書評
「選択的自己」の拡大により、従来のピアプレッシャー(同化圧力)による「個性抑圧」は弱まっている。これを、他者との「共存」から、「異質の他者との共有」にまで発展させることが大切だ。
渋谷のギャルと裏原宿の不思議ちゃん、そのいがみ合いが終わろうとしている。若者が状況に応じて「自己」を選択できるようになったからだ。この「多元的自己」の若者への普及により、従来のピアプレッシャー(同化圧力)による「個性抑圧」は、弱まることが期待される。だが、他者との「共存」から、「異質の他者との共有」にまで発展するには、まだいくつかの障壁があるのだろう。
書評
『ギャルと不思議ちゃん論−女の子たちの三十年戦争』
松谷創一郎
原書房
2012/09出版
若者文化研究所 西村美東士
コギャル、アムラー、ガングロ、egg、蛯原友里、age嬢、戸川純、シノラー、裏原系、Olive、CUTiE、きゃりーぱみゅぱみゅ……80 年代前半から現在までを、ギャルと不思議ちゃんという視点で切り取ると、見えてきたものは。女の子たちの生存戦略の30年史をときあかす。
筆者松谷氏は、1980年代前半から2012年までの30年間の女子のコミュニケーションを、社会学の視点から、「ギャル対不思議ちゃん」という構図で描き出す。「ギャル」は、コギャル、アムラー、ガングロ、age嬢であり、「不思議ちゃん」は、ナゴムギャル、シノラー、裏原宿系である。
ギャルと不思議ちゃんは、ときに強く意識しあい、独自性を確認しようとして戦ってきた。ギャルは不思議ちゃんという少数派を「変だよね」と言い合うことによって同化圧力を維持し、不思議ちゃんはギャルという多数派を「つまらない人たち」と評することによって、自分たちの「存在確認」をしようとしてきた。
このような女子特有の対立構造は、クラスの中にも見られよう。DeSeCoのいう「異質な集団で交流する」というキー・コンピンテンシーの育成も簡単にはいかない。
だが、終章において、きゃりーぱみゅぱみゅの分析に至るとき、この対立構造の鮮明さに、やや陰りが生ずる。彼女の奇抜なファッション、ブログでの「変顔」などは、「主流派に対する差異化として、つまり不思議ちゃんとして機能している」。しかし、「多元的な自己を操って生きる若者たち」にとって、多数派の渋谷系に対する少数派としての彼女の原宿系ファッションを、交友に合わせて選択することは「不思議ではない」。
現代青年のこのような「多元的自己」は、「存在確認」というより「存在戦略」ととらえられる。だとすれば、われわれも、これを上手に誘導して、彼らが同化圧力を乗り越え、異質の他者と交流して、より良い「存在確認」ができるよう、戦略を立て直すべきといえよう。
【参考】辻泉評 『ギャルと不思議ちゃん論―女の子たちの三十年戦争』
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