ち出したい」に対しては、「自己診断カルテの作成」、地域×受動の「地域に生きる」に対しては、地域を知る機会や多世代交流の場の提供、自分×受動の「自分を見つけたい」に対しては、居場所・出会いの場の提供などが考えられるとしている。苦手なこと、関心のないことを青少年に押しつけるのではなく、このように、本人のニーズに沿うような支援をすることこそ、「多様な個人に伴走する」社会教育士に求められていることだと考えたい。

5. 教育であることの意味
人づくりという言葉が飛び交っている。だが、「人づくりをするなんて、おこがましい」と感じる人も多いのではないか。筆者もその一人である。豊島区生涯学習推進協議会意見書(「『つどう、つながる、つなげる、つくりだす』豊島区生涯学習センター機能の実現に向けての意見書」、豊島区生涯学習推進協議会、2016年12月)で筆者は次のように述べた。

「人づくり」ということがよく言われますが、行政などが人をつくるのではありません。子どもから大人まで、自らが自らをつくっているとわれわれは考えます。人材育成の本質は、「人づくり」ではなく「われづくり」にあるといえます。同時に、区民一人一人の自己の充実のための学びは、人によって支えられ、地域での区民同士の学びあいと支えあいは、この意見書がめざす生涯学習センターをはじめとする社会的支援機能によって支えられると考えます。
本意見書が要望する生涯学習センターとは、区の全域に広がる多様な学習や地域づくりのための各センターの拠点となる専門的センターです。その「センター・オブ・センター」機能を、区民との協働によって発揮することによって、「つどう・つながる・つなげる・つくりだす」という理想像が実現できるものと考えます。そして、区民一人一人も、そのような環境と活動のなかでこそ、「われづくり」を味わい、さらには「地域づくり」のなかで自己を発揮し、社会に発信できるのではないでしょうか。
そこにこそ、自己の充実とともに、人々と協働し、相手に喜んでもらって役割を果たすことによる達成感と自信が生ずるものと考えます。地域づくりもまた、このような区民一人一人の自己に適した分野での自発的活動です。文化と同様、押し付けでは地域づくり活動は育たないのです。精神論の押し付けなどよりも、個人がそれぞれになりたい自己像に近づくために必要な能力を、具体的にリストアップし、構造化して示すことこそ求められているといえるでしょう。そのことが、結局は、個人完結型の生き方から社会開放型の見方・考え方への転換のための一番の近道になると考えます。そこで個人が選択した「必要能力」こそ、個人の学習目標であり、地域づくりのための必要能力として社会で共有される達成目標になるのだと考えます。

若い社会教育士には、「人づくり」などという大それた使命にプレッシャーを感じずに、仕事を楽しんでほしい。とはいえ、それは、「教育」という立場や「専門性」という役割を捨て去ることではない。「青少年と伴走する」ということは、「彼らと同じ立場と役割」(ワンオブゼム=彼らの一員)になるということではない。かといって、押しつけて育てることでもない。教育とは学習者の主体性を尊重しながら、主体性の獲得を支援する活動である。
そのための専門性を明示しておきたい。これまで、社会教育主事の専門性の議論の中では、原理的なものが多かった。しかし、現場の社会教育士としていますぐに知りたいことは、そういうことではあるまい。いまのニーズや変化に応じて、ローカルな現場の課題に応じた具体的な必要能力のリストとして、構造的に見たいに違いない。
 新人の社会教育士のためにそのような用意がある職場は、残念ながらほぼないと言ってよいだろう。しかし、だからこそ、新規参入した社会教育士が、自由な発想でのびのびと現場ごとの能力、専門性を明らかにしてほしい。そのための効率的な方法として、下図のクドバス(CUDBAS)という手法を紹介しておきたい。担当者5人が集まれば、3時間で、このチャートは完成する。
新人社会教育士が、「他者との出会い」を味わいながら、社会に開かれた意義ある仕事を続けられるよう願っている。


図 クドバスチャート(ホテル従業員・レセプション部門)事例
(職業教育開発協会ホームページより)

※出典等の参照が便利な本稿のWEB版を公開中です。(http://mito3.jp)


会社沿革

2019年4月
若者文化研究所設立

バナースペース

若者文化研究所

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